5月15日にYouTubeにアップロードした一弦琴「夜開花」は琴糸屋さんで特別に作って頂いた糸を張ったものだった。特別に、との思いがあったものだから落ち着いた音色をそれなりに気に入っていた。ところがあることから、新しい糸を本来の意図とは異なる使い方をしていたことに気付いたのである。
一弦琴を習い始めた頃、開放弦の音を調子笛の「D」に合わせていた。音程が低くて私には唄いにくかったけれど、お師匠さんに訓練すれば低い声が出るようになります、と言われて少しは努力したが、しんどいだけであった。何年かたつうちに、「D#」で合わせることは認めていただいたが、私が唄いやすいのは「F]、歌によっは「F#]である。いつかは自分の声に合わせた調弦をしたいと思っていたが、お師匠さんから離れてそのチャンスがやって来たのである。
これまでの糸でたとえば「F」に合わせると、糸が細いだけにキンキンした音になってしまう。そこでもう少し太めの糸を使えば張りを少々強くしても余韻のある音が出るだろうと考えたのである。まず少し太めの三味線の糸を試してみたが、低音の魅力に惹かれとことと、太い糸を強く張ることへの抵抗感から、調弦の基準音は上げたものの現実には1オクターブ下の音を出すように調弦したのである。
このようなことがあったので、これまで長年使ってきた糸よりも太い糸をせっかく作ってもらったのに、張りを強くしてより高い音域の音を出すべきところ、かえって張りを弱くして目指す音域より1オクターブ低い音を出していたのである。そして声域は1オクターブ上げていた。ところが張りを弱くしたせいで、従来の糸で合わせた徽の位置とかなり異なるところに勘所が移ってしまう。何かがおかしいと思うようになったが、最初の意図をころりと忘れていたのである。ところがつい最近、これまでの糸に張り替えて演奏する機会があって、その糸の張り具合が新しい糸の張り具合と余りにも違うことに気がついたのである。肌の弾力にたとえると乙女と媼以上の違いがある。その瞬間、そうだ、張りを強くして高い音でもきれいに出せるように太めの糸を作ってもらったのだとの本来の意図を思い出したのである。下は新しい張りでの演奏である。以前の演奏もしばらくは比較のために残しておくことにした。ゆくゆくは、曲に合わせて糸の種類、張り方を選んでいくのもいいなと思いはじめている。
一弦琴を習い始めた頃、開放弦の音を調子笛の「D」に合わせていた。音程が低くて私には唄いにくかったけれど、お師匠さんに訓練すれば低い声が出るようになります、と言われて少しは努力したが、しんどいだけであった。何年かたつうちに、「D#」で合わせることは認めていただいたが、私が唄いやすいのは「F]、歌によっは「F#]である。いつかは自分の声に合わせた調弦をしたいと思っていたが、お師匠さんから離れてそのチャンスがやって来たのである。
これまでの糸でたとえば「F」に合わせると、糸が細いだけにキンキンした音になってしまう。そこでもう少し太めの糸を使えば張りを少々強くしても余韻のある音が出るだろうと考えたのである。まず少し太めの三味線の糸を試してみたが、低音の魅力に惹かれとことと、太い糸を強く張ることへの抵抗感から、調弦の基準音は上げたものの現実には1オクターブ下の音を出すように調弦したのである。
このようなことがあったので、これまで長年使ってきた糸よりも太い糸をせっかく作ってもらったのに、張りを強くしてより高い音域の音を出すべきところ、かえって張りを弱くして目指す音域より1オクターブ低い音を出していたのである。そして声域は1オクターブ上げていた。ところが張りを弱くしたせいで、従来の糸で合わせた徽の位置とかなり異なるところに勘所が移ってしまう。何かがおかしいと思うようになったが、最初の意図をころりと忘れていたのである。ところがつい最近、これまでの糸に張り替えて演奏する機会があって、その糸の張り具合が新しい糸の張り具合と余りにも違うことに気がついたのである。肌の弾力にたとえると乙女と媼以上の違いがある。その瞬間、そうだ、張りを強くして高い音でもきれいに出せるように太めの糸を作ってもらったのだとの本来の意図を思い出したのである。下は新しい張りでの演奏である。以前の演奏もしばらくは比較のために残しておくことにした。ゆくゆくは、曲に合わせて糸の種類、張り方を選んでいくのもいいなと思いはじめている。