鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

東下り(あずまくだり)させてもらいます~♪

2017-08-25 20:08:16 | 鉄道
昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思いなして

京にはあらじ、東(あずま)の方に住むべき国求めに行きけり

もとより友とする人、ひとりふたりして、行きけり。

道知れる人もなく惑ひ行きけり。

(中略)

行き行きて、駿河の国にいたりぬ。

「平安時代 伊勢物語の9段 モデルは在原業平とも」


鉄ちゃん爺や在原業平のような色男ではおまへんが。

気分だけ伊勢物語に模して、東下り(あずまくだり)と称し
8月26日の夜明け前に我が家を後にしますんや。

東下り(あずまくだり)の言葉はけして、関東を卑下して
書き込んだ文章でないことを、ご承知おきくださいませ。


(時刻表 平成29年7月版)


急ぐ旅にはあらず、今宵の宿は駿河の国の一之宮である
富士山浅間神社・本宮に参拝し、JR富士駅前にて一夜を。

(青春18きっぷ 5日間)


金券ショップで11,000円で手に入れた代物でおます。

「C制」のスタンプが印字されてるんは、誰かさんが
クレジットで購入し、金券ショップへ転売したようでんな。

もしも、旅行を中止するか、一部が残った場合などの際には
金券ショップが買い取りますとの文言が添付されてまぁ。

(金券ショップ 買い取りの文言)


鉄ちゃん爺や5日間をフルに利用しますんで換金は不要でっけど。

新幹線や在来線の特急には乗車できまへんが、普通電車や
快速電車なら1日中乗っていても、買取価格で換算して
2,200円で大阪から静岡県の富士市まで楽に行けまっせ。

体力が有れば大阪駅から首都圏の主要都市までも行けまぁ。

(鉄ちゃん爺やの 旅行用のスタイル)


大阪駅 発  6:21  快速   米原駅  8:06 着

米原駅 発  8:25  新快速  豊橋駅 10:24 着

豊橋駅 発 10:43  普通   浜松駅 11:17 着

浜松駅 発 11:28  普通   静岡駅 12:41 着

静岡駅 発 12:55  普通   由比駅 13:16 着

由比駅の付近にて 昼食の休憩

由比駅 発 14:15  普通   富士駅 14:28 着

富士駅 発 14:33  普通  富士宮駅 14:52 着

富士山浅間神社・本宮へ参拝

富士宮駅 発17:30  普通   富士駅 17:51 着

JR富士駅前 スーパーホテルにて1泊


静岡県・富士市にて1泊    千葉市・中央区にて2泊

埼玉県・川口市にて2泊    埼玉県・蕨市にて 3泊

東京都・立川市にて1泊    

9月5日~9月7日   宿泊先未定


こんな感じで9月7日に大阪へ戻る予定でおます。

暫くは、ブログ巡りやコメント返しなど出来ないかもしれまへん。

よろしくお願い申し上げます。

明日の早朝にスタートさせてもらいますので宜しく~🎵 
  

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大和の国の一之宮 大神神社を訪ねて

2017-08-14 20:12:05 | 神社
奈良盆地から眺めると円錐形の秀麗な山。

それが三輪山で大神神社(おおみわじんじゃ)の
ご神体で、「神が宿る山」と言われてきましたんや。

上代の信仰を今に伝える我が国最古の神社だとの説も。

(三輪山 標高467m)


昭和の時代までは一般の人が三輪山に入ることが出来ず
一木一草すら採取ができない神秘なお山でしたんや。

永年の願いが認められて現在は摂社の一つである
狭井神社(さいじんや)に届を出し登拝(とうはい)が
認められてますが、写真撮影の一切が許可されまへん。

不心得な行為をした為に、下山後に病気になったり
事故にあったりと、不思議な現象がネットで語られ
三輪山中の写真も、一切が掲載されてないですな。

神聖な霊山として現在も神秘に満ちた山なんですよ。

(JR桜井線 桜井駅名標)


