鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や    伏見の酒蔵をデジカメ散歩

2013-01-27 20:04:57 | 日記
関西で日本酒といえば神戸の灘と京都の伏見ちゅうことになりますんや。

灘は男酒 伏見は女酒と呼びまんねんけど、ご存知かしら。

伏見の水は軟水で柔らかい味の伏流水が北山から流れてきてるんやそうな。

土曜日に京都の伏見まで行ってきましたで。


(近鉄 桃山御陵前駅)


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近くに明治天皇と昭憲皇太后さんの御陵がおますんや。

明治天皇伏見桃山御陵と昭憲皇太后の伏見桃山東陵が並んでますね。

明治天皇さんは確か京都のお生まれで、遺言により京都に葬ったそうでんな。

昔の伏見城の本丸跡になるとか聞きましたけど。

ほな~ 酒蔵巡りに出発しまひょ。


(酒蔵を利用した  鳥せい本店)


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ここは有名な焼き鳥のお店でっせ、開店の11時半過ぎに行ったら
もう早くも行列でんがな、食べるのを諦めましたわ。

 
(伏見の 酒蔵)


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(黄桜酒造さん)


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(黄桜酒造さんの 伏水)


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昔は伏水(ふしみ)と書いたのが伏見と言うようになったようでんな。

お酒には良い水が命でっさかいに神戸の灘も宮水とか呼んでるようですわ。

ここ伏見にも北山から流れたきた伏流水がこの辺りで地上に湧き出したり
井戸を掘って汲み出出すことが出来るのでお酒の産地になったんでっしゃろな。

飲んでみたら柔らかな軟水で美味しかったでっせ。


(酒蔵と宇治川の支流)


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この辺りでは「月桂冠」が一番古くて有名な日本酒のメーカーさんでっかな。

月桂冠大倉記念館という一般公開している所へ行ってみまひょ。


(月桂冠 元の本店だったそうな)


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現在は月桂冠のお酒や酒の粕などの直売所に使われているようでんな。

伏見は昔は城下町だったんで名残が残っているのか
道はあちこちで曲げて作られてますんや。

ここも月桂冠さんの前で二回折れ曲がってますわ。



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酒蔵を改造して日本酒の手順や昔の器具などを展示して一般公開してまんねんで。

大人300円でっけど、観光バスもここが立ち寄りの定番のようでんな。



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月桂冠大倉記念館の横は現役で使われている酒造の工場のようでんな。

江戸時代は寛永年間創業の伏見では宝酒造と並んでの大手メーカーさんだっせ。



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(月桂冠さんの井戸)  (さかみづ)


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(月桂冠さんの 江戸時代の帳場を復元)


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それじゃ月桂冠大倉記念館の展示品を羅列してみまひょ。



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(酒米を洗う井戸と 洗い桶)


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(昔はこんな機械で 日本酒を絞り出したようでんな)


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(酒樽に焼印を入れる 焼きゴテ)


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(江戸時代には笠置屋さんと言われたようでんな)


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やはり見学者には展示品を見るよりはお酒の試飲がお目当てでっしゃろな。

わてもお替りして日本酒の大吟醸を6杯ぐらいよばれましたで。


(月桂冠の 試飲)


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(月桂冠さんの酒蔵を背景に1枚)


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(観光用の本にも載っている 撮影ポイント)


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(宇治川の派流)  (宇治川の支流でんな)


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(観光用の十石船)


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春から秋まではこの川にも水を引き入れて観光用の船で酒蔵巡りするようでんな。

流石にこの寒さでは誰も乗らないから休業ですわ。

次回は江戸時代に伏見の船宿だった寺田屋へ行きまひょ。

坂本龍馬はんが襲われた時にお竜さんが裸で風呂から飛び出して
龍馬に危険を教えたという逸話をご存知でっしゃろ。

幕末に尊皇攘夷の薩摩藩士が9名打ち死した寺田屋事件ちゅうのもおましたな。

ほな~ 今日はこれで失礼させてもらいまっさ。
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鉄ちゃん爺や    めじろの餌付けに成功

