鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や  安芸の宮島を訪ねて

2014-07-27 17:22:01 | 旅行
今回は日本三景の一つ「安芸の宮島」だっせ。

娘の自宅を朝の8時05分にスタートしましたんや。

JRに乗るには路線バスで160円払って到着でんな。

(JR山陽本線 横川駅舎) (広島市西区横川)


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この駅は漢字で書くとJR信越本線の「横川駅」と同じ。

あちらさんは明治時代に出来たんで大先輩でおます。

釜めしで全国的に有名で「横川駅」(よこかわ)と読みまんな。

こちらは大正時代に成ってからできた駅なんだって。

JR広島駅の一つ西隣りで「横川駅」(よこがわ)と言いま。

切符を買うと(陽)横川駅 と書かれてますわ。

それじゃ鈍行列車でJR宮島口駅へ向かいまひょ。

(115系 近郊形電車 山陽地区カラー)


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関西地区からお役ご免で広島や岡山へ配属されたロートルでおます。

関西ではJR京都駅で草津線や湖西線でしか見れまへん。

この塗装は瀬戸内の「みかん」をイメージしているとか?

(JR山陽本線 宮島口駅舎) (広島県廿日市市)


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JR宮島口駅で下車すると連絡船の乗り場の手前に国道2号線がおます。

現在は危険なので歩行者は地下道を通ることになってま。

(JR宮島口駅前より 連絡船の桟橋 方向を撮影)


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(地下道に貼ってある 厳島神社の三女神)


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厳島神社のご祭神が三方とも女性だったとは鉄ちゃん爺やも知りまへんでした。

海上安全と国家鎮護の神様だから男の神様もおられると考えてましたがな。

(JR西日本宮島フェリー 宮島口桟橋)


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ここのフェリーは広島電鉄系の「宮島松大汽船」という会社と
「JR西日本宮島フェリー」の二社が時間差を付けて運行してますんや。

対岸の厳島までは2kmで約10分ぐらいで渡れるんでっせ。

青函連絡船や宇高連絡船が廃止になった現在はJR全グループで
連絡船を運航しているのはここ宮島口港~宮島港間だけでおます。

青春18きつぷ でも利用できると書かれてまんねんで。

それじゃ~ みやじま丸で10分の船旅にスタート。

(JRみやじま丸の 船内から撮影)


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本土側の宮島口桟橋が遠ざかって行きますね。

まだ朝が早かったのか、この便の船客は30名前後でんな。

(JRみやじま丸の 船内から 大竹市方向を望む)


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左側の島影が厳島で中央の遠くに白色で小さく写っているのが
大竹市の石油コンビナートで右側の山を廻り込んだら山口県になりまっせ。

海に浮かんでいる筏は広島名物の「牡蠣」の養殖でっしゃろか。

(JRみやじま丸から 厳島神社の大鳥居を撮影)


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この大鳥居をまじかに見ながら左へ曲る航路がJRさんの売りでっせ。

宮島松大汽船さんの方は直行でまっすぐ宮島桟橋へ向かって行きまんな。

(厳島の 宮島桟橋へ向かっています)


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どちらの船会社も料金は片道が180円で、往きはJR宮島フェリーで
戻りが宮島松大汽船をと言う観光客が多いかもしれまへん。

広島市内の原爆ドームや平和公園などはJRを使うよりも広島電鉄の方が
乗り換えなしで直ぐ側に停留所がおますんで便利でっしゃろな。

広島電鉄は路面電車だから駅の数が多いので時間は少しかかりますわ。

まあ~ JR西日本と 広島電鉄の勝負は引き分けとしておきまひょ。

(厳島 宮島港前で 自分撮り)


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(宮島の 鹿ちゃん)


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平成17年には娘や孫も一緒にここへ来たんですわ。

小1だった孫が牡鹿に追いかけられて泣きべそをかいたけど
その孫も今じゃ中学3年生もう親離れしてしまいましたわ。


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(世界遺産 厳島神社 説明書き)


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詳しい事はこの説明書きを読んでもらいまひょ。

鉄ちゃん爺やも三度目の訪問でっけど無信心なもんで、ご免だっせ。

(厳島神社 参道の土産物店)


