鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

東下り(あずまくだり)5日目 下野の国 二荒山神社へ

2017-10-29 13:12:27 | 神社
天候に恵まれた鉄ちゃん爺やの旅でしたが
この日は一転して荒れ模様のお天気でした。

JR赤羽駅へ出て宇都宮線に乗りますんや。

(E233系 郊外型電車) (JR赤羽駅にて撮影)


手前に見える「13」の標識はJR東京駅から
ここまで13kmの距離があるとの表示でっせ。

(4号車・5号車には グリーン車を連結)


関東では東海道本線・高崎線・宇都宮線・常磐線
総武線などに2両だけグリーン車が連結されてまぁ。

50kmまでと 51km以上で料金が変わりまぁ。

それから、事前に駅で購入した時と、乗車してから
購入した時では大きな差が有るので要注意でっせ。

鉄ちゃん爺やは100kmを超える距離の場合は
グリーン車を利用することにしてますんや。

例    熱海駅 ~ 東京駅 ・ 赤羽駅など
      
         50km迄 ・ 51km以上

平日   事前購入  770円   980円
 
      車内購入 1030円  1240円

土休日  事前納入  570円   780円

      車内購入  830円  1040円

土休日に駅で購入すろのが一番安いんでっせ。

(E232-3017号車) (1号車)


E233系の車両ですが東京駅側1号車はE232で
宇都宮駅側の車両はE233と区別されてますんや。

専門的にはE233/232系 と称するようでんな。

(E233/232系 車内)


宇都宮線・高崎線には1号車・2号車(東京駅側)と
14号車・15号車にはクロスシートとロングシート
併用の車両が連結されてますがクロスシートをお勧め。

総武線は1号車・2号車だけだったように記憶しまぁ。

長旅の車窓はクロスシートでないと気分も出まへん。

(JR宇都宮線 車内で自撮り)


クロスシートの1号車でJR宇都宮駅へ向かいまっせ。

JR赤羽駅では曇り空のお天気でしたが
北上するにつれ、雨が降りだしましたで。

嫌なお天気でっけど、今更ながら戻れまへんがな。

(JR東日本さん 吊り革が三角形に)


JR西日本では昔ながらの丸い吊り革でっけど。

どちらが効率が良いのかは知りまへんけど。

(JR宇都宮線 車内から撮影)






利根川を越えて栃木県に入った頃から雨が
それも激しく降っているとの車内放送で。

とうとうJR宇都宮駅の手前で運転停止!

信号機に落雷したような気配ですわ。

(信号機を点検する JRの職員)




(JR宇都宮駅の手前 徐行運転中)


午前9時を回っているのに夕暮れのような風景。

雨は強く降ったり、弱まったりを繰り返してまぁ。

(JR宇都宮駅 駅名標)




結局25分遅れでJR宇都宮駅に到着でしたわ。

別に急ぐ旅でもないので気を取り直して改札口へ。

(JR日光線 乗り換え案内)


ここから日光へ行けるんですが便が少ないんですわ。

都内からの観光客は浅草駅から東武で行かれるはず。

もしくは最近JRと東武が相互乗り入れをしている
新宿駅発の特急「日光」「きぬがわ」を使いますよね。

(JR宇都宮駅 改札口)


(JR宇都宮駅 改札口で自撮り)


鉄ちゃん爺やが現役時代に新大阪からと単身赴任中には
埼玉県戸田市から月に1度は訪ねた想い出の駅なんですよ。

駅のホームは15年前と変わりなく改札口も同じでしたわ。

(JR宇都宮駅 東口への連絡高架橋)


右側の喫茶店で時間調整のコーヒータイムなどもやりました。

お店のテナントは変わってしまったけど、連絡高架橋は
当時のままで内装だけが改修されたのかもしれまへん。

(JR宇都宮駅 東出口への通路)


(JR宇都宮駅 東出口の 餃子村の風景)

(JR宇都宮駅 東出口)


階段を下りた所が当時はタクシー乗り場でしたんや。

ここから日立の子会社がある平出工業団地まで約2km。

現在は広場を利用して宇都宮餃子の屋台村ができてますわ。

昭和の時代は見劣りがした東出口でしたが、貨物駅を撤去
ビル街が立派に並んだ繁華街になったなの印象でおます。

それでは反対側の西出口へ向かうことにしまひょ。

(JR宇都宮駅 新幹線駅舎)


JR宇都宮駅は西出口がメインで官庁街もこちら側に。

昔からの旧市街地だという表現が正しいのかどうかは不明。

人口約52万人の北関東では最大の都市という事になりまぁ。

宇都宮と言えば「餃子」でしたが最近は静岡県の浜松市が
ライバルとして登場し、売り上げは浜松市が上回ったとか?