2013-01-24 19:20:28 | 日記
我が家ではミカンが腐りかけたら梅の枝に刺してやります。

何処で見ているのかしら、10分もしない内に番(つがい)でやってきますな。


(めじろの餌付け)


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私にも食べさせてともう一匹やってきましたよ。

大人しく下で待機してますね。

めじろは雄も雌も同じ色をしているので区別が付きませんな。



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ヒヨドリが来たら逃げますが近くの寒椿に隠れて様子をみていますな。

鉄ちゃん爺やの出番でヒヨドリを追っ払う係なんですよ。

ヒヨドリにかかったらミカンが一気に食べられてしまいますからね。



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(我が家の庭の 寒椿)


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ミカンがない時はこの寒椿の花に嘴を入れて蜜を吸ってますよ。

でもやはりミカンの方が甘いのでメジロちゃんはお気に入りのようですね。
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鉄ちゃん爺や    石光寺の寒牡丹を訪ねて (続編)

2013-01-19 16:04:40 | 日記
ほな~ 石光寺(せっこうじ)続編をやらせてもらいまひょ。

このお寺は7世紀に天智天皇の勅願で設けられたとの伝説がおますんや。

なんでも光る石が在るとの噂で掘り起こさせたた処、弥勒如来が現れたそうな。

それで石光寺というお寺の名前が付けられたようでんな。


(阿弥陀堂) (石光寺の本堂かしら?)


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ここ石光寺は本堂もそんなに大きくはなく建物も古いように思いまへんな。

明治時代か古くても江戸時代後半のように感じましたけど。


(弥勒堂)


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普段は弥勒堂は秘仏が安置されてますんで、扉が閉まっているんですよ。

今年は寒牡丹の咲く1月31日まで特別公開がされているようでんな。


(秘仏 弥勒如来座像)


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仏教のことは、よう分かりまへんのやけど弥勒如来さんは5億6千万年後に
この世に現れる未来仏だそうでっせ。

普通は弥勒菩薩さんが多いんでっけど、ここは悟りを極めた弥勒如来さんですわ。

もう一つの阿弥陀如来さんも普段は拝めないらしいので貼り付けて置きま。


(阿弥陀如来座像)


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他所のお寺だったら秘仏なんて撮影禁止が当たり前でっしゃろ。

ここの住職さんのお年は、わてとあまり変わらへんと思いまんねんけど
大変に開けた方でブログやツイッターまでやりながら公開されてはりまっせ。

興味があったら覗いて上げてくださいね。


(石光寺 住職さんのブログ)

http://sekkouji.or.jp/


この日は阿弥陀堂の本尊の前でジャズのライブまで招かれて公演されてましたがな。

この阿弥陀堂には平成3年に出土した石仏の弥勒如来さんがおまんねんで。

弥勒堂を改築するに際し調査したら石仏が地中に埋められていたそうですわ。


(白鳳期の石仏) (7世紀作成の弥勒如来?)


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奈良県の調査によると日本一古い石仏だとのことですわ。

この石の素材は二上山の岩石で古墳時代の石棺にも使われたようでんな。

まだ重要文化財の指定を受けてないので、手で触ることも出来る状態で
裸のままで展示されているのには驚きましたがな。

鎌倉市のお寺には、この弥勒如来が白鳳時代に三つの石に分かれて出土したとの
古い絵巻物が保管されているそうだっせ。

それが何故に~ 鎌倉時代に弥勒堂の地中に埋め戻されたのかは不明でんねん。

他にこのお寺には奈良時代の中将姫の伝説も残ってまっせ。


(中将姫伝説の 染の井戸) (石光寺境内)


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この方は右大臣・藤原豊成の娘でここから800mぐらい南に在る当麻寺で
仏門に入られたそうですわ。

ある日、ここ石光寺の井戸で糸を浸してそばの桜の木に掛けられたそうな。

翌朝にこの糸が五色に染まっていたそうで、中将姫はこの五色の糸で
当麻曼荼羅を織られたとの伝説がおまんねん。

この桜を「糸かけ桜」と呼びこの辺の字名も染野というようになったそうですわ。

聖武天皇の西暦750年頃の伝説だそうな。


(中将姫の山居座像)


