平成30年7月西日本豪雨は今も大きな傷跡を残したまま。
亡くなられた方のご冥福と、けがをされた方や被害を受けられた
広島・岡山・愛媛など、多くの方にお見舞いを申し上げます。
特に貨物輸送の大動脈であるJR山陽本線が広島県内の
三原駅~海田市駅間では11月ごろまで不通が続くんだとか。
この区間には瀬野駅~八本松駅間に「瀬野八」と呼ばれる
山陽本線の難所が有り、マニアによく知られた処なんですわ。
(広島市の マンホールの蓋) (JR広島駅前にて撮影)
被害の大きかった広島県でしたがカープの頑張りはご立派。
巨人も阪神もまったく歯が
立たなくて独走になってまんがな。
広島県民には、唯一の明るい話題かもしれまへんけど。
(JR広島駅前の デザインパネル)
リカバリーした画像から「瀬野八」の1年前の風景を投稿し
鉄ちゃん爺やらしい、オタクのお話をさせてもらいまひょ。
(JR広島駅 駅名標)
それでは山陽本線・上りの普通列車でスタートしまっせ。
地元の方以外は在来線でJR広島駅からJR岡山方面へ
普通電車で移動する方は少ないだろうと考えまぁ。
現在はブルートレインも無くなりましたのでJR広島駅から
大阪や東京へ向かう特急列車や寝台特急は1本もおまへん。
当然ながら新幹線が広島県民の足として大阪や東京へは
利用されますので、在来線は本線と名乗るには寂しい限り。
(JR山陽本線 瀬野駅からスカイレールを撮影)
2017年7月19日に撮影した長閑な風景ですわ。
7月の西日本豪雨では、そばを流れる瀬野川が氾濫し
駅舎や線路は土砂で埋もれてしまったそうでっせ。
当然ながらJR山陽本線の不通区間の一部でもおます。
画像に見えるレールは瀬野駅の北側の丘陵地に出来ている
「みどり坂団地」と瀬野駅を結ぶ住民の足に成ってますんや。
駅から高低差190mおますんで懸垂型のスカイレールを
平成10年に開業させたと書かれてましたかな。
「みどり坂団地」は戸建ての高級住宅が並んでいるとか。
今回の7月西日本豪雨で被害はどうだったんでしょうな?
一度ぐらい途中下車し乗りたかったが機会を逸しました。
この瀬野駅を含む地域は広島市安芸区と呼ばれますんや。
テレビの豪雨被害で報道される、お馴染みの地名でっかな。
(山陽本線を走行する EF210型・電気機関車と貨車)
現在の山陽本線には旅客列車よりもコンテナ貨物を含む
JR貨物の列車の台数の方が多く走ってると思いまんねん。
広島駅を通過するJR貨物は1日約75~90編成だとの事。
一日で約3万トンを輸送する日本の大動脈なんでっせ。
JR貨物が輸送する総量の33%にもなるんだって。
これが不通になり物流が大きく遅れる原因に成っているとも。
EF210型電気機関車は26両の台車に最大130個の
5トンコンテナを搭載して走ることが可能なんだそうですわ。
約650トンの貨物を載せて「瀬野八」を越えることになりまぁ。
EF-200というもっと大量に運べる機関車もおますが
「瀬野八」を越えるには電力の消費が多くて、他の電車の
運用に支障がでるとかで、「瀬野八」には使用されまへん。
(JR山陽本線 瀬野八を車窓から撮影)
横を流れるのが瀬野川で普段は穏やかな小川でっしゃろ。
この瀬野川が氾濫し下流では親子5人が乗った車が流されて
幼い女の子がまだ2名ほど行方不明だと報道されてますかな。
この瀬野駅から次の八本松駅までの区間は約10kmぐらい。
22.6パーミルの連続した上り勾配で半径300mの急な
カーブも多く存在する山陽本線の難所として有名なんですわ。
(1000m走ると22.6m高く成る=22.6パーミル)
