鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

マンホールの蓋  探索の旅  北信濃を訪ねる

2020-05-31 21:40:31 | マンホールの蓋
最初にお断りをして置きます。

昔の画像から机上で編集した旅行ですので悪しからず。

今は引退した鉄道車両など懐かしく再現した物なので宜しくね。

2015年(平成27年)3月に北陸新幹線が金沢駅まで延伸。

多くの線区が第三セクターに移管され列車も大きく変わりましたんや。

(683系 特急はくたか) (北越急行の車両)(2014年10月撮影)




北陸新幹線が金沢駅まで開通する前は関東から北陸へ向かう優等生でした。

上越新幹線で越後湯沢駅で乗り換えて「はくたか」で金沢駅まで
最速で4時間ぐらいで東京駅から金沢市へ行けるようでしたかな。

お役ご免でこの車両はJR西日本へ譲渡され塗装を変えて金沢駅から
名古屋駅へ向かう特急「しらさぎ」に使用されているとのこと。

(JR富山駅 駅名標)(2014年10月撮影)


(あいの風とやま鉄道 PR表示板)


ご承知の通り昔の北陸本線は新潟県の直江津駅までJR西日本の管轄。

それが北陸新幹線が出来たために金沢駅から先が細切れに分割されて

石川県内が IRいしかわ鉄道  金沢駅 ~ 倶利伽羅駅

富山県内が あいの風とやま鉄道 倶利伽羅駅 ~ 市振駅

新潟県内が えちごトキメキ鉄道 市振駅 ~ 直江津駅

金沢駅から東へは北陸新幹線をご利用くださいだって、悲しいね。

鉄ちゃん爺やのように普通列車の旅を楽しむことが難しくなりましたんや。

(JR富山駅構内の 立ち食いそば屋さん)(2014年10月撮影)


現役時代はここで、そばを食べて得意先へ向かったことがおます。

当時は地上のホームでしたので、北陸新幹線が開通後には
在来線も高架式のホームに変わり、今は営業をしているのかしら?

(455系 JR西日本 交流型郊外電車)(2014年10月撮影)






この455系の電車も国鉄時代からのロートルなので引退したはず。

糸魚川駅から直江津駅方面へ向かいまひょ、出発! 進行!

画像の2014年(平成26年)ならこんな感じでしたな。

現在は途中の泊駅で乗りかえて直江津駅まで約2時間チヨイの旅になりまぁ。

(北陸新幹線 上越妙高駅 駅名標) (2016年7月撮影)






富山駅から新幹線に乗り上越妙高駅まで各駅停車で40分でした。

ここで、えちごトキメキ鉄道はねうまラインで高田駅へ向かいまひょ。

(JR高田駅舎=現在は えちごトキメキ鉄道)(2011年4月撮影)


(JR時代の 高田駅 駅名標) (2011年4月撮影)


(新潟県上越市の マンホールの蓋)(2014年4月撮影)


新潟県上越市は1971年(昭和46年)に直江津市と高田市が合併して
新潟県では新潟市・長岡市に次ぐ三番目の大都市に成るようですわ。

人口が約18万8千人で冬場は新潟県でも豪雪地帯に含まれますんや。

(新潟県上越市 JR高田駅前の商店街) (2011年4月撮影)


こんな雪除けの街並みが高田城址まで続いているようでした。

訪れたのは4月4日で関西では桜が満開を迎えるような時期でしたかな。

高田城址は桜の名所ですが、とてもじゃないが寒くてまだ冬の季節でしたよ。

(JR高田駅構内の ステンドグラス)(2011年4月撮影)




JR東日本から、えちごトキメキ鉄道に変わったけど高田駅舎は
そのまま使用されていると思いまんねんで。

素晴らしい駅舎でこのまま受け継がれて残ることを希望しますね。

それでは、当時のJR信越本線・高田駅からJR長野駅へ向かいまひょ。

(189系 JR東日本 普通電車 妙高号)(2011年4月撮影)


JRの普通電車や快速電車には愛称がつかないんですが、例外がおました。

当時のJR信越本線で長野駅から直江津駅までを一日4往復だけしていた
普通電車「妙高号」はグリーン車まで連結した例外の電車でしたんや。

元は国鉄の信越本線で特急「あさま」として走っていた特急列車で
普通電車なので指定券なしで乗れるマニアには良く知られた電車でしたかな。

(189系 妙高号の車内)(2011年4月撮影)


