鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

歴史的な発掘かも? 伏見城跡(指月城)現場説明会

2015-06-27 20:02:58 | デジカメ散歩
現在の伏見桃山城はまったく史実にそぐわない観光用でっけど。

大坂城を淀殿から生まれた嫡子秀頼に身上する為に、太閤秀吉が
隠居する屋敷として建築していた物を、急遽お城に改造した物。

それが「指月城」(しずきじょう)と名前だけ伝わってますんや。

それが完成して2年足らずで慶長伏見地震で倒壊したとの記録が。

当時の絵図や記録書が無いために歴史学者の内では昔から
「指月城」は存在しなかった、そんな考え方が強かったんですわ。

処が~ マンション建設の事前調査をやったら遺跡が発掘されましたがな。

平成27年6月20日PMに現地説明会が行われたので行って来ましたんや。

(京阪電鉄 宇治線 13000系電車)



もしかしたら~ そんな期待もこめて4月から発掘してたんでしょうな。

6月に入って地中から当時の石垣や金箔の瓦が続々と出てきたんだって。

この石垣は昨年に調査された京都・聚楽第の石垣と共通しており
その積み方も自然石を使った「穴太積み」(あのうつみ)に通じるとの事。

しかも金箔瓦とくれば最高権力者の象徴だと考えられまっしゃろ。

噂だけだった「指月城」が本当に存在したと言うのが本当の気持ち。

(伏見城址の 周辺遺跡図)



歴史上に登場する伏見城は中央右寄りに在る「木幡城」(こはたじょう)で
太閤秀吉が1598年に亡くなったのは、このお城になるようでっせ。

後に徳川家康や徳川秀忠それに徳川家光が朝廷から征夷大将軍を
授けられたのもここ伏見城の「木幡城」だったんでっせ。

当時は江戸城より伏見城の方が政治的には重要なお城だった感じ。

朝廷を意識する必要がなくなり一国一城令の建前により廃城に。

元和8年から取り壊されて城跡には桃の木が植えられたとの記録がおます。

だから江戸時代の元禄以降は「桃山」と呼ばれるようになったとか。

歴史上の安土桃山時代と呼ばれる桃山は、此処から出てまんねんで。

明治維新後は明治新政府が取り上げて国有地にしてしまったのかな。

現在は大部分が明治天皇と昭憲皇太后のご陵地になってまっせ。

京都の風景を、こよなく愛した明治天皇の遺言だったと言われてますかな。

(現地説明会へ 誘導する係員)



それに対して発掘された「指月城」(しずきじょう)は
1596年(慶長元年) 閏7月13日の子の刻(午前0時)ごろ

震度6の慶長伏見地震が発生し「指月城」は倒壊したとのこと。

太閤秀吉はからくも難を逃れて庭で震えていたとの記述。

奥女中他が数百名も天守閣の倒壊で圧死したと書かれてまんな。

そこへ真っ先に駆けつけたのが謹慎中の加藤清正だったとのお話。

実話かどうかは疑問でっけど「地震加藤」の逸話でっかな。

余談ながら実際は文禄5年で各地に地震が続発し元号を慶長に
変えたのはこの年の10月だったそうでっせ。

でも日本の歴史では遡って新しい元号で呼ぶのが通例なんですわ。

(現地説明会で 開催を待つ参加者)



頭にきた! 太閤秀吉は指月城の残骸を全てお堀に埋めてしまったとか。

それから1年後に丘を登ったところに、「木幡城」を新しく造らせたんだって。

それにしても天下人はお城の一つや二つは直ぐに造ってしまいまんねんな。

因みに、この城は関ヶ原の前哨戦で西軍により焼かれてしまい落城。

再び徳川家康が同じ場所に伏見城を建てたと記録が残ってますわ。

だから~ 伏見城は二か所あったことになりまんねんで。

(現地説明会の 写真)













参加者が多いので30分ほど前倒しで現地説明会のスタート。

鉄ちゃん爺やは、こんな現地説明会には良く出かけますんや。

普通は上から穴倉を覗くような感じの遺跡が大半でっしゃろな。。

ところが、当時の地表まで掘り下げて当時の目線から遺跡を
眺めたり、デジカメで撮影させってくれるのは有難いでしたわ。

お堀は現在は3~4Mぐらい掘り起こされたようでっけど、おそらく
5~7Mぐらいの深さが有ったんじゃなかろうかとの話でした。

(当時の石垣に使われた 自然石)