SL時代から大阪方向への上り列車には後押しの機関車が必要で
現在でも貨物列車には後押しの補機と呼ぶ機関車が活躍しまぁ。
地元や鉄道ファンでは瀬野駅と八本松駅の名前を取り込んで
「瀬野八 越え」と昔から読んでいるそうでんな。
(JR山陽本線 瀬野八を車窓から撮影)
2002年(平成14年)までは後押し機関車を走行中に
八本松駅構内で切り離すという離れ業をするのが見れました。
まるでサーカスのような技術だと今も語られてますかな。
西村京太郎さんの「特急さくら 殺人事件」の現場として
小説にも登場し、有名になったと記憶しますんや。
1990年(平成2年)頃までは旅客列車もこの
離れ業で、後押し機関車の切り離しが見れたそうでっせ。
現在は広島機関区で後押しの機関車を接続しニつ先の西条駅で
切り離して、後押し機関車は回送されて広島機関区へ戻るとか。
長編成の貨物列車には現在も「瀬野八」は難所なんですよ。
現在の115系や227系の近郊型電車は出力が強化され
後押しの機関車は必要がないんだそうです。
103系や105系の通勤電車は現在でも瀬野駅で折り返し
「瀬野八」を通過させないように運用されてますんや。
(JR山陽本線 瀬野八を車窓から撮影)
(JR西条駅 駅名標) (2014年6月 撮影)
2016年に八本松駅との間に寺家駅が新しく出来てますんや。
西条駅は4番線まであるので現在はここで切り離しているとか。
(EF210-302 後押し電気機関車)
後押し用の機関車には側面にキイロの帯が2本入ってますんや。
この画像は切り離されてJR西条駅構内で待機中の画像ですね。
偶然に2014年に撮影したのを今回リカバリー中に発見ですわ。
車体番号が写っていたので後押し用の機関車と判明ですんや。
(JR西条駅の 展示品)
(JR西条駅から 酒造メーカーの煙突が)
広島の西条とくれば日本酒の街・鉄ちゃん爺やも3回の訪問。
東広島市の西条地区は日本でも有数の日本酒の生産が盛んでっせ。
「賀茂鶴」などは大阪でもよく出回ってますかな。
(東広島市 西条の夏祭り) (2014年7月 撮影)
4年前は駅前でお神輿を担ぐギャルや男衆が見られましたんやけど。
今年は7月の西日本豪雨で東広島市も大きな被害が出たようでんな。
夏祭りの方は今年は実行されたのかしら?
(JR西条駅舎と 夏祭りを見る観衆)
(東広島市の マンホールの蓋)
「瀬野八」とは関係はおまへんけどその先も紹介しまひょ。
広島市から西条駅までは上り坂、ここからJR三原駅までは下り坂に。
山陽本線で山間部を峠で越えるのは、三原駅~広島駅ぐらいのもんで
他は兵庫県と岡山県の県境を「船坂峠」で見られるぐらいかも。
(JR河内駅 駅名標)
この駅から次の本郷駅までの区間も大きな土砂崩れで不通だとか。
横を流れる沼田川が三原市の付近で氾濫したとも聞いてますんや。
この沼田川から河内駅付近まで鉄道の復旧は11月以降だとのこと。
(沼田川と 山陽自動車道の橋梁)
(小早川隆景の 居城跡)
毛利元就の三男として生まれるも小早川氏の養子に入り。
豊臣秀吉の時代に大老格として徳川家康や前田利家とも
互角に競い合うも、豊臣秀吉よりも先に死亡する。
もし前田利家より長生き出来ていたら徳川家康といえども
天下を取るのは、難しかったと考えられる逸材。
毛利本家を守るために秀吉の妻の甥っ子を養子に受け入れ
小早川秀秋と名乗らせたが、ご存知の関ケ原の戦いで
西軍から徳川方に寝返ったとの汚名を残したお方。
墓場の陰で養父の小早川隆景はどう感じたんでしょうな?
