まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

フランス王聖ルイ9世妃 マルグリート

2009-02-13 22:42:20 | フランス王妃・王女
聖人の妻も楽じゃない・・・
聖ルイ9世妃 マルグリート・ド・プロヴァンス


1221~1295/在位 1234~1270

マルグリートの姉妹たちは “ 暗めの髪と澄んだ瞳を持つ美しい人 ” と
その美をたたえられていたらしいのですが
姉妹たちの父親プロヴァンス伯はこれを最大限に利用しようとしたようですね。

      

長女マルグリートは13歳で聖ルイ9世に嫁ぎます。
次女エレオノーレはイングランド王ヘンリー3世に
三女サンチャはヘンリー3世の弟コーンウォール伯リチャードに
四女ベアトリスはルイ9世の弟アンジュー伯シャルルに、それぞれ嫁ぎます。

イングランドとフランスは相変わらず一触即発の状態。
その両方に2人づつ嫁がせるとは、策略なんでしょうか?
それとも双方から熱望されたんでしょうか?
プロヴァンス伯は強大な力を持つ名家ですから、イングランドもフランスも
味方につけておきたかったのでしょうね。
その上美人ときてますからね

ルイ9世はフランス王の中で唯一聖人に加えられています。
これはルイ9世がとても敬虔な教徒で、慈愛の心に富み
貧しい人たちに慈善を施しをしたりしたことに加え、十字軍に2回参加し
その遠征先で死亡したことが要因となったようです。

マルグリートも第7回十字軍に同行しています。
彼女が夫同様敬虔な教徒だったのかどうかは不明ですが
当時は遊山気分で十字軍に同行する妃はけっこういたみたいです。
王妃が同行すると荷物が増えたり侍女がついてきたりで
かなり足手まといになると思うんですけど…

しかしマルグリートは、ルイ9世が捕虜になった時、
短期間とはいえ十字軍を率いたり、身代金の交渉をしたりと
重責を背負いながら奮闘しました。

美しいマルグリートとルイ9世は、結婚当初はかなり仲睦まじかったようです。
こんなことがエピソードとして残っているのもどうかと思いますが
寒い夜にマルグリートが自分のショールをルイ9世の肩にかけたりしたっていう…

それから、聖人というだけあってルイ9世は地味な格好をしていたそうです。
マルグリートは王の身分にふさわしくないと思い、美しい衣装を着るよう薦めますが
王はそれに答えて「あなたが私の望む装いをしたら、あなたの望む装いをしよう」と
言ったとか…

後年は、逆にルイ9世が家族の意見をまったく顧みなかったため
かなり熾烈な夫婦喧嘩を繰り広げていたという説もあります。
王様も庶民も同じですね

ルイ9世が第8回十字軍の途上で死亡すると、マルグリートはプロヴァンスに帰りますが
イングランド王ヘンリー3世の妃となったエレオノーレにはとても頼りにされて
2人の信頼関係はエレオノーレが亡くなるまで続きました。

思えばルイ9世、母親も妻もけっこう政治観があって、頼りになって、
強い女性だっただけに、十字軍は唯一自由になれる場だと考えたんじゃ…?
もちろん、信仰心も強かったのでしょうけれど。

余談です
フランス王として唯一聖人になったルイ9世の名は、後年植民地などを獲得した時
地名に冠されることになりました。
一番有名なのはアメリカのセント・ルイスです。

(参考文献 Wikipedia英語版)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『杉の柩』容疑者に同情しち... | トップ | お花の福袋 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

フランス王妃・王女」カテゴリの最新記事