まりっぺのお気楽読書

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プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世妃 ゾフィア

2009-11-03 11:14:35 | ドイツ系王妃
横暴な夫に耐えて34年
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世妃 ゾフィア・ドロテア
                     フォン・ハノーファー


1687~1757/在位 1713~1740

フリードリヒ・ヴィルヘルム1世はプロイセンを軍事的に強化した王で
彼がいなければ息子フリードリヒ大王の繁栄も無かったかもしれないんです。
立派な君主です。
でも女の目から見れば横暴としか言いようがないね

ゾフィア・ドロテアは大英帝国王ジョージ1世の王女です。
母は悲劇の王妃ゾフィア・ドロテア

          

フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は “ 軍人王 ” と呼ばれたほどで
軍事一本やり、芸術や学問にまったく興味がない男性でした。
一方ゾフィアは芸術に学問に造詣が深い女性でした。

1706年に結婚したいとこ同士のふたりでしたがあらゆる面で意見が一致せず
ゾフィアの結婚生活は不幸なものでした。

細かい事にまで口うるさく、万事を支配せずにはいられなくて
命令に背く者には容赦ない罰を浴びせたというフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は
家族にも同じように接していました。
家にいたら嫌だわ、こんな人

ゾフィアや子供たちは、絶えず王に怯えながら暮らしていました。
王太子フリードリヒ(後の2世)などは、ゾフィアと同じように芸術が好きだったため
虐待のような扱いを受けていたということです。
ゾフィアと王太子は図書室で何時間も語り合うのが好きで、仲の良い母子でしたが
これも王の怒りに火をつけたみたいですね。

あまりの仕打ちに王太子はゾフィアの生家英国に逃亡することを企てたことがあり
ゾフィアも手を貸すことにしたのですが、計画は結局失敗に終わります。
王太子は身柄を拘束されてしまいました。
一国の王太子が国を捨てようと決心するって… よっぽどのことですよね。

ゾフィアは天然痘の痕があり、決して美しいとは言えなかったそうですが
スタイルは良く、子供を14人 生んだ後も維持していました。
う、うらやましいですね どうしたらそんなミラクルな事が?

フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は浮気をしなかったという珍しい王で
子供も14人生まれていますが、これはゾフィアを愛していたからではありません。
王は、女性は男性に支配されるのが当たり前で、子供さえ生めばいいという
柳沢元大臣な考えの持ち主でした。

だから、ゾフィアは志も高く学問も積んでいた女性だったのに
決して彼女に意見を求めようとはしませんでした。
すごい男尊女卑! いくら中世でもひどい。

1740年、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は旅行中に持病が悪化して亡くなります。
ゾフィアもやれやれ… だったでしょうね
大好きな息子フリードリヒ2世も即位して、晩年は幸せだったのではないかしら?
横暴な亭主が死んだ後の未亡人てけっこう長生きするものなんですよね。

              
               なんとなく幸せそうに見えたりして…

ゾフィアは王の死から17年後、70歳で亡くなりました。
フリードリヒ2世は大好きな母親の死に、深い哀悼の意を表しました。

(参考文献 鈴木晟氏『面白いほどよくわかる世界の王室』 Wikipedia英語版)

面白いほどよくわかる世界の王室 日本文芸社


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コメント (7)
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