101人の愛人を受け入れた王妃
エドワード7世妃 アレグザンドラ・オブ・デンマーク
1844~1925/在位 1901~1910
ハノーヴァー王家になってから初めての、ドイツ人でない王妃アレグザンドラは
王太子エドワードの姉であるドイツ皇太子妃ヴィクトリアの紹介でエドワードと会いました。
エドワードはその場でアレグザンドラを妻にしようと決心しますが
母であるヴィクトリア女王はドイツ人の妃を希望していました。
しかし、女王はアレグザンドラ本人に会うと彼女の人柄に魅了され、また
息子がすでに別の女性と初体験をすませていたことを知ったショックから結婚話を進めます。
ウィンザーで結婚式をあげた時、エドワードは21歳、アレグザンドラ18歳。
若い二人は幸せな結婚生活をスタートさせました。
アレグザンドラもその美貌と気品で一躍人気者となります。
しかしエドワードの女癖はなおらず、結婚後も次から次へと女性を渡り歩きます。
その数101人 タフですね。
アレグザンドラは特に動じることもなく、相談にものってやったりしていたそうですが
“ ロイヤル・ミストレス ” と呼ばれる王と一緒に公式の場に出たりする女性たちの中で
デイジー・ウォーリックだけは許せなかったようで
彼女が出席するパーティーには絶対顔を出さなかったといわれています。
どうしますよ? 101人も愛人を作られた日にゃあ、普通流血するでしょうよ。
ほんとにアレグザンドラっておおらかな人です。
アレグザンドラは家庭を居心地の良いものにしようと気を配り
エドワードも妻子と出かけるために議会を早退するという(!)
前代未聞のことをやってのけるほどの家庭思い。
一家は和気あいあいと仲が良かったようですけど
マイホームパパだから浮気しないってわけではないのですね・・・
ただ、エドワードとアレグザンドラの子供たちの教育は
ヴィクトリア女王から見れば「とんでもないこと!」でした。
エドワードは自分があまりにも厳格に育てられた反動から
アレグザンドラは、デンマーク王室で自由一杯に育ったことから
子供たちも自由にさせようと自らの手で育て、別荘では村の子供たちと遊ばせていました。
見かねた女王は家庭教師を選んで二人の王子の教育にあたらせ、士官学校に入れますが
アレグザンドラはこの時、二人と離れたくないと言いだしています。
また、アレグザンドラは社交好きでもあり、経済観念と時間の観念が乏しく
しょっちゅう遅刻していたことから、女王からの賛辞にも翳りが見え始めます。
それでもアレグザンドラの心優しさは、英国民の心を強くつかんだようです。
彼女は終生福祉への貢献を惜しみませんでした。
有名なエピソードは “ エレファンド・マン ” と呼ばれたジョン・メリックとの交流です。
醜い彼の苦悩に同情したアレグザンドラは、彼を見舞い
毎年X'masカードとプレゼントを贈りました。
エドワード7世が死に瀕した時アレグザンドラは
当時の愛人であったアリス・ケペル夫人をよんで、王とお別れをさせています。
ホント、良くできた奥さん!
しかし、王が目をつぶると「出ていけ!」と怒鳴ったと言う説もあり
いくら寛容にしていたとしても、忸怩たるものがあったんでしょうね、と気の毒になります。
101人じゃなぁ・・・
余談です
写真のウエスト!! 細い・・・私の二の腕ぐらいじゃなかろうか?
アレグザンドラは英国で初めて写真に写された王妃だそうで
ものすごく容姿に自信があったみたいです。
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
エドワード7世妃 アレグザンドラ・オブ・デンマーク
1844~1925/在位 1901~1910
ハノーヴァー王家になってから初めての、ドイツ人でない王妃アレグザンドラは
王太子エドワードの姉であるドイツ皇太子妃ヴィクトリアの紹介でエドワードと会いました。
エドワードはその場でアレグザンドラを妻にしようと決心しますが
母であるヴィクトリア女王はドイツ人の妃を希望していました。
しかし、女王はアレグザンドラ本人に会うと彼女の人柄に魅了され、また
息子がすでに別の女性と初体験をすませていたことを知ったショックから結婚話を進めます。
ウィンザーで結婚式をあげた時、エドワードは21歳、アレグザンドラ18歳。
若い二人は幸せな結婚生活をスタートさせました。
アレグザンドラもその美貌と気品で一躍人気者となります。
しかしエドワードの女癖はなおらず、結婚後も次から次へと女性を渡り歩きます。
その数101人 タフですね。
アレグザンドラは特に動じることもなく、相談にものってやったりしていたそうですが
“ ロイヤル・ミストレス ” と呼ばれる王と一緒に公式の場に出たりする女性たちの中で
デイジー・ウォーリックだけは許せなかったようで
彼女が出席するパーティーには絶対顔を出さなかったといわれています。
どうしますよ? 101人も愛人を作られた日にゃあ、普通流血するでしょうよ。
ほんとにアレグザンドラっておおらかな人です。
アレグザンドラは家庭を居心地の良いものにしようと気を配り
エドワードも妻子と出かけるために議会を早退するという(!)
前代未聞のことをやってのけるほどの家庭思い。
一家は和気あいあいと仲が良かったようですけど
マイホームパパだから浮気しないってわけではないのですね・・・
ただ、エドワードとアレグザンドラの子供たちの教育は
ヴィクトリア女王から見れば「とんでもないこと!」でした。
エドワードは自分があまりにも厳格に育てられた反動から
アレグザンドラは、デンマーク王室で自由一杯に育ったことから
子供たちも自由にさせようと自らの手で育て、別荘では村の子供たちと遊ばせていました。
見かねた女王は家庭教師を選んで二人の王子の教育にあたらせ、士官学校に入れますが
アレグザンドラはこの時、二人と離れたくないと言いだしています。
また、アレグザンドラは社交好きでもあり、経済観念と時間の観念が乏しく
しょっちゅう遅刻していたことから、女王からの賛辞にも翳りが見え始めます。
それでもアレグザンドラの心優しさは、英国民の心を強くつかんだようです。
彼女は終生福祉への貢献を惜しみませんでした。
有名なエピソードは “ エレファンド・マン ” と呼ばれたジョン・メリックとの交流です。
醜い彼の苦悩に同情したアレグザンドラは、彼を見舞い
毎年X'masカードとプレゼントを贈りました。
エドワード7世が死に瀕した時アレグザンドラは
当時の愛人であったアリス・ケペル夫人をよんで、王とお別れをさせています。
ホント、良くできた奥さん!
しかし、王が目をつぶると「出ていけ!」と怒鳴ったと言う説もあり
いくら寛容にしていたとしても、忸怩たるものがあったんでしょうね、と気の毒になります。
101人じゃなぁ・・・
余談です
写真のウエスト!! 細い・・・私の二の腕ぐらいじゃなかろうか?
アレグザンドラは英国で初めて写真に写された王妃だそうで
ものすごく容姿に自信があったみたいです。
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
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