京都市が発掘してるんじゃなく、民間企業が協力して発掘し
京都平安文化財という会社が調査を引き受けてるようですわ。

だから、歴史を見る目線にも配慮がされている訳でんな。

お役所仕事なら、こんな配慮はなくて歩いて周囲を見せるだけ。

(現地説明会に 展示された金箔瓦)















周辺は既に観月橋団地となり全域の調査は難しいとの事。

でも、何らかの形で指月城の遺跡として部分保存したいとの話。

太閤秀吉さんの「指月城跡」にほぼ間違いないとの説明でした。

(現地説明会の 順番を待つ参加者)





この日は約2300人もの参加者が集まったとのHPでの情報でした。

でも待ちきれずに帰った人もおられたようで凄い行列でしたわ。

実際にはもっと沢山の方が押しかけていたように思いまつせ。

やはり関西人は太閤秀吉さんの遺跡が出たとテレビが放映したんで
こんなに大勢の人が集まるのはやはり「太閤秀吉さん贔屓」かな。

帰り際に観月橋(かんげつきょう)に寄り道しまひょ。

(国道24号線 道路標識)



(宇治川に架かる 観月橋)









現在は二段構造の橋になってますんで昔のような情緒はおまへんな。

宇治橋を経由していたのをこの橋を架けてから奈良とを最短で結び
且つ、ここを港にして大坂と伏見を繋ぐ船便の港にしたそうでんな。

この橋は江戸時代までは「豊後橋」(ぶんごばし)と呼ばれたんだって。

豊臣秀吉が伏見城と伏見の町を造る際に大友宗麟に命じて架橋
豊後の国の大名が造った橋なので名付けられたとの説が。

(一級河川 宇治川)





この観月橋という麗しい名前は太閤秀吉が「指月城」の麓に在る
月橋院(げっきょういん)というお寺から月見の宴を開いたとのこと。

それで明治に成ってから「観月橋」(かんげつきょう)という綺麗な
名前が付けられたそうでんな。

月橋院のお寺は現在も宇治川の畔に再建されてますんやけど
檀家の方以外は境内に入れないお寺なので写真は写せまへんでした。

(京阪電鉄 宇治線 観月橋駅)



何せ一番乗りで1時間前から現地説明会に並んだのでPM2時頃には
現地説明会の現場から離れられましたんや。

だから現地説明会は一番乗りで待つぐらいが良いようでっせ。

数年前の奈良の桜井市での卑弥呼の宮殿とやらの現地説明会では
出遅れたもんで1時間半も並んで待たされた記憶がおますんや。

観月橋駅から三つ先の黄檗宗の大本山である萬福寺へ向かいまひょ。

そんな訳で、今回はこれでお仕舞いにしまっさ さいなら~♪

















コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨の季節 花菖蒲が お似合い (平安神宮の神苑にて)