特急列車で利用されただけに座席はリクライニングの素敵な雰囲気ですかな。

それでは、残雪の信越国境を越えてJR黒姫駅へ向かうことにしまっせ。

(建設中の北陸新幹線 上越妙高駅付近を通過) (2011年4月撮影)




豪雪地帯の信越国境ですから街を離れると周りは雪景色に変わりましたよ。

実は東日本大震災の直後で関東へ向かうのを止めて信州旅行をした画像です。

(名峰 妙高山の遠景) (2011年4月撮影)








新潟県と長野県の境に独立峰で聳える日本百名山の一つですよね。

標高が2454mもあり信越国境ため積雪も多いようですよ。

この妙高の中腹に現れる雪形が馬が跳ねる姿に見えるので地元では
「はねうま」と呼び、「えちごトキメキ鉄道はねうま線」と呼ぶ
第三セクターの鉄道の名前としてのルーツに成っていますよ。

(JR二本木駅で 妙高号とすれ違い)


ここは現在でもスイッチバックが残る珍しい駅なんですよ。

妙高山の麓をJR信越本線は高度を上げながら長野方面へ進みます。

(JR妙高高原駅を通過) (2011年4月撮影)


ここまでが新潟県で「えちごトキメキ鉄道」は現在は乗り換えになり
長野県の「しなの鉄道・北しなの線」と変わるようでんな。

(JR妙高号の 車中より撮影) (2014年4月撮影)


(上信越自動車道路も 並行しているのかも) (2014年4月撮影)


この辺りが地図上で長野県と新潟県の県境を通過しているんだそうです。

次のJR黒姫駅で途中下車してみようと思います。

(JR黒姫駅 プラットホームにて撮影)(2014年4月撮影)


(JR信越本線 黒姫駅舎の全景)(2014年4月撮影)


(JR黒姫駅にて 撮影)  (2014年4月撮影)


タクシーの女性ドライバーさんが駅名標を入れて写してくれました。

冬の時期は野尻湖畔には行かない方が良いかなとのコメント。

ナウマン象の骨が出土し、その博物館が有るんだけどね。

(長野県信濃町の マンホールの蓋)(2014年4月撮影)


(小林一茶の句碑)




(江戸時代から続く 宿場の旅館)(2014年4月撮影)


やはり標高が高いので昼間でも気温が3度ぐらい凄く寒い散策でした。

まだ奥信濃路は4月上旬と言えども、冬の気温に近いですよね。

デジカメ撮影をほどほどにして再びJR黒姫駅へ向へ戻りましたんや。

(189系+183系 JR信越本線 妙高号)




この電車も2019年に運行を停止して除籍されたとフアンのコメント。

最後は臨時の特急「あずさ」や「おはようライナー」などで活躍し
どうやら2020年中にも解体されるとのコメントがありますね。

(JR信越本線 車中から撮影) (2014年4月撮影)


(JR信越本線 豊野駅を通過)(2014年4月撮影)


ここまで下がってきたら積雪はゼロ、間もなくJR長野駅に到着するようです。

長野市は人口36万8千人で長野県の県庁所在地ですよね。

勿論、長野県では人口が一番多く、善光寺さんの門前町でもありまぁ。

(長野市の マンホールの蓋) (2011年4月撮影)


(JR信越本線 長野駅舎 善光寺口)(2011年4月撮影)




(JR長野駅 連絡通路)(2014年4月撮影)


(JR信越本線 長野駅 駅名標) (2014年4月撮影)


(JR信越本線 長野駅 新幹線口)(2014年4月撮影)


善光寺に今回は参拝を遠慮して松代に路線バスで向かうことにしました。

松代は現在は長野市内になりますが江戸時代は真田藩10万石の城下町。

(松代の真田藩邸)(2014年4月撮影)


(長野市松代の 武家屋敷)


(観光用に再建された 松代城内)(2014年4月撮影)


(松代の蕎麦屋さんで 昼食) (2014年4月撮影)


とろろそば定食と地ビール1本だった記憶だけど定かじゃおまへん。

(長野電鉄 松代駅舎)  (2014年4月撮影)


なんでも長野電鉄のこの支線が来年にも廃止に成ると蕎麦屋のおばさんお話。

それじゃ今回乗って見るかと立ち寄ったら次の電車まで30分待ち。

この古い駅舎も取り壊されて今は存在しないはずですよ。

(長野電鉄 屋代線の電車)(2014年4月撮影)