(JR桜井線 先頭車から撮影)


鉄ちゃん爺やは近鉄で桜井駅まで出て、JRに乗り換え
一駅だけでっけど乗ったら2分で三輪駅に到着ですわ。

桜井駅からバスもおますけど、今回はJRで行きまひょ。

神仏習合時代の名残りか、関西では「三輪の明神さん」と
呼ぶ方も多いようでっかな。

(JR三輪駅構内 大神神社の下車駅標)


(JR桜井線 三輪駅名標)


ここからは徒歩で参道まで向かいますんや。

正月の三が日は約50万人が初詣に訪れる有名な神社も
普段は閑散としているので、デジカメ散歩なら最適かも。

(大神神社とJR三輪駅の道路標示板)


(JR桜井線の 踏切を渡る)


画像の向こうに見えているのが先程に下車した三輪駅。

当然ながらローカル線で単線に成ってますんや。

奈良県はJRも私鉄も全てが電化されているんだって。

ローカル線なのに、これは自慢が出来るお話かも?

(大神神社への 参拝道路)


こんな処から自動車は渋滞してるとは大変なことでんな。

鉄ちゃん爺やは徒歩で大神神社へ向かいまひょ。

大神神社(おおみわじんや)と呼んでくださいね。

(大神神社 二の鳥居)






この鳥居を潜ると景色が一変して神社らしくなりまっせ。

それじゃ拝殿までゆっくりと歩いて行くことにしまひょ。

(大神神社の 参道)








(大神神社の 手水舎)


この石段を登ると大神神社の拝殿になりますんや。

三輪山の麓になりますので、おみ足の悪い方でも
お詣りは、さほど苦労するような事はおまへんかな。

(大神神社の 石段)


(大神神社の パンフレツト)


(大神神社の 拝殿) (国の重要文化財に指定)






(大神神社の 拝殿前にて自撮り)


大神神社(おおみわじんじゃ)のお話は日本書紀などに
「国譲り」の神話として記されているようですわ。

大己貴神(おおなむちのかみ)世間では大国主命
(おおくにぬしのみこと)とお呼びしますかな。

それよりも大国様としての方が庶民には人気かも?

大己貴神と少彦名神(すくなひこなのかみ)お二人が
日本の国を造られたんですが、途中で少彦名神が
常世の国に行ってしまった後の出雲の国でのお話。

大己貴神(おおなむちのかみ)が

「国を平定したのは私一人だ、でも私と一緒に
  天下を治める者は居るのだろうか?」

すると~

神々しい光が海を照らして、忽然と浮かびあがってくる神!

「私が居たから、貴方は国を平定するという
  偉大なことを成し遂げたのだ」 と言ったとか。

「私は貴方の 幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)だ!」

大己貴神(おおなむちのかみ)は納得されて、こう問いかけた。

「何処に? 住みたいんでしょうか?」

三諸山(みもろのやま)=(三輪山)に住みたいと述べられた。

そこで宮を造営してお祀りしたので、大神神社のご祭神は

「オオモノヌシノカミ=大物主大神」だとされるんだとか。

大物主大神の側には大己貴神(おおなむちのかみ)と
少彦名神(すくなひこなのかみ)が、お祀りされている。

古代のヤマト王朝の本拠地の近くに何故か出雲系の神様が。

しかも天皇家の皇祖である笠縫邑(かさぬいむら)に在った
元伊勢の神様が、伊勢の方へ移ってしまわれたのも謎?

天照大神を天皇家のお側から、恐れ多いとかで伊勢の方へ
なのに、大神神社の大物主大神はなぜ移されなかったのか?