首位争いの「餃子戦争」はまだ続いているんだって。

(餃子の像) (JR宇都宮駅 西出口歩道橋)


(餃子の像 説明書き)


餃子の像は元は東出口の階段を下りた処に置かてました。

JR宇都宮駅前の歩道橋が完成した際に移動したらしい。

当時は餃子の像の説明書きは無かったように記憶。

懐かしい餃子の像を背景に自撮りしてバス停に向かいまひょ。

(餃子の碑を 背景に自撮り)


下野の国・一之宮はここから歩いて約1kmチョイかな?

でも雨が降ってるので路線バスに乗ることにしましたんや。

JR宇都宮駅前から大通りを西に向かって走ってまっせ。

(東武の 路線バス車内から)


三つ目のバス停で指を差されて、向こう側ですよと
ドライバーさんの助言に感謝しての下車でした。

(バス停から 二荒山神社の鳥居を撮影)


宇都宮市の名称は二荒山神社の「宮」と、その社家から
出た豪族の宇都宮氏につながるんだそうですわ。

下野の国に「二荒山神社」が二つ有り共に一之宮だとか。

日光二荒山神社 (にっこうふたらさんじんじゃ)

宇都宮二荒山神社(うつのみやふたあらやまじんじゃ)

呼び方が異なり、ご祭神も違うのが摩訶不思議ですわ。

(二荒山神社 鳥居と石碑)




(二荒山神社への 石段)


歴史はこちら宇都宮の二荒山神社の方が古いとの伝承がおます。

でも江戸時代に日光東照宮の側に置かれていた二荒山神社が
重視されたので、一之宮が二つ並ぶことに成ったのかも?

(二荒山神社 石段から振り返ると)


(二荒山神社の 由緒書き)


(二荒山神社の 拝殿)






(二荒山神社の 拝殿を背景に 自撮り)






ご祭神は 豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)

ご配神が 大物主命  (おおものぬしのみこと)

古代の毛野(けの)(けぬ)国が二つに別れて

上毛野 が 上野の国となり 現在の群馬県に

下毛野 が 下野の国となり 現在の栃木県に

おそらく古代の毛野氏を氏神さんとする神社だったはず。

大和朝廷に従属してから崇神天皇(第10代)を頂き
その皇子を、ご祭神にして伝承しているような感じ。

(二荒山神社 ご朱印)


(間紙に こんな お言葉が)


こんな、思いやりのある間紙が添えられてましたで。

一之宮を巡ってるのに気付いての添え書きでししょうか?

(二荒山神社の 社宝)








ご朱印を頂戴する時間を利用して二荒山神社の社宝を拝見

ご当地の豪族だった宇都宮氏が奉納された物のようですわ。

宇都宮氏は平安時代末から豊臣秀吉の時代まで約400年
二荒山神社の神職を兼ねる北関東一の名門武士団だったとか。

(与謝蕪村の 句碑)


(小林一茶の 句碑)


新しい句碑なので江戸時代に二荒山神社を訪れた、そんな
伝承から平成になって建立された句碑かもしれまへん。

最後に、ご神木を撮影して退散することにしまひょ。

(二荒山神社の ご神木)




(二荒山神社 神門を背景に 自撮り)


お天気が良ければ有名な「大谷石=おおやいし」の
石切場が博物館になっているので訪れたかったんですわ。

一度だけ訪れたけど、ゆっくりと見れなかった記憶が。

でも雨が強くなり山手に向かうのを諦めてしまいました。

JR宇都宮駅に帰りは、傘さして歩くことにしまひょ。

(宇都宮市の マンホールの蓋)


(東武・宇都宮駅方向を撮影)


(宇都宮市 案内図)


(宇都宮市内を流れる 田川)