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宮島の名物と言えば「もみじ饅頭」が代表ですが最近は広島県全域に広がり
広島のお土産と言えば「もみじ饅頭」と呼ばれるぐらいの人気でおます。

俗説に明治の元勲・伊藤博文公がここ厳島の旅館に宿泊した折りに
旅館のお茶屋で給仕にでた女性に声をかけたとか。

「なんと可愛い手なんだろう、焼いて食べたら、さぞ美味しかろうと」

これを聞いた女将が和菓子の岩津屋という方に相談してできたのが
今日の「もみじ饅頭」の元祖だとの説があります。

岩津屋は二代目にレシピを教えなかったので大正時代には廃業したとか

だから商標権が期限切れで、どこも元祖「もみじ饅頭」を謳っているが
本当の元祖は、絶えて仕舞って残ってないのが現実なんですけどね。

(現在の もみじ饅頭 売上NO.1 にしき堂さん)


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このお店は戦後にスタートしたので「元祖」とは名乗ってませんな。

娘の自宅の側に直販店がおますので、いつも買って帰りまんねん。

何せ現在は大小を合わせて三十数社のもみじ饅頭屋さんがあるんだって。

(宮島 大杓子)


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「もみじ饅頭」と並んで宮島のお土産といえば「杓子」(しゃもじ)

鉄ちゃん爺やの受け売りよりも上記の説明書きを読んでもらいまひょ。

「福」をすくい取るとか縁起が良いとかで人気がおますそうな。

(厳島神社 一の鳥居?)


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参道の土産物店街を抜けたら石の大きな鳥居に出てきましたで。

ここからが厳島神社の境内になるんでっしゃろな。

でも厳島神社と言ったら赤い大きな海の中の鳥居でっしゃろ。

(厳島神社の 大鳥居)


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この大きな鳥居は平清盛の造営から数えて8代目になるとか。

1875年(明治8年)に建立した大鳥居と記録されてますな。

不思議な事には海底の砂に埋めてあるんじゃ無くて
鳥居の自らの重みで自然に立っているんだって。

(厳島神社 拝観券 300円)


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ほな~ ゆっくりと参拝させてもらいまひょ。

世界遺産 厳島神社だけど撮影がOKなのは嬉しいことでおます。

(厳島神社 参拝入口)


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今回も満潮から海の水が引いてしまって神殿の下は砂地になってました。

この週は早朝と夜しか満潮にならないので仕方がおまへんな。

(厳島神社 東の回廊)


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背景に見える五重塔は室町時代の1407年(応永14年)創建なんだって。

桧皮葺で和様と唐様を合わせた高さ27mの見事な建築物のようですわ。

左側に大きな屋根が見えているのは豊臣秀吉公が戦没者の供養に創建した
千畳閣と呼ぶ大経堂で857枚の畳が敷けるんだそうな。

(厳島神社 本堂前にて)


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正式には御本社拝殿と呼ぶのが正解なんだそうですわ。

左側の板敷きの部分は「高舞台」と呼ぶんだって。

(本堂の内陣に 飾られた お神輿)


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このお神輿は普段は見れない貴重な画像なんだっせ。

旧暦6が17日に「管弦祭」(かんげんさい)と呼ばれる厳島神社で
最大の神事が、まもなく行われるので、ここに置かれているとか。

(本殿の前から 撮影させて頂きます)


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この奥に市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)ほか2女神が
お祀りされている神聖な場所ですから、ご免なさいませ。

本来はマナーとしても撮影をやるべきじゃないですよね。

(厳島神社の正面 青銅製灯篭 & 大鳥居)


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観光用ガイドブックで良く見かける風景でっしゃろ。

手前に置かれた鉄柵が邪魔なんですが平舞台と呼ばれる
木製の板敷きが全面的に修復される予定なんだそうですわ。

ここは撮影の人気スポットですわ、7組も待ってから
やっと写したのがこの画像なんでっせ。

(厳島神社 西の回廊)


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(厳島神社に 奉納された日本酒)


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全てが地元は広島県産のお酒のようですな。

西条町(東広島市)は昔から兵庫の灘・京都の伏見と並んで
日本酒の三大産地と呼ばれ、この銘柄は関西では見掛けまっせ。

でも三人の女神さまは、こんなに沢山のお酒を奉納されて
迷惑じゃないのかしら、それとも~ お酒がお強いのかしら。

(厳島神社 能舞台)


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周りが朱色の建物ばかりなので、この能舞台は目立ちますな。

毛利元就が奉納したというのは、これかしら?

