木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

65回目の終戦の夏

2010-08-16 00:35:56 | インポート
見上げる空の色は今もあの当時も同じであったろう。
65年目の終戦記念日の夏、私は呉の港を散策した。強
い陽射しが今と同じように突き刺さる中、当時の人々は
終戦を迎えた。

呉は当時、日本海軍屈指の軍港で呉海軍工廠があり呉鎮
守府が設けられていたため、連合軍から戦争末期に14
度に及ぶ空襲を受け、多数の市民が犠牲になり呉の街も
壊滅的な被害を受けている。
かつての呉海軍工廠は今は石川島播磨重工業に技術等が
引き継がれて、造船の鎚音を響かせ港には巨大なタンカ
ーが停泊している。また海上自衛隊があるため呉湾には
潜水艦や護衛艦が停泊している。

戦艦大和はこの呉で極秘のうちに製造され、沖縄に自爆
に向かう沖縄特攻の最中、米軍の集中爆撃を浴び鹿児島
南西の沖に爆沈したが、その大和に関する資料等を展示
している大和ミュージアムに入った。当時の22歳23
歳辺りの若い乗組員がこの沖縄特攻で多数散っていく、
その為の家族への別れの手紙や遺書等が多数展示されて
あったが痛々しく、また胸を打つ。

彼らは何を守ろうとしたのか。多くの若い命が南西の海
に散っていった。追い詰められた戦時下に撃たなければ
撃たれる、そういう戦場に父母への想いを秘めて出撃し
ていく、その胸の叫びは言語に尽くし難いだろう。
まさに今日の平和な日常は当時の多くの老若男女の命の
盾の上に成立している事を自覚しないではいられなかった。

当時の人々が命に代えてまで守ろうとした国や未来は、
まさに今の世の中なのである。今この時代を生きている
私達の日常を見て、また度重なる児童虐待や突発的な殺
人事件、飽食の果てに大量に破棄される食料品の実態や
学級崩壊の様や崩れゆく教育現場などの姿をもし当時に
この国を守ろうとただやむにやまれず散っていった人々
が未来の中に見たとすれば何と嘆くだろうか。「こんな
未来を私達は託した筈ではない!」という魂の叫びが轟
いてくるようだ。

戦争は何もかもをも巻き込んでいき、総てを奪い去って
いく。当時の人々から見た未来に生きる私達は戦争をい
かに回避するかという事に知恵を使わなければならない
と同時に、当時散っていった人々が守ろうとした日本が
平和の中で堕落したという姿にならないように真摯にな
らなければならない。

終戦の日に胸が痛かった。

コメント
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