まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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ハンガリー王ウラースロー2世妃 ボルバーラ

2010-10-08 23:01:59 | ハンガリー王妃
           こちら、返り咲いた王妃ベアトリクス・アラゴーニア
 
王妃になったと思ったら・・・
ウラースロー2世妃 ボルバーラ・ブランデンブルギ


1464~1515/在位 (ボヘミア王妃)1471~1500 (ハンガリー王妃)1490~1500

マーチャーシュが嫡子無く、庶子も後継ぎにできないで亡くなったため
アルベルトを祖父に持つボヘミア王ブラジスラフがウラースロー2世として即位します。

ウラースロー2世の妃ボルバーラは、ブランデンブルク選帝侯アルブレヒト3世の候女です。

         
8歳の時に29歳年上のグウォグフ公ハインリヒ11世と結婚しましたが
4年も経たないうちに夫が亡くなり11歳で未亡人になってしまいました。

しかし、ブランデンブルク選帝侯の素早いアクション!
その年のうちに20歳のウラースローと再婚します。
(ハインリヒ11世は急死で毒殺の噂があるんですよ~

ウラースローはその年(1971年)イジー王未亡人からの要請でボヘミア王に即位、
1490年にはハンガリー王に即位しました。
この時、そういうお約束があったのかどうだか…(下に正解があります
マーチャーシュの未亡人ベアトリクス・アラゴーニアと再婚することになり
ボルバーラは離婚されてしまいました。

後にウラースローはベアトリクスと別れたのですけれども
ボルバーラのもとへは戻ってきませんでした…

他の国だといきなり離婚された王妃が抵抗するエピソードが残っていたりするんですが…
例えばルイ12世妃ジャンヌとか…
ボルバーラがどうしたのかはちょっとわかりません、残念ですね。



ハンガリーのために頑張ったのに・・・第2部
ウラースロ-2世妃 ベアトリクス・アラゴーニア


1457~1502/在位 (マーチャーシュ妃)1476~1490
          (ウラースロー2世妃)1491~1502

第1部のつづき…

で、ボルバーラと別れたウラースロー2世が再婚したのは
マーチャーシュ未亡人ベアトリクスでした。

        
マーチャーシュとともに中世ハンガリーに繁栄をもたらしたベアトリクスは
さすがに女王になろうとは思わなかったみたいですが
次に王になる男性と再婚して王妃の座を守りたいと望んでいました。

未亡人になってからも貴族たちに影響力を持っていたベアトリクスは
彼らの圧倒的な後押しで次王の王妃としてとどまることになりました。
しかも彼女、王の選挙の議長にもなってんのよね
ということは、最初からウラースロー狙いかしら?

つまりウラースローは、ハンガリー王になりたかったら
ベアトリクスと再婚しなきゃいけなかったわけです。
ということで、前妻ボルバーラと離婚したウラースローとベアトリクスは
1491年に再婚しました。

しかし再婚から数年後、ウラースロー2世は、
「自分はこの結婚を公式に承諾しておらず、無理矢理結婚させられた」と言い出します。
しかも、前妃ボルバーラとの離婚も教皇から許可されていないということで
結婚は無効だと訴えました。

ベアトリクスはこの裁判に大金を投じましたが、1500年に無効が言い渡されました。
四半世紀近くハンガリーの発展に尽くしてきたベアトリクスだったのに
ひとり寂しくナポリへ帰ることになります。

御輿に乗せた貴族はどうしたよ? すっかり寝返った?
結局よそ者の嫁なんてこんなものよね…
いいように使われて、いらなくなったら実家に帰されちゃって… 貴族も同じか…

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント
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