報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
 尚、ブログ内全ての作品がフィクションです。
 実際のものとは異なります。

本日の雑感 0805-2

2015-08-05 22:01:33 | 日記
 小説のネタはあるのだが、レイチェルという大ボスを倒して一段落したので、今日もまた日記を書かせて頂く。
 愛国 清澄さんやムーディ☆アポ山さんからコメントを頂戴した。
 特に愛国 清澄さんの御祈念は、涙が出るほどありがたい話である。
 仕事運が向上しつつある現在、それに拍車を掛けてくれるか否かは私の信心に掛かっている。
 そうそう、愛国 清澄さんが何やら所属講中で行われている内部試験に合格されたようなので、この場で祝辞を述べさせて頂く。

 「おめでとうございます!」

 私の所属支部では行われていないことなので、ますます不思議な法華講であると感じるのが正直なところだ。

 それにしても、私もよくネットをやっているということもあって、色んな信徒さんのブログを覗かせて頂くことがある。
 正しく千差万別。
 で、信心や功徳の差に大きな開きがあり過ぎるというのが分かる。
 例えば、私と同じ所属支部で尚且つ同じgooブログを利用されている方がいらっしゃる。
 あいにくとここで紹介するのも恥ずかしいくらい、先方は功徳と信心に満ち溢れておられるようだ。
 社会的地位もとても高く、到底私など足元にも及ばない。
 私と違って実名で活動しておられるため、相当な自信家とも言える。
 ネットだけを見ても、それくらい格差があるのが日蓮正宗法華講という所なのである。
 それに比べて私の古巣、顕正会はどうか。
 私みたいな底辺がホワイトカラーに見えるって、どんだけだよw
 いや、確かに顕正新聞を見ると、富を手にした人や地位を手にしたという内容のものもある。
 しかし巨万とは到底言えないものだったり、地位にしたって、中途採用ではたかが知れてるだろうとツッコミを入れたくなったりと、どうもパッとしない。
 私が今顕正会に戻れば、間違い無く体験発表を書かされるだろう。
 で、山門入り口さんや厳虎さんの所でツッコミを入れられる、と……。

 異流儀での信心は簡単だ。
 周りが同じ状況に陥っているため、それなりの安心感がある。
 法華講は1人1人のレベルが違うため、後から入ってきた入信者が先に功徳の現証が現れることもしばしばだ。
 顕正会ではそれが無い。あるようで無い。足掛け10年間そこにいた私にはそう見えた。
 それがいいのか悪いのか、私には分からない。
 ただ、仲良しクラブとしてなら顕正会の方が向いている。
 あくまで、私個人的な見解だ。
 妙観講さんは仲良しクラブとなることを良しとしていないようだし、うちの支部も「都会の無関心」だ。
 世法で人間関係に悩み、法華講に入ってきた新願者の方、残念でした。
 恐らくあなたは、講中でも人間関係に悩むことになるでしょう。
 そういった意味では、実は顕正会の方が良かったりする。
 だから、顕正新聞での体験発表では、よくそこに焦点が当たっているのはその為である。
 これも私の主眼だ。
 否定する方もいらっしゃるだろう。
 もちろん、私はそれを否定しない。
 法華講で改善した人もいるだろう。
 しかし、人間関係のトラブルで退転したのは、法華講に来てからが初めてである。

 もっとも、希薄な人間界を濃厚にしたい人は顕正会(または妙観講)はいいが、その逆を望んでいる人は法華講にいらっしゃいということだ。
 えっ?私はどっちのタイプかって?【お察しください】。

 何か、山門入り口さんの所で、顕正会員さんが私に対して顕正会への復帰を打診してきたが、丁重にお断りさせて頂いた。
 何故なら、既に今月の支部登山の申し込みを済ませ、バスの予約までしているからである。
 さすがにキャンセルはできない。
 今後の功徳次第では考えることもあるので、また後でお声がけを頂戴したいところである。
コメント (9)
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本日の雑感 0805

2015-08-05 00:41:01 | 日記
「墓友」づくりが活発に 「終活」語り合う場増加中 「終活カフェ」も

 正しく宗教の出番ではないか。
 日蓮正宗法華講や顕正会も、どんどん積極的に行うべきである。
 私もまた法統相続免除者であるが故、最終的には孤独死を迎えるものと思われる。
 それを防ぐ為に宗教組織は打ってつけなのだが、どうも私の支部は「都会の無関心」のようで、知らず知らずのうちに孤独死が発生しているのではないだろうか。
 私も功徳が無いままであるのなら、自力でコミュニティのしっかりした組織を探す所存である。
 それが他宗であっても、それはそれで仕方の無いことではないだろうか?
 少なくとも、法華講では救済措置は基本的に無さそうだ。

 先日ポテンヒットさんから指摘を受けたことがあったが、大規模支部に行っても出会いが無いのでは、ほぼ絶望的と言えよう。
 何か12連敗がどうのというお話であったが、そもそも私自身、出会うだけでも分母がその数に達していないのが実状である。
 連敗もヘッタクレもない。
 そもそも勝負を掛ける場自体が無い。

 実は今月8日をもって、34歳になった。
 ムサい人生を歩んでいるが、30代もムサい記録を更新することになるのかね。

 それもまた人生。
 法統相続を免除されるほどに、私の罪障はそんなに大きいものではないのかもしれない。
コメント (6)
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