日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

佐藤千夜子と「初恋の味」カルピスそして私

2006-07-16 18:39:35 | 

人にまつわる三題噺のようなものである。

以前のブログで斉藤憐著「昭和不良伝」の帯を見て、「シャボン玉の人生」に歌手佐藤千夜子が紹介されていることを述べた。その時には彼女は当代のソプラノ歌手佐藤美枝子とつい間違えてしまう程度の関わりかと思っていた。ところが「シャボン玉の人生」を読んで「アレッ」と思った。佐藤千夜子と私の間にはかなり近い関わりがあることが分かったからである。

佐藤千夜子は昭和4(1929)年に西条八十作詞・中山晋平作曲「東京行進曲」を歌い、ビクターが当時25万枚のレコードを売り上げるという大ヒットを飛ばした。そこで目をつけられたのか次のような仕事が舞い込む。

《そんなある日、ラクトー製造という会社の社長三島海雲から、飲料水の宣伝歌を歌ってくれと言われ、千夜子は「初恋小唄」を歌った。これが日本のコマーシャルソング第一号だそうで、飲料水は「初恋の味」として売り上げを伸ばし、社名も「カルピス食品工業」と買えて今日に至る。》(「昭和不良伝」から)

この三島海雲氏に昔、私がお会いしたことがあるだ。

乳酸飲料の事業で成功を収めた三島氏が、後年食品研究と人文科学研究の助成を目的とした三島海雲記念財団を設立された。もう30年以上は前になると思うが、その学術奨励賞を私は頂いたことがある。私の本来の研究から派生した脇道の仕事であったが、食品のみならず医薬品の保存技術につながる研究に発展して、それで賞を頂いたのである。

確か賞の贈呈式とパーティが一橋の学士会館で行われたと思う。三島海雲氏にお目にかかったのはその時である。氏は前世紀の初めに中国大陸に渡り、モンゴルで体調を崩したときに、遊牧民から勧められて飲んだ酸乳のおかげで回復したことが切っ掛けで酸乳の製法を学んだとのことである。これが乳酸菌飲料の開発につながった。このロマンと氏のお名前そのものが私の夢をも掻きたてたものである。

当然三島海雲氏は佐藤千夜子とも言葉を交わしているだろう。となると氏を介して私と佐藤千夜子がつながることになる。

このような私の好きな因縁話もあって佐藤千夜子と一緒に歌いたくなった。幸いAmazon.comで「昭和を飾った名歌手達①佐藤千夜子」を見付けてそのCDを取り寄せることが出来た。

佐藤千夜子の凄いところは、「東京行進曲」の成功もあって日本では超売れっ子になっていたのに、そのすべてをなげうってイタリアへオペラの勉強に行ってしまうのである。その費用には自分で稼いで貯金した五千円を当てた。

昭和5年に船出してあこがれのイタリアに渡ったものの結果は無惨な失敗。お金も使い果たして日本に帰ってきたのが昭和9年の暮れで、4年間の留守の間に彼女の出る舞台はもはや残されていなかった。

なぜ失敗したかは彼女の歌を聴けば分かる。佐藤千夜子は明治29(1896)年の生まれであるが、たとえば彼女より早く1988年に生まれたロッテ・レーマンの歌と聴き比べるとその差が歴然としている。佐藤千夜子には申し訳ないが、月とスッポン、彼女は井の中の蛙であったと言わざるをえない。

しかしその心意気は私を大いに惹きつけるところである。彼女のバスト100、ヒップ110の姿態を想像しながら、負けないように一緒に歌ったのが野口雨情作詞・中山晋平作曲の「旅人の唄」である。彼女の歌を何遍聴いても「te」が「ti」に「ne」が「ni」に聞こえるのである。山形天童の生まれと関係があるのか、とても可愛らしく感じてしまった。

プロに徹しきれなかったジダンを惜しむ

2006-07-14 19:45:21 | Weblog
ワールドサッカー決勝戦の日、たまたま朝の5時頃に目が覚めた。どちらが勝ったのだろうとテレビをつけると、まだ試合が続いている。延長戦に入っていたのだ。そしてジダンの頭突きを見ることになった。

ボールを奪う競り合いでそうなったのならともかく、ボールの動きとは関係のないシーンでの頭突きには正直なところあっけにとられた。ジダンは即退場、思いがけない展開に試合を落ち着いて観られなくなった。

