どちらかわかりませんがアーグネスの母テオドーラです
お姫様の不幸が垣間見える
イシュトヴァーン3世妃 アーグネス
1154~1182/在位 1168~1172
イシュトヴァーン3世は20歳の時にハリチのヤロスラフ・オシュミスルの娘と結婚しますが
すぐに結婚は無効になり、お相手は故郷へ送り返されました。
翌年、オーストリア公ハインリヒ2世の公女アーグネスと結婚します。
母テオドーラは聖ラースロー1世の娘ピロシュカ(エレーネに改名)の孫にあたります。
ハインリヒ2世は、ハンガリーとビザンツ帝国を和解させようと考えていました。
当時ビザンツ帝国は、イシュトヴァーン3世の対立王である
叔父のラースローとイシュトヴァーンを保護していました。
ハインリヒ2世はイシュトヴァーン3世に自分の娘であるアーグネスの縁談を申し入れます。
しかし、イシュトヴァーンはその時すでにヤロスラフの娘との結婚が決まっていたのね。
そこで結婚はしたものの、すぐ無効にしちゃったと…ヒドい話しよね
婚約破棄も、結婚後に無効にされるのもどちらも傷つくけど
まだ結婚前の方が痛手が小さそうじゃありません?
1172年、イシュトヴァーン3世が巡礼の途中で急死します。
24歳の若さでした。
直前にアーグネスの父ハインリヒ2世と会っていたらしいんだけど…怪しいですね。
エステゴルムでの葬儀が終わると、アーグネスはすぐに父に連れられハンガリーを発ちます。
翌年にはケルンテン公ヘルマン2世と再婚しました。
この手際の良さ…やはり怪しい。
結婚から8年後にヘルマン2世は亡くなり、アーグネスも翌年亡くなりました。
夫とではなく、両親とともにウィーンに葬られました。
戦乱の中世初期のならいとはいえ、親にいいように嫁がされちゃって…
いつも思うが、お姫様って楽じゃないわね
(参考文献 Wikipedia英語版)
お姫様の不幸が垣間見える
イシュトヴァーン3世妃 アーグネス
1154~1182/在位 1168~1172
イシュトヴァーン3世は20歳の時にハリチのヤロスラフ・オシュミスルの娘と結婚しますが
すぐに結婚は無効になり、お相手は故郷へ送り返されました。
翌年、オーストリア公ハインリヒ2世の公女アーグネスと結婚します。
母テオドーラは聖ラースロー1世の娘ピロシュカ(エレーネに改名)の孫にあたります。
ハインリヒ2世は、ハンガリーとビザンツ帝国を和解させようと考えていました。
当時ビザンツ帝国は、イシュトヴァーン3世の対立王である
叔父のラースローとイシュトヴァーンを保護していました。
ハインリヒ2世はイシュトヴァーン3世に自分の娘であるアーグネスの縁談を申し入れます。
しかし、イシュトヴァーンはその時すでにヤロスラフの娘との結婚が決まっていたのね。
そこで結婚はしたものの、すぐ無効にしちゃったと…ヒドい話しよね
婚約破棄も、結婚後に無効にされるのもどちらも傷つくけど
まだ結婚前の方が痛手が小さそうじゃありません?
1172年、イシュトヴァーン3世が巡礼の途中で急死します。
24歳の若さでした。
直前にアーグネスの父ハインリヒ2世と会っていたらしいんだけど…怪しいですね。
エステゴルムでの葬儀が終わると、アーグネスはすぐに父に連れられハンガリーを発ちます。
翌年にはケルンテン公ヘルマン2世と再婚しました。
この手際の良さ…やはり怪しい。
結婚から8年後にヘルマン2世は亡くなり、アーグネスも翌年亡くなりました。
夫とではなく、両親とともにウィーンに葬られました。
戦乱の中世初期のならいとはいえ、親にいいように嫁がされちゃって…
いつも思うが、お姫様って楽じゃないわね
(参考文献 Wikipedia英語版)