久しぶりに「宇都宮の餃子」を食べたかっんだけどな~

平日の10時30分ではまだオープンしてまへんわ。

(宇都宮 餃子の店舗)




(JR宇都宮駅ビル)






(栃木の名産品 ゆばの刺身)


珍しいので宅配で、栃木のお漬物と合わせて8個ばかりを
大阪へ第1回目のお土産として送りましたんや。

もう少しゆっくり見物をしたかったんですが夕方から大雨
そんなテレビのニュースなので早めに埼玉へ帰らなくちゃ。

何せ栃木県は関東でも有名な夕立と落雷の名所なんですから。

電車が運転中止になる前に埼玉へ戻ることにしまひょ。

(JR浦和駅ホーム にて自撮り)


(JR浦和駅 駅名標)


(JR浦和駅 駅ナカにて 自撮り)


JR浦和駅まで戻ったら、凄い夕立の真っ最中でんがな。

取り敢えず東口のビルにでも逃げ込むことにしまひょ。

昔は県庁所在地の駅にしては不釣り合いのダサイ駅でした
東口の再開発とJR浦和駅の改修が終わってようですわ。

なんとか面目を保つぐらいの東口駅前になったんかも。

この奥に労働基準監督署が在って毎年1~2度ばかり
単身赴任中に戸田市から車で訪れたことがおました。

ごちゃごちゃした建物の密集した古い町並みでしたよ。

(さいたま市 中央図書館 内部)




(JR浦和駅 東出口側の パルコ)


このビルの6階が全て「さいたま中央図書館」ですわ。

凄い夕立なので、ここに逃げ込んで雨宿りでおます。

埼玉県の郷土史など約2時間ばかり読ませて貰いました。

夕方にOBの後輩二人と飲み会を予定してましたので
図書館で時間調整をすることになったんですわ。

我が町の中央図書館の3倍ぐらいある立派な図書館でした。

(JR浦和駅 東口のビル街)


(JR浦和駅前 バスターミナルにて)


戸田市でも良く利用させてもらった国際興業の路線バス。

当時よりもラッピングの色が明るくなつた感じでんな。

(JR浦和駅を 発車する高崎線の電車)


(埼玉県 川口市の マンホールの蓋)


鉄ちゃん爺やの一之宮巡りも今回はこれにて終了です。

関八州の  相模・常陸・下総・上総・武蔵・下野

6カ国を終えて、残すは 安房の国・上野の国 のみ。

この二カ国はJRの駅から相当の距離がおますんで
今回は、最初から無理だなと諦めていたんですわ。

鉄ちゃん爺やの一之宮巡りは終わりましたが、まだまだ
東京都内や埼玉県などの旅は続きまっせ。

ほんなら、今日はこれで、さいなら~🎵




コメント (6)
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東下り(あずまくだり)4日目 武蔵の国 氷川神社に詣でる

2017-10-22 17:28:13 | 神社
JR大宮駅に下車したのは15年ぶりかも?

駅ナカが少し増えたけど構内や連絡通路など
昔と比べ、殆ど変わってない気がしまんねん。

(JR大宮駅 新幹線駅舎)


1982年(昭和57年)6月に東北新幹線が
大宮駅~盛岡駅間に初めて開通しましたんや。

当時は「新幹線リレー号」に大宮駅で乗り換えて
上野駅へ向かうという変則のスタートでしたな。

東京駅までの延伸は事故もあって遅れましたね。

鉄ちゃん爺やが関東への出張ルートは次の通り。

新大阪から新幹線でやってきて東京駅で乗り換え
上野駅で再び乗り換えて在来線で宇都宮駅へ。

現在でも宇都宮駅までなら東北新幹線は不要で
東京駅から直通が出来て便利になったので
在来線で約1時間30分ぐらいでっしゃろか。

(JR大宮駅 中央改札口)


1985年(昭和60年)3月に上野駅まで延伸。

上野駅から物珍しさもあり、初めて宇都宮駅まで
東北新幹線に乗ったのが、その年の6月でしたかな。

新幹線の上野駅って凄い地下深かった記憶がしまぁ。

まさか10年後に新幹線から見える埼玉県戸田市に
単身赴任することに成ろうとは考えもしまへんでした。

出張の帰りに大宮駅で途中下車した事も数回おます。

駅ビルのルミネ2も出来てたような記憶がしますんや。

(JR大宮駅 西口の歩道橋から撮影)




