日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

阪大杉野事件の広がりと博士号問題

2006-10-20 20:43:59 | 学問・教育・研究
10月18日のAsahi comが阪大杉野事件について、大阪大学が《17日、02年に発表した2本の論文についても不正の疑いがあるとして調査することを決めた》と報じた。新たな不正論文とは、毎日新聞が9月28日に報じたものと同一であろうと思われる。毎日新聞の記事はスクープであったが、その後追いのような形で、大阪大学がこれらの論文についても改めて調査を始めたということなのだろう。

9月25日のYOMIURI ONLINEは杉野教授の処分について次のように報じている。

《研究科の教授会が杉野教授を懲戒解雇とする処分案を決め、本人に通知したことが、25日わかった。本人から不服申し立てがなければ、10月に開かれる大学の教育研究評議会で正式に処分が決まる。》

《杉野教授は通知を受けた日から2週間以内に不服審査を申し立てることができる。申し立てがあった場合は、評議会に設置された不服審査委員会が検討する。》

この処分問題について、私は9月28日のエントリー「早すぎる杉野教授を懲戒解雇とする処分案(追記あり)で、懲戒解雇という重い処分を科すには杉野教授の論文捏造の『常習性』が判断の要になるから、少なくとも過去五年間に遡り杉野研究室がジャーナルに発表した論文を、今回と同じように精査して、『常習性』を証明すべきである、と論じた。大阪大学が02年であれ過去の論文の調査を開始したことを歓迎する所以である。杉野教授への処分の最終決定は、調査結果などが明らかにされた後になされるべきであろう。

一方、杉野教授が上記の記事にあるように、不服審査を申し立てたのかどうかが伝わってこないが、それはしばらく置いておくことにする。いずれにせよ、事態の進展にしばらく時間がかかりそうである。その間、大阪大学は今回の事件の特異性を認識した上で、今後の収拾策を検討すべきであろう。

今回の事件の特徴を一口で言うと、教授らしからぬ教授の犯罪ということになるだろう。

教授は自分の『手足』となって働く人から騙されることを怖れる。アメリカでの話としておくが、『手足』がテクニシャンであれポストドクであれ、不思議と自分の考えに都合のいいデータが集まりだすと警戒心を高めたほうがいいのである。

私の好きなMichael Crichtonはさすが小説家だけあって、このあたりのニュアンスを上手に表現している。

《Right now, scientists are in exactly the same position as Renaissance painters, commissioned to make the portrait the patron wants done. And if they are smart, they'll make sure their work subtly flatters the patron. Not overtly. Subtly.》 (「State of Fear」Avon Books p.621)

研究者がたとえばある財団から研究資金を支給されているとすると、財団のポリシィに沿うような研究成果がなぜか出てくる、というような意味で使われているのであるが、含意には普遍性がある。たとえばテクニシャン、ポストドクをscientists、教授をpatronということにしよう。教授を喜ばせようとする気持ちが無意識に働いて、テクニシャン、ポストドクが都合の悪いデータは隠して都合の良いデータだけを見せるというのもこれに当たる。

このような『不作為の善意』を見抜くためにも、教授は直感を磨き上げるのである。それぐらいに用心深くて当たり前なのに、あからさまなデータの改竄、捏造に騙されるとなると、これは論外、教授としての失格を宣言されても仕方があるまい。

杉野教授は元来この教授の立場に居るはずの方であるが、あろうことか騙す側に廻ってしまった。というより、想像するのも疎ましいことであるが、三つ子の魂百まで、とかで、昔からのやり方で今日まで来られたのかも知れないのである。

かって考古学の世界で、藤村新一氏による捏造事件が世間を騒がせたことは、まだわれわれの記憶に新しい。彼が30年にわたり発掘し、日本の前期・中期旧石器時代の遺物や遺跡だとされていたもの全てが捏造であったという驚天動地の出来事である。

ところがこちらも杉野教授が研究生活開始の時点からデータの捏造に手を染めていたのでは、と疑われても致し方がない雲行きである。となると杉野研究室における研究で博士号を取得した人たちの運命に関わることにもなるから、真相解明が極めて重要な意味を持ってくる。

杉野教授の下で博士の学位を得た人は、十人は下らないだろう。その博士論文が学位申請者の単独名によるオリジナルの論文によるものであれば問題はないが、もし杉野教授も名を連ねたしかるべき専門誌に掲載されたものが学位申請用の論文であるとして、それにデータの改竄を含む捏造がなされていたとしたら、いったん授与された博士号はいったいどういう扱いになるのだろう。

しかし私は杉野教授が関わる過去の全論文について第三者が不正を精査するのは現実的に不可能であると思う。今回伝えられる第三・第四の論文でも、大阪大学生命機能研究科と微生物研究所の教授等が中心となって調査するとのことであるが、この方々は多大のエネルギーと時間を費やし大変な犠牲を払うことになる。杉野教授の所属する学会の一つである日本分子生物学会が積極的に協力すれば状況も変わりうるだろうが、今のところまったく音無しの構えである(日本分子生物学会の責任問題についてはまた改めて述べることとする)。

私は各論文の筆頭著者が共著者の中心となって自己検証をするのが最も有効な手段だと思う。いや、そうすべきだと考える。私はこの阪大杉野事件の関係者、とくに論文の共著者に対して《一人一人が自分に対して『不作為』による過ちも犯していないかどうか、問いかけるのである。答えを自分で見付けることの出来た人は、同時に心の平安を覚えるに違いない。これが再出発を支える大きなエネルギーになるものと私は確信している》と私の考えを述べている。今もその考えは変わらない。

作業そのものはやる気さえあればそれほど難しいことではないと思う。論文に記載された全てのデータが論文共著者それぞれのどのオリジナルデータとどのように対応するのかを調べるところから出発すればよい。データそのものの改竄の有無は容易にチェックできるだろう。異なる実験条件下での結果を、あたかも同じ条件下での実験結果のようになっていたら、改竄・捏造にあたる。出所の確認できなかったデータが存在していたら、杉野教授自身のデータかどうかを確認すればいい。もしそれを裏付けるデータが確認できなければ、捏造と断定すればよい。疑わしきは罰せよ、なのである。

とくに若い研究者は自らの論文にまつわる疑惑解明に今こそ全力を傾けるべきではなかろうか。自主的に行うのである。もちろん捏造疑惑を払拭出来れば云うことなしである。不幸にして不自然な疑惑が浮かび上がったとしても、自らのイニシアチブで問題に取り組んだ積極性が必ずや前向きの対処策を生み出すものと期待してよい。そして再生の一歩を一刻も早く踏み出すのだ。