鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

東下り(あずまくだり)3日目  鹿島神宮を訪ねる

2017-09-30 12:50:14 | 神社
3日目はJR千葉駅前のホテルを早めに出発し
利根川を越えて常陸の国の一之宮へ向かいまっせ。

(JR総武本線 快速電車 E217系)


(JR千葉駅 総武本線 駅名標)


(JR千葉駅 9~10番線時刻表)


鉄ちゃん爺やの記憶が確かならば、千葉駅7時55分発の
成田空港行きの快速電車は、現役時代に埼玉県の戸田から
1年間だけ錦糸町駅から千葉駅まで乗っていた列車のはず。

平成13年のことで電車もこれと同じE217系でしたな。

(JR千葉駅  廃止された総武本線の階段)


当時はこの階段を下りて、駅ナカのカフェで朝食を取り
再びこの階段を登って、普通電車で事業所へ向かいました。

昔の事業所はここから二つ先の駅からバスで5分ぐらい。

現在のJR千葉駅は新しい橋上駅に改修されたようで
この懐かしい階段も、使用が終了したようですわ。

それではJR総武本線の快速電車で、出発進行!

JR総武本線の快速は成田空港へ向かいますんで
鉄ちゃん爺やは、ここ成田駅で乗り換えになりまぁ。

この列車は成田駅から銚子駅までのローカル線でおます。

(JR成田線 208系 普通電車) (JR成田駅で撮影)


(JR成田線の 車窓から撮影) 


再びJR佐原駅で今度はJR鹿島神宮行きに乗り換え。

JR佐原駅発が9時16分で、この電車に乗っていたのは
鉄ちゃん爺やを含めて、たったの13人というありさま。

鉄ちゃん爺やが現役時代だった平成13年頃には東京駅から
特急「あやめ」「すいごう」というのが走ってましたんや。

現在は路線バスの方が安いとか、特急は廃止されてますわ。

この乗車客数を見れば特急電車は廃止されて当然かも。

ここからはJR鹿島線という枝線のようなコースでんな。

(利根川の本流を 渡ってます)




利根川の本流を渡ると、千葉県から茨城県に入りまぁ。

この辺りは水路が入り組んでいて、水郷地帯と呼ばれ
独特の風景を醸し出しているようでんな。

(続いて 常陸利根川を 渡ってます) 




潮来花嫁さん~🎵 潮来花嫁さんは~🎵 船で行く~🎵

こんな歌が有りましたが、当時の風景とは様変わり。

現在は観光用の船が運河を通るだけのようですわ。

残念ながら途中下車してたらスケジュール的に無理が。

デジカメで遠くを写したんですがイメージは叶わず。

(JR鹿島線 潮来駅の駅名標)


(JR潮来駅前の 風景)


(JR鹿島線 車窓から撮影)


潮来駅を出た列車は海と勘違いするような大きな
「北浦」を渡って鹿島神宮駅に向かってますんや。

(JR鹿島線 北浦を渡ってます)








向こうに見えるのは東関東自動車道路のようでんな。

現役時代に何度か車で通った記憶がおますんや。

当時はこれが利根川の本流だと勘違いしていたかも。

大阪へ戻ってネットの地図を検索したら「北浦」と
呼ばれる、湖なのか入り江なのか定かではおまへん。

(終着駅 JR鹿島神宮駅)




JR鹿島線はここで終了ですが、線路は先に延びて
次の駅は「鹿島サッカースタジアム」だそうです。

鹿島アントラーズの試合がある時だけ、JRも臨時で
次の駅まで走らせているようですが、第三セクターの
鹿島臨海鉄道で大洗や水戸などへ行けるようでんな。

画像に見える赤い電車が鹿島臨海鉄道の車両ですわ。

(駅前の 鹿島神宮への道標)


ここは茨城県鹿嶋市で「山」へんの「嶋」を採用。

これから向かう鹿島神宮は「山」へんがおまへん。

静岡県で紹介した三嶋大社と三島市と同じスタイル。

一之宮に敬意を表し一文字だけ変えているのかも?