そうだとしたら1568年(永禄11年)の建物なんだけど。

(厳島神社 回廊の上部)


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(厳島神社  平舞台の床板)


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厳島神社の回廊や舞台の床板は木製でこの真下まで、満潮時には
海水が寄せてくるので、海に浮かぶ神社に見えるんだって。

でも過去に大潮や台風などで床板は破損したけど神殿や回廊が
損傷をしたことが一度もないんだそうね。

昔の人はこの辺りまでしか海水はこないと知っていたんだ
だから神殿や回廊を造り1000年もの昔からの
建築物を我々に残し今に伝えてくれたという事でんな。


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(厳島神社 西の出口)


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ここからも五重塔や千畳閣が厳島神社の本殿や回廊と
調和して見事な風景を見せてくれますね。

(厳島の 大願寺山門  元は神宮寺?)


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大願寺ちゅうのは弁財天をお祀りしているようでんな。

厳島神社が女性の神様だから、これで釣り合いも取れて正解なのかも。

江戸時代までの神仏習合の姿を厳島神社は強く残しているようですわ。

(厳島神社 宝物館)


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ここには美術工芸品が3500点も残されているんだって。

源頼朝・足利尊氏・毛利元就などの鎧や太刀などの武具
国宝や重要文化財に指定されている物も多いとかの話。

興味は有ったけど撮影は禁止で別料金300円なのでパス。

(厳島神社の 反り橋)


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残念ながら全面修復工事中で優雅な姿はみれまへんでしたわ。

パネルで拝見したけどこんな奇麗な姿だったかしら?

(後白河法皇 お手植えの御行幸松)


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明治の初期に枯れたのか切り倒されたと書かれてますな。

1174年(承安4年)お手植えなら平家全盛の時代ですわ。

(厳島神社 管弦祭=かんげんさい ポスター)


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実は広島に来るまでは管弦祭を見れると楽しみにしてましたんや。

娘の自宅でPCで検索したら午後4時以降で夜のお祭りと分かりました。

それで諦めたんですが年に一度の厳島神社の大祭のようでんな。

(管弦祭=かんげんさい 準備中の氏子さん)


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鉄ちゃん爺やが訪れたのが7月11日で「管弦祭」は翌々日の7月13日。

なんでも御座船にお神輿が乗せられて赤いあの大鳥居を潜り抜けて対岸の
地御前神社まで行って、再びその夜に厳島神社まで戻ってくるんだって。

(厳島神社 神殿の屋根 & 神紋)


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(厳島神社を 東側の道路から撮影)


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もう二度と来れないかもしれないので、大鳥居をもう一度。

見納めにと写して厳島神社とお別れすることにしましたんや。


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(参道の土産物店前に こんな地蔵さん)


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戻りは宮島松大汽船のフェリーで宮島口にと決めました。

丁度、JR宮島フェリーが出航した後なんで、別に大意はおまへん。

(宮島松大汽船  宮島桟橋をスタート)


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宮島口桟橋が近づいてきましたで。

厳島神社の参道は食堂も高いように感じたので本土へ戻りましょ。

(宮島松大汽船 宮島口桟橋)


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無事に本土に戻ったらお腹が急に減ってきましたがな。

2~3軒ほど物色してたら、どうぞ~ と呼びこまれましたわ。

(宮島口の 食堂)


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(宮島丼)   (1730円)