イタリアのマテラッツイとジダンの『接触』のシーンが何度もリプレイされた。画面ではジダンが左側に歩き出して突然後ろを振り返り、マテラッツイに近づいて頭突きとなるのである。なぜジダンはわざわざ後戻りまでして頭突きをしたのだろう。

頭突きに至るまでの『接触』はゲームにありがちのことで、だからこそジダンもマテラッツイから離れて左側に歩き出したのだろう。そこで終わって欲しかった。

ジダンが突然後ろを振り返ったのは、この時にマテラッツイのいわゆる『侮辱発言』が耳に届いたからではなかろうか、と私は憶測する。テレビ画面にこの時のマテラッツイの口の動きなどが残されておれば、読唇術の専門家なら発言内容読み取る可能性もあるだろうが、今までのところ、多くのメディアが伝えているマテラッツイの発言が、どの時点のものであるのかはっきりしていない。

『接触』の時からそうであるが、二人は言葉を交わしていた。二人は何語で話していたのだろう。イタリア語?それともフランス語か英語?

マテラッツイがイタリア語で『侮辱発言』したとして、それがジタンには分かったのだろうか。言葉が分かるのも良し悪しである。しかしジダンが生半可な理解で『侮辱発言』と受け取った可能性は万が一にもないのだろうか。

私が不審に思ったことがもう一つある。1対1のまま延長戦に入り、両者とも優勝を目指して死にものぐるいの戦いを繰り広げている。どの選手も試合に集中して緊張の頂点にあると思いきや、ジダンはマテラッツイとのんびりと言葉を交わしていた。集中力が一瞬途切れた魔の瞬間であったのだろうか。だからこそ集中しておれば素通りするはずの『雑音』が耳にはいったのだろう。プロならあってはならないことで、それゆえ私はジダンのためにも口惜しく思う。

祇園祭 鉾の組み立て

2006-07-11 22:01:06 | Weblog

一弦琴のお稽古の帰りに四条通りに出た。鉾の組み立てがはじまったばかりで、法被を着た人たちが懸命に取り組んでいる。骨格となる角材を組んで縄で固定しているのだが、その結わえ方が組紐のように美しい。このような技一つをとってみても、昔から連綿と伝えられているのだと思うと、関わってきた人びとへの畏敬の念が湧き起こってくる。

どの鉾も同じような状態で、天高く屹立している。このご時世、偵察衛星にミサイル発射台のように映っているのでは、とふと気になった。

『狼少年』まがいの安部官房長官

2006-07-10 16:44:13 | 社会・政治
安倍長官「日本の対応は当然」、韓国のHPに反論 (朝日新聞) - goo ニュース

今回の北朝鮮の弾道ミサイル発射について、私はマスメディアがその脅威を煽っていると批判してきたが、おっとどっこい、安部官房長官までがそのお先棒をかついでいるのに開いた口がふさがらない。まるでイソップ寓話の『狼少年』まがいではないか。

《韓国大統領府が北朝鮮のミサイル発射への日本政府の対応を「未明から大騒ぎする必要はない」としたことについて「日本を射程に入れるノドン、テポドンも含まれており、日本や地域に対する脅威であることは間違いない。日本が危機管理的な対応をとるのは当然のことだ。そうした表現を使うことは残念だ」と述べた》というのである。

『脅威』というのであれば「ロシア、中国、インド、北朝鮮など、わが国と極めて地理的に近い国々は弾道ミサイルを保有している。そのミサイルのいくつかは当然日本に標的が定められていること」自体が脅威なのであって、そのようなことはとっくの昔から分かっていることである。その弾道ミサイルを北朝鮮が発射しようと日本の領海に落としたわけでもなし、それで脅威が強まったわけでも何でもない。インドの弾道ミサイル発射と同じではないか。

それよりなにより政府の代弁者としての姿勢が根本的に間違っている。マスメディアに煽られた『戦争を知らない世代』が、万が一にも『脅威』におびえてパニックに陥らないように、「日米同盟があるから、アメリカの報復力を恐れる北朝鮮が、日本を直接攻撃する恐れは断じてない。国民は流言飛語に惑わされることなく平静心を保ってください。アメリカがとことん日本を守ってくれることを今改めて確認したところであります」とぐらい云えないのか。