この歩道橋も当時からのままだと記憶しますんや。

画像に見える「そごう大宮店」も昭和から平成に
移り変わる頃にオープンしたように思いまんねん。

多少は補修や改築されたのかもしれまへんけど。

(ユニークな喫茶店) (そごう大宮店 B1)


カンターの前に作られた人工の川に飲み物が
ゆらり~ ゆらり~ と流れてくる仕掛け。

画像は休憩に立ち寄った、鉄ちゃん爺や注文の
コーヒフロートがお盆に乗って流れてきましたで。

この日は猛暑日で一息ついたという状況でおます。

それじゃ喉も潤したので氷川神社へ向かいまひょ。

(JR大宮駅 東口の駅舎)


(JR大宮駅 東口 ターミナル)


西口に比べたら再開発がされてない感じでっけど
昭和の雰囲気のする飲食店などが並んでますわ。

庶民の町なら大宮駅東口という事に成りまっかな。

(旧中山道に 地元サッカーチームの幟)


江戸時代からの中山道がJR東口の一筋先を南北に
通ってまして、昔は大宮宿がこの辺りに在ったとか。

国道17号線はこの辺りは大宮駅の西側に離れてまぁ。

(大宮宿 本陣跡の掲示板)


(居酒屋さんが 昔の本陣跡)


江戸時代には本陣1軒と脇本陣9軒を含めて大きな
宿場だったのが「大宮宿」だったそうでっせ。

大火があったのと明治になり大宮市が鉄道の町となり
江戸時代の賑わいを探しても殆ど見当たりまへん。

こんな掲示板や道端の地蔵さんしか残ってまへんな。

(一の宮通りの 道路標識)




JRでは大宮駅の手前に東京駅から30km標識が。

中山道はこの辺りはJR在来線と並行してますんや。

江戸からは 板橋宿~蕨宿~浦和宿~大宮宿と続く。

江戸から来ても江戸へ向かうにも、良い距離に在り
旅人や参勤交代の人々が1泊することにしたのかも。

(氷川神社 二の鳥居前で自撮り)


ここからは氷川神社の参道が南北に通ってまっせ。

それでは左折して北の方へ歩くことにしまひょ。

江戸時代の寛永年間に氷川神社の参道を通っていた
中山道を西側に新しく付け替えたと言われてまぁ。

神様の参道に牛馬の糞や尿を垂れ流すのは恐れ多い
付け替えは、そんな理由だとの説があるんだって。

(氷川神社の 長い参道)




この参道は約2kmほどあって、神社の参道としては
日本一だとの書き込みがおますが定かではおまへん。

(氷川神社参道 ケヤキの大木)


(氷川神社参道 ケヤキの標識)


(氷川神社参道 クスノキの大木)


(氷川神社参道 クスノキの標識)




ケヤキとクスノキが巧く調和した参道でんな。

鉄ちゃん爺やが歩いた参道は半分ぐらいかも?

参道は中山道との分岐点まで南へ続くようですわ。


武蔵の国  一之宮 氷川神社

現在は「さいたま市大宮区高鼻町」

鉄ちゃん爺やが単身赴任していた頃は大宮市だった

氷川神社の「大いなる宮居」から採用したとか。

2001年(平成13年)5月に浦和市・大宮市
与野市が合併し「さいたま市」と変わりました。

その後、岩槻市が編入され、人口が約129万人を
超える政令指定都市として現在に至って居るそうですわ。

(氷川神社 三の鳥居)


(氷川神社 由緒書き)




ご祭神は 須佐之男命(すさのうのみこと)   (夫)

     奇稲田姫命(くしなだひめのみこと) (妻)

     大巳貴命 (おおなむちのみこと)(大国主の命)

武蔵の国を縦断する荒川を挟んで氷川神社が約200社

別に、簸川神社と名乗る同じ系統の神様も約60社

東京都内や埼玉県の方には馴染の有る神様のようでんな。

ここが数多い氷川神社の総本社という事になりまんねんで。

(氷川神社の境内)


