鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

泉布観 & 旧桜宮公会堂

2017-04-29 19:23:43 | 国宝 & 重要文化財
花粉症でブログを10日ほどお休みしてました。

我が家の「松」に花粉が現れるとダメなんですわ。

「杉」や「ヒノキ」の花粉は良く知られてまっけど
鉄ちゃん爺やの「松の花粉症」は珍しいのかも?

前回は造幣局・桜の通り抜けを紹介しましたな。

今回は造幣局と国道1号線を挟んだ反対側に
隠れた名所がおますんで、それを紹介しまひょ。

(桜宮橋から 大川を撮影)


(桜宮橋でUターンする水上バス)


やや右手に大阪城の天守閣が頭だけ覗かせてまっせ。

昔は全体が良く見えたんでっけど、ビルと樹木が
大きくなって、残念ながら分かりずらいでんな。

(桜宮橋 & 新桜宮橋)




画像の右手が桜宮橋(さくらのみやばし)で
1930年(昭和5年)完成で銀色の塗装でっしゃろ。

通称「銀橋=ぎんばし」と呼ぶことの方が多いでんな。

左側は「新桜宮橋」で206年(平成18年)に完成し
こちらの設計は、安藤忠雄さんなんだって。

旧の桜宮橋の方が西行きの一方通行で、東京の日本橋から
約630kmを経て、国道1号線が大きな川を渡る
ここが最後の橋となってますんや。

撮影しているのは大阪市の北区で、画像の奥へ渡ると
大阪市の都島区となるんだそうですわ。

それでは造幣局前の横断歩道を歩いて向かいまっせ。

(泉布観=せんぷかん) (国の重要文化財に指定)


「泉布=貨幣のこと」 「観=立派な館の意味」

1872年(明治5年)に明治天皇が造幣局に行幸され
「泉布観」と命名されたと言われてますんや。

1871年(明治4年)に完成した大阪市内では
一番古い洋館式の建物で、当時は応接所だったとか。

天皇陛下や皇族方や外国の要人が造幣局に来られたら
この応接所が使われていたんだって。

(造幣局の正門から 泉布観の全体を撮影)


(重要文化財 泉布観の 石碑)


(泉布観を 北側から撮影)




毎年3月中旬に3日間だけ大阪市に申請して抽選で
400名X3日で内部が公開されるそうですわ。

今年も3月11日~13日まで一般公開だったとか。

毎年1月の申し込みで、鉄ちゃん爺やも来年ぐらいは
一度ぐらい申請してみようかなと考えてますんや。

市民の寄付金で補修が完成したという経緯もあるとか?

普段は外部だけが無料で見学できるようになったとか。

貴重な建物なので、保存が第一なんでしょうな。

(泉布観の説明板)


(泉布観を 南東側から撮影)


(泉布観と 自撮り)


造幣局は1869年(明治2年)にイギリスの香港から
解体した建物と機械を組み立ててスタートしたんだって。

今は残ってまへんが、香港に在った造幣局の廃材だったとか。

当時のお金で約97万両もの大きな建築費だったそうでっせ。

ところで、造幣局の本庁が大阪に置かれているのは何故か?

他には東京から移転した埼玉と広島に支局がおますけど。

こんな話が、大阪には残ってますんや。

(旧造幣寮鋳造所 玄関) (国の重要文化財に指定)


現在は造幣局と呼びますが、当時は造幣寮(ぞうへいりょう)で
当時の鋳造所玄関の一部が、隣接地に保存されてますんや。

1868年(明治元年)に計画された頃、東京はまだ討幕の
雰囲気が残り、貨幣を造れるような安全な場所ではなかった。

大坂なら明治新政府に資金面でも協力が得られるとのこと。

それと共に、大坂は江戸時代から経済の中心で、当時は首都も
大坂に置くべきだとの考え方も有ったんだそうですわ。

大坂商人は明治新政府に討幕の軍資金を大量に納めたんだって。

大坂が首都に成るのならと上納した商人も多かったとか。

首都は東京へ軍資金は踏み倒しで、後は知らぬ存ぜぬとの話。

大坂商人は騙されて、倒産した大店も多数あったとか。

現在も東京に遷都されたとの文書はないとも言われてまんな。

天皇陛下は江戸へ行幸され、まだお帰りになってまへん(笑い)

