学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

教えるということと学校の価値

2005-07-17 | 教育
教師というものは、自分が教えたことが生徒に伝わっていると思いがちである。
だから授業時間を増やせば生徒の力が伸びるとか、
丁寧に教えれば生徒の成績が上がるとか思いがちである。

残念ながら、これは間違いである。

教師が教えなくとも,生徒は学び,
教師が教えても,生徒は学ばない。

教師が教えたものと生徒が学び取ったものには、
必ず質的にも量的にもずれがある。

自分の学生時代を振り返ってみれば,すぐにわかるはずである。

結局,教師には自分が思っているほどには、生徒を教える力はない。
そのことを自覚している教師こそ,真の教師である。

これまた残念ながら,
真の教師は,誰にも知られることなく細々と生きている。

新しい学習のメソッドや教育課程が,一時はもてはやされても,
その評判が長続きしないのは,際立った効果が本当は見られないからである。

どんなメソッドや教育課程も,
一部の生徒には効果的だが,他の大部分の生徒には効果がないのである。
さらに,誰に対して効果があるかは,誰にもわからないのである。

教師は,自分にはさほど教育力がないことを自覚すべきであり,
また,教師以外の大人も,
教師ほどには教育力があるわけではないことを自覚すべきである。

究極のところ,
学校には,教師と生徒のつくる共同体としての価値以外の
価値を見い出すことができないのである。

それゆえ,人材育成や学力養成や進学実績を
表看板に掲げる学校は,
必ず論理矛盾を内包している。

共同体そのものの価値を校是として掲げる学校をこそ
信頼すべきであろう。
そのような学校もどんどん減ってきてしまっているが。