(しなの鉄道 屋代駅舎)(2014年4月撮影)


(長野県千曲市の マンホールの蓋)


(長野県更埴市の マンホールの蓋)


実は更埴市と千曲市は2003年(平成15年)に合併したんだそうです。

だから更埴市のマンホールの蓋は昔の物が残っていると言う訳ですな。

(あんずの里) (2011年4月撮影)


(あんずの花 一輪だけ) (2011年4月撮影)


(あんずの里から 戸隠方向の雪山を撮影) (2011年4月撮影)


あんずの花祭りが始まったと聞いて路線バスでやって来たんだけど
あんずの花は一輪だけ咲いているだけで、時間の無駄をしました。

(あんずの里で 路線バスと撮影)(2011年4月撮影)


路線バスのドライバーさんに慰められて写真を一枚だけお願いしました。

しなの鉄道の屋代駅に戻り長野県の上田駅の方へ動くことにしました。

(169系 しなの鉄道)(2014年4月撮影)




JR東日本から一編成だけ譲渡の電車だけど2016年に引退したとのこと。

しなの鉄道はこのようにJRの古い電車を利用して黒字を出しているとか?

そろそろ新型電車を製造して入れ替える時期には来ているようだけど。

(長野県上田市の マンホールの蓋)


ご存じ真田家の六文銭を描いている真田家の発祥の地ではあるけど。

真田家は1622年(元和8年)にここ上田城から松代へ領地替えを命じられ
明治維新まで長野市の松代の時代の方が長いんだけどね。

上田市が先に六文銭の家紋を採用したから本家のように思っているのかも?

まあ~ 同じ真田家の領地として観光では仲良く並立しいるのかも。

(しなの鉄道 信濃国分寺駅舎)(2014年4月撮影)




上田市は現在は人口15万3千3人と長野市や松本市に次ぐ県下第三位の都市。

だけど、奈良時代から平安時代には国分寺が置かれ国府も在ったとの説。

当時は長野市や松本市よりも大きな信濃の国の中心地だったようでっせ。

(信濃国分寺跡)


この信濃国分寺は平将門が平貞盛を関東から追ってきて戦闘に成り
国分寺はその際に兵火により焼失したとのことらしい。

平将門が信濃の国までやって来たとは信じられないけどね。

(長野県小諸市 鉄ちゃん爺やの定宿)


信州から昔の会社である埼玉へ、逆に埼玉から信州へ、鉄ちゃん爺やの
一人旅をする際の定宿に成った感がしますんや。

(長野県小諸市の マンホールの蓋) (2009年4月撮影)


(しなの鉄道 小諸駅舎)(JRと併用の駅舎)


新幹線がお隣の佐久平に駅が出来た関係で少し寂しいかな?

でも東信濃路では現在も重要な街の一つでは有りますけど。

人口が4万1千人と、こじんまりした街ですが趣のある観光地で
江戸時代の宿場町の雰囲気も残して居るように思いますな。

(小諸城址 懐古園・三之門)(2010年3月撮影)


(長野新幹線 軽井沢駅前にて 自撮り)


(浅間山の夕暮れ)


長くなりましたので今回はこれにて中断いたします。

次回は日本三大車窓のJR姨捨駅や松本城などを巡ります。

ほな~ これで、さいなら~♪
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マンホルーの蓋  探索の旅  北陸三県を巡つて

2020-05-24 15:18:45 | マンホールの蓋
JR大阪駅から普通電車で一番遠くへ行けるのは福井県の敦賀市なんですわ。

大阪人の感覚では敦賀市は福井県の嶺南地区なので若狭地方と考えてました。

ところが敦賀市に在る氣比神宮にお邪魔したら越前の国の一之宮でおます。

江戸時代には若狭・小浜藩の領地でしたから風俗も若狭に近いと言われてまぁ。

確かに北陸地方と言うよりは関西圏の雰囲気を感じる気もしますんや。

(福井県敦賀市  マンホールの蓋)


(越前の国一之宮 氣比神宮)


(福井県敦賀市 氣比の松原)


日本三大松原である「氣比の松原」に立町岬をあしらった綺麗なデザイン。

福井県敦賀市は人口が6万4千人の中小都市ですが明治の初めは現在の福井県の
県庁所在地が3年半ですが置かれていた、重要な港湾都市でもおました。

鉄道は軍事的な面もあり、明治の早くに名古屋から敦賀港まで開通した訳ですわ。。

戦前には敦賀港とロシヤのウラジオストクを結ぶ定期航路もおましたんや。

(JR北陸本線 敦賀駅舎)(2011年4月撮影)


(関西方面から 到着する新快速電車)


関西からの新快速はここで折り返しになりますんや。

ここまでは直流電化区間で、その先は交流電化区間になりまぁ。

2023年(令和5年)には、ここ敦賀駅まで北陸新幹線が延伸だとか?