京都御所は今でも皇居でおます、京都市民のダジャレでっせ。

(旧造幣寮鋳造所 玄関)(現在は 旧桜宮公会堂)


玄関部分のみが国の重要文化財に指定されてますんや。

(旧明治天皇記念館の説明板)(現在は 旧桜宮公会堂)


1935年(昭和10年)に造幣寮鋳造所玄関を移設して
明治天皇記念館としてオープンしたと記されてまんな。

戦後は大阪市の桜宮図書館として使用された時代を経て。

現在は「旧桜宮公会堂」という名前で結婚式場だとか
音楽の演奏会場などに使用されていると聞いてますんや。

こちらは内部にも入れるそうですが、この日はクラシック
音楽の会場として使われていたので入場できまへんでした。

高級なレストランも併設されているようでっけど。

それでは戻ることにしまひょうかな。

(OAPタワー & 帝国ホテル)


「泉布観」の裏側には大きなビルが並んでますんや。

中央がOAPタワーで、その右手が帝国ホテルでっせ。

鉄ちゃん爺やが学生時代には、三菱金属の工場でした。

戦前までは造幣局と関連のお仕事が有ったんでしょうな。

現在はOAP(大阪アメニティパーク)という名前で
高層ビルと帝国ホテルなどが集まってますんや。

(大塩平八郎の乱 石碑)


大塩平八郎の乱で、樹齢200年の「えんじゅ」の木が
裂けたまま残っていたそうですが、近年に枯れたとか。

新しい苗木を植えて、保存しようとのことでした。

天保時代に江戸から来た上級武士の腐敗を憤り
大塩平八郎の乱を起こすも鎮圧されたんでしたな。

大阪では今でも人気のある与力さんですかな。

(造幣局工場の一角)




(造幣局の 職員官舎)


大塩平八郎は大坂東町奉行所の与力として現在の造幣局
職員官舎の辺りに住んでいて、大坂城の近くに在った
東町奉行所に出勤していたそうですわ。

現在も周辺に「与力町」「同心町」などの地名が残ってまぁ。

(大川に架かる 川崎橋)




江戸時代には橋は無くて、「川崎の渡し」が在ったそうで
左手に大阪城や奉行所の役人が住んでいたんだって。

「川崎の渡し」が昔の通勤電車だったようでんな。

右手に写ってませんが大坂城が有りますんや。

橋の名前は当時の「川崎の渡し」から採用でっしゃろな。

座間神社の方は機会を改めて紹介させて貰いまひょ。

今日はこれでお仕舞にしまっさ。

ほんなら これで さいなら~🎵
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造幣局・桜の通り抜けを 写してきましたで~🎵

2017-04-17 13:12:28 | 
4月11日~4月17日 造幣局・桜の通り抜けでっせ。

大阪の春を呼ぶ催しでおます、1週間で約70万人が
桜の通り抜けを観るために、押し寄せると言われてますんや。

(2017年度 桜の通り抜け ポスター)


鉄ちゃん爺やも3年ぶりに天満橋から参加しましたで。

まずは、八軒家浜から紹介しまひょかな。

(天満橋駅裏手に在る 八軒家浜の標識)


淀川の本流になりまんねんけど、地元では大川と呼びまぁ。

江戸時代には京都の伏見と八軒家浜とを三十石船が往復し
夜に伏見を出ると、翌朝に八軒家浜に着いたそうですわ。

森の石松の浪曲にでてくる一節はこの三十石船が伏見から
下る淀川での船の中で交わされたお話になってますんや。

現在は観光用の水上バスの発着場に使われてまっせ。

(八軒家浜から 大川の下流を望む)


奥に見える橋梁が「天神橋」でこの手前で大川は二つに別れ
向かって右側が堂島川となり左手が土佐掘川となりまんねん。

堂島川と土佐堀川の間が中之島と呼ばれる処になりますんや。

(八軒家浜の 対岸は桜並木)


明治時代までは天満の青物市場が在ったんだそうです。

ソメイヨシノの桜は満開を過ぎて散り始めてましたで。

この桜並木から右手へ約800mぐらいの処に前々回に
紹介した大阪天満宮がおまして7月25日の天神祭では
この大川で賑やかに「船渡御」が行われるんでっせ。

(八軒家浜から 天満橋を撮影)




