鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

JR大阪駅前の変遷  うめきた パート2

2020-12-27 15:19:35 | 大阪
今回はJR大阪駅の裏側になります「うめきた」でっせ。

2011年(平成23年)に再開発される新商業施設の
名前を公募して「うめきた」と決まったんだそうです。

(完成目前の グランフロント大阪) (2013年3月撮影)




2013年(平成25年)4月にオープンした大型商業施設なんですよ。

画像では3棟に見えますが実際は2棟目の奥に3棟目が並んでますんや、

奥に高層マンションが建ち、現在は4棟が並ぶことになってますんや。

これは「うめきた」の第一期工事と言われてまんねん。

(グランフロント大阪 入口で自撮り) (2013年7月撮影)


(グランフロント大阪 タワーA)


(グランフロント大阪 タワーB)


第一期工事は約7ヘクタールの敷地になるんだとか。

JR大阪駅の裏手に新しい大型商業施設が出来たと言うことになりまぁ。。

ビルの中層階より上はオフイスビルに成ってますよ。

低層階には266件の専門店や飲食店が営業してますんや。

3棟目には大阪で初の「インターコンチネンタルホテル」が入居。

4棟目には「グランフロント大阪オーナズタワー」の高層マンションが。

(旧 大阪梅田貨物駅を 撮影) (2013年3月撮影)






ここは戦前から「梅田貨物駅」として使用されて来ましたが
国鉄の民営化に際し、売却と決まったですが、代替えの
貨物駅が決まらず、取りあえず第一期工事だけが先行する形に。

「うめきた」一期工事が完成する直前に、やっと「梅田貨物駅」が
「吹田貨物駅」と「百濟貨物駅」に移転することが決まりましたんや

2013年(平成25年)3月15日で「梅田貨物駅」は
閉鎖となり、138年間の営業が終了しましたんですわ。

鉄ちゃん爺やが若い頃には出入りした物流の拠点でも在りました。

閉鎖の翌日3月16日に出かけたついでに写真を撮りましたんや。

元の下請けさんの後輩が、「梅田貨物駅」に駐在していたもんで
内緒で関係者以外は入場禁止なのを構内へ入らせてもらいました。

(旧 梅田貨物駅のホーム) (2013年3月撮影)










鉄ちゃん爺やがまだ若かった頃には「梅田貨物駅」は
全盛期で、確か年間で360万トンぐらいの取扱高。

2013年(平成25年)に閉鎖される直前でも取扱は
年間で110万トンぐらいだったと、記憶しまんねん。

鉄ちゃん爺やの若い頃は「東の汐留・西の梅田」と言われ
トラック輸送が増えつつ有りましたが大健闘でしたよ。

昭和52年度には取り扱いの金額ベースで計算したら
全国の首位が「梅田貨物駅」で第二位が「隅田川貨物駅」

第五位が「汐留駅」だったと思いますんや。

今となっては見れない昭和の時代の風景でも有りますかな。

(旧 梅田貨物駅のホーム) (2013年3月撮影)




鉄ちゃん爺やが若い頃は「大昭和製紙」と言いましたな。

平成に入り「日本大昭和板紙」と社名が変わり
現在は「日本製紙」と三度変わったように聞いてまぁ。

化粧箱などに使われる板紙で18連で1800枚になりまぁ。

正味が432kgでパレットなど含め550kgの重量と明記。

ジェットスターと言う銘柄があったからその後継品かも?

(旧 梅田貨物駅のホーム) (2013年3月撮影)




(通過中の特急はるか グランフロント大阪より撮影)(2013年7月撮影)


(グランフロント大阪から 旧梅田貨物駅跡を撮影) (2013年7月撮影)


現在は「梅田貨物駅」は完全に解体されて地上は更地に成り
地下では「JR大阪駅の一部」となる予定の工事が行われ
2023年に「JR新大阪駅」から地下ホームに延伸される予定。

将来は「なにわ筋線」などで「関西空港駅」へ延ばす計画も?

「大阪最後の一等地」と言われ敷地が約17ヘクタールおます。

三菱地所などが中心に成り2024年(令和6年)頃に一部が開業し
最終的には2027年(令和9年)夏に全面オープンだとか?