(氷川神社の 楼門)


楼門を潜ると拝殿や本殿を囲んで広い境内と回廊がおます。

流石は武蔵の国の一之宮であり、立派な神社ですこと。

(氷川神社 拝殿)


(氷川神社 拝殿を背景に自撮り)




東京都内の明治神宮の拝殿と似ているとの説も。

鉄ちゃん爺やは明治神宮は訪れてまへんので不明。

(氷川神社の ご朱印)


(氷川神社の 舞殿)




2月3日の節分の際にはこの舞殿から豆まきが
行われ、多くの参拝者がそれを拾うんだそうですわ。

数多い例祭では、ここで舞楽や舞が奉納されるようでんな。

現在も勅使が派遣される例祭があるとか聞いてまっせ。

(氷川神社の 長い回廊)










今回の一之宮巡りでこの回廊が一番大きく見事でした。

それではJR大宮駅に戻ることにしまひょ。

(氷川神社の 神橋から神池を撮影)




本当は赤い神橋を前に楼門を写したかったけど。

神橋の基礎石を修復の工事中でビニールシートが。

これじゃ、デジカメで撮ってもサマになりまへん。

(奉納された 酒樽)


(地元サッカーチームの 絵馬)


ここからは「四方拝=しほうはい」という儀式を
書きこみたいと思いますんや。

興味のない方は、これ以降はスルーしてくださいね。




「四方拝=しほうはい」について。

元旦の早朝に、天皇陛下が遥拝される「四方拝」
と呼ぶ、重要な皇室祭祀が有るのをご存じかしら?

午前4時(寅の一刻)に起床された天皇陛下は

黄盧染御袍(こうろうぜんのごほう)を着用され
午前5時30分に宮中三殿の神嘉殿の南庭に出御。

天皇陛下以外は何人も見ることも許されないとか。

天地四方の神祇を遥拝される神聖な儀式だそうです。



伊勢神宮 内宮・外宮

天神地祇

神武天皇 山陵

先帝三代の御陵  明治天皇・大正天皇・昭和天皇

その次に、ここ氷川神社を拝されるんだそうです。

順次に  山城の一之宮  上賀茂神社・下鴨神社

     石清水八幡宮・熱田神宮 
 
     鹿島神宮・香取神宮 と拝されてご退室。

その次に宮中三殿を親拝されて御所に戻られるとか。



この「四方拝」は天皇陛下が自遥拝される年頭の
一番重要な宮中祭祀と言われているそうですよ。

だから、天皇陛下がご病気や喪中などの場合は
御代拝(ごだいはい)は出来ずに中止になるとか。

今回の天皇陛下の、ご退位もこの「四方拝」が
平成24年から、ご高齢の理由で御所の中で仮に
実施されている事に由来するのではとの考え方も。

本来の「四方拝」で国家の安泰と国民の安寧を願う
誠の儀式が出来ないことを心配されての事かとも。



ここ氷川神社は明治天皇が京都から東遷(とうせん)
されて真っ先にお詣りをされた神社だそうです。

武蔵の国に皇居を据えるよしを、氷川神社の三神様に
ご報告されたということに成りますかな。

武蔵の国の、国つ神である氷川神社へいうことですわ。

だから皇室の古くから重要な神社である上賀茂神社や
下鴨神社をさし置いて、一番に遥拝されるようですね。



鉄ちゃん爺やが四方拝される神社がどんな処か
興味を持って一之宮を巡る理由を考えた訳でもおます。

これで四方拝の神社は全てお詣りが終わりましたで。

長々と「四方拝」を書きこみましたが本日は
これにて、お仕舞とさせて頂きます。

(さいたま市の マンホールの蓋)


(JR京浜東北線 普通電車)


鉄ちゃん爺やの東下り(あずまくだり)4日目は終了。

同級生との飲み会の為に川口市のホテルへ向かいました。

次回は一之宮巡りの最後である下野の国を紹介しまひょ。

ほんなら、これで、さいなら~🎵











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東下り(あずまくだり)4日目 上総の国から武蔵の国へ

2017-10-14 20:33:41 | 神社
JR千葉駅前のホテルを今日も早朝にスタート。

千葉駅前でこんな、ゆるキャラを見つけましたで~🎵

(JR千葉支社の ゆるキャラ) (駅長犬!)