一方、安部官房長官は記者会見で「日本の国民と国土、国家を守るために何をすべきかとの観点から常に検討、研究することが必要だ」と述べ、『敵基地攻撃能力』を検討する可能性を匂わせているが、そのようなことはわが国がアメリカからの真の独立を回復して一人前になってからすればよい。

政府は今こそ『日米同盟』を強調すればいい

2006-07-09 17:12:04 | 社会・政治
今朝の「サンデープロジェクト」で櫻井よしこ氏が、中国が50年間に及ぶ北朝鮮の茂山鉱山の採掘権や日本海側の羅津港の使用権を入手したと発言、これは私にとっては初耳であった。どこかで報道されたのであろうが、私は知らなかった。

この時期が何時だったのか、資料に当たっていないので分からないが、ごく最近のことであろう。これは中国が北朝鮮に租借地を持ったことを意味する。

条約により一国が他国の領域の一部を借りる場合、その地域を租借地という。租貸国の主権や租借期限が存在するから領土の割譲ではないが、租借国が独占的・排他的管轄権をもつために、実際は割譲とほぼ同様の効果があったのが歴史的事実である。日本もロシアが清国から獲得した旅順・大連の25年間の租借権を、日露戦争後にロシアから譲り受け、その後対華二十一箇条の要求で99年間の租借に改めさせた『実績』がある。ロシアが清国から獲得した満州における鉄道敷設利権にもとづき完成させていたハルピン-旅順の南満州支線のうち、長春以南がこのとき日本に割譲されている。これがやがて『満州国』建国につながるのである。

中国が北朝鮮に租借地=『領土』をもっているとなると、北朝鮮の『権益』が侵されるような北朝鮮非難決議案に、中国が賛成するとはもともと考えられず、それどころか拒否権を発動される可能性が極めて高い。それにもかかわらず北朝鮮非難決議案を国連安全保障理事会に提案するわが政府の真意はどこにあるのだろう。マスメディアは元来このような状況の解説をなすべきなのである。

政府がいまなすべきことは、マスメディアが煽る北朝鮮弾道ミサイルの脅威に対して、「頼もしい同盟国アメリカが日本を守ってくれるから安心ですよ」とひたすら国民と、そしてアメリカに向かって強調すればいいのである。どうも政府のやっていることはちぐはぐである。

北朝鮮のミサイル発射で大騒ぎの怪

2006-07-07 16:55:29 | 社会・政治
私は日本が依然としてアメリカの占領下にあると思っている。アメリカ軍がわが国土に駐留している事実がそのことを雄弁に物語っている。文化勲章学者の白川静博士も同様の考えをお持ちである。

ロシア、中国、インド、北朝鮮など、わが国と極めて地理的に近い国々は弾道ミサイルを保有している。そのミサイルのいくつかは当然日本に標的が定められていることを思うと、北朝鮮だけではなくこれらの国すべてが脅威である。

日本は弾道ミサイルを保有していない。またそれを防ぐ手だてもない。北朝鮮がその気になれば日本を弾道ミサイルでいつでも攻撃できる。しかしこれまでもミサイル攻撃をしかけなかったし、これからも攻撃する可能性は極めて低い。なぜなら日本が攻撃を受けると日本を占領下に置いているアメリカが報復攻撃をするからだ。

このように日本は世界一の軍事大国アメリカのいわゆる『核の傘』に守られている。お金はアメリカにしこたま巻き上げられているが、自分自身は弾道ミサイルはもちろん大量破壊兵器(核・生物・化学兵器)などは持っていないし開発もいたしません、と無辜の国を装えるメリットがある。ある意味では嫌らしい国でもあるのだ。北朝鮮は間違いなくそう思っているだろう。

これからが本論である。日本が未来永劫アメリカの占領下に置かれるべきではない。いつか国民が目覚めてアメリカの軍隊を日本から完全撤退させて真の独立を回復したとする。そしてこれまでアメリカに完全に依存していた攻撃的抑止力を、すべて自前で備えるべく国民の意思が統一されたとする。

