日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

『昭和天皇靖国発言メモ』の怪

2006-07-21 17:59:00 | 社会・政治
私が目にしているのは朝日新聞2006年7月20日の夕刊である。それと同日の正午、午後7時と午後9時のNHKニュース、以上が『富田メモ』に関する私のニュースソースである。

このニュースに接して私の最初の反応は、なぜこの時期に昭和天皇の『靖国発言メモ』がでてきたのだろう、という疑問であった。

NHKニュースだけを見たらNHKのスクープだと思うし、朝日新聞だけを見たら朝日の大スクープだと思ってしまう。どのような経緯でこの『富田メモ』が舞台に登場したのか、その経緯が一切語られていないからだ。となると『富田メモ』を発見した主体はこのメモの存在を報じたNHKもしくは朝日新聞だとつい思ってしまうのだが、本当のところはどうなんだろう。

と思っていたら、NIKKEI NETの記事が目に止まった。

《昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ
昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての歴史的価値も高い。 (07:00)》

この強調部分から察するに、どうもこれは日本経済新聞のスクープ記事らしい。それをマスメディア各社が慌てて追っかけたのだろう。NHK、朝日新聞が口を濁すのもよく分かる。ところがこの『富田メモ』に関しては私には分からないことだらけで、知りたいことが山ほどある。

①『富田メモ』の所有者は誰なのか。
②『富田メモ』に問題の昭和天皇ご発言のあることを、誰が何時どのような状況で見付けたのか。
③日本経済新聞はこの『昭和天皇靖国発言メモ』をそのようにして入手したのだろう。『入手』を私の大好き『新明解さん』は「価値の有る物を、自分の物にすること」と説明している。日本経済新聞はこのメモの所有者に大金を支払って購入したのだろうか。
④朝日新聞夕刊には半藤一利氏の「メモや日記の一部を見ましたが、メモは手帳にびっしり張ってあった」との発言が掲載されている。手帳に直接に書き込まずにメモが手帳に張られている、というのはどうも不自然に感じるが、この件にかんして何か合理的な説明があるのだろうか。
⑤メモは88年4月28日付と報じられているが、メモの筆跡とかインクとか、要するにメモを特徴づけるものが、この日付と矛盾しないことが科学的に確認されているのだろうか。
⑥昭和天皇は誰に向かってこの発言をされたのだろうか。当時の富田朝彦宮内庁長官に言われたのだろうか。4月28日と言えば昭和天皇御誕生日の前日である。なにか特別のイベントでもあって、このようなご発言になったのだろうか。富田長官以外に同席者はいなかったのだろうか。
⑦天皇のこのご発言は靖国参拝を最後にされた75年11月より10年以上経っているが、その10年間、この問題に関して昭和天皇はひたすら沈黙されていたのだろうか。
⑧昔から言われていることは天皇こそが公(おおやけ)なのである。『新明解さん』も「もと天子・朝廷の意」と説明しているぐらいである。四六時中公である天皇に接する人ももちろん公ごとを共にしていることになる。ということは国家公務員である富田長官は職業上知り得た秘密をそのメモに記していたことになるるのであって、それを公の同意なしに公表したことは、公務員の『守秘義務』に触れるのではないのか。

しかし最大の疑問は、メモから引用した下記の内容が、確かに昭和天皇のご発言だろうか、ということである。

《「私は或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」
「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」
「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」》

私にはこのご発言自体がどうもしっくりこないのである。帝王らしからぬお振る舞いであるからだ。帝王学を学ばれた昭和天皇が「あれ以来参拝していない それが私の心だ」なんて言い訳めいた発言をされるのだろうか。

ひょっとすると昭和天皇と『A級戦犯』との特別な関わりが関係しているのだろうか。

二・二六事件の際、昭和天皇の反応は素早かった。本庄侍従武官長の日記にお言葉が残されている。

「朕が股肱の老臣を殺戮す。かくのごとき凶暴の将校らは、その精神においても何の恕すべきものありや」
「朕がもっとも信頼せる老臣をことごとく斃すは、真綿にて朕が首を締むるにひとしき行為なり」

A級戦犯こそかっては昭和天皇の股肱の臣であったのである。天皇の目線で見るA級戦犯は、国民の目線で見るA級戦犯とは明らかに異なっているはずである。そのA級戦犯が靖国神社に合祀されることで、もし昭和天皇が何らかのこだわりを感じられたとするなら、それは昭和天皇が国民の目線をもお持ちであったからではなかろうか。そうすると靖国参拝もままならない。厄介なことを松平宮司はしてくれたものよ、と思われたのかもしれない。

しかし、たとえそうであろうと、靖国参拝を中止されたことで昭和天皇は忸怩たる思いを持たれており、それがつい『愚痴』としてもれたのだろうか。

『富田メモ』の信憑性は今後厳しく検証されるべきであると思う。じっくり時間をかければいいのであって、今更大騒ぎすることでもあるまい。

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