鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や  四国・讃岐の旅        琴平町を訪ねて

2013-10-30 19:19:30 | 旅行
善通寺市から約4kmぐらい南へ向かうと香川県仲多度郡琴平町でっせ。

人口は1万人を切る町でっけど年間に訪れる観光客は約400万人前後。

その玄関口はJR琴平駅と言うことになりまんねん。

(JR琴平駅 改札口) (午後4時29分 到着)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(JR琴平駅舎)  (国の登録有形文化財)


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1936年(昭和11年)に完成した洋風のモダンな駅舎でっしゃろ。

古さでは善通寺の駅舎には叶いまへんけど
こちらの方が写真に撮ると絵になるんと違いまっしゃろか?

(JR琴平駅前から 象頭山を望む)


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画像の遠くに見える山が象頭山(ぞうずさん)標高521mでこの中腹に
金刀比羅宮(ことひらぐう)が鎮座してますんや。

一生に一度は行きたい「こんぴらさん」と江戸時代の後期には言われたそうでんな。

ここで注釈を入れておきますけど「金毘羅大権現」と江戸時代には呼ばれ
明治以降は、廃仏毀釈で「金刀比羅宮」と使い分けられているようでんな。

わてが~ この日JR琴平駅にたどり着いたのが午後の4時半ですわ。

夏の頃なら金刀比羅宮へ参詣して降りてこれますんやけど
10月も中旬では本殿に行く頃には真っ暗になりまんがな。

そやから~ 金刀比羅宮には明日の朝一番にお参りすることにしましたんや。

(金刀比羅宮 一之鳥居)


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ここが「こんぴらさん」への街道の終点になるそうですわ。

丸亀街道・多度津街道・高松街道・土佐街道など、江戸時代には四つあったとか。

(琴平町の 高燈篭)(高さ 27m)  (国の重要有形民俗文化財に指定)


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この高灯篭(たかとうろう)は木造では日本一高いんだそうです。

江戸時代には瀬戸内海を航行する船からこの灯篭が見えるように造られ
船人はこの灯篭に向かって航海の無事をお祈りしたそうでんな。

丸亀港で紹介しました「太助灯篭」から旅人は約12kmを歩いて
この高燈篭に手を合わせてから琴平の門前町へ向かったんようでっせ。

丸亀街道が陸路の距離が一番近いので江戸時代には一番賑わったそうですわ。

(ことでん 琴平駅舎)  


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(元 京急の1000系)  (現在は ことでん1080形)


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高松・琴平電気鉄道ちゅう私鉄でっけど「ことでん」とか「琴電」で
地元の方には愛称で呼ばれる地方鉄道ですわ。

2001年(平成13年)に子会社の「ことでんそごう」が「そごうの」倒産で
ことでんも鉄道会社としては初めて民事再生法申請で連鎖倒産したんでっせ。

地元企業や銀行を初め香川県の自治体も救済に乗り出し、見事に
2006年(平成18年)に再生計画を完了したとは、ご立派でんがな。

この駅舎は1988年(昭和63年)に出来たものでまだ新しい駅舎ですわ。

(こんぴらさんの 表参道)


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薄暗くなってきましたんで、明日はお参りして直ぐに高松市内へ動きたいし
今日の内に琴平町の門前町を散策しておくことにしましたんや。

まずは「こんぴら歌舞伎大芝居」の建物を見に行きまひょ。

(旧 金毘羅大芝居) (別名 金丸座)  (国の重要文化財に指定)


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館内の見学は午後の5時迄とのことで外観だけしか写せまへんでしたわ。

毎年春に東京や大阪の一流の歌舞伎役者が演ずる「こんぴら歌舞伎大芝居」は
全国的にも有名で、入場券はとてもじゃないが手に入らないよとの噂。

日本に残る最古の芝居小屋で、舞台の装置は全て人力で動かすんやそうでっせ。

「こんぴら歌舞伎大芝居」は1960年(昭和35年)から続いているんだって。

歌舞伎が演じられてない期間だけ1人=500円で館内が見学できるんだそうな。

(琴平町 公会堂)  (国の登録有形文化財)


