鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

おいでやす~   大阪の天神祭りでっせ~♪

2013-07-27 17:13:09 | 大阪
日本三大祭り言うたら「祇園祭」と「天神祭」それに「神田祭」でんな。

でも~ 「神田祭」は奇数の年だけの大祭ですわな。

だから東京の人は別に江戸三大夏祭りと言い換えて「神田祭」に「山王祭」
それに「深川祭」を加えてそう呼ぶんやそうですわ。

こちら大阪にも三大夏祭りがおまっせ「生国魂神社の(いくたま祭)」から始まり
天神祭りを経て「住吉神社のお祭り」で終わるんやと教わりましたで。

でも~ 全国的に有名なのは、やっぱり大阪・天満宮の「天神祭」だけでっしゃろな。

(大阪・天満宮 本殿)  (大阪市北区)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

此処は菅原道真公が大宰府に流される時に九州へ船出した場所と言われてまんな。

今は淀川の本流が北の方へ付け替えられましたけど、旧の本流は大川と呼ばれ
大阪市の中心部を流れて大阪湾へ注いでますんや。

この大川を利用して毎年7月25日の本宮(ほんみや)には船渡御(ふなとぎょ)の
神事が行われますんで、それを今回は紹介しまっさ。

関西ではテレビ大阪さんが毎年この船渡御(ふなとぎょ)を実況中継しはりますんや。

そのテレビの画像を拝借してブログに載せさせてもらいまひょ。

(天神祭り テレビ大阪さんの画像)


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中央下に見えるのは国道1号線に架かる「桜宮橋」で綺麗にライトアップされてますな。

造幣局の通り抜けなどで2~3回ぐらい昼間の姿はお見せしましたかな。

まずは~ 夕闇のせまる大阪・天満宮の境内から行きまひょ。

(大阪・天満宮 天神祭りの境内) (7月25日 本宮)


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(大阪天満市場さんの 提灯)


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「神聴」と書かれてまっしゃろ~  

この意味は、真面目にやっていれば神様は聴いてくれはるという意味だそうでっせ。

氏子さんの提灯は町内会や各種団体で文字が全部異なっているそうですは。

(天神橋筋商店街の 提灯)


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いよいよ~ 船渡御(ふなとぎょ)が始まりましたで~

どんどこ船を先頭に大川を遡上してスタートでっせ。

(天神祭り どんどこ船)


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天神祭りにはこの手漕ぎの船が鐘や太鼓を打ち鳴らしてお祭りを告げますんや。

この手漕ぎの船を天神祭では「どんどこ船」と呼びまんねんで。

宵宮(7月24日)には東横堀川から道頓堀川まで天神祭を告げて回りますんや。

わての会社も昔は東横堀川に倉庫がおましたんで、この鐘や太鼓が聞こえると
手を振ってお祭り気分を味わったもんですわ。

当時は本宮の7月25日は船場にある会社はほとんどが臨時休業でしたな。

だから早めに終わって事務員さんの女の子を連れて船渡御(ふなとぎょ)を
若い頃には良く見に行ったもんですわ。

(夕闇が迫る 大川に船渡御がスタート)


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(船渡御の コース案内板)


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テレビ大阪さんの中継から拝借した案内図でっけど、天神橋から御神霊を載せた船が
桜宮橋まで遡上してから再び天神橋まで戻ってきますんや。

(天神祭 御神霊の 御鳳輦を載せた奉安船)


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御鳳輦(ごほうれん)のお神輿は4基有るんですがこの画像が一番先頭を行く
「鳳」の飾りを屋根に付けた菅原道真公のご神体を意味するようでんな。

この御鳳輦奉安船が側を通過するときは行き交う「どんどこ船」や各社の船も
鐘や太鼓を止めてお参りするのが慣わしとなってますんや。

(天神祭りの船渡御  協賛で参加した各社の奉安船)


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(小若会の どんどこ船)