たとえば弾道ミサイルである。試作品が実際に飛ぶのかどうか試してみないといけない。飛ばす先は日本海、黄海、太平洋にならざるを得ない。北朝鮮と違い日本はかっての大東亜共栄圏を作りかけた海外侵略の実績がある。近隣周辺諸国から厳しい非難、反対の声が起こるのは当然であろうが、それでも実験をやり遂げないといけない。今の北朝鮮と似た状態とも云える。しかしここで忘れてならないのは、アメリカこそが最大の反対国になりうるという現実である。アメリカにとって大量破壊兵器に弾道ミサイルを備えた日本は、北朝鮮とは比較にならない最大の潜在的脅威となる。その時アメリカは北朝鮮を同盟国に仕立ててまで、日本の実験に圧力を加えてくるような気がする。さあ、その時の日本に今の北朝鮮以上の知恵が出てくるだろうか。

日本がアメリカの『核の傘』に守られている現状では、大量破壊兵器を弾頭とした弾道ミサイルが北朝鮮から日本に飛んでくる可能性は限りなくゼロに近いといって間違いなかろう。それなのに、一昨日から今日にかけてのマスメディアのあの騒ぎよう一体なんだろう。北朝鮮のやりたいようにやらせてまったく無視すればいいのである。北朝鮮は昨日になって「自衛的国防力の強化のためにわが軍が行った通常の軍事訓練の一環だ」と云っているそうである。「アッソゥ」でいいではないか。云いたいことを北朝鮮に云わせたらいいのである。それをミサイル発射の意図はどうだかこうだかと賢しらげにマスメディアが姦しい。北朝鮮の代弁者気取りはみっともない。

さっそく日米両国などが北朝鮮非難決議案を作り、国連安全保障理事会に共同提案するとか伝えられてきた。かなり厳しい内容の制裁処置が含まれているようである。これに対して中国、ロシアは決議ではなく拘束力がない議長声明の形式を取るように主張している。

中国、ロシアの態度は考えてみれば当然である。アメリカが唯一の核保有国であった第二次大戦後、核独占を保ちたいアメリカにいついちゃもんをつけられるか、戦々恐々の思いをしながら曲がりなりにも核保有国になりえた両国は、今、その悲哀を味わいつつある北朝鮮のいわば先陣でもあったのだ。制裁制裁といきりたつアメリカと一線を画すのも過去の恨み辛みのなせる技であるともいえよう。そのアメリカの走狗と化した日本政府のなんと愚かしいこと。こんなことで北朝鮮を制裁していたら、今度自分がやりたいときにやれなくなるではないか。

わが政府が北朝鮮に対する経済的制裁を、拉致問題との関わりで発動するるというなら、私も納得できる。『ミサイル発射』には実害はない。しかし北朝鮮も認めた『拉致』は国家的犯罪ではないか。対応には鼎の軽重が問われるべきである。


モーツァルト、「君の名は」、ミサイル

2006-07-05 17:46:24 | Weblog
NHKBS2で放映される「毎日モーツァルト」を毎朝楽しんでいる。演奏される曲にまつわるいろいろな話をゲストから聞くのも楽しいし、テレビに流れるモーツァルトゆかりの地の風景が自分達の旅の思い出と重なるのもいい。爽やかな音楽に合わせて、これからの一日が始まる。

ところが最近になってちょっと状況が変わった。朝の8時1分に始まるこの番組を何かすると見逃すから、と妻がその前からテレビのスイッチを入れるようになったのだ。そうするとなんだか古めかしいドラマが流れている。古めかしいのも当然、「君の名は」なのである。普段はモーツァルトの音楽が流れ出すとテレビを観るからそれでいいのだが、つい寝過ごして朝食がその時間に重なると、否応なしにドラマが私を襲って断片的ながら物語の展開にお付き合いをすることになる。

ドラマの筋書きは私の記憶にはない。私の知っているのはただ氏家真智子と後宮春樹の「すれちがい」がドラマを盛り上げたと云うことぐらいである。そして偶々その「すれちがい」シーンを目にしたがなんとも不自然なこと、目と鼻の先におりながら相手をそれと覚らない。気配で何かを感じていいはずなのに二人とも感が鈍い。要するにテレパシーの通じ合うような二人ではもともとないのである。

それかあらぬか昨日観たら真智子は別の男性と結婚してしまっていた。真智子は夫の母親と一緒に住むことになって、新婚旅行から帰ってきてからさっそく嫁・姑のせめぎ合いが始まっていた。

