GW 中に大阪府柏原市峠地区に在る「亀の瀬」へ
息子の車で内の奥さんと3人で出かけましたんや。
「亀の瀬 歴史資料室」が昨年の春にリニューアル
されたと聞き、約20年ぶりの訪問になりますかな。
(亀の瀬 地すべり 歴史資料室のパンフレット)

(亀の瀬 地すべり 歴史資料館の正面)

ここ亀の瀬地区は大規模な地すべりを何度も起こし
国土交通省・近畿地方整備局が1962年(昭和37年)から
800億円の事業費で現在まで955億円も投入されたとか。
国内でも例が無い規模で対策工事が続けられてますんや。
過去も亀の瀬の地すべりで山麓を流れる大和川がせき止められ
上流の奈良盆地で水害が生じていることや、今後も地すべりの
ダムが決壊し大阪平野の東部が浸水することを防ぐ為の事業だとか。
(亀の瀬地区の 地図)

(大和川の亀の瀬地区 土砂ダム決壊の想定図)

鉄ちゃん爺やが生まれる少し前の1932年(昭和7年)に
大規模な地すべりが発生し大和川の川床が約9mも隆起し閉塞
上流の奈良県王子町などで約200haもの浸水が生じました。
合わせて亀の瀬をトンネルで通過していた国鉄の関西本線が
亀の瀬トンネルの崩壊で運行が不能になってしまったそうです。
鉄道省は大和川の左岸(南側)に線路とトンネルを付け替えて
10か月で完成させ現在もJR大和路線は南側を走ってますんや。
大和川の南側は第三紀層の固い岩盤でかつ大和川断層が走り
奈良盆地から大和川が大阪平野へ流れ出す唯一の出口となりまぁ。
(亀の瀬地区の 地層図)



この辺りはドロコロ火山と呼ばれる噴火が数百万年前に有り
固い地層の上にすべりやすい火山灰の地層が被さっているそうで
地下水や大雨になると大量の地層がすべりだすんだそうです。
150万立方メートルもの大量の土砂がすべって、南側の固い
明神山の地層に阻まれて大和川や国道25号線が隆起してしまうだとか。
上の画像からも大和川が左手に押し出されているように見えますかな。
(現在の大和川 川幅が狭くなったとも)

(JR大和路線から 亀の瀬地区を撮影)

(昭和7年の 亀の瀬トンネル崩壊他)


亀の瀬の地すべり対策工事中に旧亀の瀬トンネルの一部が
押しつぶされる事なく残っていることが発見されたんですわ。
現在は予約制でこの旧亀の瀬トンネルと完成した集水トンネルを
見学できるツアーが毎日無料で実施されているとの事。
(旧亀の瀬トンネル 内部の写真)

(完成した排水トンネルの内部写真)


(亀の瀬から 対岸の明神山を撮影)

この明神山も第三紀の約1200万年前に噴火したそうですが
現在では、なんの恐れもない普通の標高300mぐらいの山です。
画像のこちら側は大阪府の柏原市で明神山の方は奈良県になります。
こちら側の生駒山系と向こう側の金剛・葛城山系では岩石も地層も
大きく異なり奈良盆地から流れ出す大和川がなぜここを通過できたのか
数千万年前からの地質上の謎ともされているようですね。
(JR大和路線が 南側に付け替えられた画像)

電車が見える鉄橋の付近は大阪府になり短いトンネルを
左手に潜り抜けると、そこからは奈良県となりますんや。
普通は鉄道が河川を渡る場合は直角に鉄橋を架設しますが
斜めにしか渡すことが出来ない特殊な配線が取られていますね。
上部で山間部を抜けると大阪平野で我が街にも近い画像です。
(観光用の 亀の瀬 駅名標)

(内の奥さんと息子です)

亀の瀬と言う駅は過去にも存在しませんでしたが昭和7年の
亀の瀬トンネルが崩壊した際に、大阪側に亀の瀬西駅が
奈良県側に亀の瀬東駅が臨時に10か月だけ仮設されたそうです。
10か月だけですが乗客は歩いてSLに乗り換えていたようです。
昭和8年の伊勢神宮への初詣に合わせて国鉄は対岸に線路と
3つのトンネルを完成させて突貫工事で完成させたとのこと。
珍しい地すべり現場が見れるとの事で人気スポットになったとも。
(亀の瀬の マンホールの蓋)



亀の瀬地区も巨額の防止対策のお陰で昭和40年代に一度だけ
小規模な地すべりが有った以外は安全に保たれているそうです。
ほな~ 今日はこれでお仕舞にしまひょ、さいなら~♪