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春の牡丹はここ石光寺よりは当麻寺の方が有名で規模も大きいんでっせ。

当麻寺は塔頭も多く、国宝の五重塔や本堂も残っていて
ここにも同じように中将姫の伝説が有りまんねんで。

近鉄の駅前では「中将餅」というヨモギの草餅まで売ってまっせ。


(多宝塔の基礎石) (石光寺 南門付近)


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このお寺は一度寂れてしまった時期があったようで江戸時代中期に
再建されたのか石灯篭も享保時代の物が残っているだけでしたわ。

でもこの多宝塔の基礎石は薬師寺の塔と同じ形式の三段に掘り込まれた
奈良時代前半の物だそうでっせ。

中世の戦乱で焼けたか壊れてしまい基礎石だけが残っているようでんな。

底に三つの穴が見えてまっしゃろ、仏舎利を納める穴やそうでっせ。

石光寺の寒牡丹以外にも咲いていた花を貼り付けて置きまひょ。


(蝋梅と寒椿) (石光寺境内)


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我が家ではまだ蕾が堅いんでっけどここは早くも咲き始めてまんな。


(水仙)


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(おもと)


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(山茶花でもないような花)


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帰ってから「寒あやめ」ちゅうのが有ると分かったんでっけど、内の奥さんが
アイリスだというのでカメラで写し損ないましたがな。

お寺のパンフレットを確認しなかった鉄ちゃん爺やの失敗ですわ。

この石光寺には春になると芍薬(しゃくやく)や紗羅(しゃら)に春牡丹
まもなく紅梅や桜なども見ることができまんな。

住職さんは少しずつ花を増やしながら年間通して花が咲いているお寺を
目指してはるように感じましたで。

特に牡丹は2700株で国内は勿論のこと中国やフランスやアメリカやカナダから
取り寄せて今も増やしてはりますそうな。

芍薬も珍しいアメリカ芍薬を中心に500株ぐらい植えられていましたで。

ほんなら~ 今日はこれで失礼させて貰いまひょ。  さいなら~
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鉄ちゃん爺や    石光寺の寒牡丹を訪ねて

2013-01-16 20:03:40 | 日記
寒い12月~1月に咲く寒牡丹は華やかさには欠けまっけど良いもんでっせ。

電車と徒歩で約45分ぐらいの所に石光寺(せっこうじ)というお寺がおまんねん。


(国道165号線の 道路標識)


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此処は奈良県の葛城市で万葉集にも登場する二上山の東山麓になりまんな。

春の牡丹シーズンには近くの当麻寺と並んで観光客が多いお寺だっせ。

石光寺(せっこうじ)は春の牡丹も有名でっけど、寒牡丹で知られたお寺でんねんわ。


(石光寺 遠景)


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お寺の背景に見えているのが二上山の雄岳でんな、雌岳はお寺の屋根に邪魔されて
少しだけしか見えてまへんけど双頭の頂きを持つ優雅な山でっせ。


(石光寺 山門)


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お寺自体はそんなに大きくは無いんでっけど、牡丹を中心に庭が広いでんな。

7世紀に創建されたお寺でっけど阿弥陀堂などはそんなに古くは見えまへんけど。


(石光寺境内  想観の沙)


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四角い方は私たちを表しているそうで

丸い方が大日如来さんを表しているそうでっせ。

ほな~  寒牡丹を観て廻りまひょ~


(石光寺境内の 寒牡丹)


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春ボタンより華麗さはないですが、寒い時期に自然に芽生えて可憐な花を
咲かせる寒牡丹には冬の風景に温かみを感じさせてくれまっしゃろ。

此処の寒牡丹は戦争中には非国民だと言われながら、先々代の住職が密かに
寒牡丹を守り通して、現在まで種の保存をされた結果だそうでっせ。



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他所では春ボタンを鉢のまま温室で促成栽培し蕾が膨らんだら外へ出し
寒牡丹と称して公開してまっけど、これはニセモンの寒牡丹だっせ。

