大阪メトロ・御堂筋線の本町駅で途中下車しましたんや。
大阪のメイン道路である御堂筋のビジネス街の中心なりまぁ。
(青い郵便ポスト発見)(速達郵便専用)

古ぼけた石の台座が昭和時代のまま、まだ現役で頑張ってます!
ビジネス街の真っただ中ですので、赤い郵便ポストが二つも。
会社関係の郵便物が大量に投函されるんだと思いまぁ。
(御堂筋 本町3丁目 交差点)(東側の北角)

赤いポストの向こう瓦屋根の建物は北御堂(きたみどう)さんですよ。
大阪人はお寺や神社でさえも、さん付けで呼ぶ習慣がおます。
北御堂さんと南御堂さんは御堂筋(みどうすじ)の名前の由来なんでっせ
北側に位置するから、北御堂さんと親しみを込めて呼ぶんですわ。
浄土真宗本願寺派の津村別院と言うのが正式な名前なんですよ。
江戸幕府は浄土真宗を本願寺派と大谷派に分けて大坂の寺町である
松屋町筋から排除し、船場地区に建てさせるほど一向宗を恐れたとも。
織田信長さえ石山本願寺には手こずった一向宗でしたよね。
浄土真宗は江戸時代には牙を抜かれて大人しく北御堂さんと
南御堂さんとして、大坂の町屋にひっそりと収まってましたんや。
皮肉にも大阪一のメイン道路が昭和初期に完成し御堂筋の名前が
付けられて、北御堂さんも南御堂さんも大通りに面することに。
(御堂筋の幟り)

(大阪メトロ 中央線への誘導路)

(大阪メトロ 御堂筋線への誘導路)

大阪・関西万博への間違い乗車を防ぐ為でっしゃろな。
再び大阪メトロに乘って二つ目が梅田駅になりますんや。
JRだけは大阪駅の名を使用しますが、大阪メトロと阪急電車や
阪神電車などは梅田駅の名を使用、他府県からの人には悩ましく
大阪人はこの辺りを「キタ」もしくは「梅田」と呼びまんねんで。
(大阪メトロ 御堂筋線 梅田駅)

(大阪メトロ 御堂筋線 31000系)

(御堂筋の最北端 正式には国道176号線)

左側の建物が大阪市内で一番権威のある曽根崎警察署です。
南側に大きなビルが出来て、少し押され気味の現状になりつつ有り。
(大阪市道路元標=どうろげんぴょう)

(梅田新道交差点)

戦後の昭和28年に設置されました、ここ梅田新道交差点で国道が
7つも起点と終点に成ってますんや、道路元標(どうろげんぴょう)が
設置されている、大阪市内でも重要な交差点になってますんや。
偶然ながら東京都の日本橋も7つの国道の始点になってますかな。
画像の上部奥の方より国道1号線が東京・日本橋からやって来まして
ここが終点となります、そこから右下へは国道2号線に変わりここが始点で
瀬戸内海寄りを西に向かい、北九州市の門司区が終点になりまんねん。
画像左と右が御堂筋で左へ行くと大阪駅で、この交差点で国道176号線が
京都府の宮津市からやって来るんですが、この交差点で終点となりまぁ。
画像を右側へいくと御堂筋ですが国道25号線が三重県・四日市市から
やって来てここが終点に、逆に国道26号線が和歌山市まで伸びる始点に。
国道163号線はここが始点で、国道1号線と並走し関目5丁目から分岐し
生駒山を越えて京都府・木津川市を東へ進み三重県・津市で終点になるとか。
最後は国道165号線の始点で、奈良盆地の南部を経由して三重県・津市へ
向かうこれで7つの国道を全て紹介しましたね。
ここ「金色の元標」は、大阪市北区梅田1丁目1番地となります。
(曽根崎通 国道2号線になります)

この曽根崎通から南側が大阪で有名な「北新地」と言う高級飲食街です。
鉄ちゃん爺やも現役時代には日立さんの工場幹部が来阪されると
ここの料亭で食事をし二次会は高級クラブやラウンジと言う感じでした。
日立さんは工場の権限が強く予算・経費の全てを工場が握っている企業です、
逆に営業部門の方が来られたら、大阪駅周辺の安い居酒屋で一杯やって
二次会は安いスナックと言う感じが我が社の接待方法でしたかな。
(北新地の 新地本通りの夜景)

(北新地の 北リンデンビル界隈)

その昔、会社が利用していたクラブとラウンジがあったんですわ。
もう25年も前の話でお店は代替わりしてるか廃業してるでしょうな。
少しだけ改修されているが全体的には建物は昔のままだと思いますんや。
25年前はもっと賑わってましたが電気の消えてる店もあるようで。
当時はバブル全盛の時期で大層に賑わった過去のお話ですけど。
(食道園 これは当時もここに有ったはず)

「北新地」にはパチンコ店や風俗店は1軒もなく、会社接待や著名人の
飲食が中心で、個人レベルで使うような場所ではおまへん。
最近はチーエン店のガールスバーやカラオケスナックなどが出来て
昔よりは大衆的な感じもしますが、規制は大阪市内では一番厳しいはず。
なにせ泣く子も黙る、曽根崎警察署の管轄下にありますんでね。
それでも場所柄なんで、超高級で高い飲食店ばかり個人はお呼びでない処。
(曽根崎新地 上通り)

北新地と呼ぶのは現在の住所が曽根崎新地1丁目と2丁目から。
昔は「北の遊里」と呼んだそうですが「曽根崎新地」の住所から
略して「北新地」と言う現在の呼び方に成ったと思いますんや。
昔はミナミと呼ばれる難波にも「難波新地」が有りましたが
現在は難波1丁目~7丁目と「難波新地」の名前が消滅してまぁ。
江戸時代から「曽根崎新地」は花街として栄えてきた歴史がおます。
少し歩いて御堂筋を渡り東の繁華街へ向かいまひょ。
(曽根崎お初天神通り)

(お初天神と呼ぶ方が多いかも)

(お初天神の拝殿)

お初天神は江戸時代に近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」で
一躍有名になった神社で、現在は縁結びの神様に早変わり。
江戸幕府があまりの人気で3ヵ月ぐらいで上演禁止にしたとか。
曽根崎新地の遊女「お初」と内本町・醤油屋の手代「徳兵衛」の
悲恋の物語で露天神の境内で心中すると言う筋書きでおます。
この辺り昔は西成郡曽根崎村と称しましたので、曽根崎新地よりも
この辺りの方が本家だとの説も、最近は大衆的な飲食街が多くできてまぁ。
鉄ちゃん爺やもこの日はスナックでOBとの飲み会でしたんや。
「北新地」なんて年金生活者ではとてもじゃないが行けまへんからね。
(OBと曽根崎1丁目のスナックにて)

(御堂筋のイルミ)

(左手の阪急ビルと 御堂筋のイルミ)

普段は12月から正月明けまでのイルミのはずなんですが
大阪・関西万博を称賛するために点灯しているんでしょうな。
ほな、今日はこれで、さいなら~♪