ここを通過すると三原市内に入り海田市駅から続いた
山陽本線の山越えのルートも、お仕舞になりますんや。
(山陽本線 三原駅の高架ルートから撮影)
(115系 近郊型電車 山陽色)
山口県の岩国駅や広島駅から山越えしてきた電車は
次の糸崎駅が終点になるように運用されてますんや。
JR西日本さんでは広島支社と岡山支社の分岐点ですな。
(JR糸崎駅 駅名標)
(JR糸崎駅 広い構内に 115系電車)
(227系 最新型の電車)(広島支社管轄のみ運用)
国鉄時代からも糸崎駅は重要な中継ポイントでした。
SLの時代には大きな機関区が置かれてましたんで
現在も広大な電車の駐停車場が残されてますんや。
岡山方面へ向かうには、ここで必ず乗り換えとなりまっせ。
今日はこれぐらいで終わらせてもらいまひょ。
ほんなら これで さいなら~♪
亡くなられた方のご冥福と、けがをされた方や被害を受けられた
広島・岡山・愛媛など、多くの方にお見舞いを申し上げます。
特に貨物輸送の大動脈であるJR山陽本線が広島県内の
三原駅~海田市駅間では11月ごろまで不通が続くんだとか。
この区間には瀬野駅~八本松駅間に「瀬野八」と呼ばれる
山陽本線の難所が有り、マニアによく知られた処なんですわ。
(広島市の マンホールの蓋) (JR広島駅前にて撮影)
被害の大きかった広島県でしたがカープの頑張りはご立派。
巨人も阪神もまったく歯が
立たなくて独走になってまんがな。
広島県民には、唯一の明るい話題かもしれまへんけど。
(JR広島駅前の デザインパネル)
リカバリーした画像から「瀬野八」の1年前の風景を投稿し
鉄ちゃん爺やらしい、オタクのお話をさせてもらいまひょ。
(JR広島駅 駅名標)
それでは山陽本線・上りの普通列車でスタートしまっせ。
地元の方以外は在来線でJR広島駅からJR岡山方面へ
普通電車で移動する方は少ないだろうと考えまぁ。
現在はブルートレインも無くなりましたのでJR広島駅から
大阪や東京へ向かう特急列車や寝台特急は1本もおまへん。
当然ながら新幹線が広島県民の足として大阪や東京へは
利用されますので、在来線は本線と名乗るには寂しい限り。
(JR山陽本線 瀬野駅からスカイレールを撮影)
2017年7月19日に撮影した長閑な風景ですわ。
7月の西日本豪雨では、そばを流れる瀬野川が氾濫し
駅舎や線路は土砂で埋もれてしまったそうでっせ。
当然ながらJR山陽本線の不通区間の一部でもおます。
画像に見えるレールは瀬野駅の北側の丘陵地に出来ている
「みどり坂団地」と瀬野駅を結ぶ住民の足に成ってますんや。
駅から高低差190mおますんで懸垂型のスカイレールを
平成10年に開業させたと書かれてましたかな。
「みどり坂団地」は戸建ての高級住宅が並んでいるとか。
今回の7月西日本豪雨で被害はどうだったんでしょうな?
一度ぐらい途中下車し乗りたかったが機会を逸しました。
この瀬野駅を含む地域は広島市安芸区と呼ばれますんや。
テレビの豪雨被害で報道される、お馴染みの地名でっかな。
(山陽本線を走行する EF210型・電気機関車と貨車)
現在の山陽本線には旅客列車よりもコンテナ貨物を含む
JR貨物の列車の台数の方が多く走ってると思いまんねん。
広島駅を通過するJR貨物は1日約75~90編成だとの事。
一日で約3万トンを輸送する日本の大動脈なんでっせ。
JR貨物が輸送する総量の33%にもなるんだって。
これが不通になり物流が大きく遅れる原因に成っているとも。
EF210型電気機関車は26両の台車に最大130個の
5トンコンテナを搭載して走ることが可能なんだそうですわ。
約650トンの貨物を載せて「瀬野八」を越えることになりまぁ。
EF-200というもっと大量に運べる機関車もおますが
「瀬野八」を越えるには電力の消費が多くて、他の電車の
運用に支障がでるとかで、「瀬野八」には使用されまへん。
(JR山陽本線 瀬野八を車窓から撮影)
横を流れるのが瀬野川で普段は穏やかな小川でっしゃろ。
この瀬野川が氾濫し下流では親子5人が乗った車が流されて
幼い女の子がまだ2名ほど行方不明だと報道されてますかな。
この瀬野駅から次の八本松駅までの区間は約10kmぐらい。
22.6パーミルの連続した上り勾配で半径300mの急な
カーブも多く存在する山陽本線の難所として有名なんですわ。
(1000m走ると22.6m高く成る=22.6パーミル)