JR千葉支社が公認した、ゆるキャラだって。

駅長の制服を着て千葉県を紹介して歩いてまんねん。

2017年に新しく認定したキャラだそうですわ。

千葉県内だけでっけど、人気も上昇中だとの話。

JR千葉駅は改築工事中で第1期が終わっただけで
鉄ちゃん爺やが訪れた一週間後に駅ビルなどが
第2期の完成で9月7日にオープン予定だとか。

(JR千葉 駅ビル オープンの垂れ幕)


(JR千葉駅前で 懐かしい風景)


(千葉都市モノレール)


鉄ちゃん爺やが1年間だけ住んでいた平成14年と
現在も変わらない風景を探して歩いてみましたんや。

ここJR千葉駅前のバスターミナルだけでしたわ。

それに千葉都市モノレールの橋脚も健在でしたな。

(JR千葉駅構内 駅ナカの風景)






(JR内房線への 快速電車)(千葉駅にて撮影)


それでは次の訪問地である上総の一之宮へ向かいまひょ。

JR外房線で約45分ぐらい走ったらJR上総一ノ宮駅。

(JR上総一宮駅 構内)






この駅は二度ばかり通過したことがおますんやけど
下車したのは今回が初めてになりますんや。

ここに上総の国の一之宮で玉前神社というのがおます。

駅から歩いて約10分ぐらい割と近い場所でしたわ。

(途中の 住所表示)


千葉県長生郡一宮町(ちょうせいぐんいちのみやまち)

房総半島の九十九里浜の一番南に位置する町だとか。

海岸まで歩いたら約30分ぐらいと聞きましたけど
この日は猛暑日で、とても歩く気に成りまへんでした。

(玉前神社=たまさきじんじゃ) (上総の国 一之宮)






一之宮としては、こじんまりした神社でおます。

まあ~ 今まで訪れた一之宮が有名な所ばかり。

そこそこの、大きな敷地ではおますけど。

それでは拝殿で、お詣りさせて貰いまひょ。

(玉前神社の 拝殿)




ご祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)で
神武天皇のお母さまで、絶世の美人だった?

女性には人気のある神様で、結婚・子授けなど
現在も関東の各地からお詣りが絶えないとか。

(玉前神社の 拝殿で自撮り)






(玉前神社の 本殿)


平成の大改修で新しくなったとこの感じ。

ご朱印をお願いして、境内を散策しまひょ

(平廣忠 顕彰碑)




源頼朝により傲慢だとの嫌疑を受け謀殺された
上総の国の豪族では最大の勢力だった武将の説。

ここ玉前神社に捧げた奉納文から、源頼朝の
武運長久の願文が記されていて、無実の罪だった。

しかしながら鎌倉時代の歴史書には無実だったとの
記述のみで、詳しいことは何も残されてないとの事。

(松尾芭蕉の句碑)






江戸時代に刻まれた句碑なので薄れて読めまへん。

槇の木の群生が境内に残っているそうですわ。

(玉前神社 槇の群生)



 


(玉前神社の ご朱印)




それではJR上総一ノ宮駅へ戻ることにしまひょ。

巫女さんが境内を掃除してはりました。

無断で撮影しましてご免なさい。



(地元の 和菓子屋さん)




まだ朝が早いのでお店は開店されてまへん。

食べてみたかっんだけど、残念でした。

(JR上総一ノ宮駅 E217系 快速電車)


2時間に1便だけJR上総一ノ宮駅を始発になる
JR東京駅行きの快速電車が走ってますんや。

(JR総武・中央線 普通電車)


JR千葉駅で小休止してから、いよいよ武蔵の国へ

ここからは乗客も多いのでデジカメ撮影は中止。

(JR東京駅 丸の内改札口)


「青春18きっぷ」だから乗り降りは自由にできまぁ。

改札を出て少しだけデジカメ撮影でもしまひょ。

(東京駅 丸の内側 駅舎の内部)






外観は新しく改修されたんだけど、内部はどうかな?