造幣局・桜の通り抜けを見物する人が大勢で天満橋を渡ってはりまぁ。

天満橋は二段構造になってまして、車が上段を通過して行きまっけど
下段にも側道が有って天満橋駅とか土佐堀通りなどへ行けますんや。

それじゃ鉄ちゃん爺やも天満橋を渡り造幣局へ向かうことにしまひょ。

(天満橋から 八軒家浜の方向を撮影)


天満橋の上から先程いた八軒家浜の方を振り返って見ましたで。

京阪シテイーモールと地下には京阪電鉄の天満橋駅がおますんや。

昔は松坂屋がおましたけど、現在は京阪モールに変わってまぁ。

(天満橋から 大川の彼方に天神橋を望む)


ここから天神橋までは約1kmぐらいの距離でっしゃろか。

今日は日曜日なので、見物人も一番多いんでしょうな。

(造幣局・桜の通り抜けのルート)




(造幣局の 南門付近)


桜の通り抜けという名称なんで南門から北門へ向けて一方通行!

明治時代から続く大阪のイベントで桜の見物は無料なんでっせ。

最終日の明日は雨だとの予報で、今日は特に人出が多いでんな。

(紅笠=べにかさ)






3年前にはここは「関山」という品種がお出迎えだったはず。

桜守りの方が植え替えたり、手入れをされているようでんな。

(須磨浦普賢象=すまうらふげんぞう)








(高遠小彼岸桜=たかとうこひがんざくら)




葉桜に成っているという事は、散ってしまったのかしら?

山桜系のはずで、こんなに早くお仕舞になるとは不思議。

(八重桜の 名前が不明)






名札を写したつもりなんでっけど、写し忘れのようですわ。

名前をご存じの方が、いらっしゃったらコメントくださいね。

鬱金(うこん)が光線の加減で白っぽいのかもしれまへん。

(関山=かんざん 代表的な八重桜)










造幣局に植えられている八重桜の中では一番数が多いとか。

日当たりの好い場所のは葉桜になりつつおます。

散っているものと、このように咲いてるものが有りましたで。

(今年の桜 鬱金=うこん)


(鬱金=ウコン 今年の桜と自分撮り)








造幣局では毎年ながら一品種を選んで、今年の桜として
見物客に公開をして親しんでもらうんだって。

今年は「鬱金=うこん」と呼ぶ難しい名前の桜が選ばれ
見物客も、写真を写す方が大勢と並んではりまっせ。

(造幣局 通り抜けの人出)




(朱雀=しゅじゃく)








(御衣黄=ぎょいこう)






この御衣黄(ぎょいこう)という八重桜は色が珍しく
デジカメで写真を撮る方が多く見られますんや。

八重桜が多い構内で、桜とは思えない色をしてまっしゃろ。

(春日井=かすがい)






(法明寺=ほうみょうじ)








この二品種は前回に訪れた際には記憶が有りまへん。

なにせ109種類も有りますので写し忘れもおますわな。

次は鉄ちゃん爺やが一番好きな、枝垂れ桜でっせ。

(雨情枝垂=うじょうしだれ)












京都・平安神宮の神苑に、紅雨情枝垂(べにうじょうしだれ)
と呼ばれる有名な枝垂れ桜が在ったはず、それと同じ品種かも。

ここ造幣局の通り抜けでも、ひときは目立つ存在でっしゃろな。

(雨宿=あまやどり)






(松前琴糸桜=まつまえこといとさくら)






(伊豆最福寺枝垂=いずさいふくじしだれ)






(造幣局の工場 一番南の付近)


この辺りが造幣局の通り抜けで中間地点になりまぁ。

今は欄干だけの「めがね橋」でっけど、明治時代には
大川(淀川)から導いた運河のような物だったとか。

(造幣局構内 めがね橋で小休止)






(造幣局 旧正門)








造幣局の工場が改装された際に移設されたんだって。

大正時代までは大阪8連隊の兵隊さんが衛兵として門の横の
詰め所前で厳めしく立って警備していたんだそうな。

国の重要文化財に指定されてもいいような建造物なんですよ。

現在も許可がなければ工場の内部には立ち入りが禁止でっせ。

それでは~ 後半は鉄ちゃん爺やの、書き込みは抜きで
造幣局の八重桜を貼り付けて置きますので、ご覧ください。

(林二号)




(造幣博物館 PR用の銘板)


(造幣博物館前を 通過)


(造幣局 工場見学用入口)


(楊貴妃=ようきひ)




(夕暮=ゆうぐれ)






(白雪=しらゆき)




(養老桜=ようろうさくら)






(小手毬=こてまり)






(八重紅枝垂=やえべにしだれ)






(大島桜=おおしまざくら)






(桜の木に 短歌の短冊)


(紅手毬=べにてまり)








(渦桜=うずさくら)






(南殿=なでん)




(江戸=えど)






(兼六園菊桜=けんろくえんきくざくら)






(祇王寺祇女桜=ぎおうじぎじょざくら)






(林一号)




(帆立=ほたて)






(糸括=いとくくり)






(紅提灯=べにちょうちん)






これで造幣局・桜の通り抜けはお仕舞ですよ。

出口は二か所でっけど、国道1号線の方へ出まひょ。

(造幣局 通り抜け 大川沿いへの出口)


(造幣局 通り抜け 北門の出口)




(造幣局 街路灯にも さくら)


(造幣局 正門前で 自分撮り)




長くなりましたので、本日はこれにて終了としまっせ。

次回は泉布館から座摩神社を紹介しまひょ。

ほな~ さいなら~🎵



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和泉の国一之宮 大鳥大社を 再び訪れて

2017-04-08 19:39:31 | 神社
(225系 JR西日本 郊外型電車)


(JR阪和線 鳳駅名標)


大鳥大社までここから徒歩で約15分ぐらい。

昨年の4月に訪れた際は神職さん不在でしたんや。

ご朱印を頂けなかったので再度の参拝ですわ。

(大鳥大社 一の鳥居)


(大鳥大社の 由緒書き)




前回は平日でもあり、別に気にもしまへんでした。

ここはご朱印が貰えないんだ、ぐらいで済ませた感じ。

その直後に47都道府県を山形県にて完全踏破してみると
次は何を目標にして、日本各地を訪ねるか考えましたんや。

(河内の国 一之宮 枚岡神社)


昔の日本国には六十六州が在り、その各地に平安時代から
最も崇拝されていた「一之宮」「一宮」と呼ばれる
神社が、現在も存在する事に気が付きましたんや。

もうこの歳だから六十六州の全ては回り切れないが
半分ぐらいでも、訪れて観ることにしますかな。

やはり地元の大阪府からスタートするのが基本でっしゃろ。

我が町を含む「河内の国」の一之宮は枚岡神社ですわ。

恥ずかしながら、我が街の一之宮にあたる枚岡神社に
昨年11月に初めて参拝したような鉄ちゃん爺やですけど。

(河内の国 枚岡神社=ひらおかじんじゃ ご朱印)


そして摂津の国では「住吉大社」さんになりまんねん。

ここも昨年の9月に、ご朱印を貰ってますんや。

(摂津の国 住吉大社 ご朱印)


現在の大阪府は昔の国で云えば「摂津」の東半分「河内」
そして「和泉」の三か国から出来ましたんですわ。

「摂河泉=せっかせん」三つ合わせて、こう呼ぶ事も。

そんな訳で三つ目の「大鳥大社」へ出かけましたんや。

(和泉の国 一之宮 大鳥神社 ご朱印)


これで「摂津」「河内」「和泉」の全てが完了!

と思ったら、摂津には「坐摩神社=ざまじんじゃ」が
他にもう一つ、在ることが分かりましたがな。

ここは大阪の船場におます、今月中にも行けまっしゃろ?

(大鳥大社の ご神域)




大鳥大社は周囲が約4kmぐらいの深い森になってまぁ。

ここは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)をご祭神に
大鳥連祖神(オオトリノムラジオヤガミ)さまなども
合わせてお祀りされてますんや。

大鳥連(おおとりのむらじ)が本来の氏神さんで
ヤマトタケルノミコトを後からお祀りしたんだろうな。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のお墓は我が家から
北西に約500mぐらいの処に大きな古墳が在るんですわ。

そんな訳で我が街とも深い、ご縁が有るお方なんでっせ。

(日本武尊=ヤマトタケルノミコトの銅像)


日本書紀を紐解けば、景行天皇の皇子で東国へ征伐に向かい
現在の静岡県や千葉県で豪族を服従させ、ヤマトへの帰路
伊吹山での戦いで大きな傷を負い現在の三重県亀山市で死亡。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のご遺体は白鳥となり
ヤマトの御所市を経由して河内の国は古市に降りた後に
最後はここ大鳥の森に留まわれたと記されてますんや。

我が街にも「白鳥神社」が在り、お祀りをされてまっけど。

(大鳥大社の ご神紋)


ヤマトタケルノミコさまの象徴は「白鳥」ですわ。

その「白鳥」をご神紋にされているようでんな。

(大鳥大社 二の鳥居)


前回に訪れた際には、この鳥居は丸い柱で出来ている
普通に考えて写真も撮らなかったような記憶ですわ。

だけどネットで検索したら柱は八角で造られていると判明。

(大鳥大社 八角の柱で造られた 二の鳥居)


八角の柱で出来た珍しい鳥居だと、今回は確認しましたで。

鉄ちゃん爺やも、こんな鳥居を見た記憶がおまへんわ。

(大鳥大社 拝殿)






(立派な 桧皮葺の屋根)


大鳥大社は出雲大社に次ぐ古い建築の様式だと云われ
この建て方を「大鳥造り」と呼ぶんだって。

拝殿の裏手に本殿が見えてますが中には入れまへんで。

(大鳥大社の 本殿)




ネットで調べると一之宮は一つだけじゃ無いんだとか。

神社同士の争いもあって複数の一之宮が存在するそうで
五畿内を外れると三つも四つも有っても不思議じゃない。

でも伊勢神宮の様に別格で一之宮に含めない神社も
全国には多くあるようにも聞いてますんや。

出雲大社だとか熊野那智大社に熱田神宮などの皇室に
関連するような神社は、確かに選ばれてまへんな。

だから当時の朝廷の支配下に無かった東北北部や
北海道には一之宮など本来は存在しまへんのや。

基本的には西暦927年(延喜5年)に完成した
延喜式の第9巻~10巻に記載されている神社から
式内社(しきないしゃ)と呼ぶんだけどね。

選ばれたそうで当時の国司が赴任すると真っ先に
参拝したのが一之宮と呼ばれる神社なんだって。

一之宮から三之宮までが普通は選ばれたようだけど
上野の国では一之宮から九之宮まで有るのには驚き!

これから全国の一之宮を訪れながら、色んなお話を
順番に紹介しようと考えてますんや。

明治以降になってから「一之宮」を名乗るようになった
北海道神宮などは「新一之宮」と呼ぶことも有るとか。

それじゃ今日はこれでお仕舞にしまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵



























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大阪くらしの今昔館を訪ねて

2017-04-01 17:02:31 | 大阪
大阪も3月31日に桜が開花しましたで。

例年よりも2日遅れでの開花だそうですわ。

(小鳥が啄んで落とした 桜の小枝です)


少し前に予告してました「大阪くらしの今昔館」を
今回は写真を交えながら、紹介しまひょ。

1か月前の画像になりますが、ご容赦くださね。

(天神橋6丁目 大阪くらしの今昔館)






2001年(平成13年)4月に大阪市が建設した
住宅の情報や相談を受け付けるビルとしてスタート。

1階~2階  三井住友銀行

3階~7階  住まい情報センター

8階~10階 大阪くらしの今昔館

(大阪くらしの今昔館 パンフレット)


(大阪くらしの今昔館 入場券)(600円+200円)


(特別展示 浪花の豪商の 雛道具展)


常設展示会場は600円なんでっけど、特別展示の
200円を合わせて、合計800円の入場料金でした。

(特別展示会場 入場者のシール)


こんなシールを胸のあたりに貼り付けてから入場。

土曜日だったので思ったより入場者が多いようでんな。

(大集合の お雛さま)






S大学の方が並べられたとかで、見事なお雛さま。

50組以上はあるようだが並べるだけでも大変でっせ。

(男雛と女雛の配置 説明書き)


江戸時代から明治にかけてのお雛さまは、撮影が禁止!

フラッシュなしで写させてくれればいいのに~

200円もの特別料金を払わせて、文句も言いたいね!

常設展示会場の方へ行くことにしまひょ。

(大阪くらしの今昔館 常設会場入り口)


(8階から エスカレーターで10階へ)


(エスカレターの側壁に 絵図)


10階に登ると江戸時代の天保年間の大坂の町家が
一望できるような仕組みに成ってますんや。

数年前に亡くなられた人間国宝・桂米朝さんの音声が
流れてくるので、大阪人としては懐かしいでんな。

(江戸時代 天保年間 大坂の町家)




入場者が10階から見下ろされている訳でんな。

9階に下りると、江戸時代の雰囲気を味わえる町家が
再現されているので、一見の価値はおますけど。

(江戸時代の再現された町家と 自分撮り)


(再現された町家の内部 江戸時代のお雛さま?)




続いて8階へ降りることにしまひょ。

こちらは明治から昭和の時代の大阪を展示してますんや。

フロアーに明治時代の大阪市内の絵地図が描かれてまっせ。

(大阪市東区 本町橋付近)


東横堀川がここだけ曲がってまして「本町の曲り」と呼び
その左手、川を背にして大きな倉庫が描かれてますんや。

大阪の大空襲で倉庫は焼失しましたが、戦後に建て替えられ
鉄ちゃん爺やが、昭和の40年代~昭和55年まで管理を
任されていた場所になりますんや。

(大阪8連隊 & 大阪37連隊)


画像に東と書かれた上が37連隊の兵舎で、上町筋を挟んで
右側に8連隊の兵舎が描かれていますんや。

現在この辺りは「難波の宮跡」の保存公園になってまっせ。

画像の上部が大阪城・大手前広場に成り、写りませんでしたが
その上の方角に大阪城の天守閣がおますんや。

(大阪市西区 西道頓堀付近)


画像の右端が国鉄の湊町駅で現在はJR難波駅になりまぁ。

中央やや上に川が描かれているのが道頓堀川でっせ。

有名なグリコの看板より西へ約500mぐらいでっしゃろか。

住吉橋と書かれた上部に、カメラの光が見える辺りが
戦前は民家が並んでましたが、大阪大空襲で焼失し
戦後に、鉄ちゃん爺やが勤めた会社が建てられたとか。

現在は病院と進学塾に変わってしまいましたけど。

鉄ちゃん爺やが入社した頃には千坪ぐらいの倉庫と
2階建ての事務所になってましたんや。

(昭和時代の ミシン)


我が家にも昭和の30年代には1台おましたで。

電動式じゃなくて、足踏み式ですがな、懐かしい代物でんな。

(昭和20年代の ラジオ)


(都市ガス用の ガスコンロ)


我が家も昭和の30年代にはこれでご飯を炊いていたね。

確か器具は鋳物製で、表面だけ塗装がされていたのかな。

(白黒時代の テレビ)


これも昭和30年前後には定番の白黒テレビだったかな。

鉄ちゃん爺やも料金10円ぐらい払ってNHKが実況した
大相撲の栃錦・若乃花の対戦に手に汗握った記憶がおます。

当時は庶民の家庭ではテレビが買えなくて、我が家でも
テレビを買ったのは昭和32年になってからだと記憶する。

昭和30年前後には10円払って駄菓子を買ってから
店の奥にある自宅でテレビを見せてもらった時代でしたな。

(東芝製 4枚羽の扇風機)


当時は東芝ってモーターでは日本でも1~2位のメーカー。

現在はアメリカでのWH社の1兆円を超える赤字で青息吐息。

現在の扇風機って3枚羽が普通になっているよね。

(こちらは戦前の 新世界と通天閣の模型)


(大正時代に写された 新世界と通天閣)


戦争中に金属の供出で取り壊され、現在のは二代目で
鉄ちゃん爺やが中学生時代の昭和31年完成だったはず。

(昭和30年代~40年代 小学校の机と椅子)








形は似ているけど、鉄ちゃん爺やが小学生の頃のは
もっと表面も傷んで、黒く汚れた机と椅子だった記憶。

なにせ戦前の国民学校時代から使われていた代物のはず。

所々に松か杉か忘れたか、節が抜けて穴も開いていたかな。

(大阪くらしの今昔館 案内板と自分撮り)


最後は我が家の庭に咲いている花を貼り付けて置きまひょ。

やっと、大阪にも春の花が咲きそろった感じでがしまぁ。

(レンギョウの花)


(桜草の花)


(雪柳の花)


(クリスマスローズの花)








(ヒャシンスの花)




これにて、本日はお仕舞にさせてもらいまひょ。

ほな~ これで、さいなら~🎵
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