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氏子さんの中学生が漕ぎ手を担う「小若会のどんどこ船」ですよ。

大人も乗っておられますが主役はあくまでも中学生の子供さんだっせ。

(能楽奉賛会 能船の提灯)


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船の上では各流派の方が船渡御(ふなとぎょ)に奉納する能を舞っておられまっせ。

テレビの画面に映った時は「観世流の土蜘蛛」というお題目でしたな。


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すっかり暗くなり夜空には4000発の花火が打ち上げられてまっせ。

この日だけで大川の岸辺と天満宮へ参拝した方が約103万人だったとか。

やはり大阪の夏を彩る最大のイベントですな。

(天神祭りの船渡御) (霞んでいるのは花火の煙ですな)


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(注ぎ染めの 日本手拭い)


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大阪で人気のある「注ぎ染め」でしたが伝統を守る職人さんも現在では数人だとか
表と裏が同じ色の染色で仕上がる貴重な製法なんですよ。

大阪の泉州地区は、わてが結婚した頃までは日本手拭いの生産日本一でしたんや。

現在は中国製などの西洋タオルに押されてほぼ壊滅状態だそうですわ。

(豊臣家が 奉納したと言われる 催し太鼓)


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この様な大きな太鼓は大阪市浪速区に在る「太鼓正」という会社しか
現在は作ることができないそうです。

これも傷んだので「太鼓正」さんで修復したんでしょうな。

天神祭りでは「催し太鼓」と呼ばれる独特の太鼓の打ち方が伝えられてまっせ。

(催し太鼓 赤い烏帽子に青い袴)


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神輿の上に大きな太鼓を置いて6人で1チームの若者が勇壮に太鼓を打ちます。

この若者を天神祭りでは「願人」(がんじ)と呼び36名(6チーム)しか
任命されず他の者は太鼓には触れないようになってますんや。

船渡御(ふなとぎょ)の時には御鳳輦船の前を船で先導する役目をするようでんな。

親から代々と引き継がれた打ち手の若者が多いように聞いてまっけど。

横一列の三人で一回づづ勇壮に打つ独特のやりかたでっせ。

(天神祭りに 打ち上げられた花火)


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花火ってデジカメで写すのがホンマに難しいもんでんな。

10枚ぐらい撮りましたがこれが一番マシでっしゃろか。

ほな~ 今日はこれでお仕舞いにしまひょ さいなら~





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この暑さでっさかい~   図書館へ逃げてきまっさ~♪

2013-07-20 19:34:32 | 日記
この時節、電気代の節約にも成りまっしゃろ。

お金も要らへんし、何時間居てても文句さえ言われまへんがな。

昔は学生はんが勉強する処でしたけど、今は年金生活者の溜まり場でっせ。

本を読みながら居眠りしてる方も、あっちこっちに見えまんな。

そりゃ~ クラーも効いてるし、最高の昼寝ができまっしゃろ。

(LIC はびきの) (我が町の 生活情報センター)


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我が町には図書館は6箇所おますんやけど、この建物の地下1階に
中央図書館がありまんねん、我が町では一番大きいんやそうですわ。

蔵書が12万冊と称するので、地方都市としては頑張ってるんと違いまっしゃろか。

玄関を入ったらこんな感じのフロアになってますんや。

(LIC はびきの 1階フロア)


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此処は~ 日曜日などはバザーや展示会などに使うホールでっせ。

ほな~ 階段を降りて図書館へ行きまひょ。

(我が町の 中央図書館)


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右側の本棚が児童用のコーナーでっさかいに低く作られてますんや。

左側が大人用で索引ごとに分けて書庫が30以上はおますかな。

こんなコーナーも有りまんねんで~

(ダルビッシュ有 文庫)


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大リーガーに成ったダルビッシュ有・投手は我が町の出身なんですわ。