2015-06-21 20:14:14 | デジカメ散歩
平安神宮の神苑は拝殿(大極殿)を囲むように下の絵図の

左側から時計回りに南神苑・西神苑・中神苑・東神苑と
約1万坪もの回遊式の日本庭園に成ってますんや。

恥ずかしながら平安神宮に神苑が在るのを知りまへんでしたわ。

テレビで花菖蒲が放映されたんで行ってきましたで。

(平安神宮 神苑の絵図)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

説明書きによれば南神苑は平安神宮と同時の明治28年に開園し
八重紅枝垂桜(やえべにしだれざくら)で有名だそうでっせ。

谷崎潤一郎の「細雪」にも登場するそうでっけど鉄ちゃん爺や
学生時代に二度も読んだけど気が付きまへんでしたわ。

(平安神宮 南神苑の八重紅枝垂桜)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

明治28年に仙台市長の遠藤さんが寄贈したとの立札で
帰ってから造幣局の八重紅枝垂桜も遠藤さんだったはず。

調べたらやはり同じ遠藤さんで同じ品種の桜でしたわ。

同じ頃に造幣局にも寄贈され現在は遠藤桜とも呼ばれてまっせ。

(造幣局の 八重紅枝垂桜)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

枝ぶりは造幣局の八重紅枝垂桜の方が手入れが行き届いてる感じ。

春には同じように綺麗な姿を見せるんでしょうが今は葉桜ですわ。

(平安神宮 南神苑 説明板)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

平安時代の源氏物語や枕草子や古今和歌集などに登場する
草花を育てて「平安の苑」と名付けてるようでんな。

でも鉄ちゃん爺やが訪れたのは6月なので紫陽花と下野草だけ。

(平安神宮の神苑 下野草=しもつけそう)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

紫陽花は珍しくもないので花菖蒲の方へ急ぎまひょ

花菖蒲が咲いているのは隣に移動して、西神苑になりまんねん。

(平安神宮 西神苑の 説明板)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

ここの池も西側に在るので「白虎池」と名付けられてまんな。

今回のお目当ての花菖蒲なんで10枚ほど貼り付けて置きまひょ。

(平安神宮 西神苑の 花菖蒲)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

花菖蒲だけを観て帰っても良いんでっけど、ここまで来たら
中神苑や東神苑も、ついでに見ておくべきでっしゃろ。

入場料の600円を無駄にしたくないので行きまひょ。

(平安神宮 西神苑から 中神苑への 遊歩道)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この辺りが平安神宮の拝殿の真裏側になるようでっせ。

少し薄暗い遊歩道を歩いて視界が開けると中神苑になりまっせ。

(臥龍橋=がりゅうばし 説明板)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

ここは池の中央にスイレンが咲いている明るい庭園ですわ。

カキツバタも咲いているとの事でっけど、もうお仕舞いだった感じ。

(平安神宮 中神苑の 蒼龍池=そうりゅういけ)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

最後は東神苑で、ここだけは大正時代に完成したそうですわ。

明治時代のカリスマ庭師だった小川治兵衛という方が造ったんだって。

(中神苑から 東神苑に向かう遊歩道から撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

京都の東山を背景にして大きな栖鳳凰池(せいほういけ)を巡らした庭で
現在は平安神宮で挙式される新郎新婦の記念写真の場に使われてまぁ。

平安神宮に在る神苑で一番大きな池でっせ。

これらの池には琵琶湖疎水の水が引き込まれているんだって。

(平安神宮 東神苑と 栖鳳池=せいほういけ)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(東神苑の 泰平閣 橋殿とも呼ばれます)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

これは泰平閣と呼ばれる橋殿(はしどの)で京都御所から移設された建物。

この日も結婚式の記念撮影が行われている側をお邪魔して通過しましたんや。

(東神苑の 尚美館=しょうびかん) (貴賓館です)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この貴賓館も京都御所から移設されたと書かれてましたわ。

これで平安神宮にある四つの神苑を全て散策したことになりまぁ。

(平安神宮 門前の冷泉通り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(最後は 平安神宮 応天門の前で 自撮り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(平安神宮の近くを流れる 琵琶湖疎水)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


ほんなら、 今日はこれでお仕舞いでっせ。

次回は京都の伏見で太閤秀吉さん、お城の跡が発掘。
現地説明会に出かけてきましたのでそれを紹介しまひょ。

それじゃ~ これで、さいなら~♪





コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぼちぼち やりまひょ~♪ (新しいPC 買いましたで)

2015-06-11 18:38:10 | 日記
鉄ちゃん爺やの新しいノートPCでっせ。

UPUが4GB  HDDが560GB

やはり古いPCよりは速度が抜群に速いでんな。

(東芝 BB25/PB-SHA)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

インターネットは繫がったんでっけど、画像がフォトフレンドから取り込めまへんのや。

元のPCからこちらに貼り付けて、取り合えずは試運転でいきまひょ。

やはりUSBメモリーに落とすしかないんでしょうな。



話は変わりまっけど~

土曜日に京都の平安神宮へ行ってきましたで。

テレビで花菖蒲が見頃だと放映してましたんや。

平安神宮は何年振りだろう、記憶では中学の遠足以来かもしれまへんわ。

(京阪特急 機関車トーマス ラッピング電車)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

沿線の枚方パークで子供向けの人気アニメである機関車トーマスが開催中。

そのPR用に8000系の京阪特急を1編成だけラッピングしたようでんな。

駅に停車するたびに子供さんが写真を写して貰ってまっせ。

鉄ちゃん爺やが別にこの特急に乗りたかった訳じゃおまへんで。

たまたま~ 淀屋橋駅で出町柳行きを待ってたらこの電車でしたんや。

(三条京阪 駅前)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

三条京阪から平安神宮までは歩いても約2Kmちょいぐらい。

三条通りから神宮通りをのんびりと歩いて見まひょ。

元禄時代創業の古いお店を発見。

(元禄時代 創業の古いお店)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

江戸時代には和紙を売ってはったそうな、現在は書道用の筆や色紙それに
万年筆やサインペンや綺麗な包装紙なども、扱っておられるようでんな。

(三条通り 東大路の道路標識)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

次は京都の和菓子屋さん、今頃は「鮎」の和菓子が有名でっかな。

初夏には京都をイメージして、涼しさを感じさせる和菓子でっせ。

京都では街の景観を損なわないように新しく改装しても
こんな古いイメージを残さないと建築許可が出ないんだって。


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

ここは平安神宮への参道で神宮通りと呼ぶようでんな。

ここまで来たら平安神宮の赤い大きな鳥居が見えてきましたで。

(平安神宮の 大鳥居)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(平安神宮の  応天門=神門)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この日は6月6日やと言うのに、寒いぐらいで長袖シャツにジャンパー姿でっせ。