周りに公園を配して緑の豊かな「うめきた」第二期地区に成る予定。

(グランフロント大阪から JR大阪駅を望む)


(ヨドバシカメラ 梅田店) (2019年9月撮影)


(LINKS UMEDA 開業目前) (2019年9月撮影)


ヨドバシカメラ梅田店と隣接して確か2019年11月にオープンした
この商業施設は日本最大級の商業施設になっているはず。

残念ながら新型コロナの影響で最近の画像がおまへんのでご免なさい。

(ヨドバシカメラ 梅田店を 梅田新歩道橋から撮影)


(JR大阪駅を 北東側の国道から撮影)


昔は「JR梅田駅」の裏手は貨物駅が有るのみで寂しげな街でした。

グランフロント大阪やヨドバシカメラ梅田が完成した現在では
大阪市内でも地価が1番か2番を争う繁華街に変ったんでっせ。

ちなみに最初の画像の「グランフロント大阪南館」である一番右下が
大阪市内で基準地価が最高地点で1平米辺り約2360万円だそうです。

1坪当たり約7800万円と驚きの地価に跳ね上がったもんですわ。

(うめきた循環バス) (2013年3月撮影)


乗ったことはおまへんが1回=100円で梅田界隈を循環する路線バス。

確か地元の阪急バスさんが運営していたと聞いてまっけど。

ほな~ 今日はこれでお仕舞に、さいなら~♪







コメント (8)
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JR大阪駅前の変遷  パート1

2020-12-14 19:28:54 | 日本庭園
JR大阪駅前が変わりつつおますんや。

5年~10年ぐらい前の画像と合わせて移り行く姿を紹介しまひょ。

(JR大阪駅の銘板)


(JR大阪駅に到着する 直前の車窓から)


(JR大阪駅 観光用の駅名標)


(JR大阪駅 ノースゲートビル)


(JR大阪駅 サウスゲートビル)




JR大阪駅は西日本一の乗降客のあるメインの駅なんですよ。

同じ場所に乗り入れている私鉄や大阪メトロは「梅田駅」と呼ぶんで
他府県から来られた方には、迷わすような地名に成ってますんや。

インバウンドで来られた外国の方にも分かりやすくすべきだとの事から。

(阪急電車の 駅名標) (2015年8月撮影)


そんな事情から、阪急電鉄と阪電鉄では2019年10月から
「大阪 梅田駅」と名称を変更したそうですわ。

残念ながら新型コロナの影響でデジカメ撮影が出来てまへん。

(阪急電車のマルーン色は 昔から変わらず)(2017年7月撮影)




阪急電車の塗装は創業者である小林一三さんの考えを今も踏襲し
他の私鉄やJRさんとは違って、伝統の塗装を守ってまんねんで。

汚れの目立たないビンテージワインの色なんだとの説がおますかな。

二つ目の画像の行き先表示も「京都 河原町」に変更されたと聞いてまぁ。

(大阪メトロ 駅名標) (2016年8月撮影)


地下鉄の大阪メトロさんはそのままの表示のようでんな。

大阪人なら常識で別に「梅田駅」で十分なんでっけど。

「梅田=うめだ」を音読みにしたら「梅田=バイデン」だと
米国の次期大統領の名前に成ると、ネットで噂のようですわ。

色んな事を考える人が居るもんだと感心しました。

それではJR大阪駅前の移り変わりに入りまっせ。

(旧 大阪中央郵便局) (2009年5月撮影)




1939年(昭和14年)から使用されてましたが老朽化し
2009年(平成21年)に閉鎖と成ったと記憶しまんねん。

昔は大阪駅前には大型の観光バスが停められないことも有って
鉄ちゃん爺やも慰安旅行でこの前で集合したことがおましたで。

確か現在は取り壊されて更地になってましたが郵政グループで
オフイスビルを建てるとか聞いてまっけど、新型コロナで
1年近く訪れてまへん、工事が始まっているのか不明でおます。

次はJR大阪駅の南側に眼を移して見まひょかな。

(旧 大阪神ビル=阪神百貨店本店) (2013年10月撮影)


(梅田新歩道橋から 旧の大阪神ビルを撮影)(2013年10月撮影)


見慣れた風景でしたが2014年(平成26年)から改修工事が
始まり二期に分けて2022年(令和4年)まで続くんだって。

完成したら38階建ての188.9mのビルになるそうですわ。

(旧 新阪急ビル & 大阪神ビル) (2012年11月撮影)


画像の向かって左が新阪急ビルで2014年から解体が始まり
2018年(平成30年)に一期工事が終わったのかな?