(鹿島神宮への参道)


(塚原卜伝 生誕の地)


(塚原卜伝の銅像)


お名前は良く存じているんだけど詳しい業績は
知らないので、剣の達人だったと記しておきまひょ。

なだらかな登り坂を約10分歩くと門前町らしき
所で登り坂はお仕舞になりましたで。

(鹿島神宮の 門前町)






(鹿嶋市 マンホールの蓋)


(鹿島神宮の門前に 親子鹿の銅像)




鹿島神宮では「鹿」は神様のお使いとして昔から
大切に保護されてきたようでっせ。

関西でも奈良公園の「鹿」も春日大社に伝わる
神様のお使いとして、放し飼いがされてるのは
有名ですが、ここ鹿島神宮が本家本元なんですわ。

(鹿島神宮の大鳥居)


(鹿島神宮 境内案内図)


(鹿島神宮の 由緒書き)


春日大社は社伝によれば鹿島神宮と香取神宮の
お二人の東国の神様と、河内の国の神様である
枚岡神社のご祭神である二人の神様を合わせて
四祭神をお祀りしているとされてまんな。

春日大社は藤原氏の氏神として昔から崇拝され
皇室や五摂家にも大切な神様とされてきました。

現在も天皇陛下が元旦の早朝に「四方拝」と呼ぶ
厳粛な神事にも、鹿島神宮・香取神宮が含まれ
関東では氷川神社と合わせて遥拝されるとか。

(鹿島神宮の楼門)(国の重要文化財に指定)




(楼門の説明書き)


水戸黄門さんの父上である徳川頼房公が奉納と。

日本三大楼門の一つとして有名なんだって。

広い境内ですが拝殿と本殿は直ぐ側におますんや。

それじゃ参拝させて貰いまひょ。

(鹿島神宮の 拝殿) (国の重要文化財に指定)











元和5年(1619年)二代将軍・徳川秀忠公により
奉納された神殿で、重要文化財に指定されてまぁ。

(鹿島神宮の 本殿と拝殿)






(ご祭神 武甕槌大神の 説明書き)


ご祭神は「武甕槌大神」(たけみかずちのおおかみ)

日本書紀から読み取れば、次に訪れる予定である
下総の国の一之宮である香取神宮のご祭神。

「経津主大神」(ふつぬしのおおかみ)とお二人で
出雲に行って、大国主命から国譲りをされた神様。

だから日本国を創生した「武の神様」となりますかな。

だから現在でも重要な神様の一つとされる訳ですかな。

それでは奥宮まで歩いて行くことにしまひょ。

(鹿島神宮の森)








なんでも鹿島神宮の森は約20万坪もある広さだとか。

うっそうと茂る杉やヒノキなど神聖な雰囲気が感じますよ。

(鹿島神宮の 奥宮)






徳川家康公が本殿として奉納された物を元和5年に
新しい本殿ができた際に、奥宮として移設したとのこと。

だから昔は本殿だった重要な神殿なんですわ。

奥宮から右に折れて森を奥に進んで行きまっせ。

(鹿島神宮の森)




(鹿島神宮の 要石)








水戸黄門で有名な徳川光圀公が要石(かなめいし)の
周りを家来に「七日七夜」にわたって掘らせたが
巨大すぎて、堀り起こすことが出来なかったとの伝。

地震を起こすナマズの頭を押さえている「鎮め石」
とも呼ばれる、鹿島神宮でも有名な場所でっせ。

(松尾芭蕉の句碑)




(鹿島神宮の森で 自撮り)


(武甕槌大神の 石像)


武神そのもののお姿を彫ってあるようですな。

それでは社務所に戻ってご朱印を頂戴しまひょ。

(鹿島神宮の ご朱印)




(社務所に飾られた作品)






(横綱 稀勢の里の土俵入り)


稀勢の里さんは昔で言う、常陸の国のお生まれだから
ここ鹿島神宮の拝殿前で横綱土俵入りを披露されたとか。

実は鉄ちゃん爺やが訪れた4日後の9月1日に例大祭が
行われるんでその準備が境内で行われてましたで。

(例大祭の準備をされる 氏子さん)




9月1日の例大祭は知っていたんですが、人出が多く
ゆっくりと参拝出来ないと考えパスしたんですけど。

それではJRの駅へ戻ることにしまひょ。

(鹿島神宮の参道 埋め込みパネル)






(鹿島神宮 大鳥居前で 自撮り)


戻る途中でこんなオブジェを見つけましたで。

此処は鹿島アントラーズさんの地元でしたわな。

(鹿島アントラーズ 優勝のオブジェ)




(JR鹿島神宮駅にて 撮影)




JRの女性乗務員さんにお願いして写して貰いました。

208系の電車を綺麗に入れてくれはりましたで。

(JR鹿島線での 車内風景)




帰りは鉄ちゃん爺やを含めて、たった6人の乗客。

これでは大赤字なるでしょうな。

でも~ 廃止にはできない路線かも?

