親しい知人の死亡した日の明くる日から、納棺・通夜・出棺・火葬と流れるように行事は進んで行く。そして、今日、告別式を迎えた。現在では、70代後半の死は、少し早い様な気がする。しかし、精一杯勤めを果たした彼女の死顔は、にこやかで荘厳なまでに美しい。
自分も同世代であり、死という現実を思いっきり知らされた。彼女のように眠ったまま死ねることは、羨ましくも感じた事でした。生前の行いがその顔に、凝縮されているようでもある。一年ほど前、癌で苦しみ抜いたある人の顔は、二度と見られぬ容貌であった。昨晩の通夜での若い坊さんの法話も、新鮮で印象が良い。お通夜は、お坊さんの説教が聴けるので、密やかな楽しみでもあり、勉強になる。最近は、お坊さん達も説法を、工夫しているようである。こんな心境になるのは、自分も年老いたせいかな? 近所の親しい人びとが、一人欠け、二人欠けして逝くのは寂しくもある。ここ保原町は、近所の人達が駆けつけて、自発的にお手伝いをする習慣がある。都会とは違って、日本の伝統が脈々と受け継がれている。すべて、葬儀屋に任せてしまう味気なさは無い。有難いことである。心から故人の冥福を祈ると共に、遺族の人達の今後の幸せを願う。合掌。