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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

阪大杉野事件 すべきことを怠った不作為は罪になる

2006-10-01 09:49:29 | 学問・教育・研究
東京大学大学院医学系研究科の出したHIV/AIDSに関する基礎資料に、薬害エイズ事件で東京高裁が出した控訴審判決に関して、各新聞の見出しをまとめているが、毎日新聞の見出しはこうである。

《「薬害エイズ:元厚生省課長、控訴審も有罪 不作為責任認定」
 「薬害エイズ:「命への脅威」を重視 官僚の不作為を再認定」
 「薬害エイズ:「官僚の怠慢」再び断罪 被害者に笑顔なく」》

この見出しに限らず、行政の怠慢をつく記事などで『不作為』という言葉を目にした方は多いと思う。『不作為』とは法律用語で、世界大百科事典(平凡社)などにも一般向けの解説があるが、なかなか分かりにくい。私も門外漢であるので、ここで法律談義をするわけではない。

当時の厚生省の一課長が、薬害エイズの拡大を防ぐために、適切な措置を取らなかった行政の『不作為』の責任を問われたもので、この控訴審で有罪が確定したのである。

この犯罪と断定された『不作為』とは、平たく云えば、「為すべきことをする立場にあった人間が、それを為さなかったこと」なのである。

ここまでは裁判所で断罪された『不作為』の話しであるが、ここからは阪大杉野事件における『不作為』の話になる。

話を杉野教授による実験データの改竄に限定する。

杉野教授が実験データの改竄を一人で行った、とされている。毎日新聞の報道などによると、その改竄は昨日今日に始まったことではなく、2002年に遡れそうである。データの改竄は少なくとも科学界では明らかな犯罪である。それが今まで表面化しなかったのは、表面的にはこれまで誰も気付かなかったからである。そして実験データの改竄が大手を振って罷り通り今日の事態に至った。ここに私は『不作為』の介在を見る。

杉野教授の実験データの改竄に気付くべき立場にあるのは誰か。それは杉野教授への実験データ提供者である。「実験データの改竄に気付くべき立場にある人間が、それに気付かなかった」とは、本当に気付いていなかったのかどうかはさておいて、まさに『不作為』そのものである。

この阪大杉野事件で騒動の渦中に投げ込まれた教室員がいち早く立ち直るために、それぞれがケジメをつけることが肝要である。私は9月28日のエントリー追記に「杉野研究室員全員をはじめ関係者が真摯な自己反省を行い、二度と自己責任を放棄することで科学捏造に荷担することがないように、誓いを新たにすべきであろう」と述べた。

具体的には一人一人が自分に対して『不作為』による過ちも犯していないかどうか、問いかけるのである。答えを自分で見付けることの出来た人は、同時に心の平安を覚えるに違いない。これが再出発を支える大きなエネルギーになるものと私は確信している。

今回の事件の発覚をもたらした第1論文の筆頭著者が『異常』に気づき、それを自分一人の胸に納めるのではなく、同じ共著者の一人に相談を持ちかけた。このことが論文捏造のさらなる拡大を食い止めたことでは大いに評価できる。しかし、第1論文の捏造を防ぎ得なかったことでは『不作為』の責めを甘んじて受けるべきであろう。元来は論文が投稿される前にデータ改竄に気付くべきであったからである。

しかし私はこの『不作為』の責めをもって第1論文の筆頭著者を人間的に論うことはしない。私がアメリカンスタイルと称した杉野研究室の研究体制そのものが、彼の一時的(長い人生から見て)思考停止を生み出したとも考えられるからだ。

杉野教授の独断専行を許した『アメリカンスタイル』が、今時日本の、それも生命科学研究の中核を担う大阪大学大学院生命機能研究科で横行していたなんて、これは私の全く『想定外』であった。この研究室の実体を、研究科の他の教授が誰一人気付かなかったのだろうか。

今回の事件で出された研究科長談話の中に次の行がある。

《現代の科学では、複数の研究者が共同して作業を行うことが多いのですが、ある結論が導かれ、それが論文として発表(投稿)される際には、論文の内容と掲載されるデータが、研究に参加した科学者によって精査される必要があります。これは儀式ではなく、結論の根拠と結論についての誤謬を避けるのに不可欠なプロセスです。》

その通りである。これをたんなる『心得』に終わらせないために、そしてその精神を徹底させるためにも生命機能研究科が直ちに取るべき行動があると思う。

私は実験をしない教授に論文書きをまかせることが諸悪を生む、の中で『若い人』にある具体的な提言をしたが、その一つがこのようであった。

《⑧投稿に先立って儀式を行います。この論文を投稿することに同意します、との書類に著者全員が署名するのです。後日、版権譲渡の書類に責任者がサインする際の裏付けになります。そして郵送であれメールであれ、柏手を打って送り出しましょう。》

私は『儀式』と書いたが、もちろん研究科長が述べるように『儀式』でなくてよい、決まり、すなわち論文投稿に先立つ研究科内の必要手続きとすればいいのである。「私は私も含めてこの論文の著者が、それぞれ正当な寄与をしたものと了解の上、この論文の著者になり、投稿することに同意します」というような書類に著者全員が署名することを義務づけるのである。そしてこの書類を研究科で保管する。これによって研究グループの透明性が格段に向上するであろう。

明日からでも踏ん切れることであると思うが・・・。