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宮島名物のあなごと 牡蠣が両方も食べられる。

厳島神社参道ではあなご丼が1900円前後と書かれて有ったね。

昼食には少しだけ高いようだけど、思いきって注文しました。

味はこんなもんかな~ 牡蠣はシーズンオフだからな。

食べ終わったら午後の1時半ぐらいでしたわ。

このまま、広島市内の娘の自宅に戻るには早過ぎる。

そんな訳で、少し足を延ばして岩国市錦帯橋を目指しましたよ。

次回は日本三名橋の一つ「錦帯橋」を紹介しまひょ。

ほな~ 今日はこれで、さいなら~







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鉄ちゃん爺や  広島の被爆痕跡を尋ねて

2014-07-20 13:28:04 | 旅行
前回に予告しました京都の三条通りの画像は都合により
暫く後回しにさせてもらいまひょ。

野暮用で一週間ほど広島へ行ってきましたんや。

そんな訳で、こちらの方を先にやらせて貰いまっさ。

(広島城 天守閣) 


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広島市は間もなく69回目の原爆の日を迎えるようでんな。

画像の広島城も原爆で焼失し昭和33年に復元したとか。

広島市は娘が住んでいるんで何度も訪れているんでっけど
広島城は今回が初めての見学になりますんや。

実はこの広島城の天守閣を写した時までは頭になかった
原爆の被爆痕跡に遭遇しましたんですわ。

(原爆で被爆したクスノキ) (広島城のお堀端の空き地にて)


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50年ぐらいは草木も生えないと言われた原爆の被災だったとか。

現在は観光地化した原爆ドームを除けば当時の悲惨な姿を見れる場所は
広島市内ではほとんど無いと、わては考えてましたんや。

でもこの被爆樹木を見た時に自分の考えが間違いだと気が付きましたわ。

(被爆樹木の クスノキ)


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広島市は恒久の平和を訴えると同時に原爆の痕跡を探し出して
保存する活動をしているんだと知ったような次第。

ここは被爆前には陸軍の幼年学校が在った場所なんだって。

当時の忠臣「楠正成」にあやかってクスノキが校門の横に
植えられていたと、鉄ちゃん爺やは想像しましたんや。

(陸軍幼年学校の校門)


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校舎は当然ながら原爆で焼失して今は当時の校門だけが
石造りだったので、ひっそりと立っているだけですわ。

読みずらいけど「廣島陸軍幼年学校」と書かれてまんな。


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陸軍の幼年学校は13歳~15歳までの幼児を教育し卒業したら
東京の陸軍士官学校へ無試験で入学できるエリートだったとか。

東京・仙台・名古屋・大阪・廣島・熊本の5校が紆余曲折はあるが
昭和15年頃には復活して敗戦まで存在したんだって。

余談になるが数年前に亡くなられた藤岡琢也さんは終戦の時は
ここの生徒で、エリート軍人を目指しておられたようでっせ。

戦後になってから俳優の道を進まれたという事になりますな。

それじゃ広島城の中へ入ることにしまひょ。

(史跡 広島城跡)


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(広島城 裏御門の石垣)


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こちらは広島城の裏門側になるようでんな、だから原爆で焼失して
現在は石垣だけしか残ってないようですわ。

日本歴史の学習で1894年(明治27年)に日清戦争が起こり
ここに大本営が置かれたと学んだような記憶がおますんや。

(広島城 本丸内 大本営跡)


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原爆で焼失するまでは木造白亜で二階建ての立派な建物があったんだって。

大本営は広島第5師団の司令部の建物を利用したと言われてますんや。

(大本営跡 建物の基礎石だけ)


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明治27年4月に中国(当時は清国)に宣戦を布告して宮中に初めて
大本営が設置されたと昔の学習で習ったような記憶。

当時6月に鉄道が広島駅まで完成し大本営を戦場に近い広島市に
移動したのが明治27年9月だったとか。

明治天皇はここに移られ翌年の4月まで227日間も大本営の中で
暮されて戦争指導や陸海軍の士気高揚に努められたんだって。

この明治27年には帝国議会も広島城外の練兵場で開かれて
広島市が事実上の首都の役目をしたように言われてますな。

(広島城 天守閣入口)


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鉄ちゃん爺やは歴史的なお城なら拝観をさせてもらいまっけど
戦後に再建されたお城や天守閣にはあまり興味がわきまへんのや。

天守閣前の広場で写真だけ撮って移動しようと考えたんですわ。

(広島県立 総合体育館を 広島城から撮影)


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大本営跡で中国語で喋る老人を何処かのテレビ局が
取材しているのを横目で眺めてはいたんでっせ。


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まさか~ 鉄ちゃん爺やがテレビ局のキャスターに呼び止められるとは。

とんだハプニングだけどインタービュに応じる事にしましたんや。

(上海のテレビ局と 会話中の鉄ちゃん爺や)


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なんでこんな大本営跡なんかで中国のテレビ局が取材するのかしら?