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人口が1万を切る町でっけど、金刀比羅宮の参詣客で賑わう関係で
町の財政も豊富だったんでっしゃろな。

和風で立派な公会堂まで建てる力がおましたんや。

(元 老舗旅館 とらや)


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立派な飾りが施された昔は高級旅館だったんでしょうな。

現在は「うどん」と「蕎麦」の店になってますわ。

昔は関西からの修学旅行のコースでしたんやけど。

1955年(昭和30年)の宇高連絡船の紫雲丸が沈没して
修学旅行生が109人も亡くなる大きな事故がおましたんですわ。

この事故の後、関西の中学生の修学旅行コースは東京方面となりましたんや。

わてが~ 琴平へ修学旅行で来たのがその直後でしたかな。

だから琴平への修学旅行の最後の学年ちゅうことになりまんねん。

(元は旅館 備前屋)  (現在は土産物店)


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私事で申し訳おまへんけど、この建物はわてが中学校の修学旅行で
1泊させてもらった旅館でんねん。

確か~ 2階に泊まったような記憶がおますわ。

店の方にお尋ねしたら、「備前屋」さんから買い取った建物だとの事。

1階部分は土産物の店で昔の面影はおまへんでした。

外装は昔のままで残すように現在の社長が命じているんだって。

わても~ 懐かしくて写真を撮りながら眺めたら、少しだけ感動しましたで。

56年? 前の記憶でっけど想い出って残ってるもんでんな。 

(西野金陵株式会社)  (清酒 金陵で有名なメーカーさん)


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この「金陵」は江戸時代の寛政年間から金刀比羅宮のご神酒と成っています。

わてがお向かいの備前屋さんに宿泊した頃は
薄汚れた店と酒造蔵だけだったような記憶。

おそらく最近になって建て替えられたんだと思いまんな。

琴平の門前町の散歩をお仕舞いにして今日の宿に向かいまひょ。

(琴平町 ことぶき旅館)


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まずは~ 歩き疲れましたんで、一風呂浴びさせてもらいまひょ。

本日の宿泊客は、わてだけのような感じ。

(貸切の檜風呂ですわ)


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(夕食はこんな感じでした)


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途中で讃岐うどんが出てきましたで、ぶっかけというやつでしたわ。


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(見事に完食!)


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若い方にはボリュームが不足かもしれまへんが、鉄ちゃん爺やはこれで満足ですわ。

1泊2食付で 1人で宿泊  6825円 ~ 7875円

私は10%のポイントが欲しかったので、7580円を選びましたんや。

ポイント無しのコース 2人宿泊 1人当り 6300円 ~ 8400円 

下手なビジネスホテルより、ことぶき旅館さんはお得でっしゃろ。

ほんなら~ 夜も更けてきましたんでこれで失礼しまっさ。

明朝は金刀比羅宮へ参詣ちゅうことで、ほな~ おやすみなさい~♪







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鉄ちゃん爺や  四国・讃岐の旅        善通寺市

2013-10-25 20:42:39 | 旅行
四国に鉄道が出来たのは1889年(明治22年)5月の事だったそうですわ。

現在から考えたら意外かもしれまへんが、丸亀駅~多度津駅~善通寺駅~琴平駅間

讃岐鉄道ちゅう会社が金比羅詣でや善通寺参りを考慮して開通させたようでっせ。

高松駅まで開通したのが1897年(明治30年)だそうでっから
丸亀市の方が当時は近代的な町だったんでしょうな。

(現在の JR予讃線 丸亀駅舎) 


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この新しい駅舎は瀬戸大橋線の開通に合わせて電化と高架工事が行われて
1988年(昭和63年)3月に竣工した4代目の駅舎やそうですわ。