日本書紀はその件を何も語ってないのも不思議な話ですかな。

(大神神社の ご朱印)


(大神神社 勅使殿)(拝殿の向って右手)


天皇家からの勅使はこの建物に入ってから拝殿へなのかも。

反対側の拝殿の向かって左手にはこんな建物も。

(大神神社 勤番殿)(拝殿の向かって左手)


(大神神社の ご神燈)




次の画像は実物は見ることが叶わない貴重なものです。

大神神社では「古来、一社の神秘なり」と記録され
特に神聖視されて来たものだそうでっせ。

(大神神社の 三つ鳥居)(転載 禁止)


この三つ鳥居は拝殿の奥に、ご神体である三輪山との
境目に置かれている、重要文化財に指定されてまっせ。

この三つ鳥居を通して、禁足地である三輪山を拝む
そんな理由のようですが、この三つ鳥居が何時に
出来たのか、もしくは何のためかも不明なんだって。

現在の拝殿は江戸時代の創建で、大昔には拝殿も無く
この三つ鳥居から三輪山のご神体を拝んだのかも?

貴重な画像ですのでコピーなどは、ご遠慮くださいね。

(大神神社の 茅の輪)








(大神神社 茅の輪を背景に 自撮り)


「茅の輪」は夏越しの神事として各地で見られますが
「輪が一つ」でそれを潜るのが普通だと思いまんねん。

ここ大神神社の「茅の輪」は「輪が三つ」なんですわ。

真ん中の輪から入り、右の輪を潜つて真ん中に戻り
次いで左の輪を潜って、真ん中の輪に戻って終了。

鉄ちゃん爺やも、「三つの輪で出来た茅の輪」なんて
初めての体験でしたが、無事に潜ってきましたで。

(大神神社の ご神木)


(巳の神杉 説明書)


このご神木の根元に白蛇が住んでいるとの説で、その
白蛇を見た方は、願いが叶うとの説がおますんや。

鉄ちゃん爺やは、今回で3度目の参拝に成りまっけど
白蛇さまには、一度もお目にかかってまへんですわ。

「三輪の神杉」と呼ばれて、杉の木は三輪山には
大木が数多く存在しているんだって。

(大神神社 平成第二期造営 奉納者の掲示板)




凄い寄付金ですね、一千万円も奉納された方が多数
全体では数百億円になるんと違いまっしゃろか?



(三輪山)


余談ながら8月14日に大阪の八尾飛行場を飛び立った
小型機がこの三輪山から15kmぐらい先の山中に墜落。

大阪の会社役員の夫婦が2名とも死亡したとのこと。

この三輪山の上空を飛行通過した為に事故ったのかも?

冗談ではなくて、考えられない事故が過去にもおます。

(近畿日本鉄道 電車)




(近畿日本鉄道 特急電車)




鉄道マニアから「スズメバチ」の愛称を貰っている電車。

まもなく新型車と交代して引退が決まってますんや。

鉄ちゃん爺やの一之宮巡りはこれで五畿内が完了でっせ。

五畿内とは昔の、山城の国・大和の国・摂津の国
河内の国・和泉の国 のことを称しますんや。

それでは、今回のお話はこれでお仕舞にしまひょ。

ほな~ 今日はこれで、さいなら~🎵



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備後の国 新市町と一之宮を訪ねて

2017-08-05 20:33:20 | 神社
今回は備後の国 新市町を訪ねましたんや。

JR福山駅からローカル線に乗り換えて約1時間。

現在は福山市に編入されて「新市町=しんいちちょう」
皆さんには、初めて聞く地名でっしゃろか。

実は鉄ちゃん爺やの住む町が昔は「古市町」でおます。

正反対の町名なので、昭和の時代から知ってましたんや。

訪れたのは今回が初めてでしたが、現役時代には
取引先や出荷先としては、良く知ってましたけど。

(7月31日 世界文化遺産に推薦!)(古市古墳群)


先月末に国内で世界文化遺産の推薦に決まりましたで。

正式な世界文化遺産に決まるのかは疑問でっけど?