過去の日本と中国の戦争について取材の為に広島へやってきたとか。

最後は歴史的問題などに拘らずお互いの国が歩み寄り戦争の無い
平和なお付き合いをすべきですよと苦言を呈して置きました。

まあ~ カットされるかもしれないけどね。

でも私が支那事変と放送禁止用語を使ったけど彼らは別に
訂正を求めもしなかったし素直に聞いていたよ。

私の身内が徐州作戦で戦死していると話しをしたけど
キャスターが徐州会戦とあちら流に補足していたね。

住所氏名を尋ねられたけど丁重にお断りしてお別れしました。

CDを送りたいと言われたけど変にかかわりたくないよね。

(広島城の 表御門)


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築城400周年を期して平成になってから復元されたんだって。

過去の写真や図面から忠実に再建してるとは書かれていたけどね。

(原爆の爆心地 説明パネル)


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島外科病院へ通院する人は見掛けたけど爆心地のパネルに
近づく観光客は誰一人としておまへんでしたわ。

この写真は鉄ちゃん爺やも何処かで見たような記憶がおます。

右側の奥に写っている神社の鳥居が特に印象的でしたかな。

そんな訳で、歩いてその辺りへ近づいて見ましたんや。

(旧護国神社 鳥居の台座)


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数年前まで広島市民球場として親しまれた野球場の西側でんな。

鳥居は原爆で破損したので取り壊し台座だけが残った感じ。

ここから観光地で有名な原爆ドームまでは約300mぐらいかな?

やはり原爆ドームと原爆慰霊碑にはお参りしておきまひょ。

(原爆ドーム 被災前のパネル)


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(現在の 原爆ドーム) (元安川の対岸より撮影)


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最近は原爆ドームの周辺に高いビルが出来て原爆ドームだけを
撮影するには対岸へ渡って写す事になりましたわ。

(原爆の子の像)


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被爆10年後に亡くなった少女の為に今でも折り鶴が捧げられ
平和記念公園の中でも観光客が多く立ち寄る処ですかな。

(原爆の子の像 内側の鐘)


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この鐘はノーベル賞の湯川秀樹博士が寄贈されたんだって。

次は慰霊碑にも立ち寄って行きまひょ。

(原爆死没者慰霊碑)


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毎年ながら8月6日にはこの前で慰霊祭が行われるので
ご存知の慰霊碑でっけど、石室に原爆で亡くなった方の
名簿が保存されているんでしたかな。

遠くに原爆ドームが小さく見えるんだけど背景に
近代的なビルが出来てしまい邪魔で無神経な事でんな。

(広島平和記念資料館)


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ここには原爆で被災した写真や当時の遺品が沢山展示されてま。

鉄ちゃん爺やも息子や娘を連れて30年ぐらい昔に見学しました。

この附近はそれから何度も通りますが、あの悲惨な展示物を見る
気分にはとても成れなくて今回もパスさせてもらいます。

観光客の知らない原爆の被爆痕跡を探しに歩きまひょ。

そんな訳で、横の被爆樹木の方へ折りかえしましたんや。

(被爆したアオギリ 説明パネル)


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(被爆アオギリ一世 & 二世)


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元は広島城より北東側に在った広島逓信省の中庭に植えられていた
アオギリをここ平和記念公園に移植したと書かれてますな。

(被爆アオギリ二世 説明パネル)


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合わせてこの敷地の側で被爆アオギリ二世が誕生したとは素敵ですよ。

ここは広島平和記念資料館から100mぐらいしか離れてまへんで。

でも観光客は知らないのか被爆アオギリの説明書きを読む人も居ません。

それじゃ次ぎは旧日銀広島支店の方へ向かいまひょ。

(元安橋から 相生橋方向を撮影)