考えたら今年が25周年を迎えた駅舎ちゅうことになりまんな。

ほな~ 丸亀を後にして、善通寺市へ向かいまひょ。

(JR四国 1000形 気動車)


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多度津駅からはJR土讃線に入りますんや、この路線は琴平駅までは
電化されてますんやけど、それから先の高知県までは非電化区間でおます。

わてが乗ったのは阿波池田行きでっさかいにディゼルカーでしたわ。

(貨物列車にも追い抜かれましたがな)


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向こうはJR予讃線で松山駅や新居浜駅へ向かう本線でっから

お先にどうぞ~  こんな感じでんな。

(JR土讃線 のどかな単線でっしゃろ)


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(善通寺市の マンホールの蓋)


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善通寺の市の花が菊なので見事にデザインされている綺麗な蓋でしたよ。

わてが~ 善通寺駅に立ち寄ったのには理由がおますんや。

善通寺へお参り~  いえいえ~ そんな信心の心掛けはおまへん。

正解は下の画像で、明治時代から使われている木造の駅舎なんですわ。

(JR土讃線 善通寺駅舎)  (明治22年開業) (香川県善通寺市)


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実はこの善通寺駅舎は1889年(明治22年)の開業当時のままの
木造の古い駅舎だと言うことは記録にも載っているようですわ。

日本の鉄道駅舎で現在も使われている一番古いのはどこの駅舎か?

鉄道マニアの知識では愛知県のJR武豊線・亀崎駅舎だとの説になってますんや。

(JR武豊線 亀崎駅舎)  (愛知県半田市)(明治19年完成?)


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この画像は2009年(平成21年)に写してきた物なんでっけど。

駅・構内の柱に明治19年との国鉄が貼り付けた財産目録標識がおますんや。

半田市の郷土史にも記録がないのでこの駅舎が出来た年月日が不明なんですわ。

でも明治19年という証明が貼り付けられてるからには
この駅が出来たことを意味すると考えられてますんや。

亀崎駅舎が現在では日本一古い駅舎ちゅうことに成っているんですわ?

でも亀崎駅舎が証拠不十分となれば善通寺駅舎が日本一古いと成りますんや。

ただ、善通寺駅舎の車寄せの部分は1922年(大正12年)に陸軍大演習の際に
摂政の宮(後の昭和天皇)が行啓される際に急遽増築されたようでんな。

通寺市内はレンターサイクルを借りて巡ることにしまひょ。

(善通寺市の レンターサイクル)  (1日 100円)


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(JR善通寺駅構内 下り線・ホームの立て札)


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わては~ 真言宗に帰依している訳じゃおまへんけど

ここまで来たからには、善通寺さんへ立ち寄ってみまひょかな。

まずは~ 本堂と五重塔がある東院という敷地でっせ。

(真言宗・総本山 五岳山 善通寺) (南大門 & 五重の塔)


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(五岳山 善通寺の 本堂) (東院)


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四国では何処へ行っても「四国八十八ヶ所 霊場詣で」のお遍路さんに出会いまっせ。

ここ善通寺は真言宗の三大霊場の一つで、和歌山の高野山・京都の東寺さん
それにここ善通寺で、四国八十八ヶ所の第75番の札所にもなってるようでんな。

入れ替わり立ち代りでお遍路さんがお参りして、ご朱印を頂いておられまっせ。

私も普段はご朱印を貰うんでっけど、こんなピクニックみたいな服装では
お遍路さんに失礼だし、お寺さんにも叱られそうだからパスしまひょ。

四国八十八ヶ所の霊場参りはそれぐらい厳粛で服装も決められてますんや。


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お遍路さんの背中に書かれている「南無大師遍照金剛」の下の部分
「遍照金剛」は弘法大師・空海さんの法名だそうでっせ。

