鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

今では懐かしい  紙幣のお札

2022-06-26 10:26:15 | 雑記帳
現在では紙のお札といえば1000円札・5000円札
10000円札でしたね、2000円札は見かけないのかな?

昔のアルバムを整理してたら、古いお札が出てきましたで。

(二宮尊徳1円札) (戦後最初の1円札)


鉄ちゃん爺やが幼少の頃に初めて駄菓子屋さんで使ったのが
おそらくこの1円札だったように記憶しまんねん。

現在なら100円硬貨ぐらいの値打ちだったんかもね?

1946年(昭和21年)3月から発行されて
1958年(昭和33年)10月に発行停止とのこと。

現在でも1円として使えるそうでっけど、スーパーなどで
提示したら若い店員さんなら、まごまごしそうでっせ。

まぁ~ 銀行で新しい1円硬貨と交換して貰うべきかも。

(国会議事堂10円札) (戦後最初の10円札)


(国会議事堂10円札 裏面) (1946年 昭和21年スタート)


正式には日本銀行券A号10円札と呼ばれたと書かれてますかな。

最初の1円札と同様に戦後に発行された最初の10円札なんだって。

遠くから見たら米国と見えるとか、中央やや右下の模様がMPの帽子に。

鎖につながれている皇室16弁菊のご紋章などと言われたとか。

敗戦の暗い想い出を伝える、お札のような感じがしまぁ。

GHQが人物像から国会議事堂に無理やりデザインを変更させたとか?

旧円と新円を交換するために秘密裏に大蔵省印刷局や民間印刷会社で
大量に印刷し庶民にとって当時はもっとも身近な紙幣だったんだって。

紙幣のナンバーの下2桁が印刷した場所を意味し画像では「42」
大蔵省印刷局彦根工場で作られたと書かれてました。

ちなみに「24」は印刷大日本印刷秋田工場で発行枚数や現存の枚数から
古銭マニアや古銭取引店ではプレミアが付く高値で売買されてるんだとか。

ただし画像の10円札は発行枚数が多く現在でも額面通りの10円。

何せ終戦直後から大量に作られて偽札も多く出回ったとの話。

銀行へ持っていったら10円硬貨と交換をしてくれるそうでっけど。

(戦前の 武内大臣 1円兌換紙幣)


戦争中に鉄ちゃん爺やの防空頭巾に5枚ほど密かに縫い込んであった
その内の1枚だそうで、残りの4枚は終戦後に行方不明になったはず。

この1円札は明治22年から昭和17年まで約4億枚近く発行されて
戦前の紙幣では一番多く流通した紙幣だとも、言われてるようでっせ。

大正時代まではこの1円札は銀行で1円銀貨と交換できたようでんな。

武内大臣とは神功皇后と共に応神天皇を支えた武内宿祢のことでおます。

この古い1円札は銀行へ持って行って1円硬貨と交換できるのかは不明。

1946年(昭和21年)3月で旧円は効力を失ったはず。

(岩倉具視500円札 B号 旧紙幣)


(岩倉具視500円札 B号 旧紙幣の裏面)


1951年(昭和26年)~1976年(昭和46年)まで発行

何故かデザインを変えて1969年(昭和44年)から新しい500円札が。

(岩倉具視500円札 C号 新紙幣)


(岩倉具視500円札 C号 新紙幣の裏面)


1985年(昭和60年)まで発行されて紙幣の500円札は終了。

現在の500円硬貨に変わっていくんですが、この500円札は両方が
流通し裏面を見れば富士山と500のデザインが正反対になってまぁ。

(板垣退助100円札)


これも昭和の時代にお世話になった庶民にはお馴染みの紙幣ですかな。

現在の100円硬貨は白銅の合金でっけど、昭和の時代には100円銀貨が
流通したこともあり、鉄ちゃん爺やも50枚ぐらいタンスに残っているはず。

銀貨を潰して銀を抽出したら重い罪になりますが確か銀の含有率が6割だった?

銀6割なら価値が上がると考えましたが実際は額面通りの100円だとの話。

ところで昨年に新しく発行された新500円硬貨はお持ちですかしら?

(500円硬貨の 新と旧)




新500円硬貨は自動販売機に使えないとか言われてますがどんな感じ?

周りのギザの部分が偽造しにくく工夫がされているとか聞きましたけど。

注意してみたら表面もデザインが少し新しく変わったようですな。

1円アルミ硬貨・5円黄銅硬貨・10円青銅硬貨・50円白銅硬貨

100円白銅硬貨・500円バイカラー・クラッド硬貨 の現在は6種類。

500円硬貨はニッケルや白銅や亜鉛など微妙な配合で造られているとか。

さすがに昭和の時代に発行された硬貨は随分と減りましたよね。

(昭和時代に 発行された硬貨)


今日現在で財布の中身を調べたら昭和時代に発行された硬貨は

100円硬貨が1枚 10円銅貨が2枚 こんな結果になりましたで。

聖徳太子の1000円札や1万円札など庶民の鉄ちゃん爺やには
記念に保存するような余裕がなかった訳で、お札の画像はおまへん。

500円札のB号旧紙幣が1000円ぐらいのプレミヤが付いてますが
少額の紙幣は約50年が経過してもプレミヤはあまり期待できないとか。

額面を割ることはおまへんが、貯蓄するつもりなら
新札で保存すれば少しだけプレミヤが期待できるのかも?