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(元安橋)


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広島一の繁華街である本通りを通り抜けて袋町まで来ましたで。

7年前にこの被爆建物を画像だけは写したんですが当時は
内部の公開はされてませんでしたんや。

(旧日銀広島支店 被爆直後のパネル)


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広島へ行くまでにHPでこの被爆建物が広島市に寄贈されて
無料で一般公開されていることを知りましたんですわ。

(現在の 旧日銀広島支店)


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この被爆した旧日銀広島支店は明治末期にできた頑丈な建物だったので
爆心地から500mぐらいしか離れていないのに外装と本体が
奇跡的に残った貴重な建物で、登録有形文化財になったそうでっせ。

内部は原爆で全て焼失したそうでっけど地下の金庫室の被害が少なく
被爆後の1ヶ月には地元の銀行と共同で営業を再開したそうで
広島復興のシンボルとして今も語り続けられているんだって。

(修復された 日銀広島支店1階フロア)


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被災直後は雨の日には傘をさしながら行員は業務をしたそうでっせ。

平成の初めまで日銀の広島支店として使われたので一見したら
被爆した建物だとは気が付かないぐらいの出来栄えですけど。

でも広島市が寄贈を受けてから調査したら当時の痕跡が随所に
残って居る事が分かったそうですわ。

(地下金庫室 被爆の痕跡)


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(扉の金具 拡大写真)


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(被爆から免れた金庫室)


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2階の支店長室にも被爆の痕跡が残っているそうなので行きまひょ。

日銀の建物だけに大理石を使った立派な建物でおます。

(旧日銀広島支店 2階通路)


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(2階支店長室 被爆の痕跡)


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窓に鎧戸が閉まって居たので原爆が落とされた日にも、支店長室は
焼失を免れたそうで貴重な傷跡が今も残っている訳でんな。


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(2階支店長室)


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現在は当時の被爆した遺品や写真が展示され一般公開中ですな。

(この大理石の傷も 被爆時の物?)


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(外壁の焼け焦げているのも 被爆時の物?)


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(旧日銀広島支店 説明書き)


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これで被爆痕跡を探してのデジカメ散歩を終了して、繁華街へ向かいました。

ここが広島市内で一番の繁華街で本通りと八丁堀の交差する辺りですわ。

現在の賑わいを70年前には考えられなかった広島ですよね。

(広島市の繁華街  本通り商店街)


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(広島電鉄の 新型路面電車)


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(広島市 国道54号線の交差点)


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これで本日は終了します、次回は日本三景「安芸の宮島」で厳島神社を
デジカメ散歩しますので宜しくね。

ほな、さいなら~♪
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鉄ちゃん爺や    青蓮院門跡を訪ねて

2014-07-05 20:23:23 | 日記
天台宗の門跡寺院は三つおますんや。

青蓮院 ・ 三千院 ・ 妙法院

その中で今回は私の京都市内でお勧めのお寺でっせ。

粟田御所の別名がある「青蓮院=しょうれんいん」

(青蓮院の 境内案内図)



私がまだ高校生の頃に初めて訪れてから30代までは
毎年ながら足を運んでいたような記憶がおますんや。

芥川龍之介が親友に送った手紙にこんな文章があるとか

「青蓮院 人はあまり行かないが是非見るべし」

同じ高校の1期だけ後輩になる女性から教えられて
興味を覚え二人で訪れたのが初訪問でしたかな。

(青蓮院の 大クスノキ)





大きなクスノキが表通りに4本と寺院内に1本植えられ
樹齢800年とか説明されてますな。

この大きなクスノキを見たら凄いお寺だなと思いまっせ。

(青蓮院 通用門)




門跡寺院とは門主(住職)が天皇の皇子(親王)か五摂家の男子に
限られている格式の高い寺院で明治になるまで長く続きましたんや。

この青蓮院門跡は元は比叡山は延暦寺の青蓮坊=しょうれんぼう が
鳥羽上皇の帰依を受けて洛中に移されたのが起源だったとか。

鳥羽上皇が帰依された行玄大僧正を一世門主に命じられ院の御所に
準ずる殿舎を造営して「青蓮院」の名前を与えたとされてますんや。

二代門主はその鳥羽上皇の第七皇子で覚快法親王が継いでおられます。

(青蓮院 車寄せ)



(車寄せの内部)



この玄関に置かれている「輿し」は孝明天皇がご使用された物だそうです。

それでは院内を紹介しまひょ。

(青蓮院の ご朱印)



皇室専用の十六弁八重菊のご朱印でっせ。

ご朱印の受付所で尋ねてみましたんや。

写真撮影はさせて頂けるんですか?