日ハム時代から1勝するごとに10万円でっさかいに年間150万~180万円
我が町の子供たちの福祉に使って欲しいと毎年寄贈してくれはりまんねん。

その寄付金の一部を使って毎年ながら本を買い増しているんやそうでっせ。

ダルビッシュ球場という公式試合用の野球場も設計中だそうですわ。

わてが~ 今日来たのには訳がおますんや。

(鉄道手帳 西日本編) (2009年 東京書籍 発行)


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この本が借りたくて先週の土曜日に来ましたんやけど、見当たりまへんでした。

パソコンで検索してもらったら、登録されてまへんだって。

そんなことあれへんがな~  2~3回ここで見たんやから。

(鉄道手帳 東日本編) (2009年 東京書籍 発行)


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これ2冊でペアの本やさかいに、1冊だけ登録されてるちゅうのは変やと思いまっせ。

そんな訳で、他所の図書館からお借りするちゅうことになりましたんや。

その本を大阪府立図書館から拝借したからとのTELが昨日おましたんや。

(大阪府立 中之島図書館)


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此処からお借りしてきたようでんな。

大阪府ではお互いに保有してない本を図書館同士で貸し借りできるサービスを
無料でやってくれますんや。

おそらく鉄道ファンの誰かが無断で持ち出してしまって猫ババ
1冊だけが行方不明になってしまったんでっしゃろな。

同じ鉄道フアンとしては腹が立つ違法行為やと思いますんやけど。

図書館も棚卸で見つからないのでパソコンから消去してしまったんでしょうな。

それじゃ現在、わてがこの図書館で読んでる本を紹介しまひょ。

(ハプスブルグ帝国史) (1997年 刀木書房 発行)


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オーストリアの首都であるウイーンは我が町と友好親善都市としてお互いに
仲良くしている関係なんですよ。

お互いに歴史の有る古い都市だというのが始まった経緯のようでんな。

だから我が町の中央図書館にはオーストリア関係の蔵書が沢山おますんや。

ご存知の通りハプスブルグ家ちゅうのは中世から900年近くヨーロッパで
栄え第一次世界大戦の敗戦で滅亡した欧州の名家ですわな。

他に今日はこんな本と合わせて4冊だけ貸出しをしてもらいましたんや。

(王朝貴族の 病状診断)  (2006年 吉川弘文館 発行)


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この本は、わてが好きな日本歴史を読んでたら現在では使われない病名が
時々でてきますんや、それで一回読んでみようと思いましたんや。

ここ中央図書館は専門書から学術書や雑誌や文庫本まで揃えてますんで
学生さんにも人気の有る図書館なんですわ。

夕方になってきましたんで、そろそろ帰ることにしまひょ。

ほな~ 今日はこれで失礼しまっさ さいなら~









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こてこて~  の大阪へいらっしゃい~♪  新世界の巻

2013-07-13 15:53:56 | 大阪
「こてこて~」 って関西弁でっけど分かりまっか~

本来は「こってりとした味」とか、いうように濃厚な意味でしたんや。

それが「とてもくどい程」とか「イヤという程」のように変わったんでっしゃろか。

「しつこい~」とは違って好意的なニアンスに使うこともおますけど。

大阪のケバケバしさを強調して卑下する言葉にも使われてまっしゃろな。

ほな~ 今回は大阪で一番こてこての味と街 「新世界」を紹介しまひょ。

(通天閣本通りから撮影)


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この新世界ほど変化した街は大阪でも珍しいでっしゃろな。

ミナミと呼ばれる難波地区と、あべのハルカスで一躍有名になった
天王寺・阿倍野地区の中間に挟まれて、どっちやねんという界隈。

わてが学生時代の頃には女・子供が寄りつけない怖い街でしたんや。

新世界の南側お隣は有名な? 釜ヶ崎のドヤ街でっせ。

その東側のお隣には大阪一を誇った飛田遊郭がおましたんや。

わてが独身時代には釜ヶ崎の労働者や下町のチンピラがうろつく
安酒と串カツやどて焼きが名物の怪しげな街でしたな。

それが~ この15年~20年ぐらいで若者に有名な街に変身でっしゃろ。

わてにも、なんでこんなに変身したのかよう分かりまへんわ。

(新世界 ジャンジャン横丁)