弘法大師さんと一緒に八十八カ寺をお参りするとの意味のようでんな。

(善通寺 五重の塔) (東院)


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善通寺は平安時代の初期に弘法大師・空海が父親から寄進を受けた土地に
寺院を建立したのが最初で、父親・佐伯の善通(よしみち)のお名前を
お寺の名前にしたようですわ。

戦国時代に三好氏の兵火で本尊以外の建物はほとんど焼けてしまったとか

だから、現在の建物や五重塔は江戸時代に再建されたもののようですわ。

それじゃ~ 弘法大師・空海さんがお生まれになったと称する西院へ行きまひょ。

(善通寺 御影堂)  (西院)


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ここは、弘法大師・空海の母親である「玉寄り御前」の住居であったので
ここでお生まれになったとされてますんや。

現在は御影堂(みえどう)と言う弘法大師・空海の像がお祀りされてるんでしょうな。

(弘法大師・空海と ご両親との石像)


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鉄ちゃん爺やが写真を撮るのに失敗作ですわ。

中央・一番奥の弘法大師・空海さんの立像が裾の部分しか写ってまへんがな。

画像の向かって左が父親の「佐伯の直(あたい)田公(たぎみ)」

氏と苗字から奈良時代の末には讃岐の地方豪族で郡司クラスだったんでしょうな。

画像の右側が母親の「玉寄り御前」で中央手前が幼少の頃の空海で
当時の名前は「佐伯の真魚(まお)」と呼ばれたそうですわ。

それでは~ まだ時間が有るので善通寺の他の所へ向かいまひょ。

(善通寺 旧第11師団の兵器庫)


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レンガ造りの建物を発見しましたで、善通寺市には戦前に陸軍第11師団という
四国四県を統括する組織がある軍都だったと聞いたことはおますんや。

今でも自衛隊が兵器庫として使っているとは驚きでんがな。

遠くに善通寺のお寺の五重塔が見えてますやろ。

(善通寺 旧第11師団の兵器庫)


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この兵器庫の前の道路を挟んだ場所は現在でも自衛隊の駐屯地でっせ。

駐屯地の後ろに写っている山が五岳山(ごがくさん)の一部でおます。

(陸上自衛隊 第15普通科連隊 正門)


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敷地内に古い兵舎が見えたので写そうとしたら自衛隊の歩哨が近づいてきました。

ヤバイので撮影はやめてレンターサイクルで退散しましたんや。

やはり任務で写真撮影をしようとする者には職務質問をするんでしょうな。

(旧陸軍 第11師団司令部之跡 石碑)


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ここ善通寺市は現在でも人口が3万3千人程度の小さい街でっしゃろ。

1896年(明治29年)に師団を設置したる理由が、わてには分かりまへんのや。

大体が陸軍の師団には県庁所在地かそれに準ずるような大きな都市が選ばれまんねん。

おそらく明治に18個在った陸軍の師団ではここ善通寺が一番小さい街でっしゃろ。

普通なら高松市の郊外に置かれてしかるべきなのに、これは大きな謎でおます。

(現在も 自衛隊の戦車が置かれてますな)


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戦車の後方に屋根だけ見えているのが旧第11師団の司令部の建物だそうですわ。

現在は「乃木館」として一般に公開されているようですが
正門の自衛隊員に尋ねたら善通寺第14旅団の広報に予約をして入場のようでんな。

「乃木館」とは旧第11師団が1898年(明治31年)に設立された時に
初代の師団長として2年7カ月赴任したのが乃木希典(当時は中将)だったそうな。

その乃木希典さんのお名前を拝借して第11師団の資料を展示しているようでっせ。

この元・司令部跡の建物も補修はされているけど明治のままのようでんな

隊員が親切に良く似た建物で、市役所の横にある旧偕行社(かいこうしゃ)なら
予約なしで見学できますよとアドバイスをもらいましたんや。

旧偕行社(かいこうしゃ)は拝観料が無料だとのこと。

そんな訳でレンターサイクルでそちらの方へ向かうことにしました。

(第11師団 善通寺の 旧偕行社)  (国の重要文化財に指定)