母親役は加藤治子、演技がうまいというのか、精神の発達がどこかで止まってしまったような幼児性の姑を演じるのである。自己中で自分の思うように相手を動かしたいのならそういうキャラクターもまたいいかと思うが、それほどの思慮もなく、ただ「嫁いびり」を生き甲斐にしているような姑なのである。というのが昨日観ただけの私の印象であるが。

左耳からテレビの音声が入ってくるのだが、そのうちに右耳からは妻の興奮した声が入ってきた。真智子が外出したいのに姑が出さしてくれないとかで夫に不満をぶつけている。「私も外に出るのに凄く気を遣った!」と私の母と40年の同居歴を誇る妻が叫ぶのである。そして「あれがこうだった、これもそうだった」と私の知らない古い話を次から次へと持ち出してくる。食事もそっちのけで目を爛々と輝かせている。

加藤治子の演じる脳タリンの姑に比べて、私の母は千倍も万倍も出来ていると私は確信していたので、妻の繰り言を大人しく「ふんふん」と聞いていたが、両側から責め立てられるのは少々往生した。と同時に日本中で私と同じような思いをしている男性もさぞかし多いのでは、と仲間に妙な親近感を抱いてしまった。それにしても朝早くからこんなに女性をいきり立たせるドラマを流すNHKの真意は何だろうか。ただでさえエネルギーではち切れんばかりの熟年女性をこれ以上刺激させないで欲しい。

今朝もまた始まるかな、と戦々恐々としていたら、北朝鮮がミサイルを発射したので妻はそちらのニュースに釘付け、そのうち「君の名は」の時間が過ぎてしまった。ミサイルが飛んでくれたおかげでわが家は平穏であった。

皇后さまとの不思議なご縁

2006-07-03 18:36:07 | 
昨日のブログで皇后さまのことに触れたが、面白いもので(と自分で勝手な理屈をつけて楽しんでいるのであるが)私と皇后さまとの間に何かの関わり合いがいくつかある。といっても幼稚園で一緒にお遊戯をしたなどの直接的なことではなく、私なりに因縁を感じているいくつかの事柄なのである。

まず皇后さまと私は同年の生まれ、小学校に出入りすることのなかった唯一の世代なのである。私の方が何十日か若い。

中学校に行くようになって焼け跡の中の道を通った。往復で3キロほどの道のりである。学校近くにある兵庫運河の上にかかった住吉橋を渡る。往路、橋の左手に運河に面した大きな建物があって、とまった艀から人夫(古い云い方をお許しあれ)が大きな袋物を運び込んでいた。「日清製粉」という会社で、だから袋の中味は小麦であったのだろう。小麦が配給になった記憶はないので、多分パンなどに姿を変えてわれわれの口に入っていたのだろうか。

「日清製粉」の当時の社長が正田英三郎氏、皇后さまの父君である。現在の天皇・皇后両陛下である皇太子と美智子さまのご成婚に際して、「粉屋の娘のシンデレラ物語」などと紹介する外国のメディアもあった。中学生の頃の皇后さまも私もこのような運命の展開とは知るよしもなかったのであるが、ご婚約のニュースが流れてきたときに、「あの工場」と私はなつかしく思い出した。

大学に入って神谷宣郎教授の細胞学講義を聴くようになった。教室では質問しやすいように教壇の斜め前に坐るようにしていた。ある日、講義が終わって神谷先生が私のところに来られて「○○君、抜群の成績だったようだね」と言葉をかけてくださった。大学院入試の終わった時で、後で洩れ聞いたことであるが、私の入試の成績がなかなかよくて、最高得点の半分までが合格範囲という内規のために、例年なら合格するはずの受験生が落ちてしまって私の選んだコースでは定員割れになり、そのことでちょっと評判になっていたらしい。そういう風に気軽に声をかけてくださる先生であったが、この神谷教授の令夫人が神谷美恵子氏で、美智子皇后のよきお話相手であったことは世に知られているとおりである。しかし美恵子夫人はお若くしてお亡くなりになり、私もお葬式に参列させていただいた。これは間接的ながら形のはっきりした皇后さまとの関わりである。

私は大学の卒業式を二年連続して味わった。第一回が在学生総代として卒業生に送辞を述べる役であった。多分各学部・学科の順番でたまたま私に廻ってきたのであるが、卒業生というのが実は入学時は私と同期生という変な巡り合わせであった。私は教養課程を留年してしまったのである。留年にまつわる話はまた述べるとして、この時の阪大総長が数学者の正田建次郎先生で、美智子皇后の伯父君にあたる。この総長臨席の卒業式で私が送辞を述べたという因縁が生まれたのである。

