極東不動産の日記

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東北大震災と日本人

2011-04-30 19:08:44 | 日記・エッセイ・コラム

早いもので4月も今日で終わり。地震発生の3月11日から、無我夢中で過ごした歳月であった。当日は、生まれて始めての強震に度肝を抜かれた。帰宅の際、車が渋滞に巻き込まれ、初めて避難所(第一小学校)へ宿泊した。前にも書いたが、停電・ガスなし・水なしの生活の他、放射能渦に怯えた事でした。普通の平穏な日常生活が、如何に尊いものだったか思い知らされた。地震発生以降、東京電力は散々叩かれているが、そのお陰も随分受けている人もある筈である。更に、週刊誌によると現場(原発)の人々は、最悪の条件で奮闘していて、頭の下がる思いでもある。改めて、お亡くなった人にはご冥福を、被害に遭われた方々には、一日も早い復興を祈りたい。外にも、このような災害に遭ってなお、発揮された礼儀正しさ、秩序を重んじる心、他を思いやる心など、世界を驚嘆させ日本人の資質を誇りに思う。様々な体験をさせられた月日でもあった。


放射能汚染

2011-04-28 23:13:41 | アート・文化

昨晩、町内の集まりがあった。或るお医者様から発言が有り、放射能汚染は心配いらないと言うお話があり、一同ホッとした。理由はかって、アメリカとソ連の冷戦時代、物凄い数の核実験が行われた。当時から見ると、撒き散らされた放射能は、現在の数値は問題にならないと言う。その通りと思うが、測定器で測ると地上1センチでは高い数値が出る。郡山市では幼稚園も砂場の土を、はぎ取り入れ替えたとも聞く。原発が完全に収束されて無い現在、子供や若い人は、注意するに越した事はないと思うが? 困った問題でもある。


東北地方大震災と日常生活

2011-04-25 18:12:55 | アート・文化

今日で巨大地震のあった3月11日から、早いもので約1ヶ月半の日々が過ぎた。思い起こすと、当時は生まれて始めての凄まじい地震であった。一瞬にして、ライフラインが停止した。やがて、1週間から10日にかけて、電気が灯り、ガス・水道が復旧した。全国の仲間から救援物資が、どんどん届きはじめた。その友情に心から感謝で一杯である。特にアパマンショップの大村会長は、東北地方の全ての加盟店舗を、慰問品を携えて回り、訪問されて激励された。振り返ると、今日までアッと言う間の出来事の様に思える。蛇口を捻れば飲み水が出て、風呂にも毎日入れる日々の日常生活が、どんなに素晴らしいことか、今回ばかりは、改めてしっかりと思い知らされた。沿岸部の被災された方に比べれば、人的被害の無い我々は、申し訳ない気がしている。仕事も、20キロ~30キロ範囲である南相馬外から、避難される人達の斡旋に忙しくなった。今、桜の花も満開である。普段の生活に戻ることが、復興への貢献になるのではと考えている。




東北地方大震災と不動産取引

2011-04-22 19:52:02 | アート・文化

例年だと繁忙期は3月に集中するのが、今年は大震災の為、4月までずれ込んで居る。沿岸部の人々が多く、大半は賃貸物件である。原発が安定しない為、売買は極端に少ない。それでも徐々にではあるが、問い合わせが増えて来た。東京電力から原発の収束予定が示された為か、商談が増えて来た。人心の安定と時間の経過が落ち着きをもたらしてくれたのだろうか?被災地でも力強い復興の兆しが見えて来て居る。早く正常に戻って貰いたいものである。


東北大震災と鯉のぼり

2011-04-18 19:39:04 | 国際・政治

今日、テレビの国会中継を見ていたら、野党の質問に対して、与党の先生方は、具体性の無い抽象的な答弁に、終始している感じであった。日時が経過するほど損害額が、途方も無い金額になりそうで、財源のメドなど付けられないことは、素人でも予想できる。それにしても、こんな重大な時期に、能力の伴わない人々が、政権を運営する羽目になったのだろうか? その代わり現場で懸命に励んでおられる東電の社員、警察官、自衛隊員、消防署員など、我が身を犠牲にして努力している姿には、心から頭が下がる。まもなく端午の節句が来る。テレビを見ていたら、瓦礫の山と化した陸前高田の荒野に、3本の鯉のぼりを立てた方が居る。子や孫の健やかなる成長を願って、瓦礫の中から拾い集めて立てたのだろう。 その光景を見て、ジーンと来たのは私だけでないだろう。「乗り越えられない壁」など、神様は人間に与えないとも言う。その鯉のぼりに、東北人の何ものにも負けない強靭さを見た思いである。必ずや日本は復興できると確信する。