早いもので、とうとう大晦日になった。今年は、あらゆる点で、まさに激動の一年でもあった。秋葉原事件に見るような社会不安や、リーマンブラザースの倒産、派遣切りなど、百年に一度といわれる大不況と言われる年で、終わろうとしている。今年のニュースを振り返って見ると、日本人の資質が問われる感がある。田母神前空幕長が指摘された自虐史観が、戦後余りにも、長く続いたため、日本人の自信を、しっかり失わせたようである。しかし、今年は2っも明るい話があった。その一つは、以前にも、このブログで書いたが、旧帝国海軍の駆逐「雷・いかずち」艦長・工藤俊作中佐の物語である。彼のことが、今日、配達された20年間愛読している「致知」という購読誌に掲載されていた。作者はジャーナリストの恵隆之介氏である。恵氏の書いた文を、そのまま転載する。標題は、「旧敵に「師」と仰がれる日本人の生き方」というもので、太平洋戦争時、昭和17年・スラバヤ沖海戦で、撃沈されたイギリス艦船の漂流者・422名を救助した帝国海軍の中佐の物語である。小さな駆逐艦に、乗員220人の2倍近い将兵を、乗艦させた上に、敵兵である彼らを、ゲストとして厚くもてなしたという話である。この事実は、最近まで誰も知らなかったという。恵氏が必死に調べて、報道したものである。それによると、救助した英兵(英国海軍士官)の中に、フォール卿がいた。仔細は、致知誌に譲るが、フォール卿が、工藤艦長の顕彰会に参列した時、述べた言葉「武士道とは、日本人の道徳の規範だった。そして戦いにおいては、勝者は敗者の健闘を讃え労わることが、武士道の基本である」と。恵氏は、述べている。工藤中佐の生涯は、今の日本人が失った武士道精神、誇りそのものと。さらに、これを今回、旧敵英国海軍士官によって、逆に日本人が教示されたと書いている。現在、大不況だ、どうしよう、困ったなどと、大騒ぎしているのは、情けない気がする。320万人といわれる、あの大戦の犠牲者の上に、われわれ国民の幸せが成り立っていることを、思わずにはいられない。その二は、12月30日の産経新聞3面に載った記事だが、「日本軍医の美談」削除という題で、NPO法人(日本語教材)編集教材から、中国側によって、削除されたこと。(あの長崎で原<shapetype id="_x0000_t75" stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"> <stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f></formulas><path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></path><lock aspectratio="t" v:ext="edit"></lock></shapetype><shape id="_x0000_i1025" type="#_x0000_t75" style="WIDTH: 133.5pt; HEIGHT: 48pt"><imagedata src="file:///C:Users岩瀬AppDataLocalTempmsohtmlclip11clip_image001.emz"></imagedata></shape>爆に被爆しながら、多くの怪我人を治療した永井隆氏の話である)1929年に、軍医として、中国に渡り、一年間で4000人の中国の人々を助けたそうである。この話を中国側が削除したことである。この教材は、来春、韓国・台湾では、削除されずにそのまま、出版されるとのことである。この二つの報道を見て、勇気を貰ったのは、私ばかりでないと思うが? 大晦日によせて~
恵隆之介著「敵兵を救助せよ!」(草思社)「海の武士道」産経新聞出版の購読をお勧めしたい。