子供も玉の輿の道具
ナポレオン1世妃 ジョセフィーヌ・ド・ボーアルネー
1763~1815/在位 1804~1810
ナポレオン&ジョゼフィーヌといえば有名なカップルですね。
けれどふたりは最後まで添い遂げたわけでなく、オシドリ夫婦でもありませんでした。
ナポレオンの生い立ちは長くなるので省くとして…
ジョゼフィーヌは西インド諸島のマルティニーク生まれです。
ボーアルネーというのは最初に結婚した夫の姓で
父親はマルティニークの一領主ジョセフ・ガスパール・タシャーです。
たぶん後付けの理由だと思いますが、南の島で自由な少女時代を送ったので
奔放な男性関係を繰りひろげるようになったということです。
彼女の叔母ルノーダンが愛人を追ってパリに戻ると、16歳のジョゼフィーヌを呼び寄せ
愛人の息子ボーアルネー子爵と結婚させました。
夫は不在がちで、彼女はこの頃から浮気を始めます。
浮気は夫に知られてジョゼフィーヌは離婚を言い渡されますが、1994年、離婚前に
ボーアルネー子爵が属するジロンド党がジャコバン党に破れ、子爵は処刑されました。
ジョゼフィーヌも一時投獄されましたが、ジャコバン党が瓦解したため解放されました。
パリの反革命派を鎮圧したナポレオンが、市民の武器を没収していた時の話しです。
健気そうな少年がひとり、彼に父の形見を返してほしいと言ってきました。
ナポレオンは少年の気持ちに感激し銃を返してあげます。 すると…ジョゼフィーヌ登場!
なんでも息子のお願いに応えてくれたお礼を言いに来たということなのですが
ナポレオンはひと目見るなり彼女に惹かれてしまいます。
これは作戦なんですかねぇ~?
ナポレオンの猛烈なアタックが功を奏して、1796年ふたりは結婚します。
ジョゼフィーヌはナポレオンより6歳年上の33歳でしたが、29歳と偽っていました。
それ以前からジョゼフィーヌの情人だったナポレオンの司令官バラスは
彼女との関係を続けたくて、結婚式の2日後にナポレオンをイタリアに遠征させました。
ジョゼフィーヌはパリに残ってバラスをはじめとする色男たちと遊び歩き、ナポレオンに
しつこく呼ばれて一度はイタリアへ行ったものの、エジプトやシリアで転戦する夫を尻目に
若い士官と浮気をして散財を繰り返していました。
もともとジョゼフィーヌが嫌いだったナポレオンの家族は、ジョゼフィーヌの行状を
ナポレオンに逐一報告していましたが、彼は信じていませんでした。
けれども国からやってくる士官たちまでが彼女の不貞のことを言いだしたため
ナポレオンは離婚を決意します。
名声と地位を得てパリに戻って来たナポレオンは、ジョゼフィーヌを避けていましたが
ジョゼフィーヌはいまや時の人になった夫を手放す気はありません。
そこでナポレオンが可愛がっていた連れ子のウージェーヌとオルタンスが活躍します。
ふたりはナポレオンの部屋の前で一晩中泣き続けました。
ナポレオンはふたりの涙に負けてドアを開けますが、そこにはちゃっかりジョゼフィーヌも
待機していて、結局よりを戻すことになります。
ナポレオンはクーデターをおこして軍事独裁を始め、執政官になり
1804年、ついに皇帝になります。
ナポレオンは地位が上がるにつれ愛人もつくりましたが、ふたりは平穏な生活を送っていて
ジョゼフィーヌも皇帝妃として得意の絶頂にいました。
(ちなみに、皇帝の妃なので、王妃ではなく皇后になります)
けれど、皇帝の椅子にすわったことでナポレオンは世継ぎが必要になり
ジョゼフィーヌにはそれが望めないとなると離婚することにします。
うすうすナポレオンの考えに気付いたジョゼフィーヌは、前もってナポレオンの弟ルイに
嫁がせていた娘のオルタンスにとりなしてもらおうともしますが功を奏しませんでした。
1809年、ナポレオンはジョゼフィーヌとの離婚を宣言しましたが
皇后の称号は剥奪されず、屋敷や年金などできるだけのものが与えられました。
1814年ジョゼフィーヌは肺炎で亡くなります。
ナポレオンがエルバ島に追放されてから1週間後のことで
最後の言葉は「ナポレオン」でした。
(参考文献 三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』
川島ルミ子氏『ナポレオンが選んだ3人の女』 Wikipedia英語版)
ナポレオン1世妃 ジョセフィーヌ・ド・ボーアルネー
1763~1815/在位 1804~1810
ナポレオン&ジョゼフィーヌといえば有名なカップルですね。
けれどふたりは最後まで添い遂げたわけでなく、オシドリ夫婦でもありませんでした。
ナポレオンの生い立ちは長くなるので省くとして…
ジョゼフィーヌは西インド諸島のマルティニーク生まれです。
ボーアルネーというのは最初に結婚した夫の姓で
父親はマルティニークの一領主ジョセフ・ガスパール・タシャーです。
たぶん後付けの理由だと思いますが、南の島で自由な少女時代を送ったので
奔放な男性関係を繰りひろげるようになったということです。
彼女の叔母ルノーダンが愛人を追ってパリに戻ると、16歳のジョゼフィーヌを呼び寄せ
愛人の息子ボーアルネー子爵と結婚させました。
夫は不在がちで、彼女はこの頃から浮気を始めます。
浮気は夫に知られてジョゼフィーヌは離婚を言い渡されますが、1994年、離婚前に
ボーアルネー子爵が属するジロンド党がジャコバン党に破れ、子爵は処刑されました。
ジョゼフィーヌも一時投獄されましたが、ジャコバン党が瓦解したため解放されました。
パリの反革命派を鎮圧したナポレオンが、市民の武器を没収していた時の話しです。
健気そうな少年がひとり、彼に父の形見を返してほしいと言ってきました。
ナポレオンは少年の気持ちに感激し銃を返してあげます。 すると…ジョゼフィーヌ登場!
なんでも息子のお願いに応えてくれたお礼を言いに来たということなのですが
ナポレオンはひと目見るなり彼女に惹かれてしまいます。
これは作戦なんですかねぇ~?
ナポレオンの猛烈なアタックが功を奏して、1796年ふたりは結婚します。
ジョゼフィーヌはナポレオンより6歳年上の33歳でしたが、29歳と偽っていました。
それ以前からジョゼフィーヌの情人だったナポレオンの司令官バラスは
彼女との関係を続けたくて、結婚式の2日後にナポレオンをイタリアに遠征させました。
ジョゼフィーヌはパリに残ってバラスをはじめとする色男たちと遊び歩き、ナポレオンに
しつこく呼ばれて一度はイタリアへ行ったものの、エジプトやシリアで転戦する夫を尻目に
若い士官と浮気をして散財を繰り返していました。
もともとジョゼフィーヌが嫌いだったナポレオンの家族は、ジョゼフィーヌの行状を
ナポレオンに逐一報告していましたが、彼は信じていませんでした。
けれども国からやってくる士官たちまでが彼女の不貞のことを言いだしたため
ナポレオンは離婚を決意します。
名声と地位を得てパリに戻って来たナポレオンは、ジョゼフィーヌを避けていましたが
ジョゼフィーヌはいまや時の人になった夫を手放す気はありません。
そこでナポレオンが可愛がっていた連れ子のウージェーヌとオルタンスが活躍します。
ふたりはナポレオンの部屋の前で一晩中泣き続けました。
ナポレオンはふたりの涙に負けてドアを開けますが、そこにはちゃっかりジョゼフィーヌも
待機していて、結局よりを戻すことになります。
ナポレオンはクーデターをおこして軍事独裁を始め、執政官になり
1804年、ついに皇帝になります。
ナポレオンは地位が上がるにつれ愛人もつくりましたが、ふたりは平穏な生活を送っていて
ジョゼフィーヌも皇帝妃として得意の絶頂にいました。
(ちなみに、皇帝の妃なので、王妃ではなく皇后になります)
けれど、皇帝の椅子にすわったことでナポレオンは世継ぎが必要になり
ジョゼフィーヌにはそれが望めないとなると離婚することにします。
うすうすナポレオンの考えに気付いたジョゼフィーヌは、前もってナポレオンの弟ルイに
嫁がせていた娘のオルタンスにとりなしてもらおうともしますが功を奏しませんでした。
1809年、ナポレオンはジョゼフィーヌとの離婚を宣言しましたが
皇后の称号は剥奪されず、屋敷や年金などできるだけのものが与えられました。
1814年ジョゼフィーヌは肺炎で亡くなります。
ナポレオンがエルバ島に追放されてから1週間後のことで
最後の言葉は「ナポレオン」でした。
(参考文献 三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』
川島ルミ子氏『ナポレオンが選んだ3人の女』 Wikipedia英語版)
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こちらにもお邪魔しました。
ジョセフィーヌについては私も本で読んだことがありましたが、本当におっしゃる通り、南の島で育った性格は晩年も変わらなかったんじゃないでしょうか。愉しいのが一番、って感じで、離婚後の不幸もあまり身に沁みているようには見えません。
ある意味、人生を謳歌した女性に見えます。
はじめまして
コメントありがとうございます。
有名なお姫様はけっこうマンガになってるんですね。
シシィとかマリー・アントワネット同様、ジョセフィーヌも横綱級に有名ですものね
ジョゼフィーヌは、確かに最初の結婚は、夫の不義やらで不幸だったみたいで、未亡人となり、絶世の美女と名高かった親友、タリアン夫人のサロンに出入りして様々な処世術を身につけ、その頃、ナポレオンと知り合いになり、息子を使って一芝居打って、お近づきになったらしいですね。ナポレオンは、最初、親友のタリアン夫人に求愛していたという説があり、だけども、 身分低く、野暮ったく、訛りの強い話し方をする彼を軽くあしらったという噂が‥タリアン夫人は、時の権力者バラスの第一の愛人で、彼女は、完成された男にしか興味がなかったらしいです。だけども、ふった男、逃した魚は出世(笑)魚で、それを間近で成長するのを見届けたのが、何を隠そう、親友とは面向きで、内心、自分よりも年増で、美貌も格段劣ると見ていたジョゼフィーヌ!タリアン夫人は、地団駄踏んだのでしょうか?バラスは、力を徐々に失い、タリアン夫人は新しい、金持ちの男に乗り換え‥
ジョゼフィーヌは、タリアン夫人と違って、男を見る目があったみたいですね。予言通り、彼女は、皇后に!でも幸せは長くは続かず、子供ができないため、離婚‥ですが、意外にも彼女は離婚をすんなり受け入れたのは、実に潔いですね‥ナポレオンと結婚後も、愛人と通じたりした負い目でもあったのでしょうかね?それとも、夫家族との仲にうんざりして?でも、彼女、ジョゼフィーヌは、思いのままに生き、短かったが、女としての至高の地位に登りつめる事ができて悔いがなかったのかも‥予言通り、晩年は前半生が嘘のように、静かに、穏やかに暮らし、ひっそりと息を引き取ったみたいですね‥