日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

芸ごとで泣きごと

2006-10-18 21:38:23 | 音楽・美術
昨日は珍しくお師匠さんと衝突してしまった。10月末にある一弦琴の定期演奏会で私が演奏する曲をお浚いして、さあみていただこうと意気込んで師匠宅を訪れた。ところが小学唱歌の曲を二曲、これをやりましょうと譜面を出されたのである。

演奏会のプログラムは既に出来上がっていて、その二曲が演奏されることになっているが、演奏者の名前が記されていない。最近は邦楽教育とかで、小学校の音楽の時間に琴、三味線、尺八などを教えるとか聞いていたので、近所の小学校の児童でも演奏するのかと思っていた。ところがなんとわれわれ弟子たちが合奏するのだと師匠は云われる。演奏会まであと二週間である。

今更それはないでしょう、と思いながらも、小一時間はお付き合いをした。しかし最後に「私は当日この演奏は遠慮させていただきます」と申し上げ、何故かとその理由を説明した。一口に云えば伝統芸能からの逸脱である。子供遊びのようなことをするために、わざわざ神戸から京都まで足を運んでいるのではない、とまで申し上げた。幸い師匠も私の言い分を諒とされ、本来の稽古に戻ったのである。

私がこの道に入ったのは、たまたまテレビから流れる一弦琴の弾き語りを耳にして、これは余生の楽しみにもってこいだな、と思ったからである。私がお稽古に通うのも、あくまでも自分の楽しみのためである。ところが習い事となると、自分の勝手ばかりを押し通すわけにはいかないようだ。その一つが年一回であるが、定期演奏会での演奏である。一度は経験してみようと舞台に立った。しかし自分では素人芸だと認識しているから、面映ゆいだけのことである。もういい、と何回も辞退を申し出たが、なかなか聞き届けては頂けない。演奏会に出るつもりでお稽古をはじめたわけではないのに、会員になれば義務化されてしまっている。

私は一弦琴で合奏をする気はさらさらない。自分の気に乗って弾き、唄いたいのである。人と合わせるなんてまっぴらご免である。ところが演奏会では否応なしに合奏させられる。習いたい人のニーズに合わせた教授法を取り入れる訳にはいかないのだろうか。

伝統芸能の衰微を悼む声をよく聞く。しかしこういう本質的でないことで教習者を束縛すると、習うものがだんだんと減っていくことだけは間違いなかろう。