まりっぺのお気楽読書

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ボヘミア公ソビェスラフ2世妃 エリシュカ

2018-01-13 21:06:08 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作
どうも前妃とくらべちゃってねぇ・・・
ソビェスラフ2世妃 エリシュカ・ポルスカー


1152?〜1209/在位 1173〜1178

1173年に、一度ベジドフを敗ってボヘミア王になったソビェスラフ2世の妃は
ポーランド公ミェシュコ3世とエルジェビエタの公女エリシュカです。

実はエリシュカは、生年がはっきりしていないばかりか
本当に王女だったのかどうかも定かではないんです。

だけど名前が一緒だからエルジェビエタの娘だと信じられているらしい…
今ツっこみましたよね? 名前みんなおんなじじゃん!! と

1173年に結婚しました。
     
1178年、ベジドフがプラハを包囲した時、エリシュカは城にいて逮捕されました。
けれどもすぐ解放されました。

ソビェスラフは1179年に再度蜂起するんだけれども、ベジドフに完敗します。
夫婦はポーランドではなく、ハンガリーに亡命しました。

1180年にソビェスラフ2世が亡くなるのですが、ポーランドへは帰らず
すぐにラウジッツ辺境伯コンラト2世と再婚しました。
あやしーね… なにかを勘ぐりたくなってしまうわたし…

その後の記録はないのですが、1209年に夫コンラト2世が、エリシュカの義兄
ポーランド大公ヴワディスワフ3世をレブスの戦いで敗っていまして
これは、エリシュカの死に捧げれたものだと言われています。

夫コンラト2世は1210年に死去しました。
エリシュカはドーベルルーク修道院、夫はヴェクセルブルク小修道院に埋葬されています。
なぜかしら? 一緒じゃないんだね。


               
                Jarmily Haldovéさん作
なにもわからない若妻
コンラト2世妃 ヘリチャ・ズ・ヴィッテルスバハ


1160〜1198/在位 1189〜1191

コンラト2世は、ヴラジスラフ2世が一生懸命つながりを求めた
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の引き立てで、まずは初代モラヴィア辺境伯に叙されます。

そして1189年に、フリードリヒ1世と地方貴族たちの後押しでベジドフを敗って
ボヘミア公になりました。

コンラト2世の妃は、プファルツ伯オットー7世の娘ヘリチャです。
           
1176年、16歳ぐらいで、25歳ぐらい年上のコンラトと結婚しました。

コンラトはナポリ包囲中の1191年に亡くなるんですが
その後ヘリチャがどうしていたのかわかりません。
30歳前後なので、再婚しようと思えばじゅうぶんできる年なんですけどね。

子供がいないと記録もないとは… 王妃の人生って寂しいものですね。
1198年に亡くなっています。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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コメント
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