昔の印象が残ってないんだけど、新しい感じもしまんな。

(JR東京・上野ライン 快速電車)


(JR東京駅 東京・上野ライン 駅名標)


(JR東京・上野ライン グリン車)


大宮駅はここから約25分前後なのでグリン車には
乗りまへんで、デジカメで撮影のみですわ。

一気にJR東京・上野ラインで大宮駅に向かいまひょ。

昔は上野駅で乗り換えだったけど、昨年だったかな
宇都宮駅や高崎駅へ向かうのが便利になりましたんや。

京浜東北線の普通電車よりこちらの方が早いですわな。

上野駅が通過駅になってしまい、一気に大宮駅ですわ。

(JR大宮駅 東の駅舎)


(さいたま市 マンホールの蓋)


ここから徒歩で約20分ぐらいかかりまっしゃろか。

武蔵の国の一之宮である氷川神社へ向かいまっせ。

長くなりますので、氷川神社は次回にしまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵

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東下り(あずまくだり)3日目 香取神宮&佐原の町を訪ねる

2017-10-08 11:25:20 | 神社
千葉県の佐原と書いて「さわら」と読みまぁ。

NHKさん「さはら」と呼んで間違いだよと
千葉県民に指摘されたことが有ったとか。

(JR佐原駅 駅名標)


「お江戸 見たけりゃ 佐原へござれ
   佐原本町 江戸まさり」

江戸時代の後半から明治まで利根川の水運を
利用して大いに栄えたのが佐原(さわら)で
北総の小江戸(こえど)と呼ばれるんだって。

鉄ちゃん爺やが関東に単身赴任中は確か
佐原市(さわらし)と呼ばれてたはず。

現在は小見川町と合併し香取市になったとか。

香取市(かとりし)は昔の香取郡から採用して
人口が約7万7千人の地方都市でおます。

(香取市 マンホールの蓋)


水郷と市の花である「あやめ」が描かれてまぁ。

市の名前は香取市ですが昔からの中心地である
佐原(さわら)に市役所も置かれてますんや。

(佐原=さわら 小野川の佇まい)


佐原(さわら)の重要伝統的建造物群保存地区は
後回しにして、香取神宮を訪ねることにしまひょ。

何せJR佐原駅(さわらえき)から香取神宮まで
約3kmぐらいの距離が有るんだと知りました。

観光協会に立ち寄ってレンターサイクルを借りて
向かうことにしまひょ。

500円ですのでタクシー利用よりも安いよね。

(佐原観光協会の レンターサイクル)


(レンターサイクルと 自撮り)


歩くのならJR香取駅が近いんでっけど、計測で
こちらでも約2km足らず有るような感じですわ。

しかも何もない無人駅だとネットで確認済み。

やはりこんな時にはレンターサイクルが便利でんな。

(香取神宮への 進入路)


左へ曲がればJR香取駅から小見川町を経て
銚子市の方へ行く県道のようですわ。

香取神宮へは真っ直ぐ進めばいいようでんな。

(香取神宮の 鳥居)


(香取神宮の森 説明書き)


(香取神宮の森)






前回紹介しました、鹿島神宮と香取神宮を
合わせて、関東では国家鎮護の重要な神様で
古くから神宮の名称を誇っているんだって。

ご祭神は経津主大神(フツヌシノオオカミ)で
鹿島神宮のご祭神とお二人で出雲の国に行き
国譲りの大役を実行されたと言われてまぁ。

だから鹿島神宮も香取神宮も「武」の神様。

蛇足ながら「神宮」を名乗る神社は皇室と縁が
深い神様で、神社では最高の格式でおます。

(香取神宮の 総門)


(香取神宮の 総門と自撮り)


総門を潜るともう一つの立派な門がおます。

ここからが本殿と拝殿の境内になるようでんな。

(香取神宮の 楼門)




(重要文化財指定の 標識)


元禄13年に本殿と共に建造された楼門で
均斉の取れた姿は社殿とよく調和しているとも。

それでは拝殿へ向かうことにしまひょ。

(香取神宮の 拝殿)(重要文化財に指定)


(拝殿の 内部)


(香取神宮 拝殿の装飾)


(香取神宮の 本殿を横から撮影)


(香取神宮の 拝殿を横から撮影)


(香取神宮の ご朱印)


(香取神宮 要石のイラスト)


