ОДИН ИЕНЬ ИВАНА ДЕНИСОВИЧА
1962年 アレクサンドル・イサエヴィチ・ソルジェニーツィン
この物語は素晴らしい!! と、いくら私が書いたところで
その素晴らしさを伝えるのはどだい無理だと分かっています。
しかし書かずにはいられない。
政治犯として収容所に服役しているイワン・デニーソヴィチ(シューホフ)の
朝5時の起床から夜10時過ぎの就寝までを描いた、本当にたった一日のお話なのです。
極寒のソ連の収容所がどんなに過酷か? 私には分かりません。
零下何十度の荒野、つぎはぎだらけの囚人服、ほとんど実の無いスープの食事…
人が思い描けるだけの無慈悲さは存分に書かれています。
賄賂、密告、たかりなどの呆れた行状だって驚くには値しません。
胸にぐっとくるのは、こんな一日がずっと続いてきたことと
これからもずっと続いていくのが分かっていることです。
服役囚のほとんどは、政治犯とはいっても戦争中捕虜になっていたことや
たったひとこと不用意な発言をした、反政府派にミルクを運んだだけ、という
些細な理由で10年(途中から25年)の刑をくらっている人たちです。
刑が終わっても運が良くなければ再び収容されたり流刑になる恐れは充分にあります。
今日を生き抜くためだけを考えて過ごす一日の恐ろしさ… 想像できません。
ましてやそんな日が何年も続くなんて、考えただけでどうにかなりそう。
それなのにシューホフは一日の終わりにベッドの中で
「今日は幸せな日だったなぁ」と思うのです。
上手くやって朝も夜も一皿(水みたいなスープを)多く食べられました。
ブロック積みの仕事も楽しくはかどりました。
営倉(独房)にも入らずにすみました。
“ 美しい ” と言ってはいけないかしらね?
それでも、何日も風呂に入っていない男たちが繰り広げる日常を淡々と書き綴った
この物語が清らかに思えてなりません。
人は生きることを選ぶ、生きるためにはなんでもやる、という
ギリギリの日常が展開されているにもかかわらず
必死さの裏にある心のゆとりや労働の喜びに胸うたれます。
テレビ等で目にする強制収容所の、救いの無い映像が脳裏にちらつきつつ
どっこい俺たちは生きてるぜ! という主人公たちのたくましさに
小さな希望と喜びが見いだせた物語でした。
だからといって強制収容所があっていいということにはなりませんけどね。
1962年 アレクサンドル・イサエヴィチ・ソルジェニーツィン
この物語は素晴らしい!! と、いくら私が書いたところで
その素晴らしさを伝えるのはどだい無理だと分かっています。
しかし書かずにはいられない。
政治犯として収容所に服役しているイワン・デニーソヴィチ(シューホフ)の
朝5時の起床から夜10時過ぎの就寝までを描いた、本当にたった一日のお話なのです。
極寒のソ連の収容所がどんなに過酷か? 私には分かりません。
零下何十度の荒野、つぎはぎだらけの囚人服、ほとんど実の無いスープの食事…
人が思い描けるだけの無慈悲さは存分に書かれています。
賄賂、密告、たかりなどの呆れた行状だって驚くには値しません。
胸にぐっとくるのは、こんな一日がずっと続いてきたことと
これからもずっと続いていくのが分かっていることです。
服役囚のほとんどは、政治犯とはいっても戦争中捕虜になっていたことや
たったひとこと不用意な発言をした、反政府派にミルクを運んだだけ、という
些細な理由で10年(途中から25年)の刑をくらっている人たちです。
刑が終わっても運が良くなければ再び収容されたり流刑になる恐れは充分にあります。
今日を生き抜くためだけを考えて過ごす一日の恐ろしさ… 想像できません。
ましてやそんな日が何年も続くなんて、考えただけでどうにかなりそう。
それなのにシューホフは一日の終わりにベッドの中で
「今日は幸せな日だったなぁ」と思うのです。
上手くやって朝も夜も一皿(水みたいなスープを)多く食べられました。
ブロック積みの仕事も楽しくはかどりました。
営倉(独房)にも入らずにすみました。
“ 美しい ” と言ってはいけないかしらね?
それでも、何日も風呂に入っていない男たちが繰り広げる日常を淡々と書き綴った
この物語が清らかに思えてなりません。
人は生きることを選ぶ、生きるためにはなんでもやる、という
ギリギリの日常が展開されているにもかかわらず
必死さの裏にある心のゆとりや労働の喜びに胸うたれます。
テレビ等で目にする強制収容所の、救いの無い映像が脳裏にちらつきつつ
どっこい俺たちは生きてるぜ! という主人公たちのたくましさに
小さな希望と喜びが見いだせた物語でした。
だからといって強制収容所があっていいということにはなりませんけどね。
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