気がつくと、10月ももう終わります。
主人が単身赴任から帰って来た時「記念樹」として植えた萩が、今年はたくさんのお花を咲かせています。
10月1日から、マンションの下水工事が始まりました。
お水が全く使えない日もあって、娘宅で過ごす時間が多くなりました。
工事が始まる9時には家を出て行かないといけないので、朝は忙しくって・・・。
そんな下水工事も終わり、玄関前タイルを貼り直してもらって・・・やっとすべてが終了しました。
ほぼ1か月にわたる工事でした。
今まで、大規模改修工事を3回経験して来ましたが、掘削のある工事は、このマンションでは初めての工事です。
「どんな風になるのかな・・・?」
ってみんなで心配していましたが、とっても丁寧で良心的な業者さんで、みんなはとっても喜んでいます。
「今までしてもらった工事の中で、一番安心していられるし、一番信用できる業者さんよね。」って。
毎日工事が終ると、驚く程きちんとお掃除をして帰られます。
帰られた頃、娘宅から戻って来る私達は、工事中なのにあまりにも整然ときれいにしてあるのに驚かされる毎日でした。
何もかもがきちんとしていて、掘削後の中庭の端が、本当にまっすぐに整えられています。
工事に来て下さる人達も、みんなきちんとしていて、丁寧で、親切で・・・みんなが真剣に作業をされています。
『こんなにきちんと仕事をする人達ってすごいなぁ~。』
って感心してしまいます。
本当は、それが当たり前の事なのかも知れませんが・・・。
前回、大規模改修工事をしてもらった業者さんは、休憩が多くて・・・気がつくとマンション敷地内の隅でお喋りして休憩されていました。
そんな中で、外壁を塗るペンキ屋さん一人だけが、休憩もせずに黙々と作業されていたので、
「大規模改修工事で、大変なのはペンキ屋さんだけですね。」
って声を掛けると、
「そうなんです。」
って笑みを浮かべて答えてくれたペンキ屋さん。
どんな事でも一生懸命に取り組んでいる人が、好きです。
与えられた自分の持ち場で、しっかりと輝きながら仕事をしている人達。
そんな人達が、こんなにたくさんいるんだと知る事ができた工事でした。
「人が一生懸命に頑張っている姿は、他の人に元気を与えるんだ。」
「自分がきちんとするべき事をするのが、人をも心地よくさせるのだ。」
っていう事も学べた様に思います。
東側の植木も北側の植木もすべてなくなりました。
でも、レンガなどはすべて原状復帰してくださって・・・以前よりも花壇のレンガが、規則正しく敷かれています。
主人と私2人で作ったレンガ敷は、もっと歪んでいた様に思いますが、本当にきれいになっているのには驚きました。
『こんなにきれいにしてもらったんだから、またお花をしっかりと育てないと・・・』
って気持ちになります。
何にもなくなってしまった場所に、1から植木やお花を植えるのを私が任されたので、
『どんな風に、何を植えればいいんだろう?』
って考える毎日です。
今回植木がなくなった場所の下には下水があるので、
「低木を植えてください。」
「高木を植えると、根が張って下水管に負担がかかるので。」
って言われました。
選べるものが限られてくる中で、何を選べばいいのか・・・本当に難しいです。
マリーは、後ろ足がだんだん弱くなってきています。
踏ん張る事ができなくなっているので、よろける事が多くなりました。
ご飯を食べている時も、体重移動が上手くできなくて、よろけてこけています。
でも、しばらく休んで、また立ち上がろうとする姿を見ていると、
『偉いな。負けていないんだ・・・』
『諦めたりはしないんだ・・・』
って感心します。
『こんな力が、人間も動物も生きて行くのには、すごく必要なんだな。』
『少しでも、マリーが動きやすい様に・・・食べやすい様に・・・』
って思いますが、どうしてあげるのがいいのか・・・いつも考えてしまいます。
しょうちゃんが「マリー!」って呼べる様になりました。
しょうちゃんはマリーしか見てないので、ホームセンターで売っている仔犬達を見るととっても嬉しそうです。
飛び跳ねている仔犬達とマリーとは、別だと思っているのかも知れません。
しょうちゃんは、朝起きると娘に、
「おかあはん、どこ?」
「おかあはん とこ いく!」
って言いながら部屋から出てきて、嬉しそうな顔して私に寄って来ます。
朝食が終ると、
「おかあはん あしょうぼ(遊ぼう)!」
って誘ってくれます。
しょうちゃんが元気な時は、
「用事が済むまで待ってて。」
って言うと聞いてくれますが、不調な時は泣きそうな顔をして、私の手を引っ張りながら、
「おかあはん あしょぼ!」
って言い続けます。
そんな時は、遊んであげるのですが、娘が、
「しょうちゃんは、朝から何回お母さんって言ってるのよ。」
って言っています。
本当に・・・1日に何度も何度も何度も、
「おかあはん!」
って呼ばれています。
台風14号が去って、神戸には青空が見えています。
この間の朝、とっても優しい気持ちで目が覚めました。
何か夢を見ていた様なのですが、何の夢を見ていたのか全く覚えていません。
ただ、温かくて優しいものに包まれて・・・何かとっても懐かしいふわっとした感触だけが残っていました。
『何だろう・・・?』
『この懐かしい感触って・・・?』
・・・・・
『あぁ、アンだ! アンの夢を見ていたんだ。』
『アンの優しさに触れていたんだ、きっと。』
朝起きて、夢を全く覚えていない事なんて・・・今までになかった様な気がします。
その夜は、たまたま眠る前にブログを読み返して、「チベタンテリアのアンの死」を最後に読んで眠ったからなのかも知れません。
温かくて優しい気持ちのアンの感触を・・・夢で感じたそのままの感触を・・・持って目覚めたのだと思います。
アンには、夢の中でしか会えないけれど、会えるだけで嬉しいです。
夢は何にも覚えてないのですが、あの何とも言えないふわっとして柔らかくて温かい感触をしっかりと感じ取る事ができました。
その日は、1日がとっても気持ちよくスタートできました。
娘と子供達は、月曜日の朝我が家に来て、金曜日の夜自宅マンションに帰ります。
娘達を送り届けると、何かホッと安心します。
『今週も終わった。』って。
イヤイヤ期で、言う事を聞かなかったしょうちゃんが、とってもお利口になって・・・1日中機嫌のいい子になりました。
1日中、機嫌よくお喋りして・・・歌っています。
マリーに興味があって、撫で撫でもしてくれます。
しょうちゃんの力があまりにも強いので、ちょっとマリーが心配になりますが、ワンちゃんに優しくする気持ちを大切にしてあげたいと思っています。
昨晩は、マリーの毛玉をカットしてあげました。
マリーは、毛玉を取ってもらった方が嬉しいのか、抱きかかえられるのは嫌だと思っているのかは分かりませんが、気になる所の毛玉はカットしました。
『シャンプーしてあげたいな~。』
そんな気持ちだけが、いつも残ります。
しょうちゃんは、「おとうしゃん!」って言える様になったのですが、私の事はまだ「おかあはん!」と呼んでいます。
何度「おかあしゃん!」と教えても、「おかあはん!」と呼びます。
「おかあはん、あしょぼ!」
「おかあはん、きて、きて!」って。
1日に何度も何度も私を呼びますが、何度も聞いていると、何か可笑しくて笑ってしまいます。
昔、父が祖母の話をする時、いつも「おかあはんが・・・」って話しているのを思い出しました。
その頃は、父が「おかあはんが・・・」と話していても、何の不思議も感じませんでした。
「お父さんは香川県生まれなのに、どうしておかあはんって言うの?」
とは尋ねませんでした。
幼い頃から、父がそう呼ぶのを聞きなれていたので、そういうものだと思っていたのでしょう。
弟達は、私達に母の事を「お袋」と言って話しますが、父から「お袋」という言葉を聞いた事がなく、いつも祖母の話をする時は「おかあはん」と言っていた様に思います。
そう思ったら、
『しょうちゃんは、父と同じだ~!』
『おかあはん!でいいか・・・』
って思う様になりました。
しょうちゃんは、娘の幼い頃にそっくりです。
娘もこんなに(↑)髪を短くしていた時があったので(私がカットを失敗して、娘が男の子の様な髪型になった時があります。)・・・その頃の娘と同じ顔をしています。
時々、幼い頃の娘とまったく同じ表情をするので、驚く事があります。
『あぁ、こんな時・・・こんな顔して・・・お喋りしていたわ!』って。
幼い子供達がいる生活は、とっても幸せです。
久しぶりのブログアップです。
朝晩がとっても涼しくなりました。
今年は冬が早くやって来そうです。
身体の疲れはなかなか取れませんが、毎日、毎日があっという間に過ぎて行って・・・気がつけば
「もう1週間が経っているんだ。」
と主人と驚く日々です。
娘宅のラティスのペンキ塗りは、主人がすべて1人でしてくれました。