節度ある範囲ならOKですよとのお答え。

(華頂殿で 庭園を観賞する参詣客)



華頂殿とは客殿または白書院に当たる建物なんだって。

ここから眺める庭園の風景は35年前と同じですわ。

ただ華頂殿のふすまがゴロッと変わってましたで。

(華頂殿の ふすま絵)





このふすま絵は木村英輝という画家が2005年に新しく描いたもので
有名な方やそうでんな、鉄ちゃん爺やは絵の知識に疎いので
この日は気にもしないでデジカメで写しただけでしたんや。

名刹のふすま絵にしては現代的な感じもしますんやけど。

青い蓮だから「青蓮院」を表現しているちゅう訳でんな。

部屋の鴨居には有名な三十六歌仙の額が掲げられてますわ。

(青蓮院の 三十六歌仙の額)



やはり三十六歌仙といえば在原業平さんが代表的な方ですわな。

そして次は平安時代の絶世の美人だったとかの小野小町さん。



そして前回も紹介した僧正遍照さんが続きますかな。



この方はご存知かしら? 清原元輔さん

あの清少納言さんのお父様でっせ。



これらも新しい額で昔は無かったような気がしますわ。

庭は歩いて一周できるそうなので後回しにして
建物を観て回りまひょかな。

まずは小御所から昔は門主さまが住まれた建物だったとか。

(小御所)



手前に見えるのが豊臣秀吉が寄進した巨大な自然石で
作られた手水鉢でおます。

(一文字 手水鉢)



(これは在原業平さんかしら?)



回廊の通路に置かれた衝立の絵なんですが説明書きがおまへんわ。

勝手に在原業平さんにしてしまいましたけど。

青蓮院は庭を囲んで色んな建物が回廊でつながってますんや。

次は粟田御所と呼ばれた「宸殿」を観てくださいね。





1788年(天明8年)に京都は江戸時代では最大の火災が起こり
京都御所や仙洞御所が焼けてしまったんだそうな。

御桜町上皇さまがここを仮の御所とされたことから、現在でも
青蓮院門跡を「粟田御所」とも呼ぶようになったんだって。



ここに御桜町上皇さまは座っておられたようですわ。



こちらのふすま絵は江戸時代の作のようでした。



このキザ先とよばれる処は五位の位がないと昇殿できなかったとか。

勿論、次に貼り付けた「宸殿」の部屋には三位以上ぐらいの方しか
座れないのが当時のルールだったようですわ。



(現在の門主さまの 書です)



元皇族の東伏見慈晃さんで2004年から門主をされています。

このお方のお父様は昭和天皇の皇后陛下の弟さまに当たりますよ。

昭和28年から平成16年まで青蓮院門主を勤めておられました。

今年の2014年1月1日に103歳で亡くなられましたね。

だから現在の門主さまは今上天皇とは母方の従兄弟になりますかな。

それでは庭の方を見させて頂きますかな。

(相阿弥の庭)










粟田山の山麓を利用して京都近郊の山石に紀州の青石を主として用い
龍心池を中心にして池泉回遊式庭園に造られています。

室町時代の相阿弥が造った日本庭園の源流だとの説があるんだって。

こちらは有名な小堀遠州作の庭だそうですよ。

(霧島の庭)









霧島つつじが多く植えられているので「霧島の庭」と呼ぶんだって。

GWごろの花だから現在は桔梗とクチナシが咲いてましたね。

(霧島の庭から 小御所を望む)



(好文亭)





