鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

道頓堀の繁華街を  デジカメ散歩

2015-01-24 20:11:32 | デジカメ散歩
元和元年(1615年)に道頓堀川は完成しましたんや。

大坂夏の陣と同じく今年が400周年となりまっせ。

(安井道頓・道卜の顕彰碑) (大正4年に完成の石碑)


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安井道頓と云う方は東横堀川や猫間川などの開削に
功績があり豊臣秀吉から城南の地を拝領したとか。

当時の東横堀川は大坂城の外堀だったんですが
南端から東西に川を開削したのが安井道頓さんでっせ。

木津川まで約2.9kmの人工の川でおます。

安井道頓は私財を投下して工事を進めたようでんな。

大坂冬の陣で外堀を埋めた徳川軍に遺恨を感じたとか。

大坂夏の陣に際し豊臣家に恩義を感じて大坂城に入り
元和元年(1615年)6月に戦死しはったんですわ。

道頓堀川は殆んど完成目前だったようで親族の安井道卜や
関係者の努力でその年の暮れに完成したようでんな。

大坂城初代城主の松平忠明(ただあきら)は完成した川に
安井道頓の名前を採用して道頓堀川と名付けたようでっせ。

この方は徳川家康公の外孫で大坂夏の陣の功労者でおます。

この石碑は道頓堀川の日本橋の北東に建てられてますんや。

(日本橋=にっぽんばし)


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お江戸では日本橋(にほんばし)でっけど、大坂では
日本橋(につぽんばし)と読み方が違いまんねんで。

この日本橋は江戸時代には道頓堀川に架かる橋では
唯一の公儀橋で紀州街道から現在の堺筋に繋がっていたとか。

現在は大阪では御堂筋がメイン道路でっけど昭和の初期まで
ここ堺筋が大阪ではメイン道路の時代が続きましたんや。

この日本橋には四国の金比羅参りへの船着き場もあったとか。

大坂の橋は殆んどが町人がお金を出して作った経緯があり
お江戸とは違った大阪商人の心意気を感じまんな。

八百八橋と云いますけど当時は700橋ぐらいだったとか。

でもこの日本橋は江戸時代から重要な橋だったので
高麗橋や天神橋や京橋など12の公儀橋の一つでしたんや。

もう一つだけ船場商人が作った橋を貼り付けておきまひょ。

(道頓堀川 太左衛門橋=たざえもんばし)


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江戸時代に大坂太左衛門という興行師が道頓堀川の南側に
芝居小屋を作ったので彼の名前が橋に付けられたとの説。

こんな感じで大坂には個人の名前が付けられた橋が
多数おますんや、淀屋橋・末吉橋・常安橋など。

それでは大阪の観光名所である地区に移動しまひょ。

(グリコの看板と 表側のビル)


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グリコの看板は年末にも紹介しましたけど6代目として
リニューアルされて現在も多くの方が写真を写してはりま。

でもこの看板の表側が何のビルかご存知では無いと思いますんや。

正解は大阪市消防局・道頓堀出張所が入るビルでっせ。

でも地主さんは別で大阪市の建物では無いかもしれまへんな。

この表側を写真に撮るのは物好きな鉄ちゃん爺やだけかも。

この反対側が道頓堀通りに残る唯一の劇場で大阪松竹座だっせ。

(大阪松竹座)


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1923年(大正12年)にネオ・ルネッサンス様式として
関西で初の洋式劇場として発足した建物です。

正面の大アーチは鉄ちゃん爺やが子供の頃のままでんな。

当時は松竹系の洋画封切りの映画館でしたんや。

1997年(平成9年)に歌舞伎が上演できる劇場に改装し
正面の部分以外は全て新しく建て直されたとの事。

江戸時代には道頓堀通りには芝居小屋が五座あったとか。

(江戸時代の 竹本座跡)


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ここには鉄ちゃん爺やが若い頃には「浪花座」がおました。

確か「浪花座」はわての時代は映画館だったような記憶。

当時は松竹新喜劇の「中座」漫才などお笑い芸能の「角座」
文楽を演じる「朝日座」と「浪花座」の都合四つの劇場が
まだ江戸時代からの名残りで、おましたが現在ではおまへん。

「角座」などは場外馬券売り場になってしまいましたがな。

(かに道楽 本店)


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道頓堀名物の派手な看板はやはり、かに道楽さんが草分けかな。

えび道楽もあったけど現在は、かに道楽の分室に変ってますわ。

最近は中国人観光客が増大してお昼の時間帯に日本人が
予約なしで訪れたら食べれないほどの商売繁盛だとか。

観光客が増える事は悪くはないけどもう少しマナーを
向上して貰わないと大阪人としては文句も云いたくなりまっせ。

(元祖 廻る 元禄寿司 道頓堀店)


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現在は日本中に回転寿司の店舗がおますけど元祖はここでっせ。

先代社長がAビールの工場でビン詰めのラインを見て
回転寿司の機械を思いつき石川県?で作らせたとか。

でも昭和30年代には流行らなくて苦労したんだって。

昭和末からブームになり今では何処にでもおますけど。

特許を取らなかったとかの噂でっけど、どうなんでしょう?

この元禄寿司さん現在は関西でしか見れないような感じ。

次ぎは説明抜きで派手な看板を3~4枚ほど貼り付けまひょ。

(大阪王将 道頓堀店 餃子と中華の店)


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(巨大な たこの看板 コナモンアイドル)


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(ふぐ料理 づぼらや 道頓堀店)


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(元祖 串かつ だるま 道頓堀店)


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(金龍ラーメン 道頓堀店)


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この金龍ラーメンの画像は一昨年に写した物なんだけど
今回に訪れたらたこ焼きとお好み焼きの店に変っていたよ。

店舗の出入りは現在でも凄く激しいようでっせ。

何せ道頓堀通りでお客が集まらないような店舗は大阪の
何処でやっても駄目だと云われるほどの激戦区なんだって。

因みに金龍ラーメンさんは向かい側に移ってましたけど。

(たこ八 総本店)


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鉄ちゃん爺やはここの明石焼きが一番好きなんだけど
たこ焼きもお好み焼きも定番で流行っているんだね。

少し気分を変えて法善寺横丁の方へ行ってみまひょ。

(観光地化した 水かけ不動さん)


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まさか~! こんな行列とはわても驚きですわ。

昔は水商売の女性が静かに願かけを、しはる場所でしたんや。

わても~ お不動さんに水を掛けようと思ったんやけど
諦めてデジカメで写すだけにして移動しまひょ。

(法善寺の 水かけ不動さん)


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江戸時代には法善寺は八千日回向でお隣の竹林寺は五千日回向。

千日ごとに亡くなった方を回向したので千日寺と呼んでいたとか。

この南側一帯は江戸時代には刑場と大きな墓地が有ったんでっせ。

現在はアムザ1000の建物が有る辺りが昔の刑場だったんだって。

明治時代の初期に買い手が無くて10坪に対して5円のお金を
支払って払い下げたそうで骨や灰の処理費用だったとか。

当時の5円ちゅうたら大金でっせ。

何でも200坪も受けた老婆がいたとかその後の消息は不明だとか。

もし子孫が残って居たら数十億円の財産になりまっしゃろな。

現在は千日前と呼ぶ歓楽街に様変わりしてしてまっけど。

千日前と云う地名は千日寺の前と云う意味から付いたそうでっせ。

(こいさん通り 法善寺に向かう小道)


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「こいさん」とは大阪弁で一番末の娘さんの意味でっせ。

昭和30年代に「月の法善寺横丁」という演歌がおました。

歌の途中でこんなセリフが入りましたな。

「わてが 藤芳に奉公に上った晩やった こいさんが

 はよ~ 立派な板前さんになりや 云って

 長いこと水かけ不動さんに お願してくれはりましたな

 あの晩から わては わては こいさんが 好きになりました」

藤島恒夫さんの甘い歌声で一世を風靡したもんだすわ。

鉄ちゃん爺やも関東に単身赴任中に時々やけど歌わされましたで。

この法善寺へ向かう小道が「こいさん通り」と名付けられたんだね。

(法善寺横丁 入口)


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鉄ちゃん爺やが関東に単身赴任中の平成13年だったかな
「中座」の解体工事現場から出火して法善寺横丁まで延焼。

本来なら大阪市条例でこんな狭い通路での建物は許可されないはず
それを市民の署名と寄付金で特例の再建が許可されたんですわ。

鉄ちゃん爺やも帰阪中に訪れて署名と千円だけ寄付しましたで。

古き良き時代の法善寺横丁を復興させたいという熱意でしたかな。

(法善寺横丁 正弁丹吾亭=しょうべんたんごてい)


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面白い名前のお店でっしゃろ。

明治時代から此処で営業する老舗の割烹でっせ。

その頃、酔っ払い客の為に「肥え桶」が置かれていたんだって。

それを、奇麗な名前に置き換えて店名にしたんだそうな。

入口には織田作之助の石碑も置かれた有名なお店でっせ。

現在は高級なお店になり鉄ちゃん爺やではとてもじゃないが
この店に入って一杯呑むなんてことは出来なく成りましたけど。

もう一度、道頓堀通りへ戻って「くいだおれ太郎」をお見せしまひょ。

(くいだおれ太郎ちゃん)


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鉄ちゃん爺やが若い頃は大阪人が入るような食堂じゃなく
他府県の方が訪れる「くいだおれ食堂」でおましたんや。

店頭に立つチンドン屋の人形という意味しか感じまへんでした。

それが「くいだおれ食堂」が廃業するとなって何故か人気が沸騰。

現在は全国へも出かける人気ぶりで、普段は新しく完成した
「中座くいだおれビル」の店頭に立ってますんや。

今もデジカメで撮影する人はそれなりに多いでっかな。

(うどん・蕎麦の 今井)


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道頓堀通りには派手な看板のお店が氾濫してますんやけど
こんな、純和風のお店もあるんでっせ。

戦前は楽器店だったそうで戦後の食糧難の時代に急遽
うどんのお店に転職したんだけど現在はもう老舗のお店。

道頓堀界隈は派手な看板が多くて大阪人の、わてが見ても
下品で猥雑な街のように感じまんねんけど、これはこれで
大阪らしいと云う方もいらっしゃるようでんな。

今日はこれで道頓堀界隈のデジカメ散歩はお仕舞いでっせ。

次回は南船場の松尾芭蕉終焉の地を訪れまひょ。

ほんなら~ 今日はこれで、さいなら~










 





















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阪神大震災から20年  語り継ぎましょうね

2015-01-17 16:04:13 | 日記
阪神大震災から今日は20年の日になりました。

6434名の尊い犠牲者を忘れないように
鉄ちゃん爺やも早朝に黙祷させて頂きました。

当時の画像を復元して今回のブログとさせて頂きます。

(近鉄南大阪線 阿倍野橋行き 急行電車) 


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鉄ちゃん爺やは出勤の為に整髪中の地震でしたな。

我が家では震度4ぐらいだったから久しぶりに
大きな地震だとか云いながら朝食を何時も通り。

テレビではまだ6時のニュースでは普通の番組。

放送局玄関のガラスが割れたとかのニュース。

たいしたことは無いだろうとスタートしましたんや。

6時44分発の近鉄電車は平常より12分遅れで発車。

まだ神戸市などで壊滅的な被害が出ているとは
この時点で鉄ちゃん爺やは知りまへんでしたな。

あの朝はJR西日本も地下鉄も近鉄以外の私鉄が
全面的にストップし復旧の見込みも目下なし。

地下鉄が止っているのじゃ動けまへんがな。

通勤客は困惑して駅構内で大混雑になりましたわ。

阿倍野橋駅から仕方がないので徒歩で難波駅へ。

歩いていて日本橋辺りの電気店のテレビで大きな被害が
神戸市を中心に出ていて死者も出ていると初めて確認。

(阪神高速 神戸線 崩壊した支柱)


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難波駅から東大阪市まで近鉄電車で出てから
地元のタクシー会社に飛び込んだような次第。

タクシー会社でも出勤する乗務員が少なくて
10分ほど待っても乗務員は現れまへんがな。

管理職の方が代わりに運転しまひょと云う事に。

タクシーで勤務先の摂津市へ向かう車中で死者が
最初の5名からどんどん増えて120名を超えたとの事。

会社へ出勤したらAM11時少し前の大遅刻ですわ。

でも出勤してるのは地元の社員ばかりで
大阪市内や府下の社員では私が一番乗りだった感じ。

当時は携帯電話を持っている社員は1~2名ぐらい
鉄ちゃん爺やも携帯電話なんか持ってまへんで。

神戸市内の得意先や我が社の営業所とも連絡不能で
安否の確認ができ死者なしが判明したのは翌朝でした。

(神戸市 三菱銀行の店舗ビル崩壊)


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(当日の夕刊 平成7年1月17日発行)


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大混乱は翌日の1月18日が笑い話のような事態に。

何せ神戸を通過する国道は全てが通行不能ちゅうことでした。

朝4時に我が社をスタートしたトラックが姫路市へ向かうのに
AM9時現在は大阪府の池田市を通過中で三田市か能勢町を
経由して西脇市へ迂回して姫路市に向かうとの電話。

午後1時を過ぎた所で確認したらまだ宝塚市を抜けた所との事。

ここで諦めて本日は戻って来るようにと指令をだすはめに。

何せ神戸より先へ向かうルートが分からず大混乱の物流でしたな。

でも~ さすがわプロでっせ3日後には能勢町から福知山を通り
姫路や岡山へ抜けるコースが一番早いと情報が入りましたんや。

次の画像は大震災から5日後の神戸市へ入った時に
鉄ちゃん爺やが使い捨てカメラで写した画像でっせ。

(阪神電鉄 深江駅前の 倒壊家屋)


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多くの方が亡くなった被災地で写真を写すのは不謹慎で
隠しながら人目を気にしながら写した画像でおます。

次の画像は年配の方ならテレビや新聞で一度は見たかも。

阪神大震災で一番衝撃を受けた画像やと記憶します。

(阪神高速道路 崩落した路面と観光バス)


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東日本大震災では2万名を超える死者・行方不明者を出しましたが
殆んどの方が大津波による被害で命を亡くされたと聞き及びます。

こちら阪神大震災では6434名の犠牲者の大半が倒壊した家屋や
火災による死者と云う点で大きな違いがありましたね。

でも阪神大震災は神戸市を中心とする狭い地域に被害が集中し
後背地の大阪府を始め関西各地からの救援が可能でした。

阪神大震災から約5年ぐらいで神戸市を中心にした被災地が
復興したのは、やはり大阪府の存在が大きかったかも。

確かに東日本大震災は阪神大震災と比較ができないぐらい
大きな災害でしたが、何故か遅れが目立つ気もしますんやけど。

私事で申し訳ないんですが。

鉄ちゃん爺やの会社でもH社の依頼で摂津市の私の担当する
営業所から48000戸の仮設住宅に供給するユニットバスの
およそ半分近い23000個を送りこみましたんや。

約半年間ぐらいは損得抜きで戦場のような修羅場でしたな。

何せ大型トラックで午前中に到着した部材を夕方には工事班を
決めて2トン車に宵積みし翌朝8時には現地に届ける。

言葉では簡単ですが1日でも早く仮設住宅を完成させるべく
綱渡りのような作業班と物流部門の仕事だったんですよ。

一つ間違えば数箇所の工事予定がストップしますからね。

本業でもないのにH社が国家的な災害に対して工場が
全力で対応したのはあまり知られてまへんな。

大手のPA社・TO社・IN社などは高級品志向でこの
国家的災害にも消極的な対応しかしなかったことを
私のブログから発信しておきまひょ。

この仕事が完了した翌年に鉄ちゃん爺やがH社の首都圏支社から
依頼されて関東へ単身赴任する事になったのは皮肉なことですわ。

だから阪神大震災が無ければ鉄ちゃん爺やの関東への転勤も
無かったという事になりまっかな。

(平成7年大相撲初場所 11日目取組)


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20年前も両国の国技館では大相撲初場所をやってましたね。

若貴兄弟に曙と武蔵丸と横綱は4人も揃っていたんだ。

相撲解説者の舞の海さんが結びで貴乃花と対戦してまっせ。

もう幕内では20年も昔だから全て引退してはりまっけど。

ちなみにこの初場所の優勝者は横綱・貴乃花関だったそうです。

最後に阪神大震災で亡くなられた方やご遺族の皆さまに
哀悼の意を捧げながらお仕舞いにしまひょ。

道頓堀のお話しは都合により次回にさせて頂きましたよ。

ほんなら~ これで、さいなら~






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商売繁盛で笹もってこい~♪今宮戎神社の十日戎

2015-01-11 17:14:27 | デジカメ散歩
恵比須神社は全国におますけど、関西では別格でんな。

関東などは旧暦の10月20日あたりに豊作を祝う
農業の神様として地味なお祭りでっしゃろ。

関西では1月9日 宵戎 1月10日 本えびす
1月11日 残り福 と呼んで凄く賑わいまんねんで。

中でも 兵庫県の西宮神社 大阪市内の今宮戎神社

この二つは三日間で約100万人を超える参拝客でおます。

わては~ 大阪人でっから 今宮戎神社を紹介しまひょ。

(今宮戎神社 東側参道からの入口)


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大阪人は なれなれしく恵比須様を「えべっさん」と呼びまんねん。

三日間の熱狂的なお祭りは東日本の方には理解できまへんやろな。

江戸時代から大阪商人の商売繁盛の神様と云われてますんや。

特に1月10日は本えびす と呼んで最高の盛り上がりになりま。

(今宮戎神社の南門 正門) (大阪市浪速区恵比須西1丁目)


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恵比須様と云えば左脇に魚の鯛を右手に釣竿を持った七福神の一人。

七福神の中では唯一の日本古来の神様だとされてまっしゃろ。

ところが恵比須様は国家の保護を受けていない格の低い神様
だからこの今宮戎神社も「郷社」と云うランクでおます。

そこが判官びいきの大阪人に、うけている理由かもしれまへん。

ご祭神が天照大神・事代主命・すさのうのみこと他 3神

どこから恵比須様と云う神様に変ってしまったのかしら?

江戸時代には既に商売繁盛の神様とされてますんや。

(今宮戎神社 境内)


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これが今年1月10日「十日戎」の午後からの風景だっせ。

正面に見える拝殿まで辿りつくだけども大変なことですわ。

(今宮戎神社の お賽銭)


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お賽銭に一万円札が投げ入れられる神社と云ったら
今宮戎神社と伏見稲荷神社ぐらいしか思いつきまへんわ。

江戸時代から商売人に絶大なる人気があるのが「えべっさん」

アベノミクスなんか、まともに信用したらあきまへんで~

お願い事やったら関西では「えべっさん」しかおまへんがな。

参拝が終わったら、福笹を神社の方からもらいまんねんで。

(今宮戎神社 福笹の授与)


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名前は福笹と云いまっけど、実際は孟宗竹の枝を無料で貰いま。

竹は「弾力があって折れない」「葉が落ちず常に青々している」

「節目が正しく真っ直ぐに伸びる」とか云う縁起物なんでしょう。

この福笹に吉兆の飾りものを結んで貰ったら安くて5千円ぐらい。

見栄えがするよう沢山お願したら1万円~2万円ぐらいになりま。

わては~ もう年金生活者だから、お賽銭だけにしましたんや。

(今宮戎神社 拝殿の裏側のドラ)


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「えべっさん」は大きな福耳を待ってはるけど難聴なんだって。

だから神前でお願いしたら拝殿の裏へ廻ってこのドラを叩きまんねん。

「えべっさん」聞こえてはりまっか? 頼みまっせ~  こんな感じ。

(今宮戎神社 境内)


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(江戸時代の 十日戎の絵が掲げられてます)


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一方通行で拝殿の横へ廻ったら吉兆飾りを販売してる所になりまっせ。

やはりお目当ては若くて美人が並ぶ「福娘」さんのコーナでっしゃろな。

(福娘さんの 吉兆飾り販売コーナー)


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今年の福娘さんには約3000人の方が応募したと聞いてまっせ。

審査の結果40人と外国人枠5人で合計50名が選ばれたそうですわ。

凄い競争率を突破した、いづれ劣らぬ美人揃いの「福娘」さんでっせ。

今年で第63代の福娘選び、歴代の福娘さんは就職や縁談に有利だとか。

関西系のテレビのアナウンサーに変身した方も居られるようでっせ。

(吉兆飾り こちらは高価ですよ)


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鉄ちゃん爺やが若い頃に船場の得意先を訪問したら
こんな吉兆な飾りが店内や応接室で良く見かけましたで。

現在これを買ったら1万円~3万円ぐらいすると思いまっせ。

(えべっさんの 福飴) (1袋=600円)


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高いけど内の奥さんのリクエストやから1袋だけ買いましたんや。

十日戎の宝恵駕籠=ほえかご 行列を見物にミナミへ行きまひょ。

歩いたらここから約2kmぐら前々回に紹介しました戎橋
グリコの看板のある場所まで移動しまっさ。

(宝恵駕籠~ほえかご 説明板)


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(宝恵駕籠=ほえかご 実物展示)


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実は今でも道頓堀川を挟んで戎橋商店街・道頓堀通り商店街
それに心斎橋商店街・宗右衛門町商店街の四つの商店街が

宝恵駕籠=ほえかご 行列を現代風に続けてまんねんで。

(十日えびす PR用ポスター)


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(商店街のイルミネーションも えべっさんでっせ)


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毎年ながら四つの商店街の役員さんや宝恵駕籠に乗る芸能人や
ミス○○などが午前中に今宮戎神社に参詣されますんや。

そして午後からは今宮戎神社の福娘さんも加わって地元へ
戻って来る行列が「十日戎」のメインイベントでおます。

この行列を見学するのは20年ぶりかもしれまへんな。

大阪人でもめったに見れないはず、良く見ておくれやす。

(宝恵駕籠 行列 & 福娘さん)


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地元の商店街まで戻って来たら宝恵駕籠=ほえかご を先頭にして
芸者さんと福娘さんが徒歩で福笹を授与するお店へ行進しますんや。

20~30軒ぐらい大口の奉納金を納めたお店の店頭に辿りつくと
お店の方の前で福笹を授与してから大阪締めをやりますんや。

(大阪締めで お礼の挨拶と商売繁盛の祈願)


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大阪締め(手打ち)はこのようにやりまんねんで。

「打ちまひょ~」   パンパン

「もうひとつとせ~」 パンパン

「祝うて三度~」   パパンがパン

「おめでとうございます~」 パチパチパチ(拍手)

このパンパンと云う時に手のヒラ上に向けますんや。

鉄ちゃん爺やも若い頃に船場の得意先や商品取引所などで
お祝い事や年末年始それに大きな商談成立の時にやりましたで。

(かに道楽さんの お向かいで 大阪締め)


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左手で芸者さんと役員さんが拍手木で音頭を取ってはりまっせ。

口上は 今宮戎神社から福笹をお持ちいたしました。

どうぞ~ お受け取りくださいませ。

○○店さまの益々の発展と商売繁盛を祈願致しまして

大阪締めと させて頂きます。

(宝恵駕籠=ほえかご で微笑む芸者さん)


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提灯に佳世子さんのお名前が書かれているから
源氏名は「佳世子さん」というお方のようですな。

大阪ミナミ 南地芸妓組合の芸者さんだと思いますわ。

(宝恵駕籠から手を振る ミス・えびすばし)


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戎橋の橋詰めで宝恵駕籠からミスえびすばしさんが降りはったので。

一寸だけ失礼してデジカメで写させて頂きまひょ。

ここで商店街の皆さまで集合写真を写すようですわ。

(ミス・えびすばしの 美人)


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(戎橋商店街の皆さま)


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背景のアーケドが戎橋商店街の北側になるんで休憩も兼ねて
ここで皆さんが集合写真を写す事になったようですな。

こんどはミス・宗右衛門町の娘さんが歩いてはるんで失礼します。

(ミス・宗右衛門町の 美人)


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ミス・宗右衛門町の美人の後ろ側は松竹座の建物ですな。

道頓堀通りに数々あった芝居小屋も現在はこの松竹座のみ。

大阪ミナミの道頓堀通りや戎橋界隈では1年を通して最大の
イベントがこの「十日戎」の宝恵駕籠行列じゃないかしら?

この日は外人観光客も含めて大混雑の道頓堀通りになりましたで。

(道頓堀通りに 観光客が溢れてますよ)


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かに道楽の建物の横に仮設の戎舞台ができてますんや。

戎橋の架け替え工事で約10年近く中断していたミナミの
十日戎の名物が久しぶりに登場したようでっせ。

(仮設の 戎舞台)


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この舞台を使って1月9日~1月11日までの三日間に
文楽人形の実演、日本舞踊などが見物できるそうですわ。

わてが~ 訪れた時間は福娘さんによる大口奉納金を納めた
会社関係の代表に福笹の授与が行われてました。

(福娘さんによる 福笹の授与)


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芸者さんが徒歩でこちらへ近づいてこられましたので一寸失礼。

普段は芸者さんなどデジカメで写すことなどおまへんわな。

(大阪ミナミ 芸者衆の奇麗どころ)


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(宝恵駕籠に乗った 福娘さん)


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(仮設 戎舞台の側で)


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会社関係の来賓待ちを利用して観光客に写真撮影用のサービス。

このお三方は選ばれた50名の福娘さんの中でも今年の
福娘代表に選ばれた特別の三人さんだと思いますんや。

神事の前に官公庁やマスコミなどへの挨拶にも登場したはず。

蛇足ながら福娘さんの着ている訪問着と千早と呼ぶ丈の長い
白色の羽織は今宮戎神社から進呈されるそうです。

着付け等は本人負担だけど賞金は1人当り15万円を貰ったはず。

千早と呼ぶ白い羽織は和歌にも出てくる神代の枕詞ですよ。

「千早ぶる 神代も聞かず 竜田川
 
   からくれなゐに 水くぐるとは  在原業平」

この歌にも出てくる千早と云うのがこの白い羽織なんでっせ。

永くなりますので本日はこれにて終了。

次回は久しぶりに歩いた道頓堀界隈を紹介しまひょ。

ほんなら、これでさいなら~































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息子のお土産で  お茶請けしてます

2015-01-04 14:26:38 | デジカメ散歩
(五万石 藤見屋さん) (愛知県岡崎市)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

「三ツ葵」  三色の餡が入った最中ですよ

「岡崎音頭」 こし餡の入った上品な味のお饅頭

息子の住む岡崎市は江戸時代には五万石の城下町

五万石でも岡崎さまは お城下まで船が着く

たしか岡崎音頭はこんな歌詞だったと思いますけど。

(桑名の名物 安永餅=やすながもち)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

細長く伸ばした餅に粒餡を入れて軽く焼いてますね

日持ちしない和菓子で家内がリクエストしたお土産です

不思議と三重県の北部には同じような「永餅」が見られますよ

四日市市の「なが餅」 鈴鹿市の「立石餅」

いずれも江戸時代から旅人に喜ばれた名物だったとか。

同じような形をしているのには関連があるのかどうかは
HPを調べても定かじゃないと書かれてますな。

私は桑名の「永餅」が甘さも控えめで素朴な味がするので
この「永餅」なら3~4つは食べてしまいますけど。

(お好み焼き店内で 初写しです)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

今日は1月4日でお正月もお仕舞いでUターンラッシュ

大きな事故も無く新年を迎えられたようですね。

鉄ちゃん爺やは毎日がサンデーですが、明日は仕事初め
皆さん頑張って良い年になるようお願いしますね。

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謹賀新年 今年も宜しくお願い致します

2015-01-01 15:10:27 | デジカメ散歩
新年 明けましておめでとうございます。

本年も拙いブログですが宜しくお付き合いくださいませ。

(金沢市 兼六園にて)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

3月14日に北陸新幹線が金沢駅まで開業されますんで
ことしは北陸の富山や金沢が人気の観光地になりそうですね。

一方で静かに引退する懐かしの電車もあるんですよ。

(JR糸魚川駅にて撮影) (475系電車)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

さよなら~ 475系 交流・直流 両用電車 

現在はJR西日本所属で全国に30台しか残っていませんが
全車両が2015年(平成27年)3月13日で廃車となります。

国鉄時代には東北本線や常磐線の急行用として活躍してました。

当時は裾がローズピンクで窓附近がクリーム色の塗装でしたよ。

上野駅から東北各地へ向かう主力の急行電車でしたんや。

既にJR東日本では2008年に全車が廃車されて見れません。

鉄ちゃん爺やが1969年に初めて一人旅で乗ったのもこの電車。

急行「立山」として大阪駅から富山駅まで乗ったんですわ。

ここ5年ぐらいは最後のご奉公でJR北陸本線の富山駅から
糸魚川駅・直江津駅までのローカル線の普通電車で使用されてますね。

国鉄時代には300台以上も有った急行電車も3月13日で引退。





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