昨土曜日、好天に誘われてか、ねてから行きたいと思っていた京都伏見に足を向けた。京都に20年間も住んでおりながら未踏の地である。
なんとなく中書島に行くつもりになっていたので、JR京都駅から近鉄奈良線に乗り伏見桃山御陵前駅で下車した。と、御香宮の道しるべが目に触れたので立ち寄ってみた。拝殿の横にわき水が水口から流れ落ち、数人の人が容器に水を集めている。「日本名水百選」のひとつだそうで、私も一口含んでみた。
地図を見ると明治天皇伏見桃山陵が間近である。この機会にとばかりに方向転換、参拝道を上り始めた。道幅が広く両側は自然林のようで、入り込んでいきたい誘惑に駆られる。上っても上ってもまだ先が見えない。なんとも広大な領域である。秀吉の建てた伏見城の跡地だとか、それにしてお城跡全体を一人のお墓にするという発想が凄い。ピラミッドや秦の始皇帝陵に仁徳天皇陵を連想してしまう。しかし伏見桃山陵が築かれたのはたった百年前、近代なのである。
途中に桓武天皇陵という道しるべがあった。なんだか太古の森に分け入っていくような道がついていたが、それを横目に先を急ぐ。ようやく前方に視界が開けて広場に出た。伏見桃山陵の前庭になるのだろうか。そして鳥居の遙か奥に陵が望まれた。まさに奥津城である。後で「国史大事典」(山川出版社)で調べると、陵の形状は上円下方で各三段に築かれて南面しており、すべてが礫石で覆われているとのことである。東西127メートル、南北155メートルとのこと。世界最大の古墳である全長486メートル、前方部幅役305メートルの仁徳陵には及ばないものの、二十世紀に建造された世界最大の墳墓ではなかろうか。陵の形状にUFOを連想してしまった。夜陰に乗じてどこかに飛び立ち、明け方までに舞い戻ってきては素知らぬ顔をして納まっているような。

陵を後ろにして鳥居から南進すると大階段があり、遙かかなたに宇治のあたりになるのだろうか、市街地が見渡せる。230段もあるそうで勾配もかなり急である。陵の右手に昭憲皇太后陵の道しるべがあったので、それに従って坂道を降りていくと、昭憲皇太后の伏見桃山東陵に出た。

明治神宮ではお二方が合祀されていると聞くが、陵は別々である。こちらも同じように上円下方であろうか。両方を結ぶ秘密の地下道でもあるのだろうか。下り坂を辿っていくと大階段の下に出た。見上げると頂上は遙かかなたである。これでは上ろうという意欲湧いてこない。参拝道を通ったのが正解だった。
それにしても京都市内からちょっとはずれるだけで、この豊かな自然に大空間とは素晴らしい。出会った人は10人前後だったように思う。ベンチでもあればゆっくりと過ごせただろうに、坐る場所がどこにもない。それにお昼も廻る頃になったので、最寄りの京阪電鉄桃山南口から中書島駅に向かった。(つづく)
なんとなく中書島に行くつもりになっていたので、JR京都駅から近鉄奈良線に乗り伏見桃山御陵前駅で下車した。と、御香宮の道しるべが目に触れたので立ち寄ってみた。拝殿の横にわき水が水口から流れ落ち、数人の人が容器に水を集めている。「日本名水百選」のひとつだそうで、私も一口含んでみた。
地図を見ると明治天皇伏見桃山陵が間近である。この機会にとばかりに方向転換、参拝道を上り始めた。道幅が広く両側は自然林のようで、入り込んでいきたい誘惑に駆られる。上っても上ってもまだ先が見えない。なんとも広大な領域である。秀吉の建てた伏見城の跡地だとか、それにしてお城跡全体を一人のお墓にするという発想が凄い。ピラミッドや秦の始皇帝陵に仁徳天皇陵を連想してしまう。しかし伏見桃山陵が築かれたのはたった百年前、近代なのである。
途中に桓武天皇陵という道しるべがあった。なんだか太古の森に分け入っていくような道がついていたが、それを横目に先を急ぐ。ようやく前方に視界が開けて広場に出た。伏見桃山陵の前庭になるのだろうか。そして鳥居の遙か奥に陵が望まれた。まさに奥津城である。後で「国史大事典」(山川出版社)で調べると、陵の形状は上円下方で各三段に築かれて南面しており、すべてが礫石で覆われているとのことである。東西127メートル、南北155メートルとのこと。世界最大の古墳である全長486メートル、前方部幅役305メートルの仁徳陵には及ばないものの、二十世紀に建造された世界最大の墳墓ではなかろうか。陵の形状にUFOを連想してしまった。夜陰に乗じてどこかに飛び立ち、明け方までに舞い戻ってきては素知らぬ顔をして納まっているような。

陵を後ろにして鳥居から南進すると大階段があり、遙かかなたに宇治のあたりになるのだろうか、市街地が見渡せる。230段もあるそうで勾配もかなり急である。陵の右手に昭憲皇太后陵の道しるべがあったので、それに従って坂道を降りていくと、昭憲皇太后の伏見桃山東陵に出た。

明治神宮ではお二方が合祀されていると聞くが、陵は別々である。こちらも同じように上円下方であろうか。両方を結ぶ秘密の地下道でもあるのだろうか。下り坂を辿っていくと大階段の下に出た。見上げると頂上は遙かかなたである。これでは上ろうという意欲湧いてこない。参拝道を通ったのが正解だった。
それにしても京都市内からちょっとはずれるだけで、この豊かな自然に大空間とは素晴らしい。出会った人は10人前後だったように思う。ベンチでもあればゆっくりと過ごせただろうに、坐る場所がどこにもない。それにお昼も廻る頃になったので、最寄りの京阪電鉄桃山南口から中書島駅に向かった。(つづく)