後桜町上皇さまが御学問所として使用された建物ですが、平成の5年に
中核派のテロで惜しくも焼失し平成7年に再建された物だそうです。

私が35年前に訪れた頃は庭園は建物の回廊から拝観しただけで
現在のように一周はさせてもらえなかったような記憶ですな。

(青蓮院の 本堂)




青蓮院の敷地は現在は約1万坪だと称されていますな。

そんな大きなお寺でっけど本堂はこんな小じんまりしたお堂ですわ。

本尊は日本三大不動尊と言われている「青不動尊」だそうな。

お不動尊には五色あるそうでんな、青・黄・赤・白・黒 なんだって。

青蓮院の青不動尊 三井寺の黄不動尊 高野山明王院の赤不動尊

これを日本の三大不動尊と書かれてましたで。

お不動さんの目の色から○○不動尊と呼ぶんでしょうな。

その中でも中央に配される青が最上位を占めるんだそうな。

普段は国宝の青不動尊は秘仏で拝見は出来まへんのですわ。

(宸殿を 外から撮影)





粟田御所と称されるだけあって左近の桜・右近の橘を配して
京都御所の建物と少しだけ似ている感じもしまんな。

処でここ青蓮院門跡の門主さんは歴史上に時たま登場されますんや。

まずは第3代門主さんで有名な慈圓さんで九条兼実の弟さんですわ。

歴史書「愚管抄」の著者であると同時に天台座主を4度勤められたそうな。

(青蓮院 宸殿 南側の庭園)



現在は南隣にある浄土宗の総本山・知恩院が青蓮院よりも敷地が倍以上ありま。

でもこの知恩院は徳川家康の宗旨なので敷地の大半を青蓮院から取り上げて
朝廷に睨みを利かせると同時に京都での拠点としたそうでっせ。

だから青蓮院は室町時代までは現在の知恩院の北半分を含む広大な寺院だった
青蓮院は粟田山の頂上に現在でも奥の院である大日堂がおますし
現在でも京都市内では有数の敷地を誇る門跡寺院ではおますけど。

(青蓮院の屋根瓦)



(青蓮院の土塀)



(親鸞聖人 得度の像)





第3代門主の慈圓さんは天台宗の高僧なのに当時に興りつつあった
新興宗教に理解を示し、延暦寺からの妨害を防いだんだそうです。

浄土宗の法然も青蓮院の敷地で布教を続け、浄土真宗の親鸞も
9歳の時に慈圓門主の元で得度して出家したとされています。

だから現在も宗旨は違いますが浄土真宗ではここ青蓮院は別格の
寺院として髪の毛を納めたお堂が今もお守りされているんだって。

(青蓮院の長屋門)



この建物に見覚えがある方もいらっしゃるかもしれませんよ。

戦後の時代劇の映画に町奉行所や薩摩屋敷として何度も登場
私も若い頃に東映の映画ロケに遭遇した記憶がおますんや。

(青蓮院の正門)





この正門と先程の長屋門は共に明正天皇の中和門院から移設された物で
江戸時代の中期から残る貴重な門だそうですよ。

青蓮院の歴代門主さんで第17代入道尊圓親王は伏見天皇の皇子で
書に秀でられ「御家流」と呼ばれる書道を起こされていますよ。

室町時代には金閣寺を建立した3代将軍足利義満の三男で
義円と呼ばれる門主さんがクジ引きで将軍に選ばれ
還俗して足利義教として6代将軍に就任してはりまっせ。

幕末には中川宮と呼ばれた青蓮院宮入道尊融親王は孝明天皇の
信頼が厚く公武合体などで活躍されたそうです。

この方が明治になってから還俗されて久爾宮朝彦親王で
現在の東伏見慈晃門主さんなどの曽祖父に当たるようですな。

(青蓮院の門前 十六豆さんの店先で撮影)



京都名物の五色豆と納豆をお土産に買いました。

この納豆は甘納豆で水戸の納豆ではおまへんで。

(青蓮院の門前から 平安神宮の鳥居を撮影)



これで青蓮院の紹介はお仕舞いでおます。

次回はここから直ぐそばの三条大橋の付近を紹介しまひょ。

ほな、今日はこれでさいなら~♪

コメント (26)
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