そして、翌年は私も無事に卒業でき、そのときに楠本賞なるものをいただいた。



楠本賞がなにか、人に説明する知識がなかったので最近の大学ニュースを見ると、楠本賞とは「楠本長三郎第2代総長の退官を記念して創立した楠本奨学会から、各学部・学科の優秀な卒業生に贈られる」とのことである。私は楯を頂いた。賞状も頂いたかと思うが所在が確認できていない。楯の裏には正田健次郎総長の自筆署名があり、日付は昭和33年3月25日とあった。



皇太子と美智子さまのご成婚の儀が執り行われたのは、それから一年後の昭和34年4月10日であった。


「皇太子ご一家オランダ静養」に思う

2006-07-02 12:04:31 | 社会・政治
昨夜というか早朝というか、イングランドとポルトガルの試合を前半だけ観て寝てしまった。6時過ぎに目が明き、結果を知りたくてスイッチを入れたテレビが、このたびシンガポール、マレーシア、タイ国を訪問された天皇・皇后両陛下のご様子を伝えていた。

目が覚めてしまったのでテレビのチャンネルを廻していると、教育テレビで英語のレッスンをやっていた。「through」の使い方で、「You've been through a lot.」(いろいろとご苦労されましたね)という云い方が出て来て、ふと皇后さまに思いが戻った。

皇后さまはわたしより少しお年上ではあるが、全くの同世代であるだけに同じ時代を歩んできた親近感はひとしおである。2004年に「皇后さま:70歳の古希の誕生日迎え文書回答」でこのようなことを述べておられる。

「陛下のお側(そば)でさせていただいたさまざまな公務は、私にとり、決して容易なものばかりではありませんでしたが、今振り返り、その一つ一つが私にとり必要な経験であったことが分かります。陛下がお優しい中にも、時に厳しく導いてくださり、職員たちもさまざまな部署にあって、地味に、静かに、私を支え続けてくれました。まだ若かった日々に、社会の各分野で高い志を持って働く多くの年長の人たちの姿を目のあたりにし、その人々から直接間接に教えを受けることができたことも、幸運でした。とりわけ、自らが深い悲しみや苦しみを経験し、むしろそのゆえに、弱く、悲しむ人々の傍らに終生よりそった何人かの人々を知る機会を持ったことは、私がその後の人生を生きる上の、指針の一つとなったと思います。」

私は皇后さまは『自己改造』を上手に成し遂げられたすばらしく賢明なお方だな、とかねてから思っていた。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」を文字通り実践されたようにも映る。それにつけても、と私の連想が皇太子ご夫妻に及ぶのである。そして近年世間に蔓延している親が元気なのをいいことにして、手伝うどころか何時まで親に甘えているような『モラトリアム若者』にも。

天皇・皇后両陛下もそれぞれ古希を過ぎられいいお年である。ひたすら公務第一に長年刻苦勉励を重ねてこられた。公には隠居という制度がないだけに、激務を皇太子ご夫妻に徐々に肩代わりしていただけたらとも思いが湧いてくる。しかしこう申してはなんであるが、皇太子ご自身はともかくも、雅子妃殿下ともども公務に勤しんでいるお姿が国民の目に映らない事態が長く続いている。そうこうするうちに「皇太子ご一家が8月中旬から下旬にかけて私的にオランダを訪問し、雅子さまの治療を兼ねて静養される」との動静が伝えられた。

そのような短期間のオランダご訪問が治療に役立つとは素人だけに信じられないが、それはともかく、『私人』としての妃殿下のご健康状態にはご私も同情申し上げる。またなんとか回復していただきたいと願う気持ちもひとに劣るものではない。しかし、『公人』としてみる限り皇太子ご夫妻の存在感があまりにも薄く、その分を補うかの如くご精励の天皇・皇后両陛下にご同情の念を禁じ得ない。

云うまでもないが皇室は国民の同情ではなく支持があってこそ存続しうるものである。その支持を弱めないためにも現状をズルズルと引きずってはならないと思う。皇太子妃には早期の公務復帰を目指して、療養に専念していただきたいものである。その成否は『皇室改革』ではなくて皇后さまがなされたような『自己改革』にかかっていると私は思うが、いかがであろう。