鹿島神宮にも要石があったけど、ここにも有るんだ。

二つとも、見学しな訳にはいかないな。

ナマズの頭を押さえている要石が描かれてまぁ。

(香取神宮 要石への参道)








(香取神宮の 要石)




ナマズの頭を押さえているとの伝説でっけど。

東日本大震災はナマズが苦しんで暴れたのかしら。

それでは佐原(さわら)の街中へ戻りまひょ。

(参道から 大鳥居を撮影)


(香取神宮の 門前町)


(水郷佐原 観光案内図)


利根川を渡ったら茨城県だと勘違いしてまんな。

この辺りは、常陸利根川が千葉県と茨城県の
県境で、利根川の向こうが佐原の水郷なんだ!

水郷佐原と書かれている地点が茨城県潮来市。

(佐原=さわら への県道)




レンターサイクルはこんなコースには最適ですわ。

3kmぐらい有るけど、ゆつくり走っても30分。

途中に赤レンガの古い建物を発見しましたで。

(佐原町並み交流館)(旧 三菱銀行佐原支店)




大正時代に建設された三菱銀行佐原支店だそうです。

三菱銀行から当時の佐原市に寄贈されたんだって。

古い街並みに巧くマッチして素敵な風景でおます。

(佐原町 古い建物)


正文堂と呼ばれた書店の建物で明治13年建築。

現在は書店ではないようですけど。

関東には川越市・栃木市・中之条町などの
重要伝統的建造物群保存地区が存在しまっせ。

ここ佐原が1996年認可の関東では最初だとの事。

(佐原町 小野川の川岸)


(佐原町 小野川の畔で 自撮り)






この小野川は約2kmぐらい下流で利根川に合流
昔はそこから利根川を遡上して江戸川や中川から
江戸に至る、江戸時代の重要な水運だったんだって。

東北から来る産物や米などが佐原辺りで小さい船に
積み替えられて、江戸へ送られてたようですわ。

(伊能忠敬 旧居跡)




(伊能忠敬 旧居内部)




(伊能忠敬が使用した 測量機)




本物ではないでしょうが、こんな測量機を使い
日本全国を歩いて地図を作製した偉大な人ですね。

この町で造酒と名主を務めた有力者だったそうで
50歳を超えてから全国を測量して歩いたんだって。

(伊能忠敬 旧居内から 外を撮影)




(樋橋 通称=じゃぁじゃぁばし)


30分ごとに水を川に落とす仕掛けがされてまぁ。

小野川を浄化する運動の一環として造られた橋。

ちょっとだけ、船着き場に下りてみまひょかな。

(佐原町 小野川の 船着き場から撮影)




(佐原町 明治時代の商家)








(佐原の町並みで 自撮り)




(木の下旅館)




江戸時代の天保時代の建物と明治前半の建物が大半。

1892年に大火が有ったので、特別に古い建物は
残ってないようですが、巧く調和させた町ではおます。

(佐原の町並み 説明板)




現在では想像できませんが、明治の20年頃まで
佐原町は千葉市・銚子市に次ぐ千葉県内では
第三位の人口を誇る都市だったようでっせ。

「元旦に商いできるは 伊勢の山田に 下総の佐原だけ」

京都の大店がそんな噂をしたとの伝説も有るんだって。

町興しで観光化し過ぎの感じもしまっけど。

それじゃJR佐原駅の方へ戻ることとしまひょ。

(JR佐原駅舎)


(JR佐原駅に到着する 208系電車)


鉄ちゃん爺やが単身赴任を終えた千葉事業所に後輩を
訪ねて立ち寄る約束でしたので、佐原を退散しまひょ。

みつわ台の車庫の側に1年間だけ住んだことがおます。

下のバスは当時とは少しだけ塗装が変わった感じも。

(千葉内陸バス)


(みつわ台の給水塔)


この給水塔には1年間だけお世話になったんだ。

この給水塔は15年前と少しも変わってません。

千葉駅付近の高層ビルからでも見えるんですよ。

(鉄ちゃん爺やの 住居跡)


石の階段だけが当時のままで建物は建て替えられてまぁ。



東下り(あずまくだり)3日目はこれにて終了になりまぁ。

次回は上総の国一之宮から武蔵の国に入ることにしまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵
コメント (16)
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