日々是好日

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私の『靖国神社』問題 ― 英霊は納得しているのか

2005-06-21 13:28:51 | 社会・政治
現在、どういう資格があれば靖国神社に祭って貰えるのだろうか。

日本が敗戦後戦争を放棄したので、国民の誰しも戦没者にはなれない。祭神数は頭打ちになっているのだろうか。現在靖国に祭られている英霊は日本総人口と異なり減ることはないだろうが、何事であれ増やしたいのは人の情、新しい基準を設けることで靖国は現在でも新たに祭神を迎え入れているのだろうか。お寺では宗派を問わず永代供養を受け付けている。靖国神社も希望があれば宗教を問わず御霊を祭神として受け入れるようになったのだろうか。

新しい祭神はともかく、既に鎮座ましている祭神に靖国神社が『変質』した際に、依然として靖国に止まるかどうか、意思の確認を求たことがあるのだろうか。

私がかって賃貸マンションに住んでいた頃、所有者が変わった際に、継続して居住するかどうか意思の確認を求められたことがある。神さまと人間が同じではないものの、死者に口なしとばかりに、『変質』する神社だけの都合で祭神の扱いを一方的に決めてよいものではないと私は思う。遺族がおればその意思を確認してもいい。遺族は約束を破られた方だから、天皇陛下が参拝をお止めになったことに対して国に『補償』を求めてもいいのではないか。その辺りのことがどうなっているのだろう。その上で靖国に止まりたい霊は止まればいいし、去りたい霊は去ればいいと思うのだが、このような理屈が通るのだろうか。

何故そのようなことが気になるかといえば、靖国神社で祭られている英霊が、いっぽうでは故郷の家の仏壇に仏様として祭られているのが珍しくないからである。靖国だけが居場所ではないように思うからである。

さらに英霊の『個人意思』が尊重されるのであれば、靖国神社の性格も大きく変わると思うからである。

つづく