(利根川を渡る JR電車の先頭から撮影)


JR佐原駅で女性乗務員さんにお礼を述べて下車。

気を付けて、ご旅行をされますよに~ とのお言葉。

(JR佐原駅舎)




こんな暖簾が掲げてある駅舎なんて初めてで驚き。

観光案内所でレンターサイクル借りて次の一之宮
香取神宮へ向かいます、此処から約3kmぐらいかも。

長くなりまんので、香取神宮は次回にさせて貰いまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵

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東下り(あずまくだり)2日目 寒川神社を訪ねる~🎵

2017-09-23 15:51:56 | 神社
東下り(あずまくだり)も2日目の午後
相模の国に入りましたんや。

神奈川県高座郡寒川町(さむかわまち)

人口が約4万8千人で面積が約13平方キロ
神奈川県内でも小さな町になりまんねん。

因みに鉄ちゃん爺やが住んでいる街は
人口が約11万人で面積が約26平方キロ。

それなのに町会議員さんの定員が18名
我が町の市会議員さんの定員が18名なんで
ここは財政に裕福な町なんでしようかな?

(神奈川県寒川町 マンホールの蓋)


寒川町の花である「水仙」が描かれてまぁ。

湘南市の名称でお隣の平塚市や茅ヶ崎市
藤沢市などと協議したこともあったとか。

なんでも旗振り役だった平塚市長さんが
落選してしまい、破談に成ったようでんな。

でも湘南市という名称はJR東海道本線より
海側なら納得しまっけど、内陸の寒川町では?

そんな声もあったようですが、合併もせず
寒川町(さむかわまち)で頑張ってるのは
立派と言うべきか、それともプライドが高く
孤立しているのか、定かではおまへんけど。

(JR相模線 寒川駅舎)


茅ヶ崎駅と橋本駅を結ぶローカル線でおます。

寒川駅前は、よくある地方都市という風景で
スーパーやパチンコ店なども見当たりまへん。

これから訪ねる寒川神社の門前町らしき
雰囲気も感じられないのが正直な気持ち。

(寒川神社 三の鳥居)


一の鳥居はJR相模線の踏切の辺りだとか。

でも参道とは名ばかりで普通の道路ですわ。

タクシーで通過したので画像は省略でっけど。

この三の鳥居を潜った処からが参道らしく
神社にやってきたという気分になりましたで。

(相模の国一之宮 寒川神社の石碑)


(寒川神社の 神苑)


この神社は平安時代の相模の国における式内社
十三社の中で、唯一の大社を名乗る古い神社で
当然ながら相模の国一之宮と伝えられてまぁ。

相模の国にはもう一つ、一之宮が在ってそれは
鎌倉市の鶴岡八幡宮なんですが、中世になって
関東の武士団が勝手に名乗ったと考えますんや。

だから寒川神社が平安時代から続く相模の国の
一之宮としては本家なんだと記して置きまひょ。

(寒川神社の 参道)




(寒川神社の 由緒書き)


寒川町(さむかわまち)がこの一之宮の名前を
町名にして合併もせず、相模の国では由緒ある
周りの市とは違うんだのプライドかもしれまへん。

大企業はおまへんけど企業や工場は新幹線の走る
寒川町の北部には、多く存在してまんねん。

(寒川神社の 神門)


(寒川神社の 神門を背景に自撮り)


(寒川神社の 拝殿)




ご祭神は、寒川比古命(さむかわひこのみこと)と
もうお一方寒川比女命(さむかわひめのみこと)

合わせて「寒川大明神」と申しあげるんだとか。

(寒川神社の ご朱印)


ここは「八方除」と言われるお詣りが有名で
関東では広く知られた風習なんだそうですわ。

日本人には「八」は好まれる数字なんだって。

「八方美人」や「四方八方」に「八方塞がり」など
良い事にも、悪い事にも多く使われてますかな。

悪い方角を避けるのじゃなく、良い方に変えたり
何事も起こらないよう願う信仰なんでしょうな。

(寒川神社 拝殿の内部)


「八方除」は関西では「方違い神社」と呼ぶ
同じような風習が、堺市内にもおまっせ。

悪い方角へ向ったり、悪い方向へ建物を新築する
そんな際には、同じように「方違い神社」へ
お詣りすると、災いが福に転じるとされてまぁ。

こうすれば災いが防げると、昔の人が考えた
生活の知恵でっしゃろな。

(寒川神社の 拝殿を背景に自撮り)


(寒川神社の ご神木)


(寒川神社の ご神紋)




「左三つ巴」と言う、ご神紋のようでんな。

八幡宮さんでよく使われる、ご神紋と同じ。

(寒川神社の 提灯)


「16弁八重菊紋」ですが、各地の一之宮で
良く見かける、意識的に掲げているのかしら?

戦前までは天皇家や皇室の紋とされていたはず。

現在は神社やお寺でも良く見かける紋ですよね。

それではJR寒川駅に戻ることにしまひょ。

(JR東海道本線 快速電車)(茅ヶ崎駅にて撮影)


この日は相模の国から、武蔵の国を素通りして
下総の国(現在の千葉県)へ向かいましたんや。

JR千葉駅へは、どこかでJR横須賀・総武線に
乗り換える必要があるんですわ。

鉄道フアンの常識としてJR戸塚駅が最適でんな。

ここは1番線と2番線で交互に東海道本線と
横須賀・総武線が到着する仕組みになってまぁ。

待ち時間も殆ど無く、隣同士なので楽に乗れまぁ。

東京駅や新橋駅で乗り換えるには地下ホームだし
品川駅では階段でホームを上下する事にもなりまぁ。

(JR横須賀・総武線 快速 E217系)






鉄ちゃん爺やが関東へ単身赴任してた平成の13年から
14年の頃から、同じ車両で懐かしい気分でしたがな。

首都圏では、どんどん新車が投入されるので15年前の
同じ電車が走ってるのは、珍しい風景かもしれまへん。

夕方の早めにJR千葉駅に到着しましたんや。

(JR千葉駅 新しい橋上駅の構内)




鉄ちゃん爺やは、千葉を最後に平成14年の暮れに
62歳で大阪へ戻ることに成りましたんや。

当時のJR千葉駅のホームは高架に成ってましたが
駅舎は階段を下りて、ごく普通のダサイ駅でした。

それが駅ナカも出来て、素晴らしい駅に変わっているので
これには鉄ちゃん爺やも、びっくりでしたわ。

(千葉市の マンホールの蓋)


これで東下り(あずまくだり)2日目は終了でおます。

JR千葉駅前で2泊し、3日目は鹿島神宮と
香取神宮を、紹介することにしまひょ。

ほんなら~ 今日はこれで、さいなら~🎵










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東下り(あずまくだり)2日目 三嶋大社を訪ねて~🎵

2017-09-16 19:28:59 | 神社
駿河の国と伊豆の国の境界は黄瀬川だとのこと。

その昔、源義経が奥羽からやってきて、兄である
源頼朝と初めて対面したとされる処でっせ。

現在の都市名で言えば沼津市が駿河の国で
三島市は伊豆の国となりまんねんで。

でも沼津市・三島市・裾野市あたりは一体となり
そんな区分が通用しないような気がしますんや。

静岡県東部の工業都市と呼ぶ方が正しいのかも。

(静岡県三島市 マンホールの蓋)


ミシマザクラと呼ばれる花が一面に描かれてますんや。

ソメイヨシノのルーツを研究中に三島市で発見された
品種で、ソメイヨシノが変化したものとの説が。

三島市役所が出来た頃の話で「市の花に指定」され
現在ではマンホールの図柄として使われているとか。

三島市は古くから伊豆の国一之宮である三嶋大社の
門前町として栄え、東海道の宿場町でもおました。

(JR三島駅舎と自撮り)


JRの駅舎も三嶋大社の玄関口だと言うことで
神社をイメージするような建物ですわ。

10年ぐらい前にこの駅前から路線バスに乗り
有名な「柿田川湧水群」を訪れたことがあり
三島市を巡るのは二度目になりますかな。

今回は三嶋大社を拝観することにしまひょ。

(三嶋大社の 大鳥居)




(旧の東海道 三嶋大社の門前)


江戸時代の東海道は箱根を越えて平地に出ると
この三嶋大社・大鳥居の前を通過しますんや。

逆に江戸へ上る際には三嶋大社に参拝してから
三島の宿に1泊し、明日の箱根越えに備えたとも。

三島女郎衆がノーエ~ なんて歌もおましたかな。

(三島大社の 総門)


(総門の説明板)


(三嶋大社の 神門)


この門を潜ると舞殿と拝殿が正面に見えてきまっせ。

中世から戦前までは三島神社と呼ばれていたそうですが
現在は三嶋大社と呼ばれるようになったとか。

(三嶋大社の 拝殿)




(三嶋大社の 神紋)


ご祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)と
事代主神(ことしろぬしのかみ)とされてます。

事代主神は大国主命(おおくにぬしのみこと)の
息子さんで、一般的には「えびす様」と呼びますかな。

合わせて三嶋大明神と呼び、源頼朝の流人生活時代から
信仰が篤く、旗揚げに際し、ここに祈願をしたとのこと。

そんな事から武人の信仰が江戸時代まで続いたようでんな。

(三嶋大社の 拝殿前にて自撮り)


(三嶋大社の 本殿と拝殿)




画像の向って右側が拝殿で左側が本殿になりまぁ。

戦前の官幣大社なので立派な建物に成ってまっしゃろ。

(三嶋大社の ご朱印)


(三嶋大社の 舞殿)


境内に立派なご神木らしい樹木がおましたで。

樹齢1200年と言われるキンモクセイのようですわ。

(天然記念物 三嶋大社のキンモクセイ)






9月と10月の二度も黄緑色の花を咲かせるんだとか。

その香りは二里四方に及ぶと記されてますんや。

8月27日だったので少し早すぎたようでんな。

(三嶋大社の 神池)




(蘭渓燈籠の 石碑)




(三嶋大社の神池 蘭渓燈籠)
 

何処かで、もう少し小振りだけど同じのを見た記憶が。

どこだったか思いだせないのでご免なさい。

(厳島神社の 説明書き)


(厳島神社)


北条政子が奉納した神社のようでんな。

ご承知だと思いますが源頼朝公の奥さんですよ。

それでは歩いてJR三島駅の方へ戻りまひょ。

(三島水辺の文学碑)




表通りから斜めに入り近道と考えた小道です。

ここも富士山麓から湧き出た小川のようでっせ。

(若山牧水の 文学碑)




(司馬遼太郎の 文学碑)




誰でも知っている文学者の碑が並んでますんや。

こんな風景も水辺の街である三島市にはお似合いかも。

(井上靖の 文学碑)




(正岡子規の 句碑)


(松尾芭蕉の 句碑)




喉が渇いたのでコップを持ったらセンサーが働き
からくり人形が湧水を出してくれる仕掛けに。

巧く考えて作ったもんだと感心しましたね。

冷たくて美味しい富士山の湧水でしたよ。

(からくり人形が 水飲み場に)






(楽寿園 入園券 300円)


日本庭園のようなんで立ち寄ってみましたんや。

明治維新に活躍された小松宮彰仁親王さんの別邸だったとか。

富士山の噴火した溶岩流の上に樹木が育っているそうで
独特の景観を見ることが出来る日本庭園なんだって。

(楽寿園 遊歩道から撮影)






明治44年に小松宮彰仁親王が亡くなられた後に朝鮮の
国王世子・李根氏に譲渡されたという経緯があったとか。

(朝鮮灯篭)




李根さんが朝鮮から持ち込んだと言われている燈籠だとの説。

李根さんが住んでいたと言われる建物も残ってますんや。

(楽寿館 京風の数寄屋造り建物)






(楽寿園 遊歩道にて自撮り)






富士山から湧き出た水が池を作っているそうですが
近年は水量が減少しているが、原因が定かでないとも。

こんなお化け灯篭を園内で見つけましたで。

(楽寿灯篭)






園内には動物園も有って地元では家族連れで
ここ楽寿園を訪れる方も多いとのこと。

(楽寿園 建物)




(かき氷で 一休み)






楽寿園の北門を出たら、そこはJR三島駅前ラッキー!

JR三島駅から普通電車で熱海駅の方へ向かいまひょ。

鉄ちゃん爺やの背後に写ってる電車は伊豆箱根鉄道で
有名な修善寺や伊豆長岡温泉へ行く鉄道でっせ。

この電車に鉄ちゃん爺やは乗ったことは無いんですわ。

(JR三島駅ホーム で自撮り)


(JR東海さんの 普通電車)


(JR三島駅 駅名標)


(JR熱海駅 駅名標)


JR三島駅から二つ目が熱海駅でここがJR東海では終点。

駅名標もオレンジ色のJR東海さんから、今度はJR東日本の
緑色の表示に変わりまんねんでで。

JR熱海駅まで来たら東京駅や高崎駅や宇都宮駅など
関東の駅名が現れて、東京の香りがしますんや。

でも~ ここはまだ静岡県で昔の伊豆の国なんですよ。

JR熱海駅を発車した電車は次のJR湯河原駅で神奈川県に入り
昔の国で言えば、相模の国になるんでっせ。

(神奈川県寒川町 マンホールの蓋)


JR熱海駅から普通電車でJR茅ヶ崎駅で相模線に乗り換え。

神奈川県高座郡寒川町に辿りつきましたんや。

長くなりますので寒川神社は次回にさせて貰いまひょ。

ほんなら~ これで今日はさいなら~🎵


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東下り(あずまくだり)初日  浅間神社を訪ねて~🎵

2017-09-08 21:49:45 | 神社
夜明け前に我が家をスタートし、在来線を乗り継ぎ
約7時間で予定通り静岡県に辿りつきましたで。

なにせ鈍行列車の旅なので、お笑いくださいね。

物好きな人は鉄ちゃん爺やの他にも多いんでっせ。

大阪駅から豊橋駅まで相席した60歳代のご夫婦も。

青春18きつぷの、お仲間でしたんや。

JR由比駅は静岡市の清水区になるそうですわ。

(JR東海さんの電車です)


(JR由比駅の駅名標)


前回に紹介しましたが、ここで昼食をと考えました。

「生のシラス丼」を食べるのが目的でしたんや。

(由比の 桜えび通りの看板)


桜えびは6月初旬までがシーズンで、既にお仕舞でんな。

これはネツトで検索して織り込み済みでしたんや。

「生のシラス」なら食べれるとの情報がおました。

駅近くの食堂で尋ねたら、本日は生シラスが獲れなかった。

何故か、今年は不漁が続いているんだよねとのこと。

釜揚げのシラスじゃ、食べる気がしまへんがな。

わざわざ途中下車したのに、残念でした~

諦めて、デジカメ撮影で次の電車を待つ事にしまひょ。

(ここは昔の東海道 由比の宿)


(国道と昔の東海道が合流地点)


右側が昔の東海道でJR由比駅前を通過してますんや。

「由比正雪の乱」が江戸時代におました、その張本人は
ここ「由比の宿」の生まれだったようでんな。

三代将軍・徳川家光公の亡くなられた直後の話でおます。

(難所だった 薩捶峠の標識)




(旧の街道から 薩捶峠を望む)




江戸時代には箱根峠・鈴鹿峠と並び三大難所だったとか。

現在も山並みが海岸線まで張り出している関係で
東名高速道路も国道1号線も海岸に追いやられてまぁ。

台風などの高波で通行止めになることも有るとか
現在でも静岡県内では難所の一つなんだって。

ここをJR東海道本線もトンネルで通過してますな。

反対側をデジカメで撮影したらこんな感じでっせ。

(由比の陸橋から 富士山の方角を撮影)


山並みの上に富士山が薄っすら見えてますんやけど
鉄ちゃん爺やのデジカメではダメのようでんな。

肉眼なら、何とか富士山らしく見えてますんやけど。

それでは次の列車が来ますんでJR由比駅へ戻りまひょ。

(JR由比駅を通過する 特急電車)


東海道本線と言われながら、走っている特急はこの
「ワイドビュー富士川」と夜行寝台の「瀬戸・出雲」だけ。

東海道新幹線が開通してからは東海道本線とは名前ばかり
ローカル線に転落して、久しいように感じますんや。

(JR由比駅構内の 観光用パネル)


由比の宿の本陣などが描かれているようでっけど
ズームで撮影するのを怠ったので見えまへんわ。

昼食は次の富士宮市に変更して先へ進むことにしまひょ。

4つ目のJR富士駅でJR身延線に乗り換えますんや。

(JR富士宮駅 駅名標)


ここから駿河の国・一之宮である浅間神社まで徒歩約15分。

確か8年ぐらい前に訪ねてますんで今回が二度目ですかな。

(浅間神社 二の鳥居)


(浅間神社の 楼門)




(重要文化財の標識板)


この神社を正式には「富士山本宮・浅間神社」と呼びまぁ。

「あさまじんじゃ」じゃなく「せんげんじんじゃ」と読みまぁ。

ここが本宮で、奥宮は富士山の頂上にあることはご存じかも。

富士山の噴火口は禁足地で、内院は8合目の深さに当たるとか。

そんな訳で、現在でも8合目から頂上までの富士山頂は
浅間神社(せんげんじんじゃ)の所有地になりまんねんで。

(富士山本宮・浅間神社の拝殿)






(富士山本宮・浅間神社の 拝殿内部)


(富士山本宮・浅間神社の本殿)


(富士山本宮・浅間神社の 本殿を自撮り)


拝殿の後方に位置する本殿は二階建てのような特殊な構造。

三間社流と呼ばれる全国でも珍しい、お社になってまっせ。

(富士山本宮・浅間神社の ご朱印)


(浅間神社の 神紋)




(浅間神社 境内の枝垂れ桜)


前回に訪れた際は4月だったので枝垂れ桜が五分咲きでした。

今回は夏場なので、葉桜では趣として、やや劣りますかな。

(天皇陛下の和歌が記された絵馬)


(皇后陛下の和歌が記された絵馬)


楼門の左右に今回も掲げられてましたんや。

前回も気が付いてましたが同じ、お歌なのか
別の和歌なのかは、分かりませんでしたけど。

(湧玉池の標識)




富士山に降る大量の雪と雨は、やがて麓に至り
ここ浅間神社の境内に湧水として現れますんや。

水温は年間を通して13℃を維持しているんだって。

国の天然記念物に指定されている「湧玉池」でっせ。

(浅間神社の 湧玉池)








浅間神社の境内にはこんな石が置かれてましたで。

火山弾では、こんな大きいのは珍しいと書かれてますな。

(名勝 富士山の火山弾)


(南極から持ち帰った石)


(浅間神社の 鉾立て石)


鉾立て石は浅間神社の祭礼に際して、鉾を立てる石だとか。

(湧玉池から流れて 御手洗川=みたらいがわ)






(浅間神社の 境内の流鏑馬の像)


(浅間神社の 参道)


参拝も終わりましたので、遅めのお昼ご飯としまひょ。

二の鳥居の前にこんな横丁を見つけましたんや。

(浅間神社の門前 お宮横丁)






富士宮と言えばB級グルメで有名になりました「焼きそば」

画像は省略しますが大阪の「焼きそば」と味については
どっこい~ どっこい~ そんな感じがしましたけど。

(浅間神社 二の鳥居と自撮り)


(二の鳥居を ズームアップ)




ご当地で一世を風靡し大昭和製紙さんが寄贈されたんだ。

都市対抗野球でも優勝した、有名な企業でもおました。

現在は日本製紙という企業に統合されたようでっけど。

それでは今夜の宿へ向かうことにしまひょ。

(富士山五合目行の バスが発車)


(JR富士宮駅 長いプラットホーム)


その昔に、某宗教団体の貸し切り列車が発着したとか
現在は無用になつた、長いホームが残ってますんや。

参考のために大石寺というお寺で破門にしたとか。

(JR富士宮駅で自撮り)


振り返ったら富士山が姿を見せてきましたんや。

この時期は夕方しか富士山の姿を見ることが出来まへんな。

(富士宮市内から 富士山を撮影)




(スーパーホテル 天然温泉・富士本館)


今宵の宿は静岡県の富士市内のビジネスホテルでおます。

ひと風呂浴びてから駅前に繰り出すことにしまひょ。

(JR富士駅前の 居酒屋)


(さかなや道場 まぐろ居酒屋)


(静岡県内 漁港の標識)


本マグロと書かれているのに釣られて入店しましたんや。

少し高めでしたが初日なので、奮発しての夕食でおます。

(生ビールで お疲れさま~🎵)


(本マグロ 中とろ刺身)


(本マグロの 三貫盛り)


画像の左から、赤身・中とろ・大トロの 三貫でした。

やはり本マグロだけあって味の方は抜群でしたよ。

(富士市の マンホールの蓋)


(富士市内から 夕やみ迫る富士山)


初日はこんな感じで夜が更けてきましたんや。

次回は伊豆の国・一之宮である三嶋大社から
続いて相模の国・一之宮である寒川神社へ。

いよいよ~ 関東へ向かう、お話になりまんな。

ほな~ これで、さいなら~🎵



コメント (18)
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