古墳は横から見ても観光客には理解が出来まへんやろな。

この件は機会を改めていずれ紹介する事にしまひょ。

(JR福塩線 新市駅 駅名標)




この町は鉄ちゃん爺やが現役時代から馴染の町で
当時は「広島県芦品郡新市町」と呼ばれてました。

現役時代にはジーンズの縫製企業が多かった記憶。

戦前は軍服を縫製していた時代があったんだとか。

お隣の岡山県・倉敷や児島地区の学生服と並び、現在も
ワーキングウエアやカジュアルウエアの縫製が盛んで
岡山県西部と備後地区で大半が生産されてるんだって。

(新市町の 観光案内地図)


備後絣(びんごかすり)ってご存じかしら?

戦前から戦後の1950年代まで婦人用の
作業服として愛用された綿の織物なんでっせ。

黒っぽい紺色に白い柄と言えばお分かりかしら?

そうそう! 女性の「もんぺ」に使われた生地でんな。

戦争中は女性の和服が自粛されたので、絣(かすり)を
使った「もんぺ姿」が一般的な姿だったような記憶。

あまり、良いイメージは無いかもしれまへんけど。

(備後絣=びんごかすり)






鉄ちゃん爺やが就職した頃から「備後絣」は斜陽化し
200件ぐらいあった企業も、数件を残すのみだとか。

久留米絣・伊予絣・備後絣が日本の三大産地でしたな。

最近はネクタイとか浴衣などで僅かに復活も見られとか。

(備後絣=びんごかすりの パンフレット)


先染めと呼ばれる紺色に染色した経て糸に、片や白く
染色した横糸で織り上げる日本独特の織物だったそうな。

その技術を生かして、デニムの生地が備後地区では
日本最大の生産地になっているようでっせ。

デニムと言えばジーンズに使用する生地だとご存じかも。

縫製は中国や東南アジアに安い人件費を求めて進出し
ここ備後地区も、苦しい時代が続いているんだとか。

それでもジーンズの縫製では日本有数の生産を現在も
維持し、岡山県とここ新市地区で作られるようでっせ。

ブランド名でしか流通しないので生地や縫製の地区が
一般の人には、知られてないのが現状でっしゃろな。

それでは鉄ちゃん爺やが最近始めた「一之宮巡り」

備後の国の一之宮は、ここ新市町にありますんや。

JR新市駅から北へ約2kmぐらいの所にありまんねん。

「吉備津神社=きびつじんじゃ」と呼ばれてまぁ。

(吉備津神社 ご参拝のしおり)




(吉備津神社の 鳥居 & 下随神門)


(石の鳥居には 慶安元年の銘が)


慶安元年と言えば西暦1648年で徳川三代将軍の
徳川家光公の晩年になりますかな。

ここ吉備津神社の本殿を再建されたのは前回に紹介した
福山藩初代藩主の水野勝成さんだそうですわ。

水野勝成さんが亡くなられたのは慶安4年だそうで
この石の鳥居も存命中に奉納された物なんでしょうな。

(上随神門への石段)


備後の吉備津神社には随神門が上と下の二つが有りまんねん。

全国の神社で随神門が二つもあるのはここだけだとの話。

10月を昔は神無月と呼び、全国の神さまが出雲に集まられ
神さまが居られないので、神無月と呼ばれたそうでんな。

出雲では逆に「神有月」と呼びますが、神代の時代に
出雲に来ない吉備津彦命(きびつひこのみこと)心配し
大国主命(おおくにぬしのみこと)が心配されて部下を
派遣された処、備後の国は大祭の真っ最中だとのこと。

それ以降は派遣された部下二人がそのまま門守に命じられ
備後の国も10月を「神有月」と呼ぶようになったんだとか。

(吉備津神社 本殿)(国の重要文化財に指定)




(吉備津神社 本殿を背景に自撮り)






(吉備津神社 ご朱印)


社伝では大国主命や吉備津彦命などの逸話が記されてますが
平安時代初期の「式内社」には備後の国の「吉備津神社」は
記載されてないんですわ、だから中世以降に出来たのかも?

昔は「吉備の国=きびのくに」と呼ばれた現在の岡山県と
広島県の備後地方は、奈良時代に三つに別けられたとの説。

京都から近い方から備前は「前つ国」真ん中の備中は「中つ国」
一番遠い備後は「後つ国」と呼ばれたのが始まりだとのこと。

おそらくは平安時代か鎌倉時代に備中に鎮座する「吉備津神社」
から分祀して造営された「一之宮」だと考えられますんや。

(吉備津神社の 神楽殿)




吉備津神社のご祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)と
呼ばれ、大和朝廷に匹敵するような豪族だったような感じ。

岡山県の備前の国には「吉備津彦神社」が同じく備中の国には
「吉備津神社」が鎮座されてるのは当然なことですわな。

ご神木なんでしょうな、大きな銀杏の木が植わってまぁ。

(吉備津神社の ご神木 大公孫樹)




(吉備津神社の拝殿)


(吉備津神社 拝殿の内部)


本殿は慶安元年(1648年)に福山藩主・水野勝成が再建して
「備後の国一之宮」として今日に至ると記されてるようでんな。

備後の国のお殿様として、吉備津神社は大事な神様でしたんや。

(吉備津神社 本殿の彫刻)






流石に備後の国・一之宮です立派な彫刻が施されてまぁ。

吉備津神社の入口には「御池」という池がおますんや。

パンフレットの画像に成りますが貼り付けて置きまひょ。

(吉備津神社 御池)


昔はこの池で参拝者は心身を清めてからお参りしたそうですわ。

社務所からタクシーを呼んで貰ったので立ち寄れませんでいた。

タクシーは2kmもの駅前からメーターを倒さずに神社まで
JR新市駅まで790円で乗せてもらい有り難かったですわ。

タクシー待ちの時間に上の随神門から下の随神門をデジカメで
写してみたらこんな感じに成りましたんや。

(上随神門から 遠くに下の随神門を望む)


広島県は安芸の国の厳島神社、それに今回の吉備津神社
これで広島県の一之宮は完了したことになりますんや。

それではJR新市駅まで戻ることにしまひょ。

(JR新市駅 駅舎)


この跨線橋から先は広島県の府中市になりますんや。

東京の府中市と広島県の府中市が同じ紛らわしいでんな。

現在はこんな同じ都市名は付けられないようでんな。

両方共に政令が出来る前に市制が成立したんだって。

(JR福塩線 新市駅 時刻表)


(吉備津神社 参拝下車駅のご神燈)


マクロで誤って撮影したのでボケてますがご容赦のほど。

のんびりしたローカル線の田舎の風景ですね。

福山市とは思えないような長閑なホームでっせ。

(JR新市駅 ホーム)


(JR新市駅に 到着の105系電車)


(JR福山駅にて 福塩線のホームを撮影)


(JR福山駅前にて 自撮り)


(JR福山駅前から 福山城の月見櫓を撮影)


新幹線で福山駅を通過する際に見える福山城の
再建された新しい「月見櫓」ですよ。

これで広島を巡る最後にしますので、糸崎駅で
出会いましたラッピング電車を貼り付けて置きまぁ。

(JR山陽本線 糸崎駅 駅名標)


(サンフレッチェ広島 ラッピング電車)






(115系 瀬戸内配色の 郊外電車)




JR山陽本線は糸崎駅までが岡山支社管轄になりまんねん。

普通電車はここで広島方面も岡山方面へも全てが乗り換え。

次の三原駅からはJR西日本の広島支社管轄になりまぁ。

ここで広島方面行きの新型電車と乗り換えましたで。

(227系 JR西日本 広島管轄の新型電車)


それじゃ鉄ちゃん爺やの広島県巡りはこれにてお仕舞い。

次回は奈良県の大神神社を紹介させてもらいまひょ。

それじゃ、これで、さいなら~🎵

 

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