でしゃばりな母、娘を死に追いやる?
ディーヴェケ・シグルズダター
1490~1517/愛妾 1507~1517
ディーヴェケとは “ 小さくて可愛い人 ” という意味があるそうです。
クリスチャン2世は無節操で放蕩三昧、乱暴者と言われています。
昔のドラマにありがちな、番長が可憐な女子を好きになるパターンかしら?
クリスチャン2世との恋愛模様は多くの詩や物語になっているらしいのですが
本当のところはあまりよく知られていないそうです。
ディーヴェケはオランダ商人の娘で、ノルウェーのベルゲンで暮らしていました。
1507年か1509年にクリスチャンと出会って愛妾になっています。
クリスチャンが摂政を務めていた時代にはオスロで、
1513年に王になってからはコペンハーゲンで、という具合に
常に行動をともにしていました。
ディーヴェケの政治的影響力はよくわかっていませんが
母シグリドはクリスチャン2世の顧問として表舞台にしゃしゃりでてきました。
クリスチャン2世がオランダ村を造ったのも彼女のアドバイスによるものです。
兄弟たちも宮廷で大きな顔をしていました。
当然ディーヴェケの家族は貴族たちに嫌われますね。
王と彼女を別れさせようという試みが何度もあったようです。
1515年、クリスチャン2世はハプスブルク家のエリザベスを妃に迎えました。
王妃エリザベスの兄、神聖ローマ帝国皇太子カール(5世)は
ディーヴェケを退けるようにデンマーク宮廷に強く要求したのですが
クリスチャン2世は聞き入れませんでした。
おかげでハプスブルク家と間に一触即発という緊張状態をもたらします。
ハラハラドキドキのデンマーク宮廷に朗報が…
1517年夏、ディーヴェケが27歳という若さで急死します。
絶対に怪しいでしょお? シェリーに毒が入れられたと言われています。
この件では貴族トルベン・オクセが裁判にかけられましたが証拠不十分で
エリザベスの祖父マクシミリアン1世からの提案(脅し?)で過失となりました。
しぶと~い母シグリドは王妃エリザベスに取り入り
クリスチャン2世の財務相談役となって宮廷で生き延びましたが
1523年以降の記録がありません。
一説では魔女裁判で有罪となって1523年に処刑されたとされていますが
真相はクリスチャン2世失脚の時反対派貴族によって…ていうことじゃないかしら。
幾多の障害をものともせずディーヴェケを側においていたクリスチャン2世、
そして若き愛妾の急死…物語にはもってこいなエピソードですよね。
どんな物語になっているんでしょうね?
韓流ばりの純愛物か、悪女に魅入られた王の物語か…興味津々です。
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの歴史をわかりやすく
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
ディーヴェケ・シグルズダター
1490~1517/愛妾 1507~1517
ディーヴェケとは “ 小さくて可愛い人 ” という意味があるそうです。
クリスチャン2世は無節操で放蕩三昧、乱暴者と言われています。
昔のドラマにありがちな、番長が可憐な女子を好きになるパターンかしら?
クリスチャン2世との恋愛模様は多くの詩や物語になっているらしいのですが
本当のところはあまりよく知られていないそうです。
ディーヴェケはオランダ商人の娘で、ノルウェーのベルゲンで暮らしていました。
1507年か1509年にクリスチャンと出会って愛妾になっています。
クリスチャンが摂政を務めていた時代にはオスロで、
1513年に王になってからはコペンハーゲンで、という具合に
常に行動をともにしていました。
ディーヴェケの政治的影響力はよくわかっていませんが
母シグリドはクリスチャン2世の顧問として表舞台にしゃしゃりでてきました。
クリスチャン2世がオランダ村を造ったのも彼女のアドバイスによるものです。
兄弟たちも宮廷で大きな顔をしていました。
当然ディーヴェケの家族は貴族たちに嫌われますね。
王と彼女を別れさせようという試みが何度もあったようです。
1515年、クリスチャン2世はハプスブルク家のエリザベスを妃に迎えました。
王妃エリザベスの兄、神聖ローマ帝国皇太子カール(5世)は
ディーヴェケを退けるようにデンマーク宮廷に強く要求したのですが
クリスチャン2世は聞き入れませんでした。
おかげでハプスブルク家と間に一触即発という緊張状態をもたらします。
ハラハラドキドキのデンマーク宮廷に朗報が…
1517年夏、ディーヴェケが27歳という若さで急死します。
絶対に怪しいでしょお? シェリーに毒が入れられたと言われています。
この件では貴族トルベン・オクセが裁判にかけられましたが証拠不十分で
エリザベスの祖父マクシミリアン1世からの提案(脅し?)で過失となりました。
しぶと~い母シグリドは王妃エリザベスに取り入り
クリスチャン2世の財務相談役となって宮廷で生き延びましたが
1523年以降の記録がありません。
一説では魔女裁判で有罪となって1523年に処刑されたとされていますが
真相はクリスチャン2世失脚の時反対派貴族によって…ていうことじゃないかしら。
幾多の障害をものともせずディーヴェケを側においていたクリスチャン2世、
そして若き愛妾の急死…物語にはもってこいなエピソードですよね。
どんな物語になっているんでしょうね?
韓流ばりの純愛物か、悪女に魅入られた王の物語か…興味津々です。
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの歴史をわかりやすく
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