日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

鳩山由紀夫首相の「巧言令色 鮮矣仁」?

2010-05-04 20:41:11 | 放言
【県民期待との食い違い】

 ――選挙で「最低でも県外」とおっしゃって、県民の期待も高まった。今回、「申し訳ない」「すべて県外は難しい」という発言もあるが、今日の考え、県民の思いに答えられるか。整合性とどうはかるのか。

 「まず、沖縄の県民の皆さんに、こちらにお邪魔をして、いろんなお話を伺いながら、改めて、もっと早く来いというお気持ちも含めて、おわびを申し上げに参りました。その思いが伝わったどうかということになれば、そう簡単に、一度で十分に伝わったとは、思っておりません。それだけに、また皆さん方と意見交換をできるような機会を、これからも持ちたいと思っています」

 「え、自分自身の気持ちと、それから県民のみなさま方のお気持ちの中で、まだ乖離(かいり)があることは認めます。ただ、決して、私は、沖縄の皆さま方に対して、まあ、歴史的にたいへんある意味で屈辱的な状況の中で、例えば基地を、自分たちの土地を接収されて、強引につくられてしまったという歴史的な事実があるかと思っています。そういった思いというものが強くあるだけに、むしろ、そのお気持ちにこたえるために、沖縄の県民の皆さん方のご負担を、少しでも和らげることができないかという一心で、本来ならもう、ある意味で前政権がなさったことなんだからということで、昨年のうちに結論を出してしまえば、あるいはそれで、私は終わった話にはならないと思ってますが、一つの結論は出せたかも知れませんが、私にはとてもそれをやるという思いにはならなかった。それだけに、なかなか県民の皆さん方にご理解をいただけないですが、これからもおわびを含めてお邪魔をして、そして、皆さん方のご理解を少しでも深めていただけるように努力して参りたいと思います」
(asahi.com 2010年5月4日19時6分)

論語學而第一にある「子曰 巧言令色 鮮矣仁」の「巧言令色」とは「ことばたくみに顔色を和らげて、人を喜ばせ、こびへつらうこと」(「全訳 漢辞海」)、または「鳩山由紀夫首相の言葉」(私の注釈)。こういう人に「仁」、すなわち「他者に対するおもいやり、いつくしみ」の心はないものだ、と孔子様がとっくの昔に仰っている。沖縄の人もとっくに気付いていることだろう。いや、「巧言」という以上はすくなくとも多少はそれなりに頭を働かせて作るだろうに、彼の言葉にはその片鱗をうかがわせるものすらない。彼の話は「音」が口から出ているだけで、言葉のようで言葉でないことは上の引用を見れば一目瞭然であろう。こういう人物がわが国の総理大臣でいられるとは摩訶不思議としか言いようがない。早く目の前から消えてくれないかなぁ・・・。電撃的辞任のニュースを心待ちにしている。

みどりの日のマメ談義

2010-05-04 14:11:57 | Weblog
今日は「みどりの日」なんだそうである。似たような名前の家電量販店のコマーシャルではないが、中途半端やなぁ、である。それはともかく朝の水やりの後、今年になってはじめてパラソルを開くことにした。部屋の中より外気に触れるほうが心地よく感じたからである。椅子に腰をかけるとなんだか落ち着いた気になる。一坪菜園で育てた絹さやが私の背よりもはるかに高くなり、手前のそら豆ともども緑の壁になって閉じた空間を作ってくれているからであろう。


昨年種を蒔いて芽は出てきたものの、茎が20センチぐらいになってからは成長がほとんど止まり、冬の寒風にさらされて茎が地を這うようになり、これではとビニールシートで風よけを作り、つるがなんとか支柱に絡むように誘引をするもののなかなか上手くいかず、はじめてのことなので失敗かなと気弱になっていた。ところが暦が春を告げる頃からにわかに茎がどんどん伸び出し、白い花が満開の頃は背丈が2メートルになんなんとしていた。根元は細いのに上の茎の部分が太くなり、つるで絡み合って全体が巨大な生き物のようになる。だから強い風が吹くと、ひとかたまりとなって倒れかかろうとする。しかし倒れかかる方向に丈夫な支柱を一、二本立てるだけでこれを防ぐことが出来た。

この生い茂った姿を見ると「豊」という文字を自然に連想する。その旧字は「豐」で、いかにも豆の茎が密集している姿を表しているように見えるからである。しかしこの文字はまず「豆」が高坏の器を表し、この器に多くの禾穀(穀類の総称)が盛られている様を表し、それがひるがえってゆたかなることを意味するようになったのである。では高坏の器である「豆」がどのようにして現在の意味である「まめ」を表すようになったかというと、「全訳 漢字海」では『先秦までは「菽(しゅく)」がマメ類の総称であったが、本来は高坏の意であった「豆」字がマメの意味に仮借されてきて、漢代以降「豆」がマメ類の総称となった』と解説されている。

話が横に逸れたが、ちょっと目につくだけでもこれだけマメを摘むことが出来た。「絹サヤの卵とじ」を作ることにしよう。「みどりの日」、中途半端にするもしないも心がけ一つのようである。