まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

イギリス王エドワード7世妃 アレグザンドラ

2008-12-01 00:35:19 | イングランド王妃・王女
101人の愛人を受け入れた王妃
エドワード7世妃 アレグザンドラ・オブ・デンマーク


1844~1925/在位 1901~1910

ハノーヴァー王家になってから初めての、ドイツ人でない王妃アレグザンドラは
王太子エドワードの姉であるドイツ皇太子妃ヴィクトリアの紹介でエドワードと会いました。

エドワードはその場でアレグザンドラを妻にしようと決心しますが
母であるヴィクトリア女王はドイツ人の妃を希望していました。
しかし、女王はアレグザンドラ本人に会うと彼女の人柄に魅了され、また
息子がすでに別の女性と初体験をすませていたことを知ったショックから結婚話を進めます。

      

ウィンザーで結婚式をあげた時、エドワードは21歳、アレグザンドラ18歳。
若い二人は幸せな結婚生活をスタートさせました。
アレグザンドラもその美貌と気品で一躍人気者となります。

しかしエドワードの女癖はなおらず、結婚後も次から次へと女性を渡り歩きます。
その数101人  タフですね。
アレグザンドラは特に動じることもなく、相談にものってやったりしていたそうですが
“ ロイヤル・ミストレス ” と呼ばれる王と一緒に公式の場に出たりする女性たちの中で
デイジー・ウォーリックだけは許せなかったようで
彼女が出席するパーティーには絶対顔を出さなかったといわれています。

どうしますよ? 101人も愛人を作られた日にゃあ、普通流血するでしょうよ。
ほんとにアレグザンドラっておおらかな人です。

アレグザンドラは家庭を居心地の良いものにしようと気を配り
エドワードも妻子と出かけるために議会を早退するという(!)
前代未聞のことをやってのけるほどの家庭思い。
一家は和気あいあいと仲が良かったようですけど
マイホームパパだから浮気しないってわけではないのですね・・・

ただ、エドワードとアレグザンドラの子供たちの教育は
ヴィクトリア女王から見れば「とんでもないこと!」でした。

エドワードは自分があまりにも厳格に育てられた反動から
アレグザンドラは、デンマーク王室で自由一杯に育ったことから
子供たちも自由にさせようと自らの手で育て、別荘では村の子供たちと遊ばせていました。
見かねた女王は家庭教師を選んで二人の王子の教育にあたらせ、士官学校に入れますが
アレグザンドラはこの時、二人と離れたくないと言いだしています。

また、アレグザンドラは社交好きでもあり、経済観念と時間の観念が乏しく
しょっちゅう遅刻していたことから、女王からの賛辞にも翳りが見え始めます。

それでもアレグザンドラの心優しさは、英国民の心を強くつかんだようです。
彼女は終生福祉への貢献を惜しみませんでした。
有名なエピソードは “ エレファンド・マン ” と呼ばれたジョン・メリックとの交流です。
醜い彼の苦悩に同情したアレグザンドラは、彼を見舞い
毎年X'masカードとプレゼントを贈りました。

エドワード7世が死に瀕した時アレグザンドラは
当時の愛人であったアリス・ケペル夫人をよんで、王とお別れをさせています。
ホント、良くできた奥さん!
しかし、王が目をつぶると「出ていけ!」と怒鳴ったと言う説もあり
いくら寛容にしていたとしても、忸怩たるものがあったんでしょうね、と気の毒になります。
101人じゃなぁ・・・

余談です
写真のウエスト!! 細い・・・私の二の腕ぐらいじゃなかろうか?
アレグザンドラは英国で初めて写真に写された王妃だそうで
ものすごく容姿に自信があったみたいです。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
      デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)

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イギリス女王 ヴィクトリア

2008-12-01 00:34:00 | イングランド王妃・王女
一時代をつくりあげた
大英帝国女王 ヴィクトリア


1819~1901/在位 1837~1901

スチュワート王家の最後の王、アン女王に跡継ぎがなかったことから
ドイツのハノーヴァー家に王権が移って6代目にあたるヴィクトリア女王は
もうどっからどうみてもドイツ人なんですけど
(ここまでハノーヴァー王家の王は、全てドイツから王妃を迎えています)
“ヴィクトリア時代” という英国でも代表的な時代をつくりあげました。

    

ウィリアム4世に跡継ぎがなかったため
その弟ケント公の娘ヴィクトリアが女王になったわけですが
母親のケント公妃ヴィクトリア・メアリーはかなりのステージママだったようで
娘の即位前から摂政のようにふるまい、ウィリアム4世に叱られたという経歴の持ち主でした。

しかし賢明なヴィクトリアは、即位すると18歳の若さで母親に決別し
女王としての道を進み始めます。

ところでヴィクトリア時代ってどんな時代?
家庭的で質素な、中産階級的文化だといわれていますが
どうやらそれはヴィクトリアの夫アルバート公の影響が大きいようです。

系図からも分かるように、アルバート公は女王の従兄弟にあたります。
彼もドイツ人で、夫婦は王宮ではドイツ語で会話していました。

アルバート公はあくまでも女王の夫であり
国政には口をだしてはならないという了解がありました。
社交的な性格でもなく、田舎暮らしを愛する家庭向きの男性だったようです。

そこで夫妻は暇をみつけては田舎の別宅で過ごし、田舎道を二人で歩いて
華やかな王宮とは違う生活を好んで営んでいたようです。

写真で残っているヴィクトリア女王は、丸っこくてちびっこくて
なんだかかわいいおばあちゃまみたいな感じに見えます
他の王妃や王女が、華美にふりふりビラビラしている中で
彼女の白衿の黒いドレスは、ある意味個性的でもあります。
初期の Y's みたい。

でも国民としたら少しは華やかでいてほしいかもね
浪費は困るけど、ちょっとはおしゃれしてほしいような気がします。

なにしろ長生きで在位が長かったですから、息子のエドワードは60歳まで皇太子でした。
しかも女王は息子に対してけっこう厳しかったらしく
それは息子が60歳になっても変わらなかったようです。

おかげでエドワードはひねくれて遊び人になったらしいですよ。
誰ですか? チャールズなんて言ってるのは?

ちなみに女王はアルバート公が亡くなってから、狩猟林番人のジョン・ブラウンと
秘密裏に結婚し子供まで生んだという説がありますが
英国王室は(もちろん!!)これをきっぱり否定しています。
でも、本当だったらロマンティックでいいよね

         
              ヴィクトリア女王とジョン・ブラウン

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 小林章夫氏『イギリス王室物語』
      三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』)

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