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偕行社(かいこうしゃ)とは旧陸軍の将校さんの親睦と団結を図る為に
全国の師団所在地に置かれた集会所だそうでっせ。

戦後ほとんどが処分されてしまい現在まで残っているのは

旭川(第7師団)・弘前(第8師団)・金沢(第9師団)・善通寺(第11師団)

豊橋(第15師団)・岡山(第17師団)の6箇所だけになっているとか。

善通寺の旧偕行社は現在は市が保有して郷土館として一般公開してますんや。

(第11師団 善通寺の 旧偕行社 大広間)
 

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この時間は見学者は、わて一人だけでしたんやけど、フローリングを掃除しながら
係りの方が見張ってましたで。

カーテンや白漆喰は重要文化財だから触ったら注意しようと思ったんでしょうな。

(第11師団 善通寺の 旧偕行社 貴賓室)


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パンフレットによれば1922年(大正11年)に第11師団で開催された
陸軍大演習に摂政の宮(後の昭和天皇)が行啓されてその際に
この部屋で宿泊されたとの記録が残っているそうです。

(第11師団 善通寺の 旧偕行社 食堂)


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現在は会議等に使用されることもあるとのこと。

全国で旧陸軍の施設が多く昔のまま残っているのはここ善通寺だけでしょうな。

香川県で戦死した英霊約37500名を祀る讃岐の宮を貼り付けておきまひょ。

(讃岐の宮  元 香川県護国神社)


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第11師団は日露戦争では旅順攻略戦・昭和の日中戦争では上海上陸作戦などで
多くの戦死者をだした四国の四県で編成された強力な師団だったそうですよ。

(讃岐の宮の横には 乃木神社まで在りました)


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善通寺では乃木大将はいまでも敬われている存在のようでっせ。

観光は善通寺のお寺しかないので善通寺市は旧第11師団関係の施設を
できるだけ保存して歴史的な文化財にしようとしているように思いましたな。

他にも警察管区学校になっている建物の一部も旧第11師団の被服庫だそうです。

小さい街なので太平洋戦争の際に空襲にも会わなかったことが幸でしたのかな。

鉄ちゃん爺やは入場料の要らない施設はできる限り見学することにしてますんや。

(併設されている 偕行社Cafe から内庭を撮影)


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そろそろ夕方が近づきましたからJR善通寺駅の方へ向かいまひょ。

レンターサイクルを返却する広場の近くで酒屋さんを発見。

(讃岐の清酒 凱陣) (琴平の丸尾本店 醸造?)


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幕末に高杉晋作も飲んだとの立札が横に添えられてまっせ。

どんなお酒なのか興味はおましたんやけどパスしました。

(善通寺境内にて自分撮り)


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(善通寺市 市役所前の大通り)


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(五岳山 ごがくさん) (善通寺のお寺の山号にもなってますよ)


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本当は五つの峰がおますんやけどカメラには二つしか入りまへんでしたわ。

それでは~ 本日の宿泊地の琴平へ向かいまひょ。

次回は琴平の町と金毘羅宮を紹介しまっさ。 

ほんなら~ 今日はこれで さいなら~
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鉄ちゃん爺や  四国・讃岐の旅        瀬戸大橋&丸亀市

2013-10-20 14:15:44 | 旅行
10月14日から四国・讃岐と帰りに岡山・倉敷に立ち寄ってきましたんや。

今回から連載で、鉄ちゃん爺やの一人旅をやらせてもらいまっさ。

ほな~ 行きまっせ。

(鉄道記念日限定 秋の乗り放題パス) (JR全線 普通列車のみ乗車可)


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皆さんがご存知の「青春18きっぷ」の縮小版のような切符でっかな。

