9月17日 山梨県北杜市長坂町に「渋沢」という集落があるそうです。友人のヒサコさんが「渋沢」を訪ねて、写真を送ってくださいました。
渋沢集落はヒイラギモクセイで知られているようで、「渋沢のヒイラギモクセイ」は山梨県指定の天然記念物になっているんですって。
私、ヒイラギモクセイなんて知らなかったので、Wikipedia で見たら、こんな植物でした。
・・・「山梨の渋沢」と、かの渋沢栄一を生んだ「埼玉の渋沢一族」とは関係ないように思えますが、実は大ありなのです。埼玉県深谷市血洗島には昔から、数家の渋沢家がありました。いちばん古いのが「遠西の家」、いちばん大きかったのが、私の父の生家「東の家」、栄一が生まれたのが「中の家」です。では、その渋沢一族はどこからやってきて、血洗島に定住したのか?
・・・「山梨の渋沢」と、かの渋沢栄一を生んだ「埼玉の渋沢一族」とは関係ないように思えますが、実は大ありなのです。埼玉県深谷市血洗島には昔から、数家の渋沢家がありました。いちばん古いのが「遠西の家」、いちばん大きかったのが、私の父の生家「東の家」、栄一が生まれたのが「中の家」です。では、その渋沢一族はどこからやってきて、血洗島に定住したのか?
武田勝頼
「渋沢一族の先祖は甲斐の武田の家臣」とする説が最も有力です。山梨の長坂町の辺りを領土としていた武田方の武将だった渋沢一族は、武田勝頼(信玄の子)が、織田・徳川連合軍に敗北し、自害し果てた後、落ち武者となって上州から本庄にたどりつき、その後、血洗島に定住したと言われます。・・・渋沢のルーツのルーツ、山梨の渋沢にも、1度行ってみたいな。
イスタンブルの新刊出ました
トルコ文学(史)研究者の宮下遼さんが、新刊「物語 イスタンブールの歴史」を送ってくださいました。タイトル見ただけで、わくわくです。すぐに「はしがき」を読んで、「イスタンブールはそれを観る者、語る者によってその姿が千変万化する都市・・・」という1行に、大いに共感。「あとがき」の冒頭、「・・・イスタンブールの都市の空気は実に濃密で、驚くべき多声性を孕んで私たちにその歴史を語りかける。」に、また共感。
「物語 イスタンブールの歴史 「世界帝都」の1600年」
宮下 遼著 中公新書 920円+税
「物語 イスタンブールの歴史 「世界帝都」の1600年」
宮下 遼著 中公新書 920円+税
さあ、読むぞと、新書をバッグに入れて、まず大好きな熊野神社まで歩いて、帰りにカフェで読みだしたら・・・止まらない。
ヒガンバナ咲きはじめた
よそのお宅のヒガンバナ見て、高幡不動のヒガンバナはどうかなと、電話してみたら、「20日ころが見頃ですよ」と教えてくださいました。今日届いたアライさんのお便りに添えられていた一句。
彼岸花 父母のこと 思ひけり
彼岸花 父母のこと 思ひけり
大急ぎでつくったご飯
鶏の手羽先の甘辛照り焼き。コラーゲンたくさんとった気分。
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