昨日は、地震と津波で壊滅的な被害をうけた5つの自治体(東松島市、石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市)を訪問し、全国から寄せられた義援金をそれぞれ500万円、お渡ししてきました。日本共産党は、全国で被災者支援の義援金募金にとりくみ、すでに2億6千万円が集められ、先日は、第一次分として、宮城、岩手、福島の3県にそれぞれ1000万円ずつ義援金をお渡ししました。今回は、第二次分です。
それぞれお忙しいところ、市長さん、町長さんが応対してくれました。
石巻市では、亀山市長と懇談。市長さんは、「亡くなった方々のためにも、石巻市の復興をどうしてもなしとげたい。そのためには、国からの支援がどうしても必要だ」「津波で流された方々は、まったく何もない。早く仮設住宅を建設したい」「当面は、がれきの山や泥の撤去だ」と語ります。仮設住宅の建設といっても、そう簡単ではありません。どこに建設するのか、数10センチ沈下した地盤をどうするのか、課題は山積しています。
女川町では、安住町長に義援金をお渡ししました。手渡しているのは、三浦一敏石巻市議・東部地区委員長です。右が高野博町議、奥が阿部律子町議です。高野博町議は、自ら家屋が完全に流されるなかでも、各避難所をまわり、避難者を励まし、町の職員にアドバイスを続けています。「パソコンがほしい」と「しんぶん赤旗」で報じられるや否や、全国からパソコン提供の申し出が次々とありました。
高台からみる女川町は、空襲を受けたかのような惨状です。言葉になりません。この廃墟の中を、中学生が歩いていました。彼ら、彼女たちは何を考えているのでしょう。いま、高台の中学校が町の対策本部になっています。
南三陸町は、町の家屋の8割が全壊・流出です。高台以外は、町一帯が廃墟です。マスコミでも「奇跡の生還」と報じられた佐藤仁町長にお会いしました。写真は撮れませんでしたが…
「心からの感謝!!南三陸町長 佐藤仁」という名刺をいただきました。思わず涙がこみ上げてきました。
写真は、佐藤町長が一命をとりとめた防災センター。屋上のアンテナにつかまって、なんとか生き延びたと
のこと。また、この建物の2階で町防災課の職員、24歳の遠藤未希さんが最後まで「高台に逃げてください」と防災無線で叫び続け、自ら津波に飲み込まれました。遠藤さんをはじめ、市民・町民を助けるために最後まで職務を全うしようとして亡くなった職員、子どもたちを助けようとして、犠牲になった先生方がたくさんいます。
町の対策本部のある体育館には、震災から半月がたっているのに、いまなお廊下にダンボールで寝起きしている方々が多数います。劣悪な環境です。体育館は自家発電ですが、町は電気も水道も復旧していません。
気仙沼市では、菅原茂市長と懇談。「雇用問題が深刻だ。いまのままでは、助かった7万2千人が失業者となる。でも、人間と地球との共存に矛盾するような復興ではだめだ。原発は、人間の領域をこえている」と哲
学的な話にもなりました。
市内の漁港は、津波で廃墟と化しています。泥で真っ黒に汚れた時計が津波の到来時刻、3時32分で止まっています。
前例のない被害となっているだけに、やらなければならないことは、膨大です。今回の首長さんとの懇談で出された要望を党としてもしっかりと受け止めて、県政、国政に届けていきます。