SL時代から大阪方向への上り列車には後押しの機関車が必要で
現在でも貨物列車には後押しの補機と呼ぶ機関車が活躍しまぁ。
地元や鉄道ファンでは瀬野駅と八本松駅の名前を取り込んで
「瀬野八 越え」と昔から読んでいるそうでんな。
(JR山陽本線 瀬野八を車窓から撮影)
2002年(平成14年)までは後押し機関車を走行中に
八本松駅構内で切り離すという離れ業をするのが見れました。
まるでサーカスのような技術だと今も語られてますかな。
西村京太郎さんの「特急さくら 殺人事件」の現場として
小説にも登場し、有名になったと記憶しますんや。
1990年(平成2年)頃までは旅客列車もこの
離れ業で、後押し機関車の切り離しが見れたそうでっせ。
現在は広島機関区で後押しの機関車を接続しニつ先の西条駅で
切り離して、後押し機関車は回送されて広島機関区へ戻るとか。
長編成の貨物列車には現在も「瀬野八」は難所なんですよ。
現在の115系や227系の近郊型電車は出力が強化され
後押しの機関車は必要がないんだそうです。
103系や105系の通勤電車は現在でも瀬野駅で折り返し
「瀬野八」を通過させないように運用されてますんや。
(JR山陽本線 瀬野八を車窓から撮影)
(JR西条駅 駅名標) (2014年6月 撮影)
2016年に八本松駅との間に寺家駅が新しく出来てますんや。
西条駅は4番線まであるので現在はここで切り離しているとか。
(EF210-302 後押し電気機関車)
後押し用の機関車には側面にキイロの帯が2本入ってますんや。
この画像は切り離されてJR西条駅構内で待機中の画像ですね。
偶然に2014年に撮影したのを今回リカバリー中に発見ですわ。
車体番号が写っていたので後押し用の機関車と判明ですんや。
(JR西条駅の 展示品)
(JR西条駅から 酒造メーカーの煙突が)
広島の西条とくれば日本酒の街・鉄ちゃん爺やも3回の訪問。
東広島市の西条地区は日本でも有数の日本酒の生産が盛んでっせ。
「賀茂鶴」などは大阪でもよく出回ってますかな。
(東広島市 西条の夏祭り) (2014年7月 撮影)
4年前は駅前でお神輿を担ぐギャルや男衆が見られましたんやけど。
今年は7月の西日本豪雨で東広島市も大きな被害が出たようでんな。
夏祭りの方は今年は実行されたのかしら?
(JR西条駅舎と 夏祭りを見る観衆)
(東広島市の マンホールの蓋)
「瀬野八」とは関係はおまへんけどその先も紹介しまひょ。
広島市から西条駅までは上り坂、ここからJR三原駅までは下り坂に。
山陽本線で山間部を峠で越えるのは、三原駅~広島駅ぐらいのもんで
他は兵庫県と岡山県の県境を「船坂峠」で見られるぐらいかも。
(JR河内駅 駅名標)
この駅から次の本郷駅までの区間も大きな土砂崩れで不通だとか。
横を流れる沼田川が三原市の付近で氾濫したとも聞いてますんや。
この沼田川から河内駅付近まで鉄道の復旧は11月以降だとのこと。
(沼田川と 山陽自動車道の橋梁)
(小早川隆景の 居城跡)
毛利元就の三男として生まれるも小早川氏の養子に入り。
豊臣秀吉の時代に大老格として徳川家康や前田利家とも
互角に競い合うも、豊臣秀吉よりも先に死亡する。
もし前田利家より長生き出来ていたら徳川家康といえども
天下を取るのは、難しかったと考えられる逸材。
毛利本家を守るために秀吉の妻の甥っ子を養子に受け入れ
小早川秀秋と名乗らせたが、ご存知の関ケ原の戦いで
西軍から徳川方に寝返ったとの汚名を残したお方。
墓場の陰で養父の小早川隆景はどう感じたんでしょうな?
ここを通過すると三原市内に入り海田市駅から続いた
山陽本線の山越えのルートも、お仕舞になりますんや。
(山陽本線 三原駅の高架ルートから撮影)
(115系 近郊型電車 山陽色)
山口県の岩国駅や広島駅から山越えしてきた電車は
次の糸崎駅が終点になるように運用されてますんや。
JR西日本さんでは広島支社と岡山支社の分岐点ですな。
(JR糸崎駅 駅名標)
(JR糸崎駅 広い構内に 115系電車)
(227系 最新型の電車)(広島支社管轄のみ運用)
国鉄時代からも糸崎駅は重要な中継ポイントでした。
SLの時代には大きな機関区が置かれてましたんで
現在も広大な電車の駐停車場が残されてますんや。
岡山方面へ向かうには、ここで必ず乗り換えとなりまっせ。
今日はこれぐらいで終わらせてもらいまひょ。
ほんなら これで さいなら~♪