聖徳太子の1000円札や1万円札は例外かもしれまへんけど。

(我が家の紫陽花)




(息子から 父の日に貰った 本格焼酎)


いつも飲んでいるメーカーの三年貯蔵の高級品のようでした。

GWに来た際に酒造メーカーを調べて帰ったようですわ。

ほな~ 今日はこれで、さいなら~♪




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京都で一番古い建物  醍醐寺・五重塔

2022-06-05 19:05:57 | 世界文化遺産
京都に都が定められたのは西暦794年(延暦13年)11月8日だった。

約1200年超の都だったので名所旧跡はあちこちに存在するはず。

さぞかし1000年を超える建造物も数多く有ると考えたが大間違い。

なんと1000年超える建造物は醍醐寺の五重塔が唯一なんだって。

(世界文化遺産 醍醐寺・五重塔)


京都は都が置かれた関係で幾多の戦乱に巻き込まれた経緯がおますんや。

特に室町時代の応仁の乱と幕末の禁門の変で多くの寺社や民家が焼失とか。

応仁の乱なんて戦と言うよりも寺院や神社を焼くことの方が中心だった。

勿論、寺社が両軍の軍事拠点になっていたのも大きな要因なんだけど。

そんな訳で京都市内には室町時代以降の建物しか残ってまへんのですわ。

江戸時代以降の建造物が今の京都市内では大半の観光地なんだとの話。

(醍醐寺の総門)(平成24年5月撮影)




醍醐寺も応仁の乱で本堂を始め多くの堂塔が焼失してまんねんで。

五重塔は少し離れた位置に在ったので戦乱を免れたのかもしれまへん。

醍醐天皇の冥福を祈るために西暦951年(天暦5年)に完成したそうですわ。

1000年を超える京都では貴重な建造物となってますんや。

醍醐寺は醍醐天皇の勅願寺とされ現在は真言宗の醍醐寺派の総本山でおます。

(国宝 醍醐寺 五重塔)(平成24年5月撮影)






高さは約38mで屋根の相輪が12mもある見事な五重塔なんでっせ。

初層(1階)の曼陀羅の壁画も国宝に指定されてますと書かれてました。

新幹線から見える京都・東寺の五重塔が約55mで高さは日本一。

奈良・興福寺の五重塔が約50m、第三位が京都・八坂の塔で約49m。

醍醐寺の五重塔は日本で四番めに高い五重塔になるんだそうですわ。

日本で一番古い奈良・法隆寺の五重塔は約34mとやや低い感じでんな。

(国宝 醍醐寺の金堂)(平成24年5月撮影)


元は紀州の湯浅に在った萬願寺の本堂を豊臣秀吉が焼き討ちする方針を
醍醐寺の座主の願いを聞き入れて醍醐寺に移設することで許可したとか。

後白河法皇の勅願寺だつた立派な建物で有ったのが幸いしたのかも。

平安末期の様式に織豊時代の様式を加えた立派な金堂になってますかな。

正面が約21mで奥行きも約17mと大きな建物でおます。

(醍醐寺 金堂のご本尊他) (平成24年5月撮影)


中央がご本尊の薬師如来坐像で左右に日光菩薩と月光菩薩が配置され
その左右に四天王立象が並ぶ重厚で威厳のある仏さまのようでした。

最近はご本尊など撮影禁止が多いのでこれは貴重な画像となりましたね。

(国宝 醍醐寺三宝院の唐門)(平成24年5月撮影)


勅使や位の高い人しか使用できなかった勅使門のようですね。

皇室の家紋と豊臣家の家紋が当時の権威を残しているようでんな。

(醍醐寺 三宝院の玄関口)(平成24年5月撮影)


(醍醐寺 三宝院の境内)(平成24年5月撮影)


三宝院は醍醐寺の塔頭で江戸時代までは醍醐寺の最高権力者である
醍醐寺座主が代々の居住する建物だったそうでっせ。

撮影が厳重に禁止されてますので邸内や庭園は写せまへんでした。

(醍醐寺の ご主印)


(西国第11番札所 上醍醐寺の ご朱印)


考えたら、これらの画像やご朱印は2012年(平成24年)5月11日!

来週の日曜日で丁度10年になるようですわ、現在も風景に変わりはないはず。

(醍醐寺の参道) (平成24年5月撮影)








醍醐寺は桜で有名でこの参道も桜の頃は見事な景色になりますんや。

しだれ桜に山桜とソメイヨシノまで現在は桜は約1900本だとか。

豊臣秀吉が醍醐の花見をした1598年(慶長3年)3月の話は有名!

それから6か月足らずで豊臣秀吉は亡くなるんでしたよね。


この2年ぐらい後に桜が満開の頃にもう一度訪れているんですが
桜の画像をPCで見失ってますんで、ご容赦ください。

ほな~ 今日はこれで、さいなら~♪





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