温室で育てたボタンは「冬ボタン」と呼ぶのが正式なんだそうな。

「冬ボタン」は春だと間違って咲く訳で葉っぱも春と同じように沢山と出まっせ。

本物の寒牡丹は画像のように葉っぱがほとんどこの時期は出まへんな。

ここ石光寺の寒牡丹は古来の品種で12月~1月の冬に咲くと同時に
5月頃にもう一度咲く珍しい品種なんだって。

春にもう一度咲くときは同じように葉っぱも茂りまんな。

藁の帽子を被せて雨や霜を防ぐことはしまっけど、自然に咲くのを待つんで
春ボタンのように一斉に咲くこともなく、咲かない事もあるそうですわ。


(藁の帽子を被った寒牡丹は 冬の風物詩ですよ)


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このお寺の秘仏と寒牡丹以外の花は次回に貼り付けさせてもらいまひょ。

ほな~ 今日はこれで失礼させてもらいまっさ、さいなら~
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鉄ちゃん爺や    超高層ビルの小話  続編

2013-01-12 16:15:22 | 日記
ほんなら~ 超高層ビルの平成以降の話をさせてもらいまひょ。

バブルの時代に上野駅付近で300mのビルを建てるとかの話はおましたんや。

でも~ バブルが弾けて何時の間にか中止になったようですわ。

サンシャイン60を追い抜くビルは平成になって、やっと西新宿にできましたんや。


(東京都庁第1本庁舎)  (48階)(243m) (平成3年完成)


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この東京都庁もバブルの絶頂期に計画され、完成した時にはバブルが弾けてましたな。

この後、東京都では文京区が142mの練馬区が98mの区役所を建てはりましたんや。

都民の税金をつぎ込んでこんな立派な区役所がいるんやろか?

そんな悪口が囁かれたのもバブルが弾けたことによる結果論ではおますけど。

この日本一になった東京都庁第1本庁舎も二年で首位を譲ることになりますんや。

ちなみに、東京都内では港区にミッドランドスクエアが平成19年に完成して
東京都庁第1本庁舎は追い抜かれて都内では第二位に転落してまんな。

西新宿三丁目に338mのビルを建設するとの計画はおますんやけど
まだ用地の買収も終わってないとか、当分は完成せいへんと思いまんねんけど。


(横浜 ランドマークタワー) (70階)(296m) (平成5年完成)


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このビルは設計の段階では300mを超える計画だったそうですわ。

そやけど~ 航空法によると羽田空港の着陸・離陸の進入通路に当たりまんねん。

航空法によると滑走路の中心点(標点)から24km以内で特に離陸・着陸の
進入通路方向は厳しく建築物の高さが制限されますんや。

この地点の最高制限高さは295mのはずやと思いまんねんけど、設計の
修正や話し合いで296mで建築許可がでたんでしょうな。

東京スカイツリーや東京タワーが300mを超える構築物ながら許可が下りたのは
羽田空港の着陸・離陸のコースから外れていたのが幸いしたようでっせ。

この横浜ランドマークタワーは2015年に完成する「あべのハルカス」に
追い抜かれて21年間守ったトップの座を交代することになりまんな。

同じ平成5年に大阪を眺めてみたら市内の弁天町にORC200と称して
ホテルベイタワー大阪がやっと200mを5cmだけ超える超高層ビルが完成ですわ。

ここも伊丹空港の着陸・離陸のコースから外れていたので200mを超える
建築許可が下りたちゅうことになりまんな。

今でも大阪駅付近や大阪城付近は航空機の着陸進路に当たりますんや。

だから大阪駅前では180m~190mぐらいが高さ制限の精一杯でっしゃろな。


(大阪府咲洲庁舎) (55階) (256m)  (平成7年完成)


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この超高層ビルは完成した頃は大阪市の第三セクターが運営するWTCビルと呼び
南港地区の活性化を図る中核のビルと位置づけられていました。

ところが~ ご多分に漏れずバブルが弾けてテナントも集まらず大きな赤字を出し
平成21年3月に643億円もの負債を抱えて倒産しましたんや。

大阪市が当時の府知事だった橋下さんに泣きついて大阪府が買い取ることになり
橋下さんも耐震に問題のある府庁舎をここへ全面移転する考えでしたんや。

処が東日本大震災で内装に被害が出て、今後に予想される南海地震による
南港地区の被害を考えると一部の部署だけを移すしかできませんでした。

大阪府は高い買い物をさせられて中途半端な大阪府咲洲庁舎になりましたんや。

このビルが西日本で一番高かったのはたった1年間だけでしたわ。


(りんくうゲートタワービル) (55階)(256.1m) (平成8年完成)


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この超高層ビルは関西空港の対岸に大阪府の第三セクターが造った物でんねん。

現在も横浜ランドマークタワーに次ぐ高さが日本で第二位の超高層ビルでっせ。

大阪市がWTCビルを建てるので、大阪府も負けじと関西空港と泉南地区が将来の
ハブ空港だと囃して、それもWTCより10cmだけ高い超高層ビルを造ったんですわ。

大阪市には負けたくないので10cmだけ設計を変更したんやそうな。

当時の大阪府と大阪市の変な対抗意識がこんな税金の無駄使いを招きましたんや。

ご多分に漏れずこちらも倒産して現在は不動産管理ファンドに売られてしまいました。

こちらも負債463億円にこれからの10年間で30億円の出資だそうだっせ。

地元の泉佐野市は第二の夕張市となりそうな大赤字で「泉佐野市」という町の
名前まで売りに出したけど結局は売れなかったとの笑い話。

この二つのビルだけで1100億円を超える税金が消えて無くなりましたや。

こんな大阪府民や大阪市民を馬鹿にしたような税金の無駄使いもおまして
「大阪維新の会」が支持を取れたんとちがいまっしゃろか?

他府県の方には理解できまへんやろけど、大阪府や大阪市を公務員に任せてたら
大阪府や大阪市が今度は倒産するとの深刻な危機感がおまんがな。

だから~ 少々は厳しいやり方でも橋下さんや松井はんなら、やってくれそうだ。

大阪府と大阪市を一つに纏めてムダを防ぐのも賛成やとなったんでっしゃろな。

大阪市の職員組合は抵抗しまっしゃろが、そんなことは論外だ
もっと徹底的に改革をやれというのが選挙結果にも出たんと違いまっしゃろか?

今回の桜宮高校の不祥事も教育委員会と先生や市職員の馴れ合いの結果だっせ。

この際は徹底的に教育委員会や先生方のウミを出し切ってほしいでんな。

最後は、超高層ビルの話が大阪府と大阪市の話になってしまいご免だっせ。

ほな~ 今日はこれでお仕舞い  さいなら~


(追伸)

大阪の中央区に2011年(平成23年)に日本で一番高い高層マンションが
出来てますんで最後に画像を貼り付けておきまっさ。

元は三越百貨店があった高麗橋の堺筋に面した1等地なんですわ。

最上階の部屋はなんでも5億8千万円で売り出されたそうだっせ。

どんなお方が住んではりまんねんやろ、興味がおまんな~


(The Kitahama )(北浜タワー)(54階) (平成23年完成)


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鉄ちゃん爺や    超高層ビルの小話  パート1

2013-01-07 20:06:51 | 日記
日本では100mを超えるビルを「超高層ビル」と呼んでいるようでんな。

2012年(平成24年)現在で100mを超える超高層ビルは
日本全国には約800棟あり建設中の物も数多くあるそうだっせ。

大阪市内であべのハルカスが2015年完成を目指して建築中で
これが竣工すると300mで日本で一番高いビルになるそうですわ。


(建設中の あべのハルカス) (高さ300mに到達していますよ)


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驚くなかれ外国では500mを超える超高層ビルだけでも15棟もおまんねんで。

現在世界一のビルは(UAE)のドバイに在る ブルジュ・ハリア 828m

     第二位が(インド)ムンバイに在る インディアタワー 700m

日本では優秀な建築技術が有っても航空法や建築基準法が厳しくて許可がでまへん。

あの中国でも600mを超えるビルが2棟、500mを超えるのが3棟おまんねんで。

韓国でも556mのビルがソウルに在り、北朝鮮でも330mのビルがおまっせ。

高いだけが能じゃおまへんけど一寸悔しい気分にはなりまんな。

あべのハルカスが完成しても世界では150位~155位ぐらいでっしゃろか。

日本の高層ビルの歴史を調べてみましたんで、見てくれはりまっしゃろか。


(国会議事堂 中央塔)  (高さ65m) (9階) (昭和11年完成)


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1920年(大正9年)に出来た法律(百尺規制)によって日本国内の建物は
31mを上限とすると決められましたんや。

戦後に建築基準法が出来た後も31mは継続され変更されまへんでしたそうな。

1936年(昭和11年)に完成した国会議事堂が唯一の例外で65mおますんや。

逆に31mに上限が規制されたので東京・丸の内や大阪・御堂筋などで
高さが統一され美観的に優れたビルが並ぶ光景がみられましたんやけど。

東京オリンピックを控えて大都市の特定地区に限り31mを超えても良いとの
建築基準法が緩和されましたそうな。

東京オリンピック開催に1日=3万人を宿泊させるホテルが必要ということになり
大谷重工の大谷社長が千代田区にホテルを建設することになりました。

それが現在も健在のホテル ニューオオタニの本館だっせ。


(ニュー オオタニ本館)  (17階) (73m) (昭和39年完成)


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だから戦後も20年近く経った1964年(昭和39年)8月に日本一のビルが
やっと東京都内に登場したちゅうことになりまんな。

このビルが完成してから数年後に霞が関ビルの建設が計画されましたで。

これが当時の人を驚かす高さが147mという超高層ビルの始まりになりますんや。


(霞が関ビル)    (36階)(147m) (昭和43年完成)


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このビルは当時の容積を比較するときに霞が関ビル何杯分だとか言われましたな。

最近は東京ドームが引き合いに出されまっけど霞が関ビルの2.45倍だそうですわ。

片や大阪は高層ビルの計画が大変に遅れましたな。

何せ大阪城から大阪駅方向には伊丹空港への飛行機の着陸進入路に当たりますんや。

現在でも200mを超えるビルが許可されない厳しい航空法が残ってまんねん。

そやから関西で初めて100mを超える超高層ビルが出来たのは神戸市でんがな。


(神戸商工貿易センタービル) (26階)(107m) (昭和44年完成)


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1970年(昭和45年)に建築基準法の高さ制限が今までの特定地域だけじゃなく
全国で撤廃され世の中は超高層ビルの時代に突入することになりましたんや。

この時期から日本全国の地方都市にまで超高層ビルが広がりましたな。

大阪でも規制の厳しい御堂筋や大阪駅周辺を避けて大阪のゼネコン大林組と
竹中工務店が超高層ビルの建築にやっと取り掛かりましたで。

両者の建築競争は1ケ月の差で大林組が勝利を収めましたんや。


(大阪・大林ビル)  (30階) (119.8m) (昭和48年完成)


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大阪で初めて100mを超えるビルでしたので当時は遠くからでも黒い大林ビルが
よく見えてましたな。

最近は150m~200m級のビルが付近に完成して目立たなくなりましたけど。


(大阪・大林ビル1階 エレベーターホール付近)


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大林組はこのビルが完成してまもなく本社を東京へ移転し大阪は登記上の
本店として残されているようでんな。

東京スカイツリーは我が社が造ったと自慢そうに看板が置かれてまっせ。

大阪城や甲子園球場なども手掛けて大阪では竹中工務店と並んで名門でっしゃろな。

片や竹中工務店は船場のど真ん中に1ケ月遅れて大阪国際ビルを竣工させたんですわ。


(大阪・国際ビルディング) (32階)(125m)(昭和48年完成)


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こちらが1ケ月で大林ビルを追い抜いて大阪の高層ビル1位になりましたんや。

当時は船場で一番高いビルだと宣伝してましたな。

実際は大阪府で一番高いビルだったんでっけど。


(大阪・国際ビルディング1階  エレベーターホール付近)


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このビルには、わてがまだ30代の頃に2年間ぐらいトワイニング紅茶の片岡物産の
大阪支店が入ってましたんでチョコチョコあのエレベーターに乗りましたんや。

もう35年前のことでっけど今も同じ22階に居てはりまんねんな。



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よう~儲けさせて貰いました、35年前では知った方はいらっしゃらないでしょうな。

こうして大阪にも120m級の超高層ビルが出来始めたんでっけど
東京では同じ時期に新宿の高層ビルが200mを超えるビルを完成させてましたな。

日本で初めて200mを超えるビルは、わての記憶では新宿住友ビルでしたかな。

これが1974年(昭和49年)で確か52階建ての210mだったはず。

皆さんが三角ビルなんてニックネームを付けられてましたな。

そして1978年(昭和53年)に池袋に超高層ビルが出現しましたやろ。


(サンシャイン60)  (60階) (240m) (昭和53年完成)


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このビルには、わての友人が社長をしていた会社がおましたんで出張のついでに
よく立ち寄った思い出のビルちゅうことになりまんねんけど。

東京都では平成になるまでこのサンシャイン60が長いこと一番高いビルでしたな。

同じ頃に大阪では梅田地区にやっと140m級の超高層ビルができましたんですわ。


(大阪駅前第三ビル)  (34階) (142m) (昭和54年完成)


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この後は大阪城の東側に在った造兵工廠の跡地にOBPのツインビルが2棟でき
これが両方共157mで昭和の時代の終わりまでこれが大阪一高いビルでしたわ。

東京もサンシャイン60が東京都庁庁舎ができるまで昭和の終わりまで首位を守り
超高層ビルの建設ラッシュは、しばらく高さの競争が止まりましたな。

次は平成になってからの超高層ビルをやらせてもらいまひょ。

今日はこれでお仕舞いにさせてもらいま、ほな~  さいなら~
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鉄ちゃん爺や    綿業会館へ無断侵入の巻

2013-01-03 14:23:36 | 日記
大阪の船場に綿業会館と呼ばれるルネッサンス風のビルがおまんねん。

わてが30代の頃はこのビルを横目にして、お隣の得意先へ営業してましたんや。

そやからこのビルを観たら懐かしくて若い頃を思い出しまんねんけど。

このビルは1931年(昭和6年)12月に完成したそうですわ。


(綿業倶楽部の表札)


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下の方に何時の間にやら国の重要文化財に指定の銘板が架かってまんがな。

HPで調べたら関西で昭和の近代建築で初めて重要文化財の指定を受けたそうな。

ここは繊維関係のお偉さんしか入館できない社交クラブやと昔から聞いてましたんや。


(三休橋筋の レトロな街灯) (綿業会館の前)


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ここで見学者らしき数十人の団体さんを発見。

デジカメで外壁を写していたら団体さんは綿業会館へ入っていきまんがな。

わても~ 黙って入ってみようかなと 悪知恵を働かしましたんや。


(綿業会館 1階のシャンデリア)


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わあ~ 凄いでんな。

内部の壁は全て大理石でんがな。

奥の銅像が岡常夫さんでこの綿業会館創設の功労者ですわ。

絨毯も凄い年代物が敷かれてまっせ。


(綿業会館 1階ロビー)


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ここで受付のお嬢さんに見つけられましたんですわ。

「会員様じゃございませんよね~」

「写真は撮らせて貰えないんですか?」

「会員さま専用の倶楽部でございますので~」

やんわりと断られました、やっぱり~ あきまへんわ。


(綿業会館 南側から撮影)


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帰ってからHPで調べたら毎月第四土曜日に完全予約制の見学のみだって。

午前の1部が昼食付きで2500円  午後の2部が見学だけで500円

6ケ月前の予約で各々35名限定なので直ぐに締め切りになるんやそうな。

考えたらこの日は12月第四土曜日でしたので見学者がおられた訳ですわ。

 
HPからの受け売りでご免なはれ~

この綿業会館は東洋紡績・専務の岡常夫さんの遺言から始まったそうな。

1928年(昭和3年)岡常夫氏 死亡

「綿業発展の為に100万円を寄付する」

この100万円に繊維業界の有志が50万円を寄贈しての建設だったそうですわ。

今の貨幣価値に換算したら150万円=75億円になるそうでっせ。

同じ年に大阪市民の寄付で完成した大阪城天守閣が47万円だったとか。

大阪城天守閣の3倍のお金をつぎ込んだ綿業会館やから凄いと思いまんねんけど。

外から眺めたらそんなに貴重な建物だとは感じまへんやろ。

内装や調度品が今では造れないぐらい貴重な品々でお金に換算できないとか。


(綿業会館  正面入口)


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何せ大理石はイタリアからの輸入物だし談話室や会議室は全てが
デザインが異なっている重厚なルネッサンス風に造られているんだそうですわ。

1枚1枚が手焼きで作られた清水焼のタイルも使用されているそうな。

この辺りは大阪大空襲でほとんどが焼け落ちたと聞いてまんねん。

そやけど~ 綿業会館は耐火ガラスで覆われていたのでガラス1枚と
カーテン1枚が破損しただけでほとんど被害が無かったそうでっせ。

戦後は進駐軍に接収された時代もおましたけど、昭和の30年代には
繊維関係の法人や個人が会員となって運営されているようでんな。

この綿業会館が完成した1930年代は大阪が一番輝いた時代でっしゃろな。

イギリスを追い抜いて「東洋のマンチェスター」とも呼ばれましたんや。

大阪城の天守閣が登録文化財なのに、ここ綿業会館は国の重要文化財でっせ。

大阪が自慢できる戦前の文化遺産の一つとちがいまっしゃろか?

わても~ 予約して今年は是非とも、内部を見学したいとおもってまんねん。

今回は少しだけしか写真を撮れまへんでしたけど。

大阪にはこんな個人の寄付によって完成した建造物が多く残ってまっせ。

前回イルミで紹介した中之島中央公会堂や天王寺の市立美術館
それに大阪府立図書館や北野病院など。

昔の大阪商人は商売も上手だったけど私財を寄付して公共の建物を
後世の為に残すという偉い人物が多かったようでんな。

大阪城の天守閣も大阪市民の寄付だけで完成してまっせ。

予約が出来て内部が写せたら年内にでもブログに載せさせてもらいまひょ。

新年が始まったとこやのに、年内とはえらい先の話ですんまへん。

ほな~ 今日はこれでお仕舞いでおます  さいなら~


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鉄ちゃん爺や    巳年のお正月  謹賀新年

2013-01-01 14:03:19 | 日記
明けましておめでとうございます~

本年も宜しくお付き合いのほどと、お願いしておきますかな。

2013年(平成25年)の元日は大阪では晴天の穏やかなお正月ですよ。


(鉄ちゃん爺やの 年賀状)


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なにせ1996年製のプリンターですから年末はインク切れで慌てました。

ネットで少し高いけど注文しなければ売っていない廃番のインクでしたよ。

安いプリンターなら買えるお値段でしたが年末28日では如何んともなりませんな。

それでは~ 我が家のおせちを貼り付けて置きます。


(北海道 阿寒湖温泉 鶴雅さんの おせち)


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北海道ではよく知られた旅館だそうですが私は宿泊したことはありません。

広島に住む娘婿(JTB中四国勤務)のお勧めの「おせち」なんですよ。

味がやや濃いのは仕方がないでしょう、関西人は薄味なのでそう感じるんでしょうな。


(今年は巳年ですな 道明寺天満宮の絵馬)


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我が家ではこんな正月風景でスタートしましたね。

本年も宜しくお願いします~♪





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