日々の幸せを育んで

ワンちゃん達がいて、孫達がいる日々の生活。小さな幸せのある暮らしを綴っています。

私にとってのアン

2005年12月10日 17時21分52秒 | 日々の暮らし

今日もアンはしんどそうに、寝てばかりいます。
私にくっ付いて、抱っこされて眠っている時間が多いです。

朝いつものように三人のブラッシングをして、ナナに目薬を入れたら「キャン!」ってナナが泣いて、アンはいつも通りにすぐに飛んできて、ナナの目の周りを舐めていました。
尻尾が下がっていません。
しなければならない事(ナナを庇うのが自分の仕事だと思っているようです。)をする時は、気持ちがしっかりするみたいです。

私がお買い物に行って帰ってきたら、いつも通りに玄関までみんなでお出迎えに来てくれました。
いつもと違うのは、意味のないジャンプ(我が家では、アンのジャンプをこう呼んでいます。「アン、意味のないジャンプは止めて!」とお出迎えしてくれた時に言っています。)をしないことです。
ジャンプするほどの元気はありません。
でも尻尾が下がっていません、少しは元気がでてきたのかな?

三人が揃っていると、とても幸せです。
何にも欲しいものはありません。
アンを飼うまでは、ずっと何か満たされてないものを感じて暮らしていました。
その満たされてないものが何なのか、何が欲しいと心底思っているのか自分でもよく分かりませんでした。
お休みになる度に、「それは、病気?」って言われる程ペットショップに通う日々が続いていました。

アンをやっとの思いで買ってもらってからは、「物欲」ってものが全くなくなりました。
私の心がずっと満たされていなかったのは-「欲しい!欲しい!」と思っていたのは-アン(チベタンテリア)を欲していた気持ちだったんです。
雑誌で見ただけなのに、チベタンテリアは私の心の奥深くに入ってしまって、住み着いたみたいです。
その後、ペットナビでアンを見て「この子がどうしても欲しい!」と思ったのは、目に見えない何かの力が大きく働いたような気がします。
そして、アンが我が家の一員になりました。

アンだけが特別に可愛いとかっていう気持ちじゃなくて、ナナもマリーもアンも同じ様に大切ですし、可愛いんです。
でもアンがいるだけで、何にも欲しい物はないし、すべてに満たされてて足りないものはないって感じなんです。

ナナがいて、マリーがいて、アンがいて-それが今とっても幸せです。

(写真は、食後に撮ったのでアンの目はしっかりしていますが、時間が経つととろんとして、まだしんどそうです。)