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このジャンジャン横丁は、わてらお金が無いので安い酒を飲んでそのアテが
串カツでしたんや、串をこそっと床に落としてお勘定をごまかす。

店も分かっているけど常連には1~2本なら眼をつむる、そんな街でしたんや。

わてらの先輩達はここで酒を一杯引っ掛けてから飛田遊郭へ向かったんだそうな
それで新世界のジャンジャン横丁が有名になったんやそうでっせ。

(ジャンジャン横丁 JRガード下の道標)


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大阪弁で書かれているのが、ここではピッタリするような道標でっしゃろ。

このガード下だけが昔のままで飛田遊郭への近道でしたんや。

私が時々でっけど通った居酒屋の串カツ屋はこの辺りでしたかな。

(ジャンジャン横丁の 串カツ屋さん)


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当時は立ち飲み風の串カツ屋さんでした、すっかり変わってしまいましたな。

そりゃ~ 40年も前の話やから屋号も変わってしまいましたやろ。

それじゃ~ 通天閣の方へ戻ってみまひょ。

(新世界の 中心街)


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どっかで~ 見たような記憶がおまっしゃろ。

つい先日までここを背景にして「アルソック~」なんてCMがおましたがな。

昔はジャンジャン横丁が中心街でしたが最近はこの辺りがメインやそうだっせ。

若い方や他府県から来た人が、入れ替わり立ち代り写真を撮ってはりまんな。

そうそう~ 中国語や韓国語も聞こえてきて賑やかなことですわ。

(大阪の新世界 PR用のポスター)


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やはり~ 新世界へ来たら串カツを食べなくちゃいけませんよね。

それじゃ「横綱」ちゅうこの辺りで4~5軒の店を持つ所へ入りまひょ。

(串カツ 二度漬け禁止)


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関西では串カツをソースに二度漬けるのは禁止されてますんや。

それじゃ~ ソースが足らん時はどうするのか教えまひょか。

(串カツ & キャベツ)


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こうやってキャベツでソースをすくい上げ、串カツにかけて食べるんだっせ。

キャベツは無料でお代わり自由でっさかいに、ぎょうさん食べておくれやす。

(OBと 通天閣を背景にツーショット)


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若い女性の二人連れを一眼レフで撮ってあげたらお返しに
1枚写しましょうかと言われたのがこの画像ですわ。

右側の店舗が、わてら二人が串カツを食べた「横綱」さんのお店だっせ。

(新世界の ビリケンさん)


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本物は通天閣の展望台に置かれてますんやけど、串カツ屋さんの前には
写真撮影用なのか、それとも験担ぎなのかよう分かりまへんのやけど?

なんでもビリケンさんの足の裏を触ったら幸せになるとか言いまんな。

(将棋・碁の愛好クラブ)


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ここ新世界は「王将」の歌に出てくる坂田三吉が活躍した場所柄
今でもこんな将棋や碁会所が4~5件残ってますんや。

平日でもお客がぎょうさんと入ってはりまっしゃろ。

新世界で昔から残る風景はこれだけになってしまいましたけど。

ほな~ 今日はこれで失礼しまっさ  さいなら~























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河内飛鳥ってご存知かしら?   鉄ちゃん爺やの歴史小話

2013-07-06 19:52:11 | 大阪
奈良県の「大和 飛鳥」じゃおまへんで~

高松塚古墳の極彩色壁画が発見されて大和飛鳥は一躍有名になりましたな。

あれは1972年(昭和47年)の事でっさかいにもう40年も昔になりますかしら。

それからは明日香村を巡る観光がブームになりましたな。

大阪の南河内にも飛鳥がおますんやけど、こちらはほとんど知られてまへんわ。

ほな、ご案内しまひょ~

(歴史の道  河内飛鳥 古市)


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日本で一番古い国道である竹内街道(たけのうちかいどう)は飛鳥時代の
7世紀には出来ていたそうですわ。

難波宮(現在の大阪城南側)から上町台地を南下して堺の三国ヶ丘から
東へ向きを変え、鉄ちゃん爺やの住む古市から河内飛鳥を通り
二上山の鞍部にある「竹内峠」を越えて大和の飛鳥までが竹内街道でおます。

これは中国や朝鮮から往来する使節や要人に日本が立派な文化国家であると
見せつける為に造られた官道で途中にある巨大古墳なども
その土木事業等の優れた技術を彼らに印象づけるためだとも言われてまんな。

(西淋寺 山門)


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この西淋寺(さいりんじ)は今でこそ、小じんまりしたお寺でっけど
奈良時代の書物には七堂伽藍が立ち並ぶ河内の国第一の寺院だと記されてますんや。

このお寺は中国か朝鮮か定かじゃおまへんが、大陸から渡来した王仁(ワニ)氏の
一族で「西文」(かわちのふみ)氏の創建したお寺だそうですわ。

西文氏(かわちのふみし)は漢字や文章に秀でていたので大和朝廷に
事務官僚として仕えた中流官人の一族だったようでんな。

門前にこんな石碑が立ってますんや。

(欽明天皇・桓武天皇 勅願のお寺)


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欽明天皇が何故、この渡来人のお寺を勅願寺としたのか文献は何も語ってまへん。

わてが~ 独断と偏見でこんな想定をしてみましたんや。

欽明天皇のお妃に「堅塩媛」(きたしひめ)と言うお方がいらっしゃいました
このお方と欽明天皇の間には七男六女という多くの皇子・皇女が生まれ
天皇のお子さんをこんなに多く生んだお妃は歴史上いらっしゃるのかしら。

この「堅塩媛」というお方は父親が蘇我稲目ですが母親は不明とされています。

このお寺が「堅塩媛」(きたしひめ)と深い関係がある生家だったとの説。

西文氏(かわちのふみし)の血を引いているので母親は不明とされたのでは?

「堅塩媛」(きたしひめ)のお子さんである用明天皇(聖徳太子の父)や
推古天皇(初の女性天皇)が即位されているので
後日になって欽明天皇勅願寺と命名されたんだと、わては考えますんや。

欽明天皇は公的にはまだ仏教を受け入れてなかったはず。

蘇我の血統は大化の改新や奈良時代の天武天皇系の断絶で途切れていると
考えていた処、「堅塩媛」(きたしひめ)と欽明天皇のお子さんで
桜井皇子という方が大化の改新に登場する皇極天皇の祖父なんですよね。

天武天皇系が断絶し桓武天皇はこの桜井皇子の血を受けておられるし
母親は同じく高野新笠とお呼びする渡来系の女性だそうです。

桓武天皇は渡来人には特別な感情を持っておられたのかもしれませんよ。

そんな縁で西淋寺(さいりんじ)は欽明・桓武両天皇の勅願寺となったんでしょうな。

(西淋寺 金堂)


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小ぢんまりとした本堂でっしゃろ。

このお寺は平安時代には一旦寂れて鎌倉時代に西大寺の叡尊によって再建されて
昔の姿を取り戻したんやそうですわ。

処が戦国時代になって鉄ちゃん爺やが住んでいる高屋城が河内守護の畠山一族や
四国の細川・三好それに大和の筒井・越智などと百年近い戦乱の中心となり
最後は織田信長によりお城も西淋寺も焼失させられてしまいました。

その上最後には明治の廃仏毀釈で一時は廃寺にまで追い込まれたそうでんがな。

この建物は昭和になってから再建された物でっしゃろな。

歴史の道を訪ねて各地からこられた方がこのお寺は有名なんですが
場所が分からず迷っておられるのを時々見かけますんや。

我が地元でも若い方はこのお寺の場所や由来を知らない方が多いそうですわ。

(西淋寺 説明板)


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画像に見える瓦は「鴟尾」(しび)といって大屋根の両端に飾るもので
実物は我が町の市役所の1階に展示されてまっせ。

当時は大きな寺院だったことを示す遺物でおますな。

もう一つこんなのも境内に残ってますんや。

(西淋寺 塔の心礎石)


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高さが2m 重量が27トンもの大きな塔の基礎に敷いてあった石でっせ。

この石は観光用のパンフレットや手引書にも載っている有名な物ですわ。

なんでも飛鳥時代の心礎柱石としてはこれが最大のようだっせ。

記録によると西側に金堂が在り東側に塔が並ぶ法起寺式伽藍配置というんだって。

(奥の院 宝生院址から 発掘された五輪塔)


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この五輪塔は1958年(昭和33年)偶然に地中から発掘されたんですわ。

先程も書きました高屋城を造るときに河内守護・畠山氏がこの五輪塔を城の土台に
埋めていた物が昭和になって見つかったちゅうことでんな。

鎌倉時代中期に西淋寺・奥の院が高屋の丘陵に造られたと記録されてますな。

鎌倉時代を代表する五輪塔だそうで西淋寺を中興させた律宗・西大寺の叡尊他の
墓石かもしくも供養塔だとの説があるようですわ。

この西淋寺を訪れた人はこれらの五輪塔と先ほどの大きな基礎石を見るだけで
何もないお寺だなとガッカリして帰るかもしれませんで。

(歴史の道 カラータイル)(江戸時代の古市村)


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ここ古市村は江戸時代には代官所が置かれ南河内の中心として栄えたんだっせ。

両替屋(現在の銀行)や大きな商家が並ぶ古市村の賑わいを描いてますんや。

今は上流にダムが出来て船が遡上できませんが江戸時代には大坂から
大和川を通り石川のここ古市まで剣先船がやって来たんやそうな。

明治以降は船便が衰退し河内の中心は東大阪方面に移ったんですけど。

(河内を流れる 石川)


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この石川の流れる付近は昔は河内の国は石川郡と呼んでましたんでっせ。

大和の飛鳥にも石川という地名が在り西淋寺の元の名前である向原寺も
蘇我稲目が欽明天皇から預かった仏像を自宅を初めてお寺にしたのが
向原寺で、飛鳥川という小さい流れも両方に存在しますな。

不思議と河内飛鳥と大和飛鳥には似た地名や名前があるのに気がつきました。

蘇我氏はここ石川郡の河内飛鳥と大和飛鳥の両方に支配地を持っていたのかも?

(大和 飛鳥川) (奈良県橿原市付近)


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(河内 飛鳥川)  (大阪府羽曳野市)


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蘇我氏は葛城地方が発祥の地と言われてますので葛城山にまたがる河内飛鳥も
大和飛鳥に進出する前から支配していた可能性もあるようでっせ。

ある学者は蘇我氏のスタートは河内飛鳥だと言う人も居られるようですな。

聖徳太子や用明天皇それに推古天皇の御陵は河内飛鳥の川を遡った最上流
竹内街道の河内側山裾にほぼ、並んで設けられています。

この辺りが蘇我氏の古くから根拠地だったのが要因かもしれませんな。

(河内飛鳥 石川の堤防から 高屋城址を望む)


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この辺りの駒ヶ谷という処から織田信長は高屋城を攻めるのを眺めたとか。

河内・高屋城は織田信長により落城後に取り壊されたと書かれていますな。

この高屋城址の向こう側に鉄ちゃん爺やの自宅がおますんや。

ほな、今日はこれで失礼します。  さいなら~
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