ただ~ 連続で3日間使用と言う処が「青春18きっぷ」と一寸だけ違いますんや。

1日2500円で快速電車や普通列車だけで意外に遠くまで行けまんねんで。

10月14日のAM7時09分に大阪市内のJR天王寺駅をスタートしました。

(快速 マリンライナー)  (JR四国 高松電車区 所属)


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JR岡山駅発10時53分のマリンライナー23号に乗れましたで。

この先頭車は2階がグリーン車で1階部分が普通車指定席になってますんや。

JR四国さんが誇る5000系の先頭車にJR西日本の223系と言う
快速列車に使用するのが4両連結されてまんねん。

鉄ちゃん爺やは安上がりの旅行でっから後ろの223系に乗りまんねんで。

(快速 マリンライナー 223系 普通車)


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秋の乗り放題パスだけで乗れますんや、しかもボックス席で見晴らしも抜群。

JR岡山駅~JR高松駅を約1時間で走るJR四国さんご自慢の列車ですわ。

何せ~ 時速130kmで走りますんで、並みの特急電車より早いんだっせ。

(JR宇野線と別れて JR瀬戸大橋線へ)


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左へカーブしている線路がJR宇野線で昔は四国へのメインルートでしたんや。

1988年(昭和63年)4月10日に今から走るJR瀬戸大橋線が開通して
ローカル線に転落したJR宇野線は画像の奥に見える山を越えて行きまんねん。

今は無き国鉄の宇高連絡船が宇野港と高松港をむすんでましたですわ。

JR瀬戸大橋線はここから高架になってますんで時速130km走行になりまっせ。

(JR児島駅)  (JR西日本・JR四国の分岐駅)


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ここで瀬戸大橋を渡る全ての列車の乗務員さんが交代しますんや。

いよいよ~ JR四国さんの管轄に入っていくということでんな。

JR児島駅をスタートした快速マリンライナーは長いトンネルを抜けたら
そこは~ 瀬戸内海の海の上という景色になりますんや。

(JR瀬戸大橋線  車中より東に向けて撮影)


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トンネルは岡山県の鷲羽山と呼ぶ景勝地を貫いて瀬戸内海に出る事になりまんな。

岡山側から見える目の前の小さい島は全て香川県坂出市になりまんねんで。

これは江戸時代に樽を流して讃岐の高松松平藩と備前岡山の池田藩が境界を
定めた処、予想外に児島半島の方へ樽が流れてしまった結果だとの説。

だから、備讃瀬戸(びさんせと)と呼ばれる海峡の大半の小島が現在でも
岡山県に近い島なのに香川県となっているそうですわ。

それではJRの車窓から見える瀬戸大橋からの風景を続けまっせ。


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(唯一 一般観光客が降りられる 与島のスロープ)


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瀬戸大橋の途中に点在する小島の中で与島だけが一般客が高速道路から下りて
飲食できる施設や大きな駐車場が設けられてますんや。

その他の島々は島民だけが使用できるスロープが何箇所かあるようでんな。

与島の飲食施設を写そうとしたら通過してしまい漁港しか撮れてまへわ。

(瀬戸内海 与島の漁港)


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JR瀬戸大橋線から見える景色は鉄骨の橋脚が無ければもっと素敵なのに
写真を写すにしては、どうも邪魔になるのは仕方がないのかしら。

そろそろ四国の坂出市が近づいてきましたで。

(四国の坂出市を 遠くに望んで)


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(三菱化学の坂出工場)


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(川崎重工業 坂出工場)


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JRの快速マりンライナーは瀬戸大橋を渡り終えて左へ大きくカーブしまっせ。

遠くに讃岐富士も見えてきました、鉄ちゃん爺やは乗り換えの準備をしまっさ。

(JR快速マリンライナー 讃岐富士を見ながら坂出駅へ)


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坂出駅では反対側ホームへ3分しか時間がなくて写真撮影はできませんでした。

讃岐富士の撮影は残念ながら、帰り道にトライするしか、しょがおまへんな。

(最初の訪問地 JR予讃線 丸亀駅に到着)


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丸亀駅に降りたらAM11時51分でした、わては早いと思いまんねんけど
鈍行の電車に5時間近くも揺られて物好きな人だね、と言われそうでんな。

やはり讃岐に着いたなら何をさておいても、まず「うどん」を食べんとね。

ガイドブックにも載っていた、一応は名の通ったうどん屋さんでしょうな。

(讃岐うどん 将八さん) (JR丸亀駅 高架下)


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(しょうゆうどん竹輪入り) (450円)


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醤油をぶっかけて食べる、讃岐うどんの基本に近い食べ方ですわ。

他は釜揚げちゅう食べ方が多いようでっけど今日はまだ暑いのでパスしまひょ。

かけうどんなら200円で食べられるとは流石に讃岐のうどん屋さんですな。

腹ごしらえも終わったし、丸亀城の方へ行きまひょ。

(丸亀城 天守閣と石垣)


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丸亀城は石垣が三段に積み上げられ高さ約60mにもなっているんだって。

石垣だけの高さでは日本一の高さを誇る名城だっせ。

豊臣秀吉の側近で生駒親正が築城し後には京極氏が入り明治維新まで在城したそうな。

天守閣は明治時代に改築されたものの17世紀初めの本体が残っているそうで
なんでも三重の天守閣では現存する日本で一番小さいんだそうだっせ。

(丸亀城 大手一の門)


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(丸亀城 大手二の門を背景に)


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この画像と同じ場所を描いたモニュメントを発見しましたがな。

丸亀は「うちわ」の生産が日本一で約9割のシエアを持つんだって。

(丸亀の うちわをPRするモニュメント)


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近くに「うちわの港 ミュージアム」を見つけたので入って見ましたんや。

なんでも丸亀の「うちわ」は国の伝統的工芸品に指定されているんだって。

(うちわの港 ミュージアム)  (丸亀港の近く)


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このミュージアムは「丸亀うちわ」のPRと共に観光客に500円で
手作りの「うちわ」を完成させる指導もされているそうですわ。

日本で一つしかない「うちわ」とでも言うことになりまっしゃろか。

(丸亀うちわの 製作の実演)


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「丸亀うちわ」は元々は江戸時代に丸亀藩・京極家の下級武士の内職だったそうな。

それが金毘羅宮へ参詣する客が土産に持ち帰り全国に普及したとの説がおますんや。

(丸亀うちわ 展示品) (即売で買う事も可能)


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(丸に金のマークは 金毘羅宮のシンボルでっせ)


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うちわミュージアムの外は丸亀港になってますんや。

瀬戸大橋が出来てからは寂れてしまいましたが、江戸時代後半には
江戸・大坂から金毘羅宮へ参詣する客はここ丸亀港から上陸したんだっせ。

(現在の丸亀漁港から 太助灯篭を望む)


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(丸亀港の水路を結ぶ 京極大橋)


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現在でも丸亀市では江戸時代の京極家の、お殿様の名前が生きてますんやな。

やはり~ 丸亀市のマンホールの蓋は予想通りで「うちわ&丸亀城」でしたわ。

(丸亀市の マンホールの蓋)


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(太助灯篭)  (正式には金比羅講灯篭)


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詳しくは石碑に彫り刻まれた文章を読んでくれはりまっか?