画像の向かって右が旧の大阪神ビルで一期工事の終了後に
取り壊されて第二期工事が始まっているようでんな。

阪神百貨店がこの新しいビルに移動して新装オープンだったはず。

確か当初は「梅田1丁目1番地計画」という仮称だったけど
「大阪梅田ツインタワー・サウス」と名称が決まったんだね。

(一期工事が終了した 大阪梅田ツインタワー・サウス) (2019年10月撮影)


(解体工事が始まった 旧の大阪神ビル) (2019年10月撮影)


現在は撮影後で約1年が経過してますんで第二期工事も随分と
進行してると思いまんねん、生憎と新型コロナで撮影が不能でおます。

百貨店は9階までを使用し、それから上部はオフイスなどに成るそうで
2021年(令和3年)秋には百貨店の部分は完成だそうですわ。

だから今は解体も終わり9階ぐらいの建物は出来つつ有るのかも?

次にに昭和年代の国鉄時代の大阪駅舎を紹介して置きまひょ。

(国鉄時代の三代目 大阪駅舎)  (我が街の図書館の写真集より)




大阪市の市電が写ってないので昭和45年前後の画像かも知れまへん。

三代目の大阪駅舎は1943年(昭和18年)に建設中でしたが
戦況が厳しくなり工事中の鉄骨を解体して軍に献上したそうですわ。

左右の建物の鉄骨を解体し軍に献上したので変てこな駅舎になったとも。

本来は5階建てのホテルも完備した駅舎になる予定だったんだって。

鉄ちゃん爺やには疎開から戻った時や高校時代の修学旅行などに
乗車した想い出のある懐かしい国鉄・大阪駅舎でもあるんでっせ。

大阪駅舎の四代目が完成したのは1984年(昭和59年)頃で
三代目の駅舎は私たちの年代には想い出の多い駅舎なんですわ。

平成の時代に大幅に改装されて現在の駅舎は五代目になるそうで
立派になりましたが、大阪の経済の方が萎んでいますよね。

(大阪駅前の 古い画像) (我が街の図書館の写真集より)


画像の右側が曽根崎警察で建設された1929年(昭和9年)には
東洋一と言われた立派な警察署の庁舎で「大大阪」の時代の建物でっせ。

現在は新庁舎に変わり外壁の英国製のタイルが当時の面影を残すために
2階にある免許証更新のフロアの一角に飾られているそうですわ。

大阪の市電が写っているので1950年代の写真でしょうかな?

画像の向かって左上部の建物は当時の阪急百貨店の建物の感じで
路面電車が走って居る道路は御堂筋の、ここが起点に成りまんねん。

(現在の 大阪府警 曽根崎警察庁舎)


回りに高いビルが出来て、影が薄くなつてきましたかな。

現在でも、大阪市内のキタや梅田地区を管轄する警察署で
大阪府警でもエリートが幹部に就く警察署でもおます。

(旧 阪急百貨店 梅田本店)  (我が街の図書館の写真集より)


画像の左隅に歩道橋の階段が写ってますので歩道橋が完成した
1964年(昭和39年)以降の姿だと考えられますかな。

平成になって新しい「阪急梅田ビル」に改装されましたんや。

(現在の 阪急梅田ビル)(41階建て 186.9m)




建設中の大阪梅田ツインタワーズ・サウスが完成した後の話。

この「阪急梅田ビル」は「大阪梅田ツインタワーズ・ノース」に
名称が変更に成る予定ですわ、合わせてツインタワーでっせ。

JR大阪駅や梅田界隈では伊丹空港への飛行航路の近くになるので
190m以上のビルは現在も建てられないことになってますんや。

だから高さが約188mぐらいのビルが多いように思いまんねん。

(梅田新歩道橋 寄贈の銘板) (2016年4月撮影)






1964年(昭和39年)10月に今は亡き松下電器の創業者
松下幸之助さんが寄贈された当時は日本一の歩道橋だったとか。

最近は所有者の大阪市がネーミングライツ(命名権)募集し
2014年(平成26年)には地元大阪のロート製薬さんが。

次いで2017年(平成29年)からは阪急・阪神さんが獲得し
「阪急・阪神連絡デッキ 梅田新歩道橋」と名付けているんだとか。

年間610万円でネーミングライツが獲得できるそうでっせ。

長くなりましたので、今回はここでお仕舞にしまひょ。

次回はパート2でJR大阪駅北側付近を紹介しまひょかな。

ほな~ これで、さいなら~♪
コメント (15)
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