流石に午後からは暑く成って、ジャンパーだけは脱いで歩きましたけど。

ご存知だと思いまっけど平安神宮は平安京を造った桓武天皇と平安京で最後の天皇になる
孝明天皇をお祀りした神社で、明治に成ってから創建されたんでしたよね。

私らの年代の方は修学旅行で金閣寺と清水寺と平安神宮がセットになってましたかな。

現在は平安神宮よりも二条城の方を見学することの方が多いようでおます。

○○神宮 と ○○大社 この違いはご存知でっか?

各地に在る神宮の名前が付いた神社は天皇や天皇家の祖先をお祀りした処で
明治神宮や橿原神宮や熱田神宮などが良く知られていますかな。

出雲大社や住吉大社など天皇家以外の大事な神様が祀られてるのが大社でっせ。

(平安神宮   青龍の手水場)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(平安神宮 青龍の楼閣)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

中国から伝わった四神獣と言われる高貴な方の館やお墓を鎮護する動物なんだって。

その一つで「青龍」は東側を守る神獣で、季節は春とされてまっせ。

だから~ 平安神宮の本殿の東側には青龍楼が配置されてますんや。

昔の平安宮の朝陽院を模して造られたと書かれてましたで。

だから「青龍の手水場」も境内の東側に置かれてますんや。

(平安神宮 白虎の 手水場)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(平安神宮 白虎の楼閣)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

こちらは~ 西側を守る神獣で「白虎」でんな、季節は秋を示すんだそうです。

だから~ 平安神宮の本殿の西側には白虎楼が置かれてる訳でんな。

当然ながら「白虎の手水場」は平安神宮の西側に置かれてまっせ。

南を示す「朱雀」は夏を意味しますが、朱雀門はここにはありません。

北を示す「玄武」は冬を意味しますが、ここには見当たりませんでしたけど。

(平安神宮 ご朱印)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

最近は神仏を兼用しての「ご朱印」が流行ってるそうでつせ。

鉄ちゃん爺やも、ご朱印を貰ってから参拝させてもらいまひょ。

(平安神宮&神苑 案内図)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(平安神宮 左近の桜)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

京都御所の紫宸殿にも同じような「左近の桜」と「右近の橘」が植えられてましたな。

ここ平安神宮の拝殿も天皇がお正月に臣下を謁見する大極殿を模してあるんでしょう。

その際に左近衛府の武官がこの桜の横に整列したんだったかな。

(平安神宮 右近の橘)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

こちらは同じく右近衛府の武官が並ぶと言われた「右近の橘」でっせ。

因みに鉄ちゃん爺やの町の木はこの「橘」とされてまんねんで。

でも~ 我が町で「橘」を見れるのは誉田八幡宮の拝殿前だけかも。

(平安神宮 大極殿)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

平安神宮の拝殿になるそうやけど、大極殿を模してあるのでその説明板が置かれてまぁ。

この平安神宮の拝殿内部は撮影禁止なのでこれ以上は近づいて写せまへんでした。

でも鉄ちゃん爺やの印象としたら、京都御所の紫宸殿の方が威厳がおますな。

中国人の観光客が写真を撮ってはるけど、この神社の意味やお祀りされている天皇など
日本の歴史や創建された明治時代の背景など知る由もないんだろうな。

明治政府が天皇制を重んずる為に創建した神社なので中国人が観光するような場所ではないはず。

反日を唱える中国人が天皇をお祀りしてる拝殿で手を合わせているのが滑稽でっしゃろ。

(平安神宮 大極殿の前で自撮り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(平安神宮 神苑入口)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(平安神宮 神苑 入場券 600円)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

ここの神苑で花菖蒲が見頃だとのことで訪れたんでしたな。

次回は新しいパソコンから神苑の画像などをやりまひょ。

ほんなら~ 今日はこれでお仕舞い さいなら~♪
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする