鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

観光特急 青の交響曲(シンフォニー)に ご対面です~♪

2016-09-24 15:59:30 | 鉄道
久しぶりに大阪のお話をしまひょ。

9月10日に近鉄の観光特急が南大阪線と
吉野線に新しくデビューしましたんや。

本日、ヤボ用で大阪市内へ出かけたら、ご対面~🎵

(近鉄 阿部野橋にて撮影)




「青の交響曲=シンフォニー」と命名されました。

濃紺色にゴールドのラインが入った豪華観光列車でっせ。

3両編成で、定員65名 阿部野橋駅~吉野駅間を走行。

約75分間で阿部野橋駅から吉野駅に到着なんだって。

(近鉄 阿部野橋駅にて撮影)








蛍光灯の光で画像が白飛びしてまっけど、ご容赦のほど。

水曜日を除く毎日、2往復が運行されるんだって。

現在の処、大阪・阿部野橋駅発の指定席は取れないとか!

吉野駅からの戻りの便は可能性が有るかもしれないとのこと。

指定席の予約はネット限定らしく、駅では買えないんだって。

中央の2号車は、ラウンジの車両になってますんや。

(青の交響曲=シンフォニー  2号車の車内)






ビールやワインを飲みながら車窓の風景が楽しめますんや。

9月29日と10月20日には近鉄が募集した
「青の交響曲 ビール列車」が催されるとのこと。

ビール飲み放題~ 面白い企画でっしゃろ。

(青の交響曲=シンフォニー  車内販売のスイーツ)


お酒を飲めない方にはスイーツとコーヒーなどを用意。

1号車と3号車は、豪華な座席になったサロン席や
ツイン席で高級感を味わうようになってますんや。

(青の交響曲=シンフォニー 1号車・3号車)




「大人の旅を」楽しんで頂くことを目指した企画で
近畿日本鉄道さんが完成させた観光特急なんだって。

ちなみに、阿部野橋駅~吉野駅間 片道1690円

普通料金970円 特急料金510円+210円

普通の特急料金に210円だけの加算のようでんな。

210円高いだけなら乗ってみようかな?

そんな期待も有り、スタートは予約が取れないほどの盛況。

(近鉄の駅構内に掲げられた ポスター)




(近鉄 阿部野橋駅 改札口)


右の端に「青の交響曲=シンフォニー」が停まってまっせ。

実はこの観光特急は新車で製造されたんじゃおまへんで。

通勤用の6200系という電車が今も走ってますんや。

(6200系 近鉄 通勤型の電車)


この列車の定期点検に際して内装のみを新しく改造し
部品だけを取り替えて観光特急に仕立てたそうですわ。

4枚ドアを1枚ドアに取り替えてしまったようでんな。

行先表示板は除かれたけど、前照灯はそのままかな。

(6200系 ⇒ 16200系)


前に1を加えて、16200系としたんだね。

通勤電車を豪華観光列車に改造するとはお見事!

採算が取れれば、同じのをもう1編成だけ増やすかも。

さすが近鉄さん~ 大阪商人の考え方、ご立派でおます。

こんな裏話を書き込むとイメージダウンするかな?

(吉野山の イメージ写真)


(飛鳥の イメージ写真)


吉野や飛鳥など、観光地には有名な所が多数。

スタートから今日で2週間、人気は上々で
近鉄さん、笑いがとまらないほどの盛況ですわ。

(青の交響曲=シンフォニー 運行のルート)


左側の葡萄のイラストが描かれている辺りが
鉄ちゃん爺やの地元でおますけど
この観光特急は通過で停まりまへんのや。

「青の交響曲ビール列車」は我が街の駅に、戻り便のみ
停車するそうでっけど、おそらく予約は完了でっしゃろ。

(近畿圏 ICカード)


近鉄に乗ったら200円でポイントが1点もらえまぁ。

近鉄系の百貨店やスーパーで買い物をしても同じでんな。

JRや他の私鉄には乗れまっけど、ポイントは付きまへん。

ネットで登録したので、その内に「青の交響曲=シンフォニー」
指定席を予約して、一度だけ往復してみようかな?

おそらくは、来年の夏まで予約はダメでっしゃろな。

本日はこれにて終了にしまっせ、 さいなら~🎵









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鉄ちゃん爺や 鳥海山 & 庄内平野を巡る  

2016-09-18 15:16:56 | 日記
出羽三山を巡る旅もいよいよ最終日でんな。

温海温泉(あつみおんせん)は知ってましたけど
久遠(くおん)さんは温泉街から少し離れてまっから
周りには何にもない、田舎の1軒宿ちゅう感じですわ。

(温海温泉 久遠)




(バイキング式の朝食)


(旅館 久遠の玄関前にて)


(昔の温海町時代の マンホールの蓋)


日本海東北自動車道は本来なら新潟JCTから
秋田市内までの高速道路のようでっけど。

新潟県と山形県の県境や、同じく山形県と
秋田県の県境の部分が未完成なんだって。

「あつみ温泉IC」からバスは鳥海山へ向かいまっせ。

鳥海山(ちょうかいさん)と読み、天気が良ければ
庄内平野から一望できるようでっけど
この日は雲が多くて、頂上は見れまへんでした。

3泊4日の旅程をクリアするために、わざわざ
鳥海山の中腹までドライブさせるような感じ。

鉄ちゃん爺やは酒田市の方へ回って欲しかったな~

庄内平野は後回しにして鳥海山へ直行しまっせ。

鳥海山は東北では2番目に高く標高2236mあり
独立峰としては、東北一の高い山なんだって。

(鳥海山のパンフレット)


(鳥海山 登山マップ)


登山マップの左端が標高1140mの鉾立(ほこだて)口で
ここから頂上までは、歩けば片道4時間半なんだとか。

山頂へ登山する人は、ここに車を止めて一日か二日を掛けて
鳥海山の頂上を踏破してから、戻ってくるようでんな。

100台の自家用車が駐車できる一番大きい場所だとか。

鉄ちゃん爺やは、北海道から大阪へ戻る飛行機から
常に眺めてる名峰なんでっけど、登るのは勿論初めて。

最高峰の標高2236mから、長い裾野を曳きながら
日本海へ落ち込むスケールの大きい山で、山形県側からは
出羽富士と呼ばれ、秋田県側からは秋田富士とも呼びまぁ。

ネットから拝借して鳥海山を貼り付けておきまひょ。

(庄内平野から眺める 鳥海山)




左側に西鳥海山が貼り付いているので、富士山とは
少しだけ趣が違うようにも感じまっけど。

庄内平野からは、庄内富士と呼ぶこともあるんだって。

実際の富士山と似ている姿は、秋田県の横手市からだとも。

(秋田側から見た 鳥海山)


こちらなら、秋田富士と呼ばれても納得でっしゃろ。

飛行機から眺めても「鳥海山」とすぐに分かるお山で
東北第一の名峰と呼ばれるのも納得でんな。

海から2200m以上まで聳える山と言えば、静岡県の
富士山と、この鳥海山ぐらいしか考えられまへん。

観光バスは鳥海ブルーラインで標高約1140mの
鉾立(ほこだて)展望台まで一気に登りまんねんで。

(鳥海山の中腹 鉾立展望台=ほこだててんぼうだい)


(奈曽渓谷=なそけいこく を見下ろす)




ここから日本海へ溶岩流が流れ下ったんでしょうな。

鳥海山は1974年(昭和49年)に小噴火をして
現在でも活火山として、監視がされているようでっせ。

鉄ちゃん爺やのカメラでは写りまへんので
ネットから、次の画像も拝借しまひょ。

望遠レンズで写せばこんな感じに見えるようでっせ。

(奈曽渓谷=なそけいこくから 鳥海山の山頂を撮影)


鳥海山の山頂は、やはり火山なのでこんな荒々しい姿でんな。

遠くから眺めたら、穏やかな鳥海山でっけど山頂は
富士山も同じでっけど、噴火の姿を残してますんや。

(鳥海山 最高峰 2236m)


この鉾立展望台は山形県じゃなくて、秋田県になりますんや。

鳥海山の最高峰は山形県遊佐町(ゆざまち)になりまっせ。

江戸時代に鳥海山で修験道の信者同士が、神社の在る山頂を
巡って争いが起こり、庄内藩と矢島藩が幕府に訴え出たとか。

最終的には譜代大名の庄内藩の領土と決まったんだって。

矢島藩は交代寄合8千石の生駒氏で、元は四国の大名家ながら
この時期はお家騒動後で、旗本格では勝ち目が無かったとか。

そんな経過を辿り、現在も鳥海山の山頂部分は山形県とされ
山形県の最高地点は、鳥海山の山頂と記されてますんや。

(鳥海山の山頂を 撮影)




山頂に掛かっていたガスが、一瞬だけ切れて肉眼では確認。

でも直ぐにガスが掛かって、隠れてしまいましたんや。

鉄ちゃん爺やのコンデジではこれが限界でっけど。

(鉾立 駐車場から 日本海側を撮影)




肉眼では、かすかに日本海が見えるんだけど
コンデジの画像では霞んで写ってまへんな。

晴れて居れば、秋田県の男鹿半島や新潟県の
佐渡島辺りまで見渡せる絶景だそうですわ。

この時期はこんな感じにしか見えないとのこと。

(鉾立展望台 標識と自撮り)


(鉾立山荘の全景)






ここから数Km下ると山形県に成りますんで
秋田県に一歩だけ踏み込んだ訳、そんな感じでんな。

ここから約200km近くをUターンして再び
新潟県の上越妙高駅に戻ることになりますんや。

(観光バス 越後交通の後ろ姿)


(鳥海ブルーラインの風景)






この鳥海ブルーラインは鉾立口より先を下って
秋田県の「にかほ市」まで続いているんだって。

我々は再び山形県側へ戻ることになりまっけど。

(国道7号線 鳥海ブルーラインへの入口)


国道7号線に降りてきたようで、バスは酒田市の方へ
向かって走り出したように思いまんねん。

国道7号線は新潟市から日本海側を北上して
青森市に至る、東北地方の幹線道路の一つでおます。

(風力発電の塔)




松林の向こう側には、日本海が広がってますんやけど
防風林が続いていて、海は一つも見えないようですわ。

この風力発電の塔は秋田県の方から山形県の酒田市まで
続いているので、飛行機からも良く分かりまっせ。

「酒田みなとIC」から日本海東北道に入るそうですわ。

酒田市の中心街は離れているので、ほとんど見えまへんな。

(最上川を通過中)


有名な最上川でっけど、ここはもう河口に近いんでっせ。

ここから直ぐに日本海で、山形県の酒田市の中心街になりまぁ。

江戸時代には「西の堺 東の酒田」と呼ばれるほど賑わったとか。

北前船の日本海回りで大坂まで物資が運ばれたんだって。

昔は内陸部の山形市よりも、新潟や関西方面との交易が
多かったと、今に伝えているようですわ。

(酒田市の 山居倉庫=さんきょそうこ)


明治時代に造られた倉庫で現在も使われているとのこと。

鉄ちゃん爺やが一人旅なら立ち寄るんだけど、今回はツアー
もう一度これるかな、そんな気持ちで通過しましたんや。

本間美術館とか山居倉庫など見学したかったな~

「本間さまには及びもせぬが せめて成りたや殿様に」

本間家は戦後の農地解放の時点で日本一の大地主だったとか。

江戸時代には庄内藩のお殿様に、お金を貸すほどの資産家。

戊辰戦争の際には薩長軍を相手にして領内には一歩も
入れさせないほどの活躍をしたと、記録されてますんや。

会津藩や仙台藩が敗れた為に、しかたなく降伏したとの話。

本間家からの軍資金が使われたそうで、戊辰戦争後も何故か
穏便な処置で庄内藩は明治維新を迎えたように聞いてまぁ。

薩摩藩が本間家からお金を借りていたのかもしれまへんな?

会津藩は凄く苛められたのに、庄内藩は安泰だった不思議!

(庄内平野を 一路南へ)






江戸時代から庄内平野は米どころで、現在は「つや姫」
そんな名前のお米が、全国的にも知られてまっしゃろ。

ネットで調べたらコシヒカリの改良された品種のようでんな。

白くて艶があり、コシヒカリより美味しいとの売り!

トイレ休憩と昼食を兼ねて道の駅に停まるようでっせ。

(鶴岡市の 庄内観光物産館)




鶴岡市と言えば庄内藩・酒井家の城下町だった関係で
人口約13万人とか、山形県では人口では第二の都市だっせ。

鶴岡市の名産品「だだちゃ豆」ってご存じかしら?

(だだちゃ豆の 広告塔)


「だだちゃ」とは庄内地方の方言で「おやじさん」の意味。

(だだちゃ豆 朝採りをPR)


これで1300円とは高いでんな、買ったツアー客は2~3人。

バスガイドさんの受け売りのお話で、こんな逸話があるんだとか。

江戸時代に庄内藩のお殿様に枝豆が大好きなお方が居られたそうで。

「この枝豆は、何処のだだちゃが作った豆だや?」

この逸話が明治に成ってから、庄内産の枝豆を「だだちゃ豆」と
呼ぶようになったとの話が伝わっているんだって。

できた枝豆を、真っ先に「だだちゃ=家長さん」に食べて貰う
そんな風習から、「だだちゃ豆」と呼んだとの説もあるとか。

(だだちゃ豆の リーフパイ)


味見だけさせて貰ったけど、鉄ちゃん爺やの舌では
普通の枝豆との違いなど、分かりまへんでしたわ。

名物に旨い物なしと言えば、叱られるかもしれまへんな。

(山形名物 玉こんにゃく)




これはホテルの夕食で食べたけど、お土産はパスしまひょ。

こんにゃくを串に刺して醤油で煮るんだそうで
からしを付けて食べるのが名物なんだって。

やはり山形とくれば「さんくらんぼ」でもシーズンは終了。

ゼリーで包んだお菓子になったのが、お土産に販売中。

これなら年中に食べられるけど、お土産にどうかしら?

(山形 さくらんぼ きらら)


お隣の県になるけど、「ずんだ豆」も有名かな。

甘党である内の奥さんにはこちらの方が良いかな?

(みちのく ずんだ大福)


(黒豆 & だだちゃだ豆の きんつば)




宅配便でお土産は送ったので、此処で買ったのは
この「大福ときんつば」だけにしましたんや。

昼食を済ました後は、新潟県へむけてスタート。

(庄内平野とも お別れ)




この山をトンネルで抜けると、日本海東北自動車道はお仕舞い。

朝にスタートした「あつみ温泉IC」から再び国道7号線へ。

バスの車中より真近にみる日本海の風景でしたんや。

急いでコンデジを出して写したのがこの画像でっせ。

(日本海の 温海海岸を走行中)






この辺りが山形県と新潟県の県境になるようでっせ。

中世には鼠ヶ関(ねずがせき)と呼ぶ関所が置かれたとも。

(鼠ヶ関付近を 通過中)




これから先には有名な「笹川流れ」と呼ばれる絶景がおます。

日本海に奇岩がそそり立つ、海岸美の見れる区間でっせ。

でも国道7号線は大きく山間部に迂回してしまいますんや。

バスガイドさんのお話では新潟県の許可書を所持しないと
観光バスは「笹川流れ」のルートには入れないんだって。

日本海は庄内平野では砂浜が広がる地形なんだけど
新潟県との県境付近だけ、岩場や奇岩が続くんだそうですわ。

(新潟県村上市に入った画像)




最後のトイレ休憩は国道7号線の道の駅でしたわ。

熟睡していたツアー客も起こされてトイレへ。

(道の駅 朝日) (新潟県村上市)




(国道7号線 道の駅 朝日附近)


山形県から続いてきた山間部が途切れて、新潟の
平野に出てくるのが、ここ村上市の朝日地区でんな。

皇太子妃雅子さまの実家である小和田家のルーツは
この辺りに成るそうですが、それは江戸時代のお話。

雅子妃殿下は東京のお生まれだから、村上市には
お越しに成ったことはないとの、ガイドさんのお話。

此処をスタートしたら国道7号線とはお別れでっせ。

日本海東北自動車道の「朝日まほろばIC]ですわ。

(村上市の 市街地を通過中)


(新潟平野を 走行中)


(阿賀野川を渡ってますよ)


日本海東北自動車道は起点の新潟市から先は
北陸自動車道に繋がってますんで
ここからはドライバーさんも馴れたコースでっかな。

(新潟スタジアムを 遠くに眺めて通過中)


(新潟県立 野球場)


サッカーJ1のアルビレックス新潟の本拠地でんな。

長い名前が付けられてまっけど、忘れましたけど。

新潟市内には20年近く訪れてないので
随分と変わってしまったと思いまんねん。

下の画像は今年の6月に話題を呼びましたよ。

(新潟市を 遠くに眺めながら 走行中)


AKB48の選抜総選挙が6月18日に開催され
大いに賑わったそうで、プロ野球も実施できる
新潟県では唯一の野球場なんだそうでつせ。

(上越新幹線の 高架橋を通過)


遠くに新潟県の一宮である弥彦山神社が鎮座する
弥彦山(634m)が見えてきましたで。

気がついたけど、東京スカイツリーと同じ高さでんな。

鉄ちゃん爺やは2回ぐらい訪れたことおますで。

ここからは1時間ぐらいで上越妙高駅だとのこと。

(新潟の 弥彦山)


(北陸自動車道に入りました)






この辺りの風景は往きのブログを参考にして頂けばと。

詳しい説明は省かせてもらいましたので悪しからず。

(関川を 通過中)


川の向こう側が直江津の街になり日本海に注いでまぁ。

この川は信越国境の妙高の方から流れてきてますんや。

長かったバスの旅もここで高速道を下りることに。

(上信越道 上越ICのゲート)


(北陸新幹線 上越妙高駅舎)


右折中の撮影で画像がボケてますな~

西口はまだ更地で畑の真ん中に在る駅ちゅう感じがしまぁ。

ここで4日間のお世話に成った越後交通さんの
観光バスともお別れになりましたんや。

最後に東口に在る上杉謙信公の銅像を撮影しておきました。

(上越妙高駅 東口 上杉謙信公の銅像)




(上越市の マンホールの蓋)


夕方に成り、薄暗くて写りが悪いようでっけど。

上越市のマンホールの蓋には白鳥が二羽描かれてまぁ。

(北陸新幹線 上越妙高駅)






上越妙高駅の「またきてね!」のご挨拶は、ご愛敬でしたな。

長いブログになりましたが、出羽三山の旅3泊4日
これでお仕舞いにさせてもらいまぁ。

ほんなら、これでさいなら~🎵










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鉄ちゃん爺や  羽黒山伏 & 月山弥陀ヶ原  

2016-09-10 17:16:59 | 旅行
羽黒山の山頂レストランで昼食を済まし
バス停留所附近で、休憩してたら
本物の山伏さんにお会いしましたんや。

(羽黒山伏さん)


まもなく到着する参拝者の案内をされるとか。

お許しを頂いて、写させて貰いましたんや。

ほら貝を吹きながら、到着した参拝者の一行を
出羽三山神社の方へ誘導しはりましたで。

(羽黒山伏の 装束)


首にかけておられる紐を太多須緒(ふとだすき)と呼び
出羽三山の「秋の峰入り」を3回以上も荒修行を
積んだ方のみが、着用を許されるシンボルなんだって。

額に付けるのを頭巾(ときん)と呼ぶんだね
知らなかった~  山伏さんの必需品でっかな。

羽黒山伏さんをインターネットから拝借しまひょ。

(荒澤寺からスタートする 天台宗系の山伏さん)




(出羽三山神社の 神道系の山伏さん)




頭巾(ときん)の下に鉢巻をするのが天台宗系の山伏?

荒澤寺からスターとするのが仏教系の山伏さん。

確かに神社系の山伏さんは額に頭巾(ときん)を
直に付けておられるようでんな。

現在は神道系の山伏さんと天台宗の仏教系の
山伏さんの二つが、羽黒町には存在しているようでっせ。

出羽三山では「秋の峰入り」という重要な行事がおますんや。

この画像はその際に撮影された物だと思いまんねん。

この「秋の峰入り」は申し込めば抽選でっけど参加でき
7日間の修行が終われば、山伏名が付与されるんだって。

地元の山伏さんも殆どが参加されるんで総員が150名を
超えるようで、6泊7日の荒修行だそうですわ。

2016年度は9月1日に無事に終了したそうでっせ。

因みに、一般の参加には1名=5万円を納めるとか。

(神子修行=みこしゅぎょう 女性の山伏さん)




平成5年(1993年)までは女人禁制だった出羽三山も
女性の参加が認められるようになったんだって。

ベニバナで染めた衣装を着用して、2泊3日の修行を
こちらは「神子修行=みこしゅぎょう」と呼びんだとか。

最近では60名の定員が抽選により選ばれるそうでっせ。

女性版の「秋の峰入り」と考えるようで、出羽三山の
15kmの山駆けや2446段の石段を昇り降りなど。

体力的な自信がないと参加できない荒行のようでんな。

こちらの参加料は1名=4万円だと記されてまっけど。

なんでも23回連続で参加している強者の女性が居て
反対に、毎年ながら2~3名の脱落者もでるんだとか。

(随神門に集合した 秋の峰入りの山伏さん)


勿論、「秋の峰入り」は男性の山伏さんばかりでっせ。

門の前に大先達さんが居て、この方は紫の紐の
太多須緒(ふとだすき)のお姿のようですわ。

羽黒山伏の最高の位を持つお方なんでしょうな。

(先達=せんだつ を先頭に山伏さんの一行)


山伏 「案内もうす~」 先達 「うけたもう~」

こんな山伏問答が聞こえてきそうな雰囲気でっしゃろ。

(一般参加の山伏さんかな?)


白装束に杖のみで、行列の後ろに付いてはる感じ。

「秋の峰入り」や「神子修行」は本格的な修行。

他にも「大聖坊」さんが主催される日帰りや2日間コース
3日間コースなどの、山伏修行の体験もできるんだって。

冬場は羽黒山だけに成るようでおますけど。

画像の白い髭姿の先達(せんだつ)さんが写ってまっけど
その「大聖坊」の星野さんだと、お見掛けしますんや。

山伏修行は白装束で山に入り、世俗の贖罪をし死の世界に至り
再び生まれ変わり、白装束で山を下りるという意味のようでんな。

修行中は顔も洗えず歯も磨けない髭も剃れないんだって。

風呂にも入れず、南蛮いぶしの荒行や、滝に打たれる水行
それに出羽三山を山駆けする体力が必要で、鉄ちゃん爺やには
とてもじゃないが、参加することは不可能でっしゃろな。

携帯電話やカメラや時計は持ち込み禁止で、女性なら化粧も
無しでピアスや指輪もダメ、ネイルやアクセサリーも禁止。

俗世を忘れて山籠もりするには良い体験かもしれまへんな。

興味の有る方は「羽黒山伏」で検索して頂けばと存じます。

因みに、奈良県の大峰山では現在も女人禁制が続く
修験道の霊場が現在も1か所だけ残ってまんねんで。



話が脱線しましたが出羽三山の最後の霊場である
月山(がっさん)の8合目へ向かいまひょ。

(月山高原ラインを 走行中)










昔は歩いて月山(標高1984m)の頂上を目指したんでっけど
現在は羽黒町から有料の登山道路が出来ていて約1時間チョイで
8合目の駐車場まで登ることができるようになったんだって。

麓の羽黒町から8合目までは約18kmのドライブでんな。

(樹木が途切れると 草原地帯に到着)






(月山8合目 駐車場にて)




ここは7月~9月までの3か月間しか入山できない
厳しい世界ですが、弥陀ヶ原と呼ぶ湿原地帯で
この時期は高山植物の宝庫なんだそうですわ。

標高が約1380m~1400mぐらいかな?

山頂には月山神社の本宮が在り、昔は官幣大社と呼ばれ
国家が修理や建て替えをする、格式の神社だったんでっせ。

鶴岡市のHPから月山の山頂を拝借しまひょ。

(月山=がっさん 山頂) (標高1984m)






月読命(つくよみのみこと)をお祀りする出羽三山では
最高の神様になるそうで、8合目駐車場からなら
まだ3時間ぐらい高原を、歩くその先に在るんだって。

出羽三山では月山神社が死後の世界を意味するそうで
昔はここから、歩いて湯殿山まで約3時間かけて
下った処に、湯殿山神社が在るんだって。

現在は、山伏修行の方しか通らないコースでっしゃろな。

(月山 9合目付近)


今回は月山の山頂には行けませんので、湿原地帯の中に
御田原神社がおますんで、そこでご朱印を頂きまひょ。

御田原神社の、ご祭神はスサノウノミコトの
二人目の奥さんだとのこと。

(月山神社 中之宮で ご朱印)






(ウサギが 月山神社のお使いなんだ)


(月山の山頂まで 約2時間30分の標識)


それでは弥陀ヶ原を散策してみることにしまひょ。

この日は梅雨明けの雷雨のなかでの散策でしたので
視界が悪い画像しか残ってまへんのや。

(月山の8合目 弥陀ヶ原 湿原)








(高山植物の 日光キスゲ)




(高山植物だけど 花の名前が不明)








出羽三山とは独立峰が三つある訳じゃおまへんのや。

主峰の月山(がっさん)を南へ下りかけた標高1500mの
地点に湯殿山があり、その中腹にあるのが湯殿山神社。

月山を反対に北へ下り麓に近い標高414mの丘陵地帯が
羽黒山(はぐろさん)と呼ばれてますんや。

だから出羽三山のお参りは、羽黒山 ⇒ 月山 ⇒ 湯殿山 と
廻れば、月山に登り最後に再び羽黒町に戻ってくる訳でんな。

(最後に 庄内平野から見た 月山)


冬場は豪雪地帯の厳しい山でっけど、遠くから眺めたら
なだらかな、高原状の山が月山と言えまっしゃろか。

だから滑落するような事故は考えられず、湯殿山への
険しい「行者返し」と呼ばれる岩場もおますけど
全体としては女性的な山とも言えますかな。

出羽三山巡りはこれでお仕舞になりまっせ。

次回は名峰の鳥海山と庄内平野の巻きを紹介し
旅行の最終編とする予定でおます。

ほんなら、これで、さいなら~🎵







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鉄ちゃん爺や  出羽三山神社 & 羽黒山  

2016-09-03 17:06:13 | 神社
湯殿山神社を後にしてバスは国道112号線を
庄内平野に向けて順調に走りましたんや。

この道は昔から山形県の村山地区と庄内地区を
結ぶ、物流の重要な道だったそうでっせ。

村山地区とは現在の山形盆地で山形市や東根市など。

庄内地区とは山形県の日本海沿いで庄内平野になりまぁ。

(国道112号線を走る 車窓から)




この辺りを出羽山地と呼び、月山や湯殿山など出羽三山を
含む山脈が、村山地区と庄内地区を隔てているようでんな。

冬場は豪雪地帯で月山では、7月でも夏スキーが出来るんだって。

月山の東側斜面に残雪が見えてまっけど、撮影は出来まへんでした。

45分ぐらい走ったら視界が開けてきましたで。

広々とした庄内平野に出てきたようでんな。

(山形県 庄内平野の田圃)


(羽黒山の 大鳥居)




赤い大きな鳥居をくぐり抜けると、鶴岡市の羽黒町でっせ。

出羽神社(いではじんじゃ)と読むのが正しいんだって。

鉄ちゃん爺やも、でわじんじゃ! と読んでましたけど。

平安時代の延喜式神名帳に、そう書かれているんだって。

(羽黒山の 宿坊)



鳥居のような門が見えてまっしゃろ、昔は山伏さんの
それも格式の高い家系だよと、今に伝えているんだって。

冠木門(かぶきもん)とか言うんでしたかな?

バスガイドさんの、話の受け売りで、おますけど。

ここで下車して、国宝の五重塔を見学するんだって。

(出羽三山神社の 石碑)




(随神門=ずいしんもん)




この門をくぐると羽黒山の、ご神域になるようですわ。

出羽三山を正式にお詣りする際の、入口とされてますんや。

(羽黒山の表参道 継子坂=ままこざか)


(羽黒山の表参道 神橋=しんきょう)


随神門(ずいしんもん)を過ぎると羽黒山では唯一の
下りの石段で、ここを「ままこざか」と呼ぶんだって。

何せ羽黒山は2446段もの石段が続いてますんや。

昔は日本一の数だったけど、熊本県の釈迦院とかいう
お寺が3333段の石段を完成させたそうで
現在は羽黒山の石段は日本で第2位なんだって。

石段を下り終ると、神橋と呼ぶ赤い橋に出ましたで。

(羽黒山 須賀の滝 & 祓い川)


月山の山腹から流れてきた川で、昔は修行をする山伏や
参拝者はここで、体を清めてから参道を登ったんだって。

この滝も江戸時代に月山から8kmもの水路を曳いて
作られたそうで、江戸時代には不動の滝と呼んだとか。

(国宝 羽黒山 五重塔) (高さ29.9m)




(国宝 五重塔 由来書き)


ご祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)でおます。

お寺から神社に変わったので、仏様から神様へでんな。





明治初めの「神仏分離令」で取り壊される運命に有ったが
地元民の熱意で、奇跡的に残ったんだそうでっせ。

「神仏習合時代」の五重塔が神社である境内に残っている
貴重な国宝で、南北朝時代の14世紀に再建された物だって。

何でも、東北地方では一番古い塔だそうですわ。

(羽黒山 表参道 杉の木とツーショット)


これなら、少しはスマートに見えまっしゃろ?

羽黒山の表参道には500本を超える杉の大木がおますんや。

樹齢が350年~500年という古い杉の木なんだって。

(天然記念物 爺スギ)




(爺スギ & 国宝 五重塔)


昔は側に、婆スギも植わってたそうですが倒れてしまい
現在は「爺スギ」だけが残っているとのこと。

(羽黒山 表参道 一の坂)


この参道を進むと、一の坂の次には急な二の坂が、それから
三の坂を登りつめると2446段で山頂に成るんだって。

普通に石段を登ると30分~45分ぐらいかかるとの話。

(出羽三山名前が 刻まれた石碑)


一人旅なら2446段の石段を登ることになるんでっけど
ツアー旅行なので、継子坂(ままこざか)を今度は登り
随神門(ずいしんもん)へ戻ることになりましたんや。

(羽黒山 継子坂=ままこざか 登り道)






杉の大木の横に小さく写っているのが、添乗員のSさんでんな。

ツアー客の確認を兼ねて一番最後を歩いて居られるようですわ。

(随神門=ずいしんもん ご神域から撮影)


(随神門=ずいしんもん 表側から撮影)


(出羽三山 絵地図)


(出羽三山 由緒書)


(山形県鶴岡市 マンホールお蓋)


ここから再び観光バスに乗車して羽黒山有料道路を通り
標高414mの羽黒山頂上まで、楽ちん~ でおました。

2446段を登らないと、ご利益がおまへんかも?

バスガイドさんの説明で、標高差は約270mですだって。

昨日の山寺を登った筋肉痛で皆さん、やれやれ~助かった!

(出羽三山神社 境内)


昔は寂光寺というお寺だったようでっけど、明治以降は
出羽三山神社として、神様に変わったそうでんな。

なにしろ、冬場は雪深い月山神社や湯殿山神社には行けまへん。

それで、ここ出羽神社(いではじんじゃ)に月山神社と
湯殿山神社の神様をまとめて、お祀りしてあるんだって。

世にも珍しい「三神合祭殿=さんじんごうさいでん」と呼ぶ
三つの神様をお祀りする拝殿がおますんや。

(出羽三山神社 三神合祭殿)(重要文化財)








「神仏習合時代」の名残を伝えると言われる
東北地方では最大の、茅葺建造物なんだって。

茅葺の厚さは日本一ではないかと思いますんや。

冬の積雪の為にに登拝できない、月山神社と湯殿山神社の
ご祭神を、まとめて拝むことができる訳でんな。

(鏡池 三神合祭殿の前にある 御手洗池)




三神合祭殿は大きくて拝殿の前からは全景が入りまへんがな。

鏡池(かがみいけ)の前へ回り込んで撮影でしたで。

(三神合祭殿の 扁額)


中央に月山神社のご祭神で
「月読命」(つくよみのみこと)

向かって右側に出羽神社(いではじんじゃ)のご祭神で
「伊氏波神」(いではのかみ)と、もうお一方
「倉稲魂命」(うかのみたまのみこと)

向かって左側に湯殿山神社のご祭神で
「大山祇命」(おおやまつみのみこと)
「大己貴命」(おおなむちのみこと)
「少彦名命」(すくなひこなのみこと)

参拝は右側から羽黒山(出羽神社)⇒ 月山神社
最後に 湯殿山神社 となるようですな。

観光用にはこの「三神合祭殿」を参拝すれば
出羽三山をお詣りしたことになるようでんな。

(三神合祭殿の 内陣)


撮影が禁止なので、慌ててシャッターを押した感じでんな。

画像がボケてまっけど、内部はこんな感じのようでしたわ。

み簾の内側には、ご祈祷などの方しか入れないようでんな。

(出羽三山 三神合祭殿の ご朱印)


(重要文化材 種楼 & 大鐘)




この大鐘は羽黒山中では五重塔に次いで古く
鎌倉時代の1275年(建治元年)の銘が。

鎌倉時代は元寇の役の時代に作られた大鐘でんな。

(蜂子皇子=はちこのみこ お墓)




(出羽三山の開祖 蜂子皇子)


(三本足ノカラス 羽黒の霊鳥)


伝説だと考えますが第32代崇峻天皇の第三皇子だとか。

宮内庁が管理する東北地方では唯一の、お墓だそうですよ。

崇峻天皇が弑逆された際に危うく逃れたとの伝説。

奈良の飛鳥から逃げ延びて出羽の国の由良海岸から、
三本足のカラスに導かれて羽黒の里に到着。

神武天皇の伝説に出てくる「やたのからす」と同じ?

羽黒山に登拝して「羽黒権現」を感得したんだって。

後に月山権現や湯殿山権現をも感得されたので、現在は
出羽三山の修験道を開祖した方とされてますんや。

(羽黒山 歴史博物館)


ここには鏡池から取り出された平安時代から江戸時代までの
銅鏡180面や羽黒三山の資料が展示されているそうですわ。

(東の奥参り いけのみたま心願参り)


でも~ 出羽三山と呼ばれるようになったのは昭和の初めだとか。

昔は「出羽三所権現」と呼ばれたそうで、江戸時代には
西の「伊勢詣り」に対して、東の「奥参り」と呼ばれて
東北や関東では一生の内に一度はお参りしたいと言われたとも。

伊勢神宮が「陽」に対し「出羽三山」が「陰」と考えたようでっせ。

(出羽三山神社・境内 杉の並木)


(奥の細道 芭蕉の句)


(羽黒山 山頂レストラン)


ここで、この日の昼食になりましたんや。

長くなりますので、本日はこれまで。

次回は羽黒山伏と月山8合目巡りを紹介しまっさ。

ほんなら、これで、さいなら~🎵














コメント (19)
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