学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

ゆとり教育を論理的に考える

2005-07-26 | 教育
ゆとりがあるとは,余裕があることである。

余裕がある教育は,ふたつの面から考え得る。

ひとつは,時間的な余裕であり,もうひとつは量的な余裕である。

時間的に余裕がある教育とは,
学習量に比べて,学習時間が十分に確保されているということであり,
量的に余裕がある教育とは,
学習時間に比べて,学習量が少ない教育である。

このことから,必然的に導き出される結論は,
「ゆとり教育は,学習時間を長くし,
 学習量を減らすことによって
 可能になる。」
ということになる。

学校週5日制などで学習時間を減らし,
学習内容の精選で学習量も減らしたのでは,
ゆとりのある教育は不可能である。

さらに,学習量を減らせば,
知識の量が減るのは必然である。

知識の量にかわって思考力や判断力が伸びるかというと,
思考力や判断力の育成には,
じっくり考える時間を確保してやる必要がある。
十分な学習時間なくして思考力が伸びることはない。

したがって,
学習時間も学習量も共に減らすことと,
従来のいわゆる学力を保持しようとすることとは,
論理的に矛盾する。

学習に対する価値観を変換し,
さらに学力の定義も変換し,
教育のパラダイムを変えることなしには,
時間・量共に減らすことに正当性はなく,
ゆとり教育とは,
学習をさせない教育と同義となる。

しかし,教育のパラダイムを変換する具体的な方向性は
まだ誰にもはっきりとは見えていないし,
それを提唱したとしても,それを理解する人は少数であろう。

かくして,教育は迷走する。
教育はどこへいくのか?

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