科学的社会主義の人間解放論

2015-11-04 15:22:16 | 科学的社会主義

激烈な宮城県議選も終わり、中間地方選挙はまだ続くものの、半年に及ぶ大型選挙もまずは一段落。ということで、中断していた科学的社会主義の哲学の勉強を再開。

広島県労学協がネットで公開している高村是懿さんの哲学講座から「21世紀の科学的社会主義を考える」を毎晩聴きながら、思考をめぐらしています。高村さんの講義は、以前ブログでも書きましたが、「独創的」「野心的」「大胆」「目から鱗が落ちる」ような刺激があります。なかなか難解なところもありますが、聴いていて飽きるところがまったくありません。

その講義のテーマの一つが「科学的社会主義の人間解放論」。文字通り、極限まで人間が虐げられている今日、科学的社会主義の理論が生と死の挾間で苦しむ若者の心に届いているのかが問われなくてはなりません。単に仕事がない、給料が安いというだけでなく、職場でも学校でも家庭でも、人間同士の関係がズタズタになっているなかで、「人間は本当に信頼できるのか」、そのことが絶えず問われていると思うのです。

私は、この若者の苦しみに正面から回答を示せてこそ、科学的社会主義が若者にとって魅力ある、学ぶに足る理論となるのではないかと思っています。そのためには、人間の類本質は何か、人間疎外とは何か、どうすれば人間の類本質が回復できるのか、そこをわかりやすく若者にしめす必要があるのではないか。

科学的社会主義の人間論・人間解放論は、この理論の核心をなす部分ですが、マルクスのまとまった著作があるわけではないので、ともすると軽視されている感が否めません。レーニンの「マルクス主義の3つの源泉と3つの構成部分」からは完全に欠落しています。しかし、初期のマルクスから晩年の「資本論」まで系統的に追いかければ、そこでは一貫して人間論が探求されていることがわかります。この内容をぜひ若者にわかりやすい現代的な言い回しで伝えることができないのかと最近考えています。

人間の「類本質」は、「自由な意識」と「共同社会性」です。高村さんは、それに加えて「自由・平等・友愛」を求める「人間的価値」を加えています。傾聴すべきところだと思います。今日、これだけの人々が戦争法反対の運動に参加しているのも、根底には人間の「類本質」があるからでしょう。人間が本質的に「利己的」な存在であれば、これだけの国民的闘争が起こるはずがない。今こそ、人間論・人間解放論の探求がもとめられていると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 


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