『ペンキを塗らないと・・・』
っていう気持ちがあっても、身体がその思いについて行かない私と違って、主人はコツコツと6枚のラティスのペンキを塗り終えました。
南側と北側で995センチあるベランダの手すりに取り付けるラティスは、
『塗り終えれるのかな?』
って思う程、私には大変なものに感じられました。
主人の根気と、「娘のために・・・」という気持ちに、私は『すごいな~!』って驚くばかりです。
娘の家は、南北のベランダに白いラティスが掛けられ・・・リビングにいると北側のラティスも見えるので、まるで一軒家の様に感じます。
昨日は、娘と主人が哲君の部屋の壁紙貼りをいている間、私はしょうちゃんの遊び相手をしていました。
私は、時々覗きに行って、
「そこは貼らなくてもいいよ。」
「まっすぐに貼れているよ。」
「きれい、きれい!」
とか言うだけで作業はしません。
しませんというより、両手が筋肉痛みたいで・・・痛くて手が上がりません。
まだ、哲君の部屋に置くデスクなどが決まっていないのですが・・・もう少しで完成しそうです。
「幸せ」について
数年前、ご近所の奥さんが、
「あなたは、いつ見ても笑顔で幸せそうで、幸せのオーラが漂っている。」
「幸せって、欲しい物が何でも買えるとか・・・行きたい旅行にはどこへでも行けるとか・・・お金があるとかじゃなくて、毎日の生活なのよね。」
「本当の幸せが欲しいと思っても、お金じゃどうにもできないのよね。」
「私はこの年、75歳になってやっとそれに気がついたわ。」
「分かるのが遅すぎた・・・。」
・・・・・
「あなたは、私よりもずっと若いけれど、その事をきちんと知って・・・何が幸せなのかを知って・・・生きているから、本当に偉いと思う。」
「毎日幸せに暮らせるのが、一番の幸せなのよね。」
って話されました。
道で出会うと声を掛けてくださり、少し他愛ないお喋りをするだけのご近所の奥さんです。
こんな事を話してくださったのは、これ1度きりです。
娘と歩いていると、
「本当に仲がいいんですね。」とか、
主人と歩いている姿を見掛けて、後日お会いした時には、
「若い人達が、手を繋いで歩いているのは普通だけど、ある程度の年齢のご夫婦が手を繋いで歩いているのを見ると、嫌悪感しか感じないんだけど、あなた達ご夫婦が手を繋いで歩いている姿は、何か外国映画を観ている様な心地よさがあるわ。」
「きれいでいいわ。」
って言ってくださったので、
「私達は、転ばない様にお互いに助け合っているんです。」
って笑って答えた事がある程度のお話ししかした事はありません。
「何が幸せなのか?」は、人それぞれ違うと思いますが、自分で気づく事ができるのなら、幸せは自分のすぐ傍にあると思っています。
毎日、いろんな事があって・・・一日は終わって行きます。
いろんな出来事の中から、小さくても少しでも幸せを見つけて・・・その幸せに感謝して大切にできたなら、それはきっと明日の幸せに繋がると思っています。
機嫌よく笑顔で生きても・・・不機嫌に不平不満文句を言いながら生きても・・・一日は一日です。
同じ一日を過ごすなら、機嫌よく笑顔で生きた方が、私は「自分が心地いい」と思っています。
自分の人生は、自分でしか作れません。
どんな人生にするのかは、結局自分次第って事だと思います。
「幸せ」についていろいろ考えさせられる事があって・・・ふと、あの時ご近所の奥さんが話されていた事を、思い出しました。
『他の人の目に、そんな風に映っているんだ・・・。』
って、とっても嬉しかった事を。
マリーは、相変らず淡々とマイペースで暮らしています。
おむつをする様になってから、以前よりもずっと力強くなった様な気がします。
あんなに力をなくしてしまっていたマリーとは思えない程、力強いです。
暑い暑い夏を乗り越えられたので、ホッとしています。
ワンちゃんを飼う事についても、いろいろ考えてみました。
仔犬の頃から歳を取っておむつをする様になったマリーを見て、
『成長をして、年老いて亡くなって行くまでの一生を傍で見守れるのは、ワンちゃんを飼っていないとできないな。』
『リーもナナもアンも、マリーの様に年老いた姿は見ていない。』
『こんな風に年老いて行くんだって見守れる事、マリーの一生を見守れるって事は、とっても幸せな事なんだ。』
って気がつきました。
『もし、チベタンテリアに出会うことがあるなら、もう一度ワンちゃんを飼ってみようかな?』
って気持ちになりました。