「東京大空襲以上の破壊」

2011-03-20 22:02:42 | 今日の活動

実に久しぶりのブログの更新です。

3月11日の午後2時46分の大地震と大津波、原発事故と大変な10日間でした。地震で、事務所のインターネット機能が壊れ、いまだに回復していません。古川の自宅は、ようやく昨日、電気が回復という状況で、事務所に泊まるか、小学校の避難所で寝るかという日々を過ごしていました。いま、ようやく、電気が回復した自宅の部屋で、ブログの更新をしています。

今回の地震と津波で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。

今回の震災は、地震だけでなく、津波の恐ろしさを実感しました。

共産党でも、震災と津波の被害の後、通信手段が完全に遮断される中で、被災地の議員、党員との連絡がまったくできない状態でした。

私は、最初の2日間は、仙台の事務所に泊まらざるを得ませんでいたが、4日目に古川に戻った後、石巻市に行って、市議会議員のみなさんと連絡を取ろうとしました。


しかし、この状況で市内には、車では入れません。

津波直後は、この倍は水があふれていたそうです。そこで仕方なく、徒歩で線路の上を歩いて市内へ。



でも、線路の上もこの状態で、この日は、石巻市内に入ることは断念しました。



貞山掘りには、何台もの車があふれていました。

共産党国会議員団は、震災直後から、さっそく調査を開始。

13日には、大門実紀史、紙智子参院議員が何時間もかけて車で仙台に入り、さっそく電気のない真っ暗な避難所を訪問。




村井知事とも意見交換を行ないました。

14日には、岩沼市、名取市の被災現場を調査。

朝市で有名な名取市のゆりあげは、信じられない惨状です。


岩沼市の井口さんからも要望をお聞きしました。


一週間たって、死者の数はふえる一方。食料品、飲料水、燃油不足は深刻です。

仙台の中心街にあるダイエー仙台店の前には、開店1時間前には、すでに数千人が列をなしてならんでいます。ガソリンスタンドは、給油に5時間、6時間待ちが常態化しています。

まさに終戦直後のようなモノ不足です。お金があっても、必要なものが手に入りません。

しかし、そんな困難があっても負けないのが共産党の仲間です。

古川の事務所では、山形県の庄内農民連の仲間が150キロの支援米を届けてくれました。さっそく、地域の避難所に2500個のおにぎりを届け、被災した市民を励ましました。



19日には、兵庫県の明石市から、燃料業者の方が、タンクローリーで灯油、軽油、ガソリンを届けてくれました。さっそく、仙台市議の福島かずえさんの案内で、若林区の避難所、特養ホームなど30か所に届けて、たいへん喜ばれました。

いまも、毎日、全国からの支援物資や義援金が届けられます。それが、被災地にとって最大の励ましです。


国会議員と県会議員の訪問の中で、石巻市の亀山市長は「3・10東京大空襲以上の破壊」と話していたそうです。

体験したことのない日々が続いています。被災者救済と復興への道は、始まったばかりです。