それじゃ北陸トンネルを抜けて福井県の県庁所在地になる
JR福井駅に向かいまっせ、トンネルを抜けたら嶺北地区と言いまぁ。

(JR北陸本線 福井駅舎) (2011年4月撮影)


(福井県福井市 マンホールの蓋)


福井市のマンホールの蓋には福井市のシンボル不死鳥が描かれてまぁ。

1945年の福井大空襲(死者1583人)及び1948年福井地震(死者3769人)
その直後の九頭竜川の大洪水で壊滅的な被害を受けたそうですわ。

それから不死鳥のごとく復活し、戦前の人口の2倍に達したそうでんな。

だから不死鳥は福井市のシンボルとして今も語り継がれているんだって。

続いてJR北陸本線を北上して石川県の金沢市に向かいまっせ。

(JR北陸本線 金沢駅舎)(2014年10月撮影)


人口が46万3千人と北陸三県では最大の都市に成るようでんな。

加賀百万石の城下町で戦争中の空襲に会わなかった珍しい都市の一つ。

現在は東京からの北陸新幹線の終着駅として賑わってますかな。

そんな関係でJR大阪駅からの特急電車は概ねJR金沢駅で打ち切りに。

(金沢市内で 北陸電力のマンホールの蓋)(2014年10月撮影)


てっきり金沢市のマンホールの蓋だと勘違いしてたようですわ。

ネットで調べたら北陸電力のマンホールの蓋だとのコメントが。

実は兼六公園の近くでデザインマンホールの蓋を探してたんですが
探し切れずにJR金沢駅に戻って駅前で撮影したものですけど。

(金沢市の 兼六公園 有名な石燈籠)


こんな感じで描かれたマンホールの蓋が有ることを承知でしたが
その日は2時間かけて探したんですが、見事に失敗で退散でした。

機会が有ればもう一度ぐらい金沢市内へと考えてますんや。

今度はネットで調べて撮影したいと考えてますけど。

現在は「IRいしかわ鉄道」に変わった第三セクターの電車で
JR富山駅へ向かいます、電車は直通ですが富山県にはいると
こんどは「あいの風とやま鉄道」に成るようでんな。

画像を撮影したのは北陸新幹線が開通する半年前でしたかな?

だから当時はJR北陸本線のJR高岡駅で下車しましたんや。

(富山県高岡市 雨晴海岸のマンホールの蓋)


(JR氷見線 雨晴駅名標)


JR高岡駅でローカル線のJR氷見線に乗り換えて
雨晴海岸(あまはらしかいがん)へ立ち寄りましたで。

海の向こうに立山連峰が、手前に男岩と女岩が海中にあり
特に残雪の頃は絶景に成る人気のスポットでんな。

いつ見ても雨晴海岸の風景は素晴らしいですよ。

鉄ちゃん爺や、お勧めの鉄道スポットの一つでおます。

カメラフアンで年中賑わうローカル線の駅裏が海岸なんですわ。

(雨晴海岸の風景)






(富山県高岡市 マンホールの蓋)


こちらは高岡市の標準規格品のようで地味な図柄ですわ。

江戸時代の初めまでは富山市よりも、こちらが中心の街だったとも。

高岡市は鋳物や錫製品の街で高岡大仏もその象徴の作品だそうですわ。

(高岡大仏の お姿)


(曹洞宗 瑞龍寺)




加賀百万石の初代藩主の前田利長公をお祀りした富山県で唯一の国宝なんですよ。

30歳ほど年下の弟・前田利常公に藩主を譲りここ富山県の高岡に隠居されたとか。

恩義を強く感じた前田利常公が菩提寺とし、兄の為に建立したとされてますんや。

加賀百万石はこの前田利常公が徳川将軍家から嫁を貰ったことで安泰に。

(前田利長公の銅像) (高岡城址公園内)


