こちらはアンナの姉マリア
人質の王子と結婚
ベーラ3世妃 アンナ・シャティヨン
1154~1184/在位 1173~1184
アンナはアンティオキア公レイナルドの公女です。
アンティオキア公国は、十字軍がシリアにつくった中継地でした。
父レイナルドはイスラム教徒に捕らえられ17年間投獄されてました。
敵地においてけぼりの国…平穏な生活を送るというわけにはいかなかったかもしれませんね。
1170年、アンナはビザンツ皇帝マヌエル1世妃となっていた姉マリアを
コンスタンティノープルに訪ねた時に、人質になっていたベーラと出会いました。
人質とはいえ、ベーラはものすごく優遇されていて、アレクシオスという名前を与えられ
ビザンツ皇帝の後継者にも指名されていました。
ちなみに、アンナはアグネスという名前でしたがコンスタンティノープルで改名しました。
マヌエル1世はベーラとアンナを結婚させることにします。
ここからは私の勝手な想像なんだけど…
マヌエル1世はイシュトヴァーン4世でのハンガリー支配は失敗に終わったものの
新たにベーラで…なんて考えたんじゃないでしょうか?
実は自分の娘マリアとベーラを婚約させていたわけなのね。
しかしマヌエル1世に皇子が誕生したので、ベーラは後継者ではなくなります。
じゃあ、ハンガリーに戻って王になる? と考えたんだと思いますが
また敗れちゃうかもしれない…それなら嫁の妹で…なんて考えたのでは?
結局、イシュトヴァーン3世が亡くなるとベーラが即位してハンガリーへ帰国しました。
マヌエル1世の目論みどおり、ハンガリーとビザンツは同盟を結んで
協力しあったようでございます。
浮気は濡れ衣か?
ベーラ3世妃 マルギット
1157~1197/在位 1186~1197
ベーラ3世はアンナ・シャティヨンの死から2年後の1186年
フランス王ルイ7世とコンスタンス・ド・カスティーヨの王女マルギットと再婚しました。
マルギットは最初、ルイ7世の最初の妃エリナー・オブ・アキテーヌと
イングランド王ヘンリー2世の王子ヘンリーと結婚しました。
ヘンリー5歳、マルギットは2歳!!
10年後ヘンリーは共治王になり戴冠しますが、マルギットは戴冠しなかったため
ルイ7世大激怒!! 急いで戴冠させるという一幕もありました。
マルギットは25歳の時、ペンブルック伯ウィリアム・マーシャルとの浮気を告発され
翌年結婚を無効にされてしまいます。
しかしこれは言いがかりで、嫡子が生まれなかったせいだとも言われています。
フランスに帰されてから3年後にベーラ3世と再婚。
こちらも嫡子は生まれませんでした。
1196年にベーラ3世が亡くなります。
翌年夏、マルギットは聖地巡礼に向かいますが
イスラエルのアッコに到着した数日後に亡くなりました。
浮気が濡れ衣だったとして、故国に帰されちゃう奥様方はまだいいけど
相手の男性はどうなるの? 君主や国によっては処刑ものですよね?
ちなみにペンブルック伯は、一時は失脚したものの後に信頼を回復して
その後何人もの王様に仕えております。
あまり重い罰は受けなかったということね…なんだかあやしい
(参考文献 Wikipedia英語版)
人質の王子と結婚
ベーラ3世妃 アンナ・シャティヨン
1154~1184/在位 1173~1184
アンナはアンティオキア公レイナルドの公女です。
アンティオキア公国は、十字軍がシリアにつくった中継地でした。
父レイナルドはイスラム教徒に捕らえられ17年間投獄されてました。
敵地においてけぼりの国…平穏な生活を送るというわけにはいかなかったかもしれませんね。
1170年、アンナはビザンツ皇帝マヌエル1世妃となっていた姉マリアを
コンスタンティノープルに訪ねた時に、人質になっていたベーラと出会いました。
人質とはいえ、ベーラはものすごく優遇されていて、アレクシオスという名前を与えられ
ビザンツ皇帝の後継者にも指名されていました。
ちなみに、アンナはアグネスという名前でしたがコンスタンティノープルで改名しました。
マヌエル1世はベーラとアンナを結婚させることにします。
ここからは私の勝手な想像なんだけど…
マヌエル1世はイシュトヴァーン4世でのハンガリー支配は失敗に終わったものの
新たにベーラで…なんて考えたんじゃないでしょうか?
実は自分の娘マリアとベーラを婚約させていたわけなのね。
しかしマヌエル1世に皇子が誕生したので、ベーラは後継者ではなくなります。
じゃあ、ハンガリーに戻って王になる? と考えたんだと思いますが
また敗れちゃうかもしれない…それなら嫁の妹で…なんて考えたのでは?
結局、イシュトヴァーン3世が亡くなるとベーラが即位してハンガリーへ帰国しました。
マヌエル1世の目論みどおり、ハンガリーとビザンツは同盟を結んで
協力しあったようでございます。
浮気は濡れ衣か?
ベーラ3世妃 マルギット
1157~1197/在位 1186~1197
ベーラ3世はアンナ・シャティヨンの死から2年後の1186年
フランス王ルイ7世とコンスタンス・ド・カスティーヨの王女マルギットと再婚しました。
マルギットは最初、ルイ7世の最初の妃エリナー・オブ・アキテーヌと
イングランド王ヘンリー2世の王子ヘンリーと結婚しました。
ヘンリー5歳、マルギットは2歳!!
10年後ヘンリーは共治王になり戴冠しますが、マルギットは戴冠しなかったため
ルイ7世大激怒!! 急いで戴冠させるという一幕もありました。
マルギットは25歳の時、ペンブルック伯ウィリアム・マーシャルとの浮気を告発され
翌年結婚を無効にされてしまいます。
しかしこれは言いがかりで、嫡子が生まれなかったせいだとも言われています。
フランスに帰されてから3年後にベーラ3世と再婚。
こちらも嫡子は生まれませんでした。
1196年にベーラ3世が亡くなります。
翌年夏、マルギットは聖地巡礼に向かいますが
イスラエルのアッコに到着した数日後に亡くなりました。
浮気が濡れ衣だったとして、故国に帰されちゃう奥様方はまだいいけど
相手の男性はどうなるの? 君主や国によっては処刑ものですよね?
ちなみにペンブルック伯は、一時は失脚したものの後に信頼を回復して
その後何人もの王様に仕えております。
あまり重い罰は受けなかったということね…なんだかあやしい
(参考文献 Wikipedia英語版)