この辺りが江戸時代後半には「こんぴら参り」の上陸地点だったんでっせ。

清水次郎長の代参で「森の石松」さんも此処から歩いたんでっしゃろな。

ここは丸亀街道の起点でこの太助灯篭は一の灯篭と呼ばれたんやそうな。

何故か? 江戸時代の後半に一生に一度は金比羅さんへお参りしたいとの
「こんぴら参り」が盛り上がったんやそうでっせ。

だけど伊勢神宮よりも遠い金毘羅宮には、なかなか行くことが叶わず
代参してもらうと言うような風習も多く見られたんだって。

後日にお見せしますけど「犬の代参」まで有ったそうでんがな。

この江戸講の1357人の方々も多くはお金を寄付して金比羅参りの
代参の代わりに青銅製の灯篭を寄贈したんでっしゃろか?

江戸は本所相生町の塩原太助さんの金80両もの寄付金が寄与して
この灯篭が別名で「太助灯篭」と呼ぶようになったんそうな。

元は2基あったのが太平洋戦争中の金属供出で1基だけしか残らなかったんだって。

(太助灯篭の近く  三吉旅館)


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金比羅参りで昔はこの旅館も賑わったんでしょうな
まだ現在も営業をされているような感じ。

(丸亀街道筋の 秋寅の舘)  (丸亀市内)


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丸亀街道沿いにはこんな古い建物がいくつも残っているのが丸亀の町でしたわ。

そろそろ次の目的地、善通寺市の方へ向かいまひょ。

では、今日はこれでお仕舞い、さいなら~











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台風24号の進路が心配でんな~   雨男の旅行計画

2013-10-05 19:49:23 | 日記
JRが鉄道記念日に「秋の乗り放題パス」ちゅう切符を発売してますんや。

日本全国のJRを連続で3日間利用できるんですよ。

使用期間が10月5日~10月20日まで。

但し、新幹線や特急や急行には乗れまへんけど。

ご存知の「青春18きつぷ」の小型版という感じでっしゃろな。

「青春18きっぷ」は学生さんがお休中なので鈍行列車は凄く混雑しますんや。

この「秋の乗り放題パス」は、わてらのような高齢者には有難い切符でんな。

3日間で7500円でっけど、2セット買えば6日間利用も可能でっせ。

連続で3日間ちゅうのが難点でっけど、使い方によれば便利でもおますんや。

(四国の ガイドブック)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

図書館でガイドブックを借りてきて先月から一人旅のプランを考えてますんや。

中学校の修学旅行が香川県の「金毘羅宮」から「栗林公園」と「屋島」でした。

当時は大阪から船で高松へ渡るか国鉄の宇高連絡船で渡るかの選択でしたな。

わてらは大阪の天保山から高松港を関西汽船で往復しましたで。

現在は神戸港からしか高松港行きが出てないのでJRで渡ることにしまひょ。

(さぬきうどん 食べ歩きベスト5)


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香川県は「うどん県」ちゅうネーミングを郵政会社に提案したそうやけど
これは郵政会社が許可しなかったんでしたな。

でも「さぬきうどん」と言えば関西でも名前が通ってまんねんで。

「大阪のうどん」は昆布と鰹節で出汁を取りますんや。

「さぬきうどん」は「いりこ」を主にした出汁がメインでっしゃろな。

(さぬきうどん)


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実は10日から12日までの三日間で金比羅さんから高松市内へのコースを
組んだんでっけど、台風が南の海上をうろついてますな。

雨男のわてが旅行の計画を立てたら、又もやこんな有様でんがな。

23号は中国の方へ行きそうでっけど、24号が右へ曲がってきそうな気配。

ホテルの予約を辞めて月曜日ぐらいまで様子をみまひょかな。

何せ、JR瀬戸大橋線ちゅうのは瀬戸内海の高い所を走ってますんで強風が吹くと
直ぐに運休になる鉄道で有名なんですわ。

下手をしたら四国で足止めを喰らうかもしれまへんのや。

10月13日以降にスタートちゅうことに成りそうでんな。

まあ~ 諦めてネットで乗り換えや観光地を検索して時間稼ぎでもしまひょ。

ほな~ 今日はこれで失礼しまっせ  さいなら~










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