前田利長公は徳川将軍家に臣下の礼を取らされて憤慨の隠居との説も。

徳川家康公ならともかく徳川秀忠公など元は自分より目下の存在でしたからね。

前田利長公は前田利家公が死亡の後は短期間ながら五大老のひとりでしたから。

(JR北陸本線 高岡駅舎)


(JR高岡駅に到着の 特急サンダーバード号)


(JR高岡駅~JR大阪駅 普通乗車券)


現在はサンダーバード号はJR金沢駅が終点で、高岡駅からは乗れまへん。

昔なら国鉄時代の特急雷鳥号など懐かしい風景がもうみれませんのや。

それでは富山県第二の都市である高岡市を後に富山市へ向かいまっせ。

(JR富山駅舎) (2014年10月撮影)




北陸新幹線の開通目前で新しく建設中のJR富山駅舎でおます。

撮影後の2015年に北陸新幹線は開通したように聞いてまぁ。

昔の富山駅は毎年2~3度ぐらい出張で来ましたが様変わりの風景でした。

(富山県富山市の マンホールの蓋)


当時は市の草花だった「あざみ」ですが最近は富山県でも見れなくなったとか。

マンホールの蓋だけが昭和の時代を思い出させてくれる風景になりました。

現在は人口が41万5千人と石川県の金沢市に迫る大都市になりました。

なんでも日本の県庁所在地で面積が静岡市に次いで第二位の大きな街だとか。

(富山市内の路面電車)


この路面電車もJR富山駅が高架に成り北側から新駅を潜り抜けて
南側の路面電車と合流できるようになったと聞いてまぁ。

(富山城の遠景)


戦後に出来た観光用のお城だと思いまっけど。

JR高山線で暫く走れば越中八尾(やつお)がおますんや。

ここも現在は富山市に編入されてしまったとのこと。

(富山市八尾町 マンホールの蓋)


(越中八尾 風の盆)






毎年9月1日から3日間催される有名な盆踊りですがご存知かしら?

この図柄のマンホールの蓋を探したんだけど発見できませんでした。

現在は富山市に編入されて無くなったのかもしれまへんけど。

さらに南下すると普通電車の終着駅となるJR猪谷駅でおます。

(富山県の猪谷駅前  マンホールの蓋)


(JR高山線 猪谷駅名標)


冬場は富山県でも豪雪地帯と言われるところで3m~5mの積雪。

JR西日本とJR東海さんの接続駅で普通電車は100%乗り換えで
山間部をトンネルで抜けながら、飛騨の高山や下呂温泉に出ますんや。

今日はこれでお仕舞にしまひょかな。

次回に信州のマンホールの蓋などを紹介しまっさ。

ほんなら~  これで、さいなら~♪



コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が街にも  カラーマンホールの蓋が設置!

2020-05-17 20:36:03 | マンホールの蓋
旅行のたびに各地のマンホールの蓋を撮影してきましたが
我が街にも、やっとカラーマンホールの蓋が設置されましたで。

大阪府には33市・9町・1村 43の自治体がおます。

その33市に全てカラーデザインのマンホールの蓋が
設置されたとの噂で、我が街が何故か最終になったらしいですわ。

(我が街の 新しいマンホールの蓋)


我が街の竹内街道(たけのうちかいどう)の交差点に1枚目。

取り合えず5枚しか設置されてない1枚を撮影しましたで。

あまりデザイン的に優れてるとは思いまへんけど。

なんか欲張ってゴチャゴチャと書き込んだ感じがしまんな。

それでは大阪府の各地のデザインマンホールの蓋を
紹介しますんで、眺めてくださいね。

(大阪市の マンホールの蓋)


大阪府の人口は約883万人ですが、その31%を占め
関西の中心都市で人口が約274万人だそうです。

都構想にゆれる大阪市ですが現在は政令指定都市でんな。

大阪城に桜をあしらったデザインは大阪府では評価が最高かも?

大通りにはカラーのデザインが、少し離れると同じデザインの
白黒のものが大阪市内の各地に多く設置されてますんや。

他に水都大阪を表現した大川と水晶橋の物も所々におます。

カラーの物はないと思いますんや、間違ってたらご免なさい。

次は大阪府で、もう一つの政令指定都市の堺市を紹介しまひょ。

(大阪府堺市の マンホールの蓋)




人口が約82万人を誇り我が町の西南部で境を接するようになりました。

大阪府の鳥にも指定されている百舌鳥(もず)が描かれて
周囲には堺市の木である、つつじをあしらっている感じ。

中世には日本最大の港湾都市として大いに栄えたとのこと。

次は大阪府の中核都市で人口が三番目の東大阪市を貼り付けまひょ。

(大阪府東大阪市の マンホールの蓋)


人口は約49万人で中小企業の街として優れた技術を誇る
世界的にも有名な企業が数多く存在していますよ。

戦後に布施市・河内市・枚岡市が合併してできた町だったはず。

次は我が街の南側に境を接する富田林市ですよ。

(大阪府富田林市の マンホールの蓋)


金剛・葛城の山々を背景に江戸時代からの面影を残している
寺内町が描かれています、人口は約11万人ぐらいですかな。

「とんだばやしし」と読みます、一時はPL学園の高校野球で
全国に名を知られていた頃が懐かしくなりましたね。

次は我が街と東北部で境を接する柏原市ですよ。

(大阪府柏原市の マンホールの蓋)


我が街の東側の丘陵地帯から柏原市までは葡萄の
デラウエアの産地として日本でも有数の出荷量を誇り
現在でも両方の市を合わせると第三位ぐらいのはず。

我が街はぶどうの「つぶたん」をゆるキャラにしてますが
柏原市はその物ズバリ葡萄を描いているようですね。

人口は約7万1千人と我が街よりは小さい規模になりますかな。

次は我が街の北側のお隣になる藤井寺市ですよ。

(大阪府藤井寺市の マンホールの蓋)


コピーしたので写りが悪くてご免なさい。

道明寺の天満宮にあやかり梅の花が描かれていますね。

藤井寺市は大阪府で面積が一番小さい市なんですが
全国でも面積が五番目に小さいが人口密度は高いようですわ。

人口は6万1千人と我が街の半分ぐらいに成りますけど。

我が街と並んで世界遺産の古市古墳群を形成してるんですよ。

最後の松原市は我が街の西側にある都市になりまぁ。

(大阪府松原市の マンホールの蓋)


人口が11万8千人と南河内では一番多いことになりまぁ。

大和川を越えてその北側は大阪市に繋がっているんですよ。

我が街は以上の五つの都市と他に奈良県の香芝市と接しています。

(大阪府大阪狭山市  マンホールの蓋)


有名な狭山池があり狭山市を名乗るべきでしたが埼玉県に
狭山市が先に誕生したので、大阪狭山市とすることになったとか。

小さい街ですが人口は増え続けているようですね。

大阪狭山市から西側は昔の和泉の国で泉州とも言いますんや。

最後に泉州地区の都市のマンホールを並べて置きまひょ。

(大阪府泉大津市 マンホールの蓋)


毛布の生産が現在でも国内生産の90%占めるそうで
人口は7万5千人と町としては小さい感じがしますけど。

やはり毛布の街なので羊が描かれているようでんな。

(大阪府岸和田市の マンホールの蓋)


人口19万4千人の大阪府では珍しい城下町ですよ。

昭和に成ってから天守閣が造られたようですけど。

最近は、だんじり祭りで全国的に有名になりましたかな。

(大阪府貝塚市の マンホールの蓋)


人口が8万8千人と小さい街ですが、東京オリンピックで
ニチボー貝塚の女子バレーボールで一躍有名になりました。

でも最近の若い方ではニチボーもご存じないかもしれませんね。

(大阪府泉佐野市の マンホールの蓋)


人口10万人の街で連絡橋で関西国際空港に繋がっていますよ。

連絡橋と空港の北側一部だけが泉佐野市になりますけど。

ふるさと納税で高価な商品を贈呈したとかで総務省から
ふるさと納税の資格を取り消されて有名になりましたかな。

(大阪府高石市の マンホールの蓋)


羽衣の伝説がここにもあります、面積の小さい街なんですが
お隣の堺市との合併を拒否して頑張っているようですよ。

人口も5万6千人ですが、立派だと感心してますけど。

本日はこれぐらいにして置きまひょ。

新型コロナウイルスで外出自粛が続いてまして
写真のネタが切れてしまいました。

次回は北陸から信州のマンホールの蓋を紹介しまひょ。

5月17日は大阪府の新しい感染者がゼロだったとのこと。

これは3月9日以来のことで、もう、ひと踏ん張りでんな。

ほんなら~ これで、さいなら~♪


コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする