鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

梅一輪 一輪ほどの暖かさ

2012-02-25 14:02:38 | 日記
ご存じだとは思いますがタイトルの俳句は服部嵐雪の作品です。

服部嵐雪は松尾芭蕉の弟子で宝井其角と並んで芭蕉の死後
江戸の俳諧に大きな影響を与えた人ですね。


(我が家の梅一輪)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


2~3年前の正月飾りの松竹梅から梅だけを鉢植えにした物なんですけど。

我が家で一番の早咲きの梅はこの鉢植えなんですよ。

我が家には白梅と紅梅が有るんですがこちらはまだ蕾が堅いですね。


(我が家の勝手口から撮影)


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蝋梅が咲いていますがこの処の雨で色合いが悪く成ってきましたね。


(蝋梅はそろそろお仕舞いかな)


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(セランダイン)  (キンポウゲ科)


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これも早春に咲く花ですね、ヒメリュウキンカに似ているとの事ですが

ヒメリュウキンカは(リュウキンカ科)だそうで種類が違うそうですな。

今年は関西でも寒波が厳しくて梅の開花が一週間ぐらい遅れているようです。



(昨年の3月2日の紅梅)


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昨年は3月2日には見ごろに成るぐらい咲いてましたけどね。



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鉄ちゃん爺や  鴻池新田会所を訪ねて~♪

2012-02-18 16:22:15 | 日記
1月29日のブログで江戸時代の大和川付け替え工事のお話しをしましたが
今回はその旧大和川の水路を東大阪市まで下ってみました。


(旧大和川水路の遊歩道)  (柏原市のカラータイル)


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以前に紹介しましたが旧大和川は築留で閉め切られた為に川筋は新田の開拓と
いう事になり江戸幕府は付替え工事費をこれで浮かそうと考えた次第。

市村新田も狭いながら旧大和川の水路に出来た新田だった訳です。

江戸幕府は初期に検地で確認した田畑以外の新しく開発した土地は
全て「新田」と呼ぶように決めたそうです。


(旧大和川水路とJR大和路線)


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現在は農業用水路で役目を終えた感じがする小川ですが
江戸時代までの旧の大和川の名残りなんですよ。


(鴻池新田と旧大和川の水路)


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現在の大阪府の中河内と呼ばれる柏原市・八尾市・東大阪市にまたがる
旧大和川の流域が新田として開発されました。

100円硬貨が見える辺りが当時の大坂城と考えてください。

地図の旧大和川流域を40分割で町人に開発の権利を売り付けたということですね。

約1170町歩でお米に換算して総石高11000石になったそうです。

元々が大和川付替え工事代を浮かす魂胆だから高く売り付けられたんでしょうな。


(鴻池新田会所のパンフレット)


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大坂の今橋で両替商を営んでいた鴻池善右衛門が権利を買い取って約200町歩の
広大な新田経営の運営拠点として建てたのが鴻池新田会所なんですよ。

今の方には知られていませんが江戸時代には大坂で一番の豪商だったそうです。

三井や三菱などはまだ中小企業の時代、大坂で天下の台所を担ったのが
鴻池家と住友家で大坂の豪商で双璧の時代が幕末まで続いたんですよ。

幕末には「鴻善(鴻池善右衛門)ひとたび怒れば天下の諸侯色を失う」
とまでの力を誇っていた話が伝えられていますね。

江戸幕府を始め諸国の100以上の藩が鴻池家から借金を
していたそうで明治維新では殆んどが踏み倒されたそうですな。


(JR片町線 鴻池新田駅舎)


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このJR鴻池新田駅も明治時代に国鉄片町線が開通した折りに
11代目鴻池善右衛門が
ほとんどの費用を負担して造られたと言われています。

明治維新には大名の借金の踏み倒しにも耐えて明治時代でも財閥としてまだ
大阪の経済界に隠然たる影響力を保っていました。

鴻池銀行(三和銀行から現在の三菱UFJ銀行)を設立したり
日本生命保険の初代社長にも就任していますね。

当時は怪しげな商売と言われた「保険」が世間に認められたのも
鴻池善右衛門を本家とする
鴻池家の力が有っての事だと伝えられていますよ。


(鴻池新田会所の 本屋正面)(重要文化財に指定)


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鴻池家は本業を大事にして変な事業に手を出さないことが災いとなり
三井や三菱や住友の財閥に追い抜かれてしまったようですね。

最後は太平洋戦争の終了後の財閥解体と農地解放によって没落してしまいます。

現在は鴻池合資会社が美術館や鴻池家の財産を管理しているそうですけど。


(鴻池新田会所 入口の冠木門)


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本屋に行くのには冠木門と長屋門の二つを潜り抜けなければ入れません。

ここの本屋で新田の年貢から裁判や物資の調達、あるいは幕府の通達なども
鴻池新田会所を通して住民への自治が行われていたそうです。


(鴻池新田会所 長屋門)


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ここ鴻池新田会所が役目を終えたのが1950年(昭和25年)ですから
古老の方なら鴻池新田会所を記憶している方がまだ生存しておられるようですね。

1977年(昭和52年)に鴻池家から東大阪市に建物一式が寄付され
重要文化財の指定を受けて東大阪市が管理運営をしているそうです。


(鴻池新田会所 本屋内の台所)


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昔なら何処にでも有った「竈かまど」や井戸やつるべなどを見れば
タイムスリップした雰囲気を味わえると思いますけど。


(鴻池新田会所  本屋内の井戸とつるべ)


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(鴻池新田会所  文書蔵と米蔵) (重要文化財に指定)


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(鴻池新田会所 裏門の川船)


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昔は鴻池新田会所の周囲は掘割で囲われていたそうで、画像の川船で
物資の搬入や運搬が行われていたようです。

鴻池新田会所の北側に今も流れている寝屋川を経由して大坂との
つながりが船で行われたようですな。

江戸時代から明治時代までは米も生産されましたが河内木綿と言われる
綿がこの辺りの特産品でした。

旧大和川の川床は米の生産には適さずもつぱら綿が栽培されたようです。

明治時代に大阪周辺に紡績工場が出来たのも元をただせば河内木綿でした。


(鴻池新田会所 本屋を裏手から撮影)


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鴻池新田会所は建と敷地で約2000坪(6500㎡)も有ります。

昔は庭園な生駒山を眺める事が出来たそうですが現在は高層マンションで
遠くは見えなくなっていますね。


(鴻池新田会所の 庭園)


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広大な敷地には鴻池家の神社まで祀られていますね。

ここは鴻池家の氏神さんだから入場は出来ないようでした。


(鴻池新田会所内  朝日社)


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(鴻池新田会所  本屋前にて撮影)


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(鴻池新田会所  本屋側にクスノキの巨木)


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昔の掘割の一部が今でも半分以上は残っているようですね。

もっと幅が広く川船が往来できる水路だったんでしょうな。


(鴻池新田会所 昔の掘割の跡)


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(JR片町線 鴻池新田駅 駅名標)


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最後に余談ですが江戸幕府から開発を請け負った大坂の豪商はほとんどが
経営に行き詰まり、明治維新まで最初から最後まで持ち続けたのは
この鴻池新田会所だけだったとの話です。

流石は鴻池善右衛門家だけあって困難な経営を昭和の時代まで
維持できたとは感心させられましたね。
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鉄ちゃん爺や  船場をデジカメ散歩~♪

2012-02-14 20:13:45 | 日記
お江戸は北町奉行所と南町奉行所でテレビでもお馴染でしょうね。

大坂は東町奉行所と西町奉行所と呼ばれたそうです。

東町奉行所は大阪府庁の近所に置かれ西町奉行所は内本町橋詰にありました。

現在はマイドームおおさかと言う施設が出来て石碑しか残ってませんけど。


(大坂 西町奉行所跡の石碑)




ここの与力で内山彦次郎が歴史上では有名ですかな、天保の時代に西町奉行所の
不正を暴く為に大塩平八郎(東町奉行所の与力)が乱を起こした後に失敗。

民家に潜伏していたのを捕えたのがこの内山彦次郎です。

幕末にこの内山彦次郎は新撰組に襲撃されて死亡してしまいますけどね。

現在のマイドームおおさかを東横堀川方向から撮影。


(マイドームおおさか)




私が平成の初めに展示会の搬入・搬出で陣頭指揮した懐かしい建物なんですよ。

本町橋を渡ると船場と呼ばれる地区になりますね。


(喫茶 ゼー六)




昔の東区役所の本町通りを挟んだ前で東警察署のお隣になります。

このゼー六さんは私が船場で働いていた頃と同じ建物で残って居ました。

ここの「アイスモナカ」は手作りで冷凍の乳製品じゃないんですよ。

確かゼラチンを今も使っているはずで2個(200円)で夏場は行列ができますね。

私も本社の女子社員に頼まれてよく手土産に持って行きましたよ。

建物は戦災で焼けずに現在は三代目の息子さんがやっているそうです。

本物のアイスクリームと称するだけあって絶品の味ですな。


(農人橋)(のうにんばし)








鉄ちゃん爺やが連載している公儀橋の一つでした、現在の橋は1974年(昭和44年)に出来た新しい橋ですが
昔は町人が利用した橋で大坂城を再建した時には
この橋の袂で石垣や材木をこの浜から荷揚げしたそうです。


(明治屋 南本町ビル) 「1924年(大正13年完成)」




昔の私のお得意さんで当時は1階に自社の店舗が有りましたが現在はローソンですな。

キリンビールの仕事でこのビルの4階へ出入りしていた当時と外観は同じですね。

キリンビールが当時この明治屋のルートで売り上げを延ばし業界1位になったそうです。


(船場の丼池筋)(どぶいけすじ)




船場の唐物町と久太郎町を半分づつ取り壊して東西約1kmのビルを造りました。

1970年(昭和45年)と言いますから大阪万博と同じ年に完成した訳ですな。

地上4階・地下2階に約800店舗が入居しているそうです。

私の会社も一時この2号館にコンピューター室を置いて私が4年ほど室長をしていました。

ビルの一番上を阪神高速道路と中央大通りが造られています。

地下には大阪市営地下鉄の中央線が走っているユニークなビルですな。


(船場センタービル)







(コットン・フランネルの反物)



昔、こんな反物を船場のあちこちで見られましたが最近はアパレルばかりですな。

やはり40年前と繊維業界も随分変わりましたね。

この船場センタービルは荷物を置く場所がほとんど無いので私の会社が
営業倉庫でしたので良く商売で利用して貰ったんですけど。

この反物の会社は小さいけど同じ場所で倒産もせず頑張っておられました。

最後は地下鉄で梅田へ出てOBと飲み会になりましたね。


(OBと飲み会です)






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鉄ちゃん爺やの  鉄道講座 103系電車

2012-02-11 14:57:44 | 日記
今回は日本の鉄道で一番多く製造された103系と呼ぶ
JRの通勤型電車のお話しです。

1963年(昭和38年)から1984年(昭和59年)までに
3447両も当時の国鉄により造られました。

新幹線の0系は2008年(平成20年)12月に引退しましたが
製造車両数3216両で第2位と言われています。

103系電車は団塊の世代が社会に出た頃から首都圏・近畿圏・中京圏で活躍し
マンガ「さざえさん」にも登場するお馴染の電車ですね。

「さざえさん」の自宅は世田谷区なので登場の背景が正しくないですが
山手線を走る通勤電車として描かれているのが103系なんですよ。


(103系 電車の車両番号)




流石におん歳40~50歳のご老体なので首都圏・中京圏では引退し
鉄道博物館でしか見れなく成ってしまいました。

私が関東へ単身赴任していた頃にJR常磐線で上野駅から取手駅や
成田駅へ向かうダークグリーンの103系が1編成(15両)だけ残ってました。

それも2006年(平成18年)3月で引退してしまったそうです。

唯一残っていた仙台駅と石巻駅を結ぶJR仙石線に所属した103系も
2009年(平成21年)10月に廃車となってしまいました。

JR東海は70両だけでしたのでJR各社の中で一番先に運行を止めています。

これで103系電車は東海地方から東側では見れなくなった訳ですな。


(103系電車 JR大和路線) (低運転台型 古いですよ)

 


画像はJR大和路線・JRおおさか東線・JR桜井線・JR和歌山線で
運転中の物ですが今年の3月ダイヤ改正で引退の予定です。

国鉄からJRに変った時にJR東日本は103系を廃止して205系や209系を
新しく製造し順次入れ替えを計る方針だったようです。

逆にJR西日本は103系電車をリニューアルして長期に使う事にしたようです。

外見は103系ですが主要な部分は新車並みに改良したようですな。

JR西日本はJR東日本よりお金が無いもんで221系の新型快速電車しか
造れないので103系電車を使うようにしたと囁かれています。

そんな訳でJR東日本で走っていた103系電車まで購入し現在でも
358両が現役で使われているのが対照的ですね。


(103系電車 JR阪和線)  (高運転台型 すこし新しいです)




首都圏を走っていた103系電車は2418両も有りました、一時は首都圏の
主要な路線には全て103系電車が色んな塗装で見られたはずです。

何台がJR西日本へ買われて行ったかのデーターは持っていませんが
インドネシアに16両が譲渡され急行電車として今も走っているようですよ。

JR西日本でも順次103系電車は引退を速めJR京都線・JR神戸線および
JR片町線では見れなくなりました。

残るはJR大阪環状線・JR阪和線だけですが数年先にはおそらく引退でしょうな。


(103系電車 ラッピング仕様) (USJのPR用かな?)






103系電車は駅と駅の間隔が短い路線に向いているのでJR大阪環状線や
JR阪和線の普通電車として最後のお勤めだと考えられます。

カラフルなデザインでラッピングのお化粧をして頑張ってますね。


(103系電車 ラッピング仕様) (JR播但線 昔の馬車鉄道をPR)




JR西日本では大阪以外にも姫路地区・広島地区で若干残っているようです。

JR九州が54両を所有していますので103系電車はJR西日本と合わせて
412両が現役ですから既に3000両以上が解体された訳ですな。

鉄道マニアでは一昔前まで見向きもしなかった103系電車でしたが
西日本でしか走っている姿を見れないようになりましたので人気急上昇中。


(119系電車 JR飯田線)  (JR東海所属)




この画像は3年前に信州で撮影した物ですが、今年の3月ダイヤ改正で無くなるそうで
JR東海のHPによれば「さよなら運転」の企画がされるようですね。

やはり省エネが叫ばれていますので使用可能なのに古い電車が廃車となるようです。

他にもJR西日本の寝台特急「日本海」大阪~青森間「きたぐに」大阪~新潟間も
惜しまれながら引退となるようですね。

日本の高度成長時代を支えてきた103系電車にもう少し頑張って欲しいと思うのは
鉄ちゃん爺やの郷愁なんでしょうかな?

103系電車の製造ナンバー1番(クハ103-1)がJR阪和線で見られると
鉄道マニアの中で話題になっていますが私はまだ確認をしていません。

もし現役なら1963年(昭和38年)製造の山手線に投入された電車ですから
引退した0系新幹線よりもご老体ですから国民栄誉賞でも挙げたい気持ちですけど。

 












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大阪府庁  正庁の間を訪ねて~♪

2012-02-07 18:27:55 | 日記
大阪府庁の5階にある「正庁の間」が一般公開されてまっせ。

わいも大阪府庁の前は何度も通ってまっけど中に入ったことはおまへんな。

とかく話題にもなってる大阪府庁へ行ってみまひょ。


(お堀端から大阪府庁を撮影)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


画像に見えてる左の建物は「乾櫓」(いぬいやぐら)と呼ぶんだそうだす。

大阪城で江戸時代から残る一番古い建物だそうですわ。

勿論、徳川さんが再建した櫓やから1620年(元和6年)大阪夏の陣の後
5年ぐらいしてから造られたちゅう訳でんな。


(大阪府庁の玄関)


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大阪府庁の本館は大正15年(1926年)10月完成やさかいに骨董品ですわ。

大阪府庁の文字も右から左へそれも難しい「庁」の漢字は
今の若い方では読めても、よう書かへんのと違いまっやろか。

警備員が敬礼するのを横目で見ながら入門とは気分が良いもんでんな。


(大阪府庁 1階部分)


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(3階から見下ろすとこんな感じ)


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1階から3階までは吹き抜けの天井で出来てまっせ。

何せ~ 大阪府庁の本館は47都道府県の現役で使われている
庁舎では一番古いと言う事でっしゃろ。

前知事の橋下さんの時に建て替えるか大阪南港のWTCビルに引っ越すかで
大モメにモメて一部移転でお茶を濁したまま結論が先送りになってますな。

東日本大震災級の地震が来れば崩壊するかもしれまへんねんて。

それでは5階の「正庁の間」へ向かいまひょ~


(正庁の間 案内標識)


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「正庁の間」とは昔、年末年始の挨拶や人事発令などのセレモニーに
使われた部屋だったそうですわ。

おそらく橋下前知事の構想でリニューアルしたんと違いまっしゃろか。

奇麗になったんで大阪府民に一般公開することにしたようだっせ。


(正庁の間  入口から撮影)


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(奉安所)  


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(ステンドグラスと大正調のシャンデリア)


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大正時代のステンドグラスを接着剤で補強してるんだそうですわ。

今となっては此処でしか見られないステンドグラスもおまんねんて。

タダでこんな美術工芸品が観れるのは良いことでんな。


(天使のレリーフ  壁面の飾り)


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(半円形のレリーフ  壁面上部の飾り)


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(正庁の間 全景)


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(大阪府庁の玄関前に 自家用車?)


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警備員に尋ねたら橋下大阪市長が松井知事と堺市長の三人で会合中ですわ。

おそらく大阪市の仕事じゃおまへんから橋下さんの自家用車でっしゃろな。

さすがはVIP待遇で府庁の玄関に横付けでっか~

翌日の新聞で堺市長が大阪都構想に不参加とかで話し合いしてたそうですわ。

一歩距離を置くと言う考え方でっしゃろな。


(大阪府庁)


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橋下市長をデジカメで写そうと思ってたんやけど
正面から府庁の写真を撮っている間に逃げられてしまいましたな。


(橋下市長の車が府庁前をスタート)


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知事室は3階で通路に見覚えのある物が立ってますな。

ぶらさがり記者会見に使う小道具ですわ。


(記者会見用の 背景プレート)


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(府庁前で見学者に職員が説明会)


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ほんなら~ 今日はここまでにしまひょ  さいなら~♪
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大和川の下流へ  デジカメ散歩

2012-02-04 19:49:26 | 日記
柏原駅からJRで浅香駅まで中抜きで大和川の下流へ向かいます。

下の分担図で右端から左側のの浅香と書かれた処へ出て来ました。


(新大和川 工事分担図)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


分担図でもU字を描いて新大和川が曲がって造られてますね。

JRの浅香駅を底に上流側と下流側を写すとこんな感じに見えますな。


(JR浅香駅から上流側を撮影)


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(JR浅香駅から下流側を撮影)


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このカーブした部分が「千両曲がり」と呼ぶんだそうです。

この部分を造るのに千両ものお金が必要だったんですな。

両側が上町台地の浅香山と呼ぶ丘陵になっていますね。

だから新大和川を造るのに此処を掘削する難工事だったようです。


(大和川の支流) (西除川)


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元々この辺りを南から北へ流れる川は大坂城へ向かっていました。

それが新大和川によって無理やり切断されてしまい、新大和川沿いに
落掘川を造って川底が同じに成る地点まで曲げて合流させる事になります。

この西除川は狭山池から流れ出して新大和川にぶっかった処で2kmぐらい
下流に流れを変更されてしまった訳ですな。


(大和川の遊歩道の林)


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大和川の河川敷は此処から遊歩道になって河口まで続いています。

ツツジの名所がここ浅香山の浄水所跡に有るんですが今は冬だから
春に備えて工事中で中へは入れませんでしたね。


(南海高野線の 特急こうや号が通過)


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現在は海が埋め立てられてここから4kmぐらい先まで大和川が続いています。

でも江戸時代に新大和川が出来たころは此処から1kmぐら先が海岸線でした。


(河口から4kmの標識)


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(大和橋) (堺市側から撮影)


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1704年(宝永元年)にこの橋が完成して新大和川の付替え工事が終了。

当時はこの大和橋が唯一の橋で公儀橋だそうです。

だけど大坂の12公儀橋に含まれていないのは当時
この当りは大坂(浪速)とは呼ばなかったんでしょうね。

紀州や岸和田のお殿様が江戸へ参勤交代するにはこの大和橋を渡って
大坂の天満橋から船で京都の伏見へ抜けたそうでう。


(阪神高速道路 堺線の橋脚)  (堺市側から撮影)


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高速道路は大和川の大阪市側は昔の十三間堀川を埋め立てた処を通っています。

この十三間堀川は新大和川が出来て直ぐにここまで延長工事がされたそうです。

だから当時はこの十三間堀川が海岸線のすぐ側だったようです。


(十三間堀川の水門の跡) (大阪市側から撮影)


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右側に堰が見えていますが私が学生時代には泳いだり貝を採ったりしましたね。

私の悪ガキ時代の遊び場だった処で此処から北へ500mぐらいの処に
学生時代から独身時代までを過ごした町なんですよ。

40数年ぶりに訪れましたが川の風景や周りの工場などは
ほ当時とは変ってしまいましたね。

国道26号線の大和川大橋だけは当時のままで残っていましたけど。


(国道26号線 大和川大橋)  (大阪市側から撮影)


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この撮影した地点からの風景は昔懐かしいそのままでした。

確か昭和の初めに架けられた橋のままで残っているようです。

河川敷はもっと草が生えていましたけどね。
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「あし@」を設